花盛りの鎮守府へようこそ   作:ココアライオン

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鈴谷と嵐から見て

 鈴谷は食後のお茶を湯吞みで啜って、心地よい満腹感に満たされながら、ほっと息を吐きだした。その向かいに座っているのは野獣だ。野獣はいつも通り、提督服では無い。海パンと白Tシャツ姿で、「あぁ^~、うめぇな!」と、鈴谷と同じく湯吞みで茶を啜っている。昼食で混み合う時間を避けて、鈴谷は野獣と一緒に食堂に足を運んでいた。今日は執務が長引いたので、食事を摂るタイミングをずらしたのだ。食堂はがらんとしており、割とゆったりと出来ている。今日の野獣は特にサボるでもなく真面目に執務に専念してくれた御蔭で、何とかキリの良いところまで仕事は進んだ。昼休憩を多少長くとっても問題が無い程度には片付いている。鈴谷は、正面に腰掛けて居る野獣に、軽く笑って見せた。

 

「長門さんが秘書艦の時も、今日みたいにしてれば良いのに」

 

「前の時はもっと仕事の量も少なかったから、ちょっとした休憩も多少はね?(タスク管理先輩)」

 

「いや、仕事が片付くかどうかじゃなくて、勤務態度の問題だから。まぁ……」

 

 野獣が無茶苦茶なのは、今に始まったことじゃないけどさ。肩を竦めるように鈴谷はそう言って、またお茶を啜った。「おっ、そうだな!(何処と無く誇らしげ)」と、すっとぼけて得意げに口元を歪めている野獣に、鈴谷も軽く笑う。そういえば、こうして二人で過ごす時間は久ぶりだ。何だか、心が弾んで来てしまう。そんな自分の単純さを自嘲するみたいに、鈴谷はもう一口茶を啜った。そして、椅子に座りなおして頬杖をつく格好になって、野獣を見詰めた。「ねぇ、野獣」。軽く呼んでみた。野獣の方は足を組んで、冴えない貌だ。片方の眉尻を下げて、もう片方の眉を持ち上げている。

 

「何だよ?(素)」

 

「別に~? 呼んでみただけ」

 

 にへへーっと嬉しそうに笑みを零す鈴谷に、野獣は何とも言えない貌になって、鼻を鳴らしながら頭の後ろで手を組んだ。からかってくる妹をあしらう、歳の離れた兄みたいな態度だ。構わず、鈴谷は「ねぇねぇ」と、甘えるみたいにまた声を掛けた。

 

「試しにさ。もの凄い真面目な感じで今日1日過ごしてみてよ?」

 

「真面目って何だよ?(哲学) 俺は何時だって真剣なんだよなぁ……(半笑い)」

 

「野獣、そういうトコ。分かる? そういう茶化したりとか、そういうの」

 

「俺みたいにな自分に真っ直ぐな男は、不器用だからさ。自分を偽れないんだよね(確固たる意志)」

 

「あのさぁ……」鈴谷が若干半眼になった。

 

「わかったわかったわかったよもう!(面倒くさそうな貌)」

 

 

 しょうがねぇなぁ……(悟空)と零しながらも、野獣は椅子に座りなおして姿勢を正す。それから背筋を伸ばして瞑目し、すぅっと呼吸を整え始めた。この男は何をするつもりなのか。野獣が武術に長けているのは知っているし、鍛えられた肉体には幅も厚みもそれなりに在るからだろう。そうした静かな姿にも、不思議な貫禄というか迫力があった。鈴谷も思わず背筋が伸びる。数秒。野獣は瞑目したままで呼吸を整えてから、眼をゆっくり開き、真面目くさった貌で鈴谷を見た。鈴谷はビクッと身体を跳ねさせてしまう。野獣が一つ頷いた。

 

「鈴谷さんは、もう戻ってくれてかまいません。昼からの執務は、俺が一人でやっておきます」

 

「他所他所し過ぎィ!!? 急に何でそんな他人行儀なの!? 傷つくわ^~……」

 

「別にどうもしませんよ。では忙しいので、これで失礼しますね(そそくさ)」

 

