花盛りの鎮守府へようこそ   作:ココアライオン

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寝付けない夜に

 何故か妙に寝苦しかった。気温はそこまで高くないのに、やけに喉が渇く。こういう時に限って、自室に飲み物が無かったりする。少々面倒だったが、食堂脇にある自販機まで足を運んでミネラルウォーターを買った。昼や、夕食時には騒々しいものだが、今はもう混雑時間も過ぎて暫く経っている。チラリと覗いてみるものの食堂には誰も居ないようだ。喧騒も無い。静かなものである。自販機から取り出したミネラルウォーターをゴクゴクと飲んで、冷たい水が喉を通っていく心地良さを感じながら一息つく。廊下の空気は冷たかったものの、やけに身体に熱が篭っている。体調が悪い訳は無い。意識もはっきりしている。ただ、妙に熱い。肉の身体が、艦娘としての魂に何らかの影響を受けているのだろうか。大井は壁に凭れてから、またミネラルウォーターを喉へ流し込んだ。

 

 

 こういう夜には、必ずと言って良いほど良くない夢を見る。それは、北上が沈む夢だ。北上が深海棲艦になって帰ってくる夢だ。大井が、北上を沈める夢だ。こういう悪夢は抜け目無く、容赦ない。今日も見るのだろう。抵抗する術が無い。意識の外のものだからだ。どうしようもない。悪夢を見たあとは、決まって身体が重いのも最悪だった。本当に全然眠れない。明日は非番だから、昼まで寝ていても文句は言われないのだけが救いだ。憂鬱な溜息を飲み込み、自室へと戻ろうとした時だった。大井は、軽く息を飲んだ。この鎮守府の食堂の隣には、ゆったりとしたソファが幾つか並び、テーブルと、それから壁に掛けるタイプの大型テレビが備えつけられたサロンがある。食事を済ませた艦娘達が、食堂の席を圧迫せずにちょっと一服したり出来る空間だ。時間が在る時には、座り心地の良いソファに寝そべって昼寝をする者も居れば、仲間と一緒にテレビを見たりする者も多い。そのサロンに、誰か居る事に気付いたのだ。

 

 通路を行く大井に、背を向けている格好である。ソファに深くもたれて俯いている。小柄で黒色の提督服の肩と、白髪の後頭部が見える。帽子をしていないが、間違い無い。少年提督だ。居眠りでもしているんだろうか。静かで、規則的な吐息が聞こえる。大井は、意味も無く周りをキョロキョロと見回してみる。やはり誰も居ない。静謐に包まれている。大井は唾を飲み込んで、そっと彼に近付いていく。

 

 別にそんな必要も無いのに。どうしてこんな風に息を潜めて、そろりそろりと足音が鳴らない様に歩いて居るのだろう。自分でも分からない。でも、何となく、そうせねばならない気がした。何となくだ。また喉が渇いてきた。我慢する。彼に近付いて、ソファの前に回り込む。やはり、彼は眠っていた。ソファに深く身を預けて、規則的に静かな呼吸を繰り返している。普段はやけに大人びた彼だが、無防備であどけないその寝顔は穏やかなもので、外見相応の子供らしさというか、愛らしさが在った。

 

 

 だからこそ。彼の右眼を覆う拘束具めいた眼帯、その異質さが際立っている。幼さが残る整った顔立ちと、彼の纏う神秘的な雰囲気の調和を大きく崩し、退廃的なグロテスクさを感じさせた。だが、それらが危うい所でバランスを取り、彼と言う存在を象っている。ゾッとする程の現実感を伴い、大井の前に居る。大井は唾を飲み込んで、そろりと近付いてみる。彼は起きない。右手にペットボトルを持ち、左手をそっと伸ばして、彼の眼帯に触れてみた。忌まわしいものを覆い隠し、押さえつけているかのような彼の眼帯は、硬く冷たかった。酷く窮屈そうに見えるのに、彼は穏やかな寝息を立てている。

 

 