「ちょっと待って涙が出て来た! ゴメンもう止めて、泣いちゃう!!」

 

「何だよもう我が侭だなぁ……、真面目にやれって言ったのはそっちだルルォ?」

 

「ベクトルが全然違うよ! って言うかもう良いよ! 普段の野獣で良いからもう!!」

 

 不覚にも半泣きになってしまった鈴谷は、目許を拭って椅子に座りなおした。椅子から立ち上がっていた野獣は、そんな鈴谷の頭をぐりぐりと撫でる。「んにゃっぴ、自分の以外の誰かにはなれないですよね、取りあえず(真理)」父性を滲ませた緩い笑みを浮かべて、ため息を堪えるみたいにしてまた椅子に座った。頭を撫でられてくすぐったそうに首を竦めていた鈴谷も、「そうかも」と苦笑を返した。鈴谷は、確かに野獣と仲が良い方だ。それは間違い無い。でも、それは歳の離れた兄妹、或いは、父と若い娘ぐらいの距離感だ。

 

 艦娘達に徹底した効率を求め、兵器として完成させる為に必要な処置である、自我と思考の剥奪。それを行わず、艦娘達の“個”と“意志”を尊重した野獣は、徹底して健全だし、野獣自身、他の艦娘に対しても誰かに手を出したりすることは皆無だった。父のような兄のような、それでいて仲間でもある癖に、突拍子も無いことをしでかして周りを振り回す。それがこの鎮守府での野獣の立ち位置だ。

 

 鈴谷の頭を撫でた野獣がまた椅子に腰掛けて、足を組んだ時だった。「こんちゃーッス!」と、鈴谷達の近くで声がした。元気が良いと言うか、気合の入った声だった。視線を向けると、敬礼している嵐が居た。隣には同じく、「お疲れ様です」と微笑みを浮かべている少年提督が、軽く礼をしてくれた。鈴谷も立ち上がって敬礼を返し、野獣は座ったままで緩く笑って「おう」と軽く手を振った。どうやら少年提督と嵐は、今しがた食堂に来たようで、トレイも何も持っていない。「今からお昼?」と、座り直した鈴谷が嵐に聞いてみる。嵐が苦笑を浮かべた。

 

「はい。俺、書類仕事とかちょっと苦手で、指令の足引っ張っちゃって……」

 

「そんな事はありませんよ。とても助けて貰っています」

 

ちょっとバツが悪そうに言う嵐にも、彼はそっとフォローを入れて笑みを深めた。

 

「実際、午前の仕事は捗りました。山は越えましたし、午後からはもう少し余裕が出ると思います」

 

「……恐縮ッス」 

 

 身長的には彼よりもちょっと背が高い嵐が、いかにも体育会系っぽく彼に頭を下げる。彼は優しげに微笑んだままだ。まぁ彼と一緒に居れば、実務に関しての教育はしっかりしてくれるだろうし、実直な嵐のことだ。すぐに慣れるだろう。そんな、ちょっとお姉ちゃん的な気持ちで鈴谷が居ると、「あっ、そうだ(唐突)」と。座っていた野獣が携帯端末を海パンから取り出しつつ、まぁ座ってけよと少年提督と嵐に、隣のテーブル席に着席を促した。どうせ食事をするのだから、取りあえずと言った感じで二人も鈴谷達の隣の席へと腰掛ける。野獣は携帯端末を操作しつつ、鈴谷達を順番に見て口元を歪めた。

 

「前の通販用の商品が割と好評だったから、また色々と案を考えててさぁ(企画先輩)」

 

「前のって……、クリスマスの時の奴?」

 

 鈴谷は眉を顰めて聞いた。嵐も何だか不味そうな貌になっている。少年提督だけは、穏やかな表情だ。「そうだよ(肯定)」と、野獣が笑顔で頷く。人の少ない食堂の空気が、若干重くなった気がした。そもそも野獣が勝手に始めたことなのだが、『艦娘達の存在を、社会の人達により身近に感じて貰う』という名目の下、本営にも一応の許可を得ているらしい。まぁ野獣自身、上層部に親しい人物が居るからだろうとも思うが、利益もそこそこ出ている様で、御咎めも今のところは無い。ただ、野獣の着想と行動力が災いして、艦娘達をモチーフにした商品の多くが、もう何とも残念な商品名やコンセプトだったりするのだ。