 眠っている彼の手元やソファの上には、書類の束とファイルが置かれていた。まだまだ仕事中の様子だ。こうして提督の仕事が長引いている時は、午前0時から秘書艦が交替で入る事もある。大井が腕時計で時計を確認すると、現在は午後11時半になろうと言う頃だった。彼の傍についている秘書艦の姿も無い。恐らくは、もうじき秘書艦として交替した艦娘と合流し、仕事の続きに取り掛かるのだろう。それまでの隙間時間を利用して、此処で仮眠を取っていると言ったところか。新しい作戦も近いこともあり、提督達も陸の上で忙しい。しかし仮眠を取るにしても、此処のソファは少々硬くて不向きだ。それにこのサロンも、多少は空調が効いているものの、暖かいとは言えない。見たところ、彼は毛布も何も持っていない。身体に熱さを覚えている大井はともかく、黒い提督服だけの彼にとっては肌寒いことだろう。

 

 

「提督……。こんな所で寝ていては、風邪をひきますよ?」

 

 大井は、彼に声を掛けて見る。起こす為ならば、もっと大きな声でいうべきなのに、大井は、何故かそうしなかった。自分でも良く分からないが、小さく、出来るだけ響かないように声を掛けた。まるで、彼が深く眠っているのを確認するみたいに、「提督……」と、もう一度声を掛ける。彼は起きない。大井は、彼の眼帯に触れていた左手を滑らせて、彼の右の頬に触れた。白磁の様な彼の肌は、ひんやりとしていた。鼓動が高鳴る。冷静な自分が言う。早く彼を起こすべきだと。寝顔をじっくりと見るなんて。寝ている彼に無遠慮に触れるなど、良く無い事だと。自分でも理解している。

 

 大井は、少女提督が召んだ艦娘だ。少年提督の秘書艦になることは無い。それは別に良い。自身の存在意義を果たせるならば、其処に口を挟むつもりは無かった。重雷装巡洋艦として、大きく活躍している。それで良い。艦娘としての大井は大井だ。変わらない。しかし。今の彼の姿を、もう少し独り占めしていたいと思う。それは、艦娘としての大井では無く、“個”としての感情に拠るものだ。それぐらいは、自分でも理解出来る。ただ、理解は出来ても、コントロールは出来ない。ままならない。彼には以前、北上を救って貰った大きな恩が在る。その感謝以上の気持ちを持て余している。彼は、まだ起きない。大井は唾を飲み込んでから、少しだけ身体を寄せた。彼の頬に触れている左手を動かす。彼の唇に静かに触れて、指先でそっとなぞった。何ともいえない柔らかさを感じる。蠱惑的で、官能的な感触だった。彼の瞼が小さく動いた。心臓が飛び出すかと思った。

 

 大井は慌てて手を引っ込める。胸元をぎゅっと掴んだまま、息を潜めて彼を見詰めた。彼は、やはり起きない。相当深く眠っているようだ。ふぅ……と、吐息を漏らした大井は、左手の指先で自分の唇に触れてみる。指先には、奇妙な熱が篭っている気がした。喉がカラカラだ。このままでは、本当に変な気分になってしまいそうだ。自分を落ち着けるようにゆっくりと瞬きしてから、今度は左手で彼の右肩に触れた。軽く揺すってみた。それでも起きない。ぐっすりだ。大井はふと、ある話を思い出した。彼の体質と言うか、癖である。彼は一旦眠ると、腕時計のアラームが鳴るまでは絶対に起きない。そんな馬鹿なと思ったが、いや、もしかしたらとも思った時だ。

 

 Pipipipipipipipi、と。軽い電子音がサロンに響いた。大井は軽く肩を跳ねさせる。アラームだ。繰り返しは無い。一回のみだった。それで十分だった様だ。彼は、大きく息を吸い込んでから、吐き出した。相変わらず静かな呼吸だ。彼はゆっくりと左の瞼を持ち上げた。眠りから覚めたと言うよりも、まるでスイッチが入ったみたいな様子だ。俯いたままで何度か瞬きをした彼は、ゆっくりと顔を上げる。大井は動くタイミングを逃して、彼の正面で硬直していた。そして、緊張したような貌をしたままで、彼と眼が合う。彼は意外そうな貌になって大井を見詰めて、何度か瞬きをして見せた。だが、すぐに戸惑うように、「……えっ」と声を漏らした。そりゃそうだろうと思う。大井だって、立場が逆ならそんな反応になる。大井は、慌てて表情を取り繕った。

 

「お疲れ様です。提督」

 

大井は言いながら、ぎこちない笑みを浮かべた。

 

「あ、ぃ、いえ……、お疲れ様です」

 

その大井の言葉に、彼はちょっとだけはにかむみたいに照れ笑う。多分、寝顔を見られていたことを察したのだろう。彼は左手の人差し指で、左頬をぽりぽりと掻いた。

 

「仮眠を取られるのでしたら、ちゃんと仮眠室で取られた方が良いですよ? 寒くはありませんか?」

 

「はい、僕は大丈夫です。大井さんこそ、寒くはありませんか?」

 

「私も大丈夫ですよ。熱くて寝苦しいくらいです。なので、水を買いに来たんですよ」

 

「……体調が優れませんか?」

 

「いえ、そんな事は無いですよ。御蔭さまで好調です」

 

「それならば良いのですが、無理はなさらないで下さいね」

 

「それは此方の台詞でもありますね」

 

大井が冗談めかして言うと、彼も小さく笑った。

 

「ぬわぁぁああああああああああん!! 疲れたもぉぉぉおおおん!!!」

 

 突然だった。サロンの傍にある自動販売機の方から大声がした。声がした方へ向き直ると、野獣が居た。傍には陸奥も居る。手には其々に飲み物を持っていた。野獣はスポーツドリンク、陸奥はホットレモンティーだ。サロンの前を通りかかった二人も、大井達に気付いていたようである。大井は冷静さを装いつつ、咄嗟に敬礼の姿勢を取る。此方に歩み寄って来る野獣がヒラヒラと手を振ってきて、陸奥が微笑んでくれた。

 

「僕も、コーヒーか何か買ってきます。大井さんも、何か飲まれますか?」

 

 ソファから音も無く立ち上がった彼は、大井を見上げて微笑んでくれた。厚意に甘えたいところだが、偶々出会って寝顔まで凝視したしまった挙句、小銭まで出させてしまうのは申し訳なく思った。それに、先程買ったミネラルウォーターも残っている。「いえ、私はもう買ってありますから」と、大井も控えめな笑みを返して、丁寧に断った。彼は、「わかりました」と応えてくれてから、自販機へと向う。すれ違う野獣と陸奥に軽く挨拶を交わしていた。彼の事だ。多分、コーヒーでも買うんだろう。そんな事を思いながら、彼の小さな背を見送っていると、野獣達がすぐ傍まで来ていた。

 

「何だよお前ら、デートかよ?(YGO) ちょっと熱いんじゃない、こんなトコで~?」

 

サロンのソファにどかっと座った野獣がニヤニヤと笑う。

 

「違います。眠れないから、飲み物を買いに来ただけですよ」

 

大井もソファに腰を下ろしつつ鼻を鳴らし、冷たい眼で野獣をねめつけた。

 

「あっ、そっかぁ……(真実の織り手)」

 

 スポーツドリンクを右手で持つ野獣は、ニヤニヤ笑いのまま、左手で携帯端末を海パンから取り出した。そして片手で手早く操作して、大井にしか見えない角度でディスプレイを向けてきた。その端末には、動画が再生されていた。もの凄く乙女な貌をした大井が、ソファで寝ている少年提督の頬に触れている動画だった。大井は肩を跳ねさせて「ぉふ……っ!?」と変な声を漏らしてしまう。口から魂が飛んで行きそうだったが、何とか耐える。角度的に見下ろす視点だ。大井は、携帯端末とニヤニヤ笑いの野獣の貌を交互に見てから、サロンの壁の隅、その天井付近へとガバッと振り返った。案の定、其処には監視カメラが在った。もぉー……。やだもぉー……。大井は泣きそうな貌で項垂れた。

 

 野獣は機械にも割と強く、モニターの映像をダウンロードしたのだろう。鎮守府内の機器類の管理は、明石や夕張、少女提督が行ってはいるものの、こうした防犯の範囲になってくると野獣も関わっている。職権乱用ではないかと叫びたいのだが、迂闊な行動をしたのは大井である。