 

「まともな奴が全然無かったじゃん……」

 

鈴谷が嗜めるように言うと、野獣が肩を竦めて見せた。

 

「でも商品自体は、全部売れ切れだったんだよなぁ。やっぱり艦娘達は可愛いしカッコいいから、人気あるんすねぇ(分析)」

 

 野獣の言葉に、「えぇ……(困惑)」と、隣のテーブル席に座っていた嵐が難しい貌で呻った。割と感性がぶっ飛んでいる少年提督の方は、誇らしそうな笑みを讃えている。「ほんとぉ?(疑いの眼差し)」鈴谷は、あからさまに怪しんだ貌で問う。やはり、携帯端末を弄る野獣は軽く笑うだけだ。

 

「当たり前だよなぁ? だからこうして、お前らからもアイデアを吸い上げようって感じでぇ……。ついでに、夜にはスレッドも立てとくからさ。忙しい奴らの為に(優しさ)」

 

 

 時間が空いた艦娘からアイデアを集めようと言う事か。商品の種類に厚みを持たせようという魂胆らしいが、果たして野獣の感性というか眼鏡に適う意見が出るのかという点については甚だ疑問だ。徹底してワンマンでやられるよりはマシかもしれないが、どうせ却下されまくるだろう。鈴谷が顎に手を当てて色々と考えていると、「あっ、そうだ。……俺、メシ、貰って来ます。司令は何にされますか?」と、嵐が席を立った。彼は微笑んだ。

 

「あぁ、すみません。では、サンドイッチをお願いします」

 

「了解ッス! ちょっとだけ失礼します!」

 

 嵐は少年提督だけで無く、野獣や鈴谷にまでビッと敬礼してから、駆け出していった。うーん、生真面目だなぁ、と鈴谷は感心してしまう。鈴谷自身、召還された時は『チィース☆』とか挨拶してる身なので、余計にそう思う。気付くと、野獣が此方を見ていた。嫌な予感がした。野獣がニヤニヤと笑って居たからだ。

 

「なぁ、鈴谷ァ! お前もさ、見習わないかんのとちゃうか!?(指導)」

 

「えぇ~……(難色)。でもなんか、こう……、似合わないって言うかさ。す、鈴谷のキャラと違うじゃん?」

 

「まだやってもない事ダルォ? 何だってお前はそう、今風ギャルのキャラに対して根性が在るんだ!?(意味不明)」

 

「いや、何言ってるかちょっとわかんないけど……」

 

「ん? 今なんでもするって言ったよね?(幻聴)」

 

「言ってないし!」

 

「お待たせしました、司令! どうぞ!」

 

 鈴谷と野獣が馬鹿な事を言っている間に、嵐が二人分のトレイを持って帰って来た。彼がお願いしていたサンドイッチとコーヒーのセット、そして自分の分であろうカツカレーだ。冷めない内にという事で、野獣は二人に食べるように促した。二人は、頂きますと手を合わせる。上品にサンドイッチを銜む彼と、ガツガツと豪快にスプーンを運ぶ嵐は対照的ではあるものの、微笑ましい。横目で二人を見ていた野獣は、再び手にした携帯端末を操作し始めた。

 

「話を戻すけどさぁ、次の商品アイデアについてなんだけど。お前も何か在るんだろ? くれよ……」

 

「そんな急に言われたって出て来ないから。……ある程度まではもう、そっちでも企画作ってるんでしょ?」

 

 用意周到なこの男の事だ。どうせ、それなりには案と企画を固めている事くらいは鈴谷も読んでいた。「まぁ、多少はね(先読み先輩)」と、野獣は携帯端末を操作しつつ似合わないニヒルな笑みを浮かべた。

 

「まぁ、模型とかは人気だし、この辺りは新しいラインナップは欲しいよなぁ?」

 