 

 

「ちょっと野獣。彼女も困っているわ」

 

 頭を抱えて項垂れる大井を庇ってくれたのは、大井の隣に腰掛けた陸奥だ。気怠そうな野獣に比べて陸奥の方は溌剌しているし、時間的にもどうやら、0時交替で野獣の秘書艦になるのは陸奥のようだ。交替時間までは時間もあるし、野獣の休憩も兼ねて此処に来たのだろう。

 

「そもそも、彼女は貴方の配下の艦娘じゃないでしょ? 無闇やたらと艦娘弄りに精を出すのは止めなさい」

 

 やんちゃで手の掛かる弟を諫めるみたいに言った陸奥は、半眼で野獣を睨んでいる。さすがはビッグ7。頼りになるお姉さんである。顔を上げた大井が、感謝と畏敬の眼差しを向けかけた時だった。スポーツドリンクをグビグビ飲んだ野獣が、また携帯端末を操作して大井と陸奥に向けた。其処に再び、高画質な動画が再生される。場所は、野獣の執務室だった。ガヤガヤとした声が聞こえ、飲み会のような騒がしい雰囲気が伝わって来る。そんな中で。執務室の重厚なソファに俯きに横たわっている少年提督と、そんな彼の太腿あたりに座り、彼のお尻を執拗に揉んでいる陸奥の姿が映った。陸奥が吹き出して、大井の目が点になる。

 

 

 

『おい陸奥ぅ!! ちゃんと籤の内容を守れ!!』

 

ディスプレイから、長門の怒声が響いた。

 

『籤の指令は“マッサージ”ですヨー!!? どこ揉んでるデース!!!』

 

金剛の羨ましそうな叫び声も聞こえる。

 

『どう見てもマッサージだから!! マッサージだから安心!!(強行突破)』

 

真っ赤な顔して眼をぎらつかせた陸奥が、彼のお尻を揉みながら吼えている。

 

『あーー駄目駄目!! 駄目ですよぉ!! 手付きがえっち過ぎます!!><;』

 

鹿島の嬉し恥ずかしそうな声も響いている。

『あ、あの……、出来ればその、肩か背中をお願いします』

 

ソファに俯いて寝ている少年提督が、困惑を滲ませた苦笑を浮かべて、陸奥に優しく言う。

 

『あらあらあらぁ^~、“前”も凝ってるのぉ^~?』

 

『えっ』

 

何をどう聞いたらそうなるのか分からないが、盛大に暴走している陸奥は舌なめずりして妖艶に微笑んだ。

 

『おねぇさん、どうなっても知らないゾ^^~~(悲劇への突入)』

 

『おっ、やべぇ110番だな!(カウンタースペル)』

 

 

 

 野獣の声が聞こえたところで、いったん動画は止まる。ヤバイものを見てしまった。「えぇ……(困惑)」と、大井は若干身を引いて、隣に座って居る陸奥を凝視した。陸奥は伏目がちに眼を泳がせて、大井の方を見ようとしない。野獣がワザとらしい溜息を吐き出してから、ひらひらと端末を振って見せた。

 

「どう? お前の暴走の所為で、前の『大本営ゲーム』は途中で中止になっちゃったけど?」

 

「あのー、あのね? 何て言うか……、あの時は、ちょっと私もお酒が進んじゃってね? 酔って、羽目を外しちゃったって言うのかなぁ……、記憶も曖昧だし……(フェードアウト)」

 

 

 大井や野獣に言うでもなく、陸奥は苦しそうに言葉を紡ぎながら、レモンティーをテーブルに一旦おいた。そして両手で顔を押さえて、重たい溜息を漏らした。随分と後悔しているようだ。哀愁溢れる、重たい溜息だった。雰囲気に呑まれて、今度は大井が陸奥の背中を軽く擦る。私何やってるんだろう……。大井が、頭の隅っこでそんな事を思った時だった。彼がサロンに戻って来た。手には、やはりブラックの缶コーヒーを持っている。

 

「あ、あれ、陸奥さん、どうされましたか?」

 

悄然とする陸奥を見た彼が心配そうに言うものの、野獣がそれを笑い飛ばした。

 

「大丈夫だって、ヘーキヘーキ! 部屋が汚すぎてさ。今日はその掃除に疲れちゃったんだって(カットイン連撃)」

 

とんでも無いことを言いだした野獣に大井が戦慄し、陸奥もガバッと顔を上げる。多分、陸奥達には気付いている筈だが、「コイツの部屋とかさぁ、凄いんだぜ?」と、野獣は軽く笑う。

 

「ゴミ袋も溜まってるし、雑誌やら脱ぎ散らかした下着やらで足の踏み場も無いし、弁当箱のカラに始まって、カップ麺やらビール缶とか、テーブルの上に幾つも食ったまんま置いたまんまだしさぁ……(いじめっ子特有の暴露)」

 

「ちょっとぉ!! でっかい声で何言ってんのよぉ!! 馬鹿じゃないの!!?」

 

「急に怒り出すなって、もぉー! レモンティーに引火しちゃうだろ!!」

 

「い、引火っ!? するわけ無いでしょ!! 私を何だと思ってるのよ!!」

 

顔を真っ赤にした陸奥が、テーブルを叩いて叫んだ。野獣はソファに座りなおして鼻を鳴らす。

 

「そもそも何で俺が怒られてるのか理解に苦しむね……(テーブルを指でトントン)。そりゃあ、戦艦・空母は一人部屋だけど、もっと部屋は大切に使ってくれないとさぁ(御尤も)」

 

「そ、そんな汚く無いわよ!! あ、あれくらいは良くある散らかり方でしょ!?」

 

「あんな汚い龍宮城みたいになってんのは、流石にお前だけだゾ(厳重注意)」

 

 野獣の口振りと内容に、少年提督は若干ついていけていない。多分、野獣の言葉を比喩か何かだと思っているのだろう。「ぇ、え~と……」と、何かを思案するように難しい貌をしている。別にそんな深く考える必要は無い。言葉のまんまだ。だからこそ大井だってリアクションに困る。正直にドン引きしていいのだろうか。敢えて笑い飛ばそうかとも思ったが、リスクが高過ぎる。下手をすれば取り返しがつかなくなる。かと言って、黙ったままでいるのも不味い雰囲気だ。どうしよう……。もう帰りたい……。

 

 何故か追い詰められたような気持ちになっていた大井だったが、何らかのレスポンスをするよりも先に、陸奥が猛然と立ち上がった。だが、すぐにまた座りなおした。挙動不審だ。一度冷静になる為だろう。陸奥は、テーブルに置いていたレモンティーを一気飲みしてから一息ついた。それから、ニヤニヤ笑う野獣と、困惑気味の少年提督を見てから、隣に居る大井にもチラリと視線を向けてきた。大井は咄嗟に眼を逸らす。触らぬ神になんとやらだ。数秒の沈黙の後。

 

「……その、聞いて良い? いつ見たの?」

 

そう言った陸奥は真剣な貌だったし、声音も阿呆みたいに神妙だった。そんな陸奥にソファに凭れた野獣は、唇の端を持ち上げながら、ゆっくりと首を傾けて見せた。

 

「前の『大本営ゲーム』の時にさぁ、酔い潰れたお前を運んだのは、何処の誰だと思う……?(勝利の方程式)」

 

「あっ、そっかぁ~……、あの時かぁ~……(痛恨)。誰も責めれない感じねぇ、これ……」

 

陸奥はまた深く項垂れたかと思ったら、力を失ったかのように、今度はソファに四肢を投げ出した。

 

「お酒呑んで、記憶は無かったんだけどさぁ……。朝起きたら酷い二日酔いだったけど、ちゃんと自分の部屋にいたからさぁ……。酔ってたけど、自分で帰って来たんだなぁって思ったのよねぇ……。偉いじゃん私☆みたいにね、ちょっと思ってたわよ? バレなくて良かった~って思ってたワケ……。なのにさぁ……、今になってこんな、もうホント……」

 

観念したような切なげな独白を始めた陸奥の声は、半分涙声だった。そんな陸奥を励ますべく、少年提督が困ったみたいに微笑んだ。

 