野獣は言いながら、隣のテーブル席に座る少年提督を一瞥した。彼が頼んでいたのは小振りなサンドイッチなので、もう半分以上を食べ終わっていた。コーヒーを啜っていた彼は、野獣の言葉に、緩く頷いて見せた。

 

「そうですね。“連装砲ちゃんストラップ”などは、前も人気でしたね」

 

「じゃあ次は砲身の数も増やしてさぁ、12.7cm114514連装砲ちゃんとかどうっすか(天佑)」

 

「多分、毛虫かウニみたいになっちゃうと思うんスけど……(名推理)」

 

 カレーを食べていた嵐が、深刻な貌で動かしていたスプーンを止めている。「ビジュアルは相当キモイと思うな……」と、渋い貌になった鈴谷も嵐の言葉に続く。一方で、野獣の方は笑顔のままだ。

 

「あとは子供向けの、オリジナル絵本とかもお願いされてるんだよね?(特別注文かしこまり)」

 

「えっ、マジで? 責任重大じゃん……」と、鈴谷は素で聞き返してしまう。

 

「だから流石の俺も、ちょっと困ってんだよなぁ……(素)」

 

「何か目新しい試みというのは、難しいものですね」

 

 彼は思案するように、コーヒーを持ったままで視線をテーブルの上に落としている。そんな彼の正面に座り、もうカレーを半分ほど平らげてしまっている嵐も、コップの水をゴクゴクと飲んでから、野獣へと顔を向けた。

 

「グッズって言うんスか、そういうの指令達が自前で造るんスよね? 手間掛からないッスか」

 

「まぁ、工作とかの技術系で凄い奴もこの鎮守府に居るし、まぁ多少はね?」

 

「あぁ!」と。嵐が納得の言った貌になって、感心したみたいに何度も頷いていた。

 

 この鎮守府に配されている明石や夕張は、人格・自我の成長とその練度の高さも備えた凄腕の技術者である。しかし、この二人の上を行くのが、同じくこの鎮守府に居る少女提督である。彼女は提督適正こそ低かったものの、その技術力を評価されて“元帥”の称号を得た人物でもある。以前、とある騒動が在った際に、少年提督と野獣が助けたのを切っ掛けに彼女はこの鎮守府に身を置くようになり、今では深い縁を結んでいる。少女提督の初期艦であったという野分は、人格や自我を破壊される事無く今に到り、嵐とも仲が良かったりする。「ホントに、凄い人揃いッスねぇ」と、しみじみと言いつつ、嵐は残ったカツカレーを平らげていく。「おっ、そうだな!(得意げ)」と嵐に応えた野獣は、何かを思い出したようにニヤッと笑った。

 

「なぁ、嵐ィ? そういやこの前さぁ、夕暮れの埠頭でコイツと抱き合ってたよな?(真相究明先輩)」

 

「んぶぅふっ!!? ゲホッ!!?」

 

 カレーを食べ終わり、最後にコップの水を勢い良く飲んでいた嵐が、盛大に噎せ帰った。相当苦しそうだ。嵐は口元を拭いながら、「ゴホッ! あぁ! すみません指令!!」と、正面に据わる少年提督に謝ってから、猛然と立ちあがった。真っ赤な貌になって野獣に向き直る。めっちゃ焦った貌になっている。

 

「あれは……ッ、違うんスよ!! 抱き合ってたって言うか、その……! 眼にゴミが入ったんで、あの……っ!!」

 

「照れんなよ嵐! ロマンチックで、なかなか絵になってたゾ♪(いじめっ子)」

 

「野獣、混ぜっ返すのはちょっと止めよっか」

 

 鈴谷がすかさずストップを掛ける。このまま野獣が畳み掛けてしまうと、本当に嵐が泣いてしまう。その時の状況を説明すべく彼が苦笑を浮かべつつ、嵐を一瞥してから、野獣と鈴谷を順番に見た。「丁度、遠征から帰って来られた艦隊の皆さんを、一緒に出迎えに行った時でしたね」相変わらず、落ち着き払った仕種だ。

 

 

「軽いハグと言いますか、鎮静施術の為でした。夕焼けを見て、艦船の頃の記憶を強く呼び起こされたのだと思います」

 

「昔の赤城と、まぁ似たような感じか?(深慮)」

 

野獣が不意に真面目な貌になって彼に聞いた。彼は頷く。

 

「嵐さんも、“個”としての感受性が豊かなのでしょう。少し感情が不安定になっていた様ですが、今はもう大丈夫なようで、僕も安心しています」

 

 其処まで言った彼は、優しく嵐に微笑みかけた。立ち上がっていた嵐は彼の微笑を受けて、右手で自分の前髪を引っ張りながらまた座る。伏目がちに椅子に座りなおした嵐の貌は赤いままだ。恥ずかしいと思う程度なら、そこまで深刻では無いという事だろう。鈴谷もちょっとホッとする。野獣も緩く息を吐き出して、眉尻を下げた。

 

「まぁ、大事にならなくて良かったよなぁ? 肉体の傷より、精神の傷の方が癒え難いって、それ一番言われてるから。何か在ったら、ソイツにすぐ言ってやれよ?(イケボ)」

 

 そう言った野獣の声音は、今までのようなお茶らけた声音とは違う、いやに深みのある声だった。説教臭いという訳でも無いし、恩着せがましいと言うか、押し付けがましいという事も無い。眉尻を下げた野獣の緩い笑みは、不思議な愛嬌や優しさを感じさせる。不器用なのに、何と言うか、相手を安心させるのだ。多分、これが野獣の素の顔なんだろうと鈴谷は思う。含みも嫌味も無い野獣の言葉に、嵐も顔を上げて「ウッス……」と、礼をした。野獣はまた軽く笑って、席を立った。伸びをしながら欠伸を漏らす。

 

「そんじゃ、そろそろ執務室に戻りますか~(嫌々)。何か話があっちこっちに飛んで、アイデアがどうとかの意見交換が全然出来なかったゾ……」

 

「そりゃあ、野獣が話を彼方此方に飛ばしまくって脱線させるからでしょ」

 

 鈴谷も立ち上がると、野獣が「あっ、そっかぁ(言われて見れば)」と、喉を低く鳴らすようにして、また不器用に笑った。鈴谷は、そんな野獣の笑い方が好きだった。高鳴りそうになった胸の鼓動や、赤くなりそうな貌を誤魔化すべく、鈴谷も苦笑を浮かべてみた。上手く笑えているだろうか。自分では分からなかった。取りあえず、席を立った鈴谷達に礼をしてくれる少年提督や嵐に敬礼を返し、食堂をあとにする。執務室に戻る間も、鈴谷は何だか上手く野獣に声を掛けられなかった。それに、野獣も携帯端末を忙しそうに操作していた。脇から覗いてみると、本営から送られてきたファイルの様だった。もう少し無駄話でも出来れば良いなとも思ったが、仕事のものなら仕方無い。鈴谷は野獣に気取られないようにそっと後ろから近付いて、Tシャツの裾を指でちょっとだけ摘んだ。野獣は気付かないままだ。ちょっと残念だけど、ほっとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日の秘書艦としての仕事も無事終わらせ、夕食も済ませた嵐は自室に戻るでもなく、寮の屋上で空を眺めていた。今日はちょっと曇っていて、月が見えない。残念だが、まぁ、仕方無い。組んだ腕に顎を乗せるようにして柵に凭れ、嵐は大きく息を吐き出した。星も疎らな暗い空の下。屋上に備えられた蛍光灯の明かりに照らされて、その細い吐息が溶けていく。

 

 嵐は、夜が好きでは無かった。怖かった。きっとそれは、自身の艦船としての記憶が影響しているんだろう。トラウマって奴かもしれない。自分が、艦娘としてそういう弱点を抱えている事に気付いたのは、召還されてすぐだった。暗がりが恐ろしかった。それでも、それを捻じ伏せて来た。訓練も演習も作戦も、嵐は強く在り続けて、全てこなして来た。第四駆逐隊の誇りと供に、強く在ろうとし続けた。随分無茶もした気がする。遠征から帰投した艦娘達を迎えに行った後に、少年提督と共に埠頭で夕陽を眺めた時だ。本当に自然と涙が出てきて、止まらなくなった。滂沱として溢れて来た。自分でも混乱するくらいだった。