「僕も片付けが下手で、よく部屋を散らかしてしまうんですよね」

 

「気を遣ってくれてるの?……有り難う。優しいのね、提督は。でもね? 私の部屋と提督の部屋じゃ、汚さが全然違うわ……」

 

穏やかな声で言う陸奥は、儚げなのに何処かヤケクソ気味な、器用な微笑みを彼に返した。大井はたまに、陸奥や長門が分からない時があると言うか、ひどく遠くに感じる時がある。こういう時だ。

 

「例えるなら、そう……。アヒルさんボートと、戦艦長門くらい違うわ」

 

「どんだけ散らかってるですかね……(戦慄)」

 

思わず、大井はツッコんでしまった。陸奥は微笑みを絶やさないままだ。隣に座っている大井を一瞥して、ゆったりと頷いて見せた。

 

「戦艦長門ぐらいよ」

 

 お、推すなぁ、戦艦長門……。頑なに戦艦陸奥と言わない辺り、何か理由でもあるのだろうか。まぁ多分、深い意味なんて無いに違い無い。探すだけ無駄だ。とりあえず大井は、「な、なるほどぉ……」と訳が分かった様な分からない様な頷きだけを返しておいた。何だか妙な空気になってしまったが、スポーツドリンクを飲み干した野獣がソファから立ち上がった。アスリートみたいな身体をボキボキ言わせながら伸びをして、右手で首を擦りながら陸奥へと視線を向ける。

 

「汚部屋の度合いなんざ戦艦大和でも武蔵でも何でも良いんだけどさぁ……。とりあえず掃除、しようっ(直球)!」

 

「えぇ、そうね……(素直) 今からやって来て良いかしら……(秘書艦任務放棄)」

 

「良いワケ無いだろぇえぇえ!!(SYUZO) 今日は徹夜なんだよね、良いから来いホイ!」

 

「……分かったわよ」

 

 テーブルに置いてあったペットボトルを持ち、陸奥も立ち上がる。「それじゃあ、先に戻ってるゾ」、「……またお昼にでも会いましょう」と野獣と陸奥の二人は、少年提督と大井に軽く言葉を交わしてから、サロンを後にした。それから少しして、また別の人物がサロンに現れた。北上だった。

 

 

「あれれ、大井っちじゃん。どったの?」

 

 サロンに訪れた北上は、向かい合ってソファに腰かける少年提督と大井を交互に見て、ちょっと驚いたみたいな貌になった。だが、すぐに悪戯っぽく猫みたいに口を歪めて、すすすっと大井の傍に寄って来る。「……何、デートしてたの? お邪魔だったら消えようか?」と。小さく耳打ちしてくる北上に、「そんな訳無いじゃないですか……」と耳打ちを返して、大井は軽く息を吐き出した。

 

 

「北上さんの方こそ、こんな時間にどうしたんですか?」

 

「提督に会いに来たんだよ。今日の秘書艦、私だからさぁ~。ねー」

 

「はい。宜しくお願いします」

 

 向かいのソファに座る彼も、北上と大井の仲の良い様子を微笑ましく見守りつつ、コーヒーをちびちびと飲んでいる。「任せといてよー」と、北上は言いながら、腕時計をチラリと見やる。時刻は、あと10分ほどで午前0時だ。日付がまだ変わっていない事を確認した北上は、ちょっと笑った。

 

「まだこの時間だと“明日の秘書艦”だね。 ……あれ、そういや大井っちに言ってなかったっけ?」

 

 その北上の言葉に、大井は思い出した。彼の寝顔に始まり、野獣と陸奥の遣り取りに気を取られて失念していた。そうだ。昼間に、北上と端末でメールの遣り取りをした時の事だ。『明日の秘書艦任務は深夜から入る事になるから、徹夜が始まる前に、食堂で彼に夜食でも作ってあげよう』みたいな事を北上は言っていた。彼が此処で仮眠を取っていた理由も、恐らくは北上と落ち合う約束でもしていたに違いない。「いえ……、聞いてます。今思い出しました」と、大井も軽く笑みを返した。

 

「大井っちは明日、非番なんだよね? ちょっと夜更かししても大丈夫?」

 