 

 そりゃあ、少年提督だって驚いた貌をしていた。何せ、いきなりの事だったからだ。ヤバイと思った。欠陥持ちだと思われてしまう。泣き止め。泣き止め。泣き止め。そう焦る程に、感情は乱れてしまう。両腕で必死に涙を拭っても無駄だった。その内にとうとう嗚咽が漏れて、立っていられない程の激情が胸の内で暴れ始めた。怖いと思った。自分が自分でなくなるような感覚だった。今までは大丈夫だったのに。夕昏なんて我慢できたのに。夜戦だって、夜の訓練だって耐えてきた。怖かったけど、ちゃんと耐えて来れたんだ。なのに。何で選りによって司令官の前でこんな……。弱い自分を曝けだしてしまうなんて。最悪だ。そう思った。艦船の時の、轟沈の記憶がフラッシュバックした。もう何が何だか分からなくなった。気付けば、傍に居た彼に抱きついていた。溺れそうになって、浮き輪を掴むみたいに。

 

 肉の身体は、精神状態に多大な影響を受ける。いや、艦娘達の場合は、その魂の在り様と言った方が正しい。艦娘達が召還されて受肉した時、そこに宿る魂に大きな傷を負っている場合は、より顕著だ。過去の大戦の記憶に、自我や意志が大きく影響を受ける。感情や思考を乱される。或いは、その価値観や理念、感性を歪める。あの時の嵐は、水平線に沈んでいく太陽に、沈んでいく自分の姿が強く重なって見えた。もう駄目だった。意地や矜持からの大出血を感じた。恐怖だった。しかし彼は、半狂乱で涙を流す嵐を、その小さな身体でしっかりと抱きとめてくれた。まるで泣きじゃくる幼子をあやすみたいに、そっと頭を撫でてくれた。「大丈夫ですよ。貴女はちゃんと此処に居ます」と。声を掛けてくれた。

 

 同時に、こうして乱れた精神や魂の傷を癒すべく、嵐を抱きとめた彼は読経の如く、朗々と詠唱を紡いでくれた。艦娘の魂とは、“非実在”、“非物質”の金属だ。今でも鮮明に憶えている。生命鍛冶と金属儀礼の職工である彼の手が、その己の魂に触れる感触。傷と恐怖を嵐から拭い去り、代りに、それを彼が身の内に嚥下していく瞬間を。気付けば、胸の内に吹き荒れていた激情も恐怖も悲哀も無くなって居た。暖かなもので満たされていた。涙も止んでいた。冷静さと自我が還って来る。自分よりも少々小柄な彼に抱きかかっている事に気付いて、嵐は慌てて離れた。其処で、見た。薄暮に染まる埠頭で、彼は嵐の魂から傷を譲り受けて、眼帯をしていない左眼から涙を流していた。それでも、泣いて居るという訳では無かった。彼は涙を流してはいたが、強かに、優しく微笑んで居た。嵐は、見惚れた。何も聞こえなかった。夕陽に照らされた彼の静謐な笑みに、波音も風音も息を潜めているかのようだった。

 

 思い出すと溜息が漏れた。胸に、熱い何かが込み上げてくる。それをゆっくりと飲み下し、嵐は深呼吸をした。秘書艦としての1日は、本当に早かった。夢のようだった。嵐は、夜気を胸いっぱいに吸い込んでから緩く頭を振った。柵に凭れていた体を起して、風呂にでも行こう。そう思い、屋上をあとにしようとした時だ。携帯端末から電子音がした。連絡ツールアプリである艦娘囀線に、“提督”が書き込んだ事を示す通知音だった。端末を取り出して確認してみると、どうやら野獣がアクションを起こしたらしい。“時間ある奴集合”とか言うスレッドが立っている。そう言えば、野獣司令が昼間に何か言ってたなぁ……。嵐はそんな事を思いつつ屋上を後にして、自室へと風呂の着替えを取りに戻りながら、片手で端末を携帯操作してスレッドを開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

おっし、集まったな! 今日はちょっと重大発表があるから! 今やってる商品開発についてなんだけど、“鎮守府銘菓”『龍驤パイ』と『大鳳パイ』そして、『大盛り(意味深)ムチムチ高雄ラーメン』の続投が決定しました。何か他に良い商品アイデアある奴、手ぇ挙げろ!

 

 

≪龍驤@ryuuzyou1. ●●●●●≫

やめろや。だからそれパイちゃうやろ。薄焼き煎餅やろ。

 

 

≪大鳳@taihou1. ●●●●●≫

私のは、薄焼きのクッキーですよね……。

だから何でそんなネーミングに悪意を滲ませる必要が在るんですか

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

これが人気の秘訣だから、しょうがないね。マジで売れ筋商品だし、評判も良いから多少はね? ちょっと豪華にして、さくらんぼもセットしようかなとか思ってるんだけど、どうだよ?

 

 

≪龍驤@ryuuzyou1. ●●●●●≫

あkん

 

 

≪大鳳@taihou1. ●●●●●≫

そういう組み合わせはNGですよ!

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

あっ、そっかぁ

 

 

≪高雄@takao1. ●●●●●≫

おい、私のも売れてるんですか?

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

@takao1. ●●●●● 何か言葉遣いが乱れてなぁい? 売れてるのは当たりまえだよなぁ? やっぱりムチムチの高雄は、最高やな! 高雄型がコンセプトの新商品としては、『愛宕のふわふわ☆シュークリーム』とかも案があるんだけど、どう、売れそう?

 

 

≪高雄@takao1. ●●●●●≫

だから私は太ってねぇっつってんじゃねーかよ! って言うか、愛宕と私の扱いに随分差があるんですが! 愛宕の方が露骨に優遇されてますよね!?

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

そんな怒らないで欲しいデブよ^~

ホラホラ! 一緒にダイエット、頑張るブー

 

 

≪高雄@takao1. ●●●●●≫

ころすぞ

 

 

≪少年提督@Butcher of Evermind≫

身体つきの女性らしさに加えて、高雄さんは身長もありますから。その分の重さはあるかもしれせん。でも、データで見る限りでは、太っているという事はありませんよ。健康的で、鍛えられた美しい躯体だと思いますけど……

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

そうだよ(便乗) 俺もそう言いたかったんだよね

 

 

≪龍驤@ryuuzyou1. ●●●●●≫

絶対ウソやろ……

 

 

≪高雄@takao1. ●●●●●≫

@Butcher of Evermind お慕い申し上げております

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

だからドサクサに紛れた大胆な告白はNGだって言ってるだルルォ!!

 

 

≪愛宕@takao2. ●●●●●≫

高雄は鼻歌を歌いながらお風呂に行っちゃいましたよ

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

ゴキゲンだなぁオイ!!

 

 

≪大淀@ooyodo1. ●●●●●≫

盛り上がるのは結構なんですけど、予算の問題もあります。ホントもう、あんまりはっちゃけ過ぎないで下さいね……。お願いしますよ?

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

任しとけって! よどりん♪

 

 

≪大淀@ooyodo1. ●●●●●≫

よどりんって呼ばないで下さい

 

 

≪武蔵@yamato2.●●●●●≫

案を出せとは言うが、ラーメンやパイ以外の具体例も頼む

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

おっ、そうだな! 

 

『金剛のブーツ型タンブラーセット』

『比叡のふりかけセット』

『榛名の大丈夫セット(R-18)』

『霧島のマイクチェックセット』

 

一例を挙げると、企画案はこんな感じだゾ☆

 

 

≪吹雪@fubuki1.●●●●●≫

うわぁ……

 

 

≪陽炎@kagerou1. ●●●●●≫

ふりかけセットしか正体が分からないんですが、それは……。

 

 

≪榛名@konngou3. ●●●●●≫

あの、すみません! どうして榛名の項にだけ(R-18)とかいう不穏な表記が在るんですか!? それに何ですか『大丈夫セット』って!?

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

そんなモン……なぁ? 言わせんなよ恥ずかしい

 

 

≪榛名@konngou3. ●●●●●≫

口に出すのも憚られるような品なんですか!?!? 