北上が、何かを思いついたみたいに言う。

 

「食堂の厨房借りて、ホットケーキ作ろうと思ってるんだけどさー。良かったら大井っちも食べてかない?」

 

 そんな思わぬ北上からの誘いに、大井は嬉しさと摂取カロリーの間で葛藤する。これが昼食や夕食の誘いならば、飛び上がって喜ぶところだが、この時間だとそうもいかない。大井がチラリと彼を見遣ると、仲の良い孫姉妹を見守るおじいさんみたいな、穏やかな笑顔を浮かべていた。大井が同席したいと言えば、優しい彼は、きっと快く迎えてくれるだろう。そもそも大井は、全然眠れなくて飲み物を買いに自販機まで来た身である。眠気はおろか、仕事に追われている訳でも無い。しかしである。

 

 

「本当にもの凄く魅力的なお誘いなんですけど、……夜食にホットケーキですか?」

 

「提督が食べたいんだって。まぁこれから仕事だし、頭に栄養行かないとさー」

 

「いやでも、この時間に小麦粉ものは不味いですよ……」

 

「大丈夫だよ、大井っちなら。全部おっぱいに行くでしょ?」

 

「適当なこと言わないでくれません!?」

 

「適当じゃないし~、ちゃんと根拠も在るし~。ねー提督、大井っちって、おっぱい大きいよねー?」

 

「えっ」

 

流石に提督も、いきなりの事に何を言われたのか良く分からないような貌になった。

 

「ちょ、ちょっと北上さん!?」

 

 大井は胸を隠すようにして腕を交差させて、無遠慮に胸を触りに来る北上から防御姿勢を取る。それを見た北上はすぐにパッと離れて、「冗談だって、大井っち」と可笑しそうに笑った。かと思ったら、すぐにぐっと顔を近づけて来られて、ドキッとしてしまう。提督と仲良くなるチャンスじゃん?。不意に、真面目そうな声で耳打ちしてきた北上は、大井にだけ見えるようにウィンクして見せた。北上のこういう天真爛漫の中には、愛嬌だけでなく、思慮深さや仲間思いな一面が垣間見える。親友である大井は、それが北上の魅力であることを知っているし、とても眩しく見える。大井は、観念したように苦笑を漏らす。北上もニッと嫌味も無く笑った。

 

 

 

「それじゃ、ホットケーキつくろっかー」

 

「食べて眠くなっちゃわないで下さいね」

 

はりきった様子でソファから立ち上がった北上に、大井も調理を手伝うべく続く。

 

「あぁ、僕も手伝います」

 

彼も立ち上がろうとしたが、それを北上が手で制した。

 

「良いって良いって、任せといてよ。大井っちが美味しいの作ってくれるからさ」

 

「私が全部作るみたいな言い方ですね……」

 

「冗談だって」

 

 そう軽く笑いながらサロンを抜け、食堂へと入っていく北上の背を見ながら、大井は気付かれないように息を吐いた。そして少年提督に向き直り、わざとらしく秘密話でもするみたいに、少しだけ悪戯っぽく言う。

 

「北上さんって、ほんとに可愛いですよね」

 

「はい。とても可憐なひとだと思います」

 

 二人の会話を背中で聞いていた北上は、何もないところで蹴躓いた。結局、その後。大井は厚い目のホットケーキ2枚を、バターとシロップ増し増しでペロリと平らげた。心地よい満腹感の御蔭か。悪夢を見ることも無く、快眠と共に体調も良く、清々しい朝を迎える事が出来た。ついでにその日、必死の形相でトレーニングルームに篭る大井が目撃されたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 















いつも読んで下さり、また感想や暖かい評価まで添えて頂き、本当に有難う御座います!
相変わらず内容の無い話ではありましたが、皆様の御暇潰し程度にでもなっていれば幸いです。

“召喚”では無く“召還”の字を当てている点についての描写不足を御指導頂き、あらすじを修正させて貰い、本文内容についても、不自然にならない様に気をつけつつ、オフラインで修正中であります。
誤字も多く御迷惑をお掛けしております。申し訳ありませんです……。
今回も最後まで読んで下さり、有難う御座いました!

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