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

こういうのは勢いと度胸が大切だからさ! 

ホラホラ、いつものやってみてホラ!

せーの! 榛名は――?

 

 

≪榛名@konngou3. ●●●●●≫

大丈夫じゃないです!!!

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

よし!! 大丈夫そうだな!! あとは、

 

『鈴谷と熊野の甲板ニーソ型ティーパック』

『加賀のフンドシ』

 

とか、分かり易いのだとこの辺りかな

 

 

≪熊野@mogami4. ●●●●●≫

ちょっと! 何でそんなモノを流通させる必要があるのかしら! 理解に苦しみますわ!

 

 

≪鈴谷@mogami3. ●●●●●≫

嫌な予感がするんだけどさぁ、もうそれ、モノは出来てたりするの?

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

うん

 

 

≪熊野@mogami4. ●●●●●≫

う、うん!? もう始まってますわ!!

 

 

≪瑞鶴@syoukaku2.●●●●●≫

加賀さんの奴も、えらく直球じゃないですかね。

注文が来る前に憲兵が来ませんかコレ……

 

 

≪加賀@kaga1.●●●●●≫

頭に来ました。おちんち

 

 

≪加賀@kaga1.●●●●●≫

失礼

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

せめて理性は保って貰わないとさぁ。いきなりそういうのは、びっくりしちゃうんだよね。まぁ予測変換だとは思うけど、普段その端末でどんな単語打ってるんですかね……。

 

 

≪武蔵@yamato2.●●●●●≫

おちんちち、とは何だ?

 

 

≪大和@yamato1.●●●●●≫

武蔵、やめなさい

 

 

≪武蔵@yamato2.●●●●●≫

何だ、大和は知っているのか。教えてくれ

 

 

≪大和@yamato1.●●●●●≫

ちょっと難しくてお姉ちゃんにも分からないから、静かにしていなさい

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

おい加賀ァ! お前の迂闊な書き込みでさぁ! 大和型に飛び火してんだよなぁ! 意見交換になんねぇだルルォ! どうすんだよコレぇ!

 

 

≪加賀@kaga1.●●●●●≫

おちんち

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

ファッ!? 弐撃決殺かお前!? 開き直ってんじゃねぞオルルァァアン!!

 

 

≪電@akatuki4. ●●●●●≫

あ~もう無茶苦茶なのです

 

 

≪少年提督@Butcher of Evermind≫

加賀さん、何だか様子が変ですね。……体調でも悪いのでしょうか? 大丈夫ですか?

 

 

≪飛龍@hiryuu1. ●●●●●≫

あのすみません! 今、加賀さんと一緒に鳳翔さんのお店にいるんですど、加賀さん結構呑まれてまして、大分酔ってる感じです。直近の書き込みに関しては、あのですね、スルーして頂けると……

 

 

≪蒼龍@souryuu1. ●●●●●≫

酔っ払った赤城さんに付き合った加賀さんが、キツイお酒ばっかり、ぱっかぱっか空けちゃって……。私達も注意はしたんですけど……。

 

 

≪少年提督@Butcher of Evermind≫

其方に向かいましょうか? 

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

まぁ、大丈夫でしょ? 一航戦同士、色々と話をすることもあるだろうし、今回は許してやるか! しょうがねぇなぁ~!

 

 

 

 

 

 其処までの書き込みに眼を通して、廊下を一人歩く嵐は軽く笑った。此処は本当に賑やかな所だ。


















いつも読んで下さり、暖かい感想まで添えて頂き、本当に有難う御座います!

“女性の容色が最も美しい時期”という意味もあるそうですが、タイトル関しては、ちょっと華やか過ぎたかもしれません……。ハッピーエンドと言うよりは、特に山も落ちも無いような、のんびりとした話を中心にポツポツと投稿出来ればと思っております。書きたい場面だけ投稿させて貰っている形でありますので、次回からも字数は大きく減ったりする時もあるかと思いますが、御容赦頂きたく思います……(土下座)




今回も最後まで読んで下さり、本当に有難う御座いました!



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