コードギアス―抵抗のセイラン―   作:竜華零

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STAGE5:「トーキョーの 空の 下で」

 記憶の向こうにいる「彼」は、いつだって不機嫌そうな顔をしていた。

 

 

『……おい、スザク』

 

 

 それは声にしても同じことで、昔はいちいち癇に障る奴だと思っていた程だ。

 ただそれも、今では酷く懐かしいばかりだ……。

 

 

『僕はキミが来るとは聞いていた、不本意だが、ナナリーも楽しみにしているようだったから特別に許してやったんだ。なのに……何だそいつは』

『何だとは何だ、それに俺だって連れてきたかったわけじゃ……あ』

『おいスザク……この泣き虫は何だ、鬱陶しいぞ』

 

 

 そういえば、「あの子」を初めて連れて行った時、彼は随分とあの子の扱いに苦慮していた覚えがある。

 あんまりついて来たがったものだから、面倒とは思いつつも連れて行った。

 だけど、アイツのあんな苦労している顔を見られるなら悪くなかったと思った記憶がある。

 

 

『ぬ、む……おい、泣くな、泣くんじゃない。……スザク、キミの妹だろ、ちゃんと面倒を見ろ』

『嫌だ、面倒くさい』

『面倒くさいって何だ!? って、ああ、また泣いた……』

 

 

 ああ、そう言えば良く泣く子だったような気がする。

 当時の自分はそれを面倒に思っていた所があるし、だいたい彼の妹がやってきて収拾をつけてくれるので、楽で良いと感じていたと思う。

 あの子は、自分に優しくしてくれる彼の妹やなんだかんだで面倒見の良い彼を気に入っていたようだったし――――たぶん、自分よりも。

 

 

 自分は、良い兄では無かったから。

 だけど、そんな自分でも明確に彼女の存在に感謝したことがある。

 その最たる物は、あの時だろう。

 あの時、彼女だけが……敢然と、正面から、当たり前の権利として。

 あの子だけが、自分を責めてくれたから――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――目が覚めた時、そこは牢獄だった。

 目覚めとしては最悪の部類に入るだろう、白の拘束衣で戒められ、尋問と言う名の拷問で痛めつけられた身体を冷たく固い床の上に転がされた上での目覚め。

 少なくとも、爽やかな目覚めとは言えない。

 

 

「……ぅ……」

 

 

 取調室で蹴りを入れられた頬が痛んで、彼は僅かに声を上げそうになった。

 しかし結局その声を押し殺して、彼は床の上から芋虫のように身を起こした。

 ズリズリと身体を引きずり、壁に背中を押し付けるようにして座る。

 窓も無い牢獄は暗く、今がいつかもわからないが……感覚として、夜かなと考える。

 

 

 彼は、犯罪者だった。

 それも稀代の犯罪者である、何と、恐れ多くも世界の3分の1を支配する超大国ブリタニアの第3皇子を暗殺したのだ。

 シンジュクでの戦いの最中、暗殺者の凶弾に倒れたエリア11総督。

 使用された銃には彼の指紋が付着し、目撃者も多数、誰がどう見ても彼が犯人だった……が。

 

 

「……軍事法廷、か」

 

 

 時間的に言えば今日の夜、彼は軍事法廷にかけられる。

 何故なら彼が軍人だからだ、しかし彼はブリタニア人ではない。

 彼はイレヴンと呼ばれる日本人で、日本人でありながらブリタニアに帰化した名誉ブリタニア人。

 そして彼への嫌疑は、つまる所「名誉ブリタニア人だから」の一言で説明できる。

 

 

 彼に弁護人も証言者もいない、彼が名誉ブリタニア人だからだ。

 拳銃に彼の指紋などついていないし、目撃者などそもそもいない、逆に彼のアリバイを証言してくれる人までいた――――にも関わらず、彼はこうして拘束され、牢獄に放り込まれている。

 つまり、彼は無罪であり、クロヴィス総督を殺した犯人ではない。

 冤罪、だが誰も信じない、何故なら彼が名誉ブリタニア人……イレヴンだからだ。

 

 

(……でも、裁判は真実を明らかにするために行われるもののはずだ)

 

 

 枢木(くるるぎ)スザクと言う名のその少年は、そう信じていた。

 しかし、それも今の彼の有様を見れば望み薄のように思われた。

 そもそも、弁護人もいないような裁判で何の真実を明らかに出来ると言うのだろう。

 いや、少年にとってはそれでも良かったのかもしれない。

 

 

(もし真実を捻じ曲げて、ルール違反を良しとする世界なら……そんな世界には、未練は無い)

 

 

 誰も彼のために祈ってはくれない、想ってはくれない。

 だが彼は、自らその境遇に身を置いた。

 だから未練は無い、スザクはそう思っていた。

 

 

 しかし、一方で。

 静かに彼のために祈る者もまた、いるのだった。

 例えばこれは、ある寝室での会話だ。

 

 

「……お兄様。スザクさん、大丈夫ですよね……」

「ああ、大丈夫だよナナリー。あんなニュースは何かの間違いだ、だから安心しておやすみ」

「そう、ですよね……大丈夫、ですよね」

「……ああ、お前が心配することは何も無いよ、ナナリー」

 

 

 眠りに落ち、緩やかに胸を上下させる妹の髪を指先で梳いて。

 少年が1人、闇の中で瞳を赤く輝かせていた。

 彼は、穏やかに眠る妹を見つめながら、静かに呟く。

 

 

「大丈夫だ、ナナリー……スザクは、俺が――――」

 

 

 夜の帳が、何かが生まれたことを恐れるかのように深まっていく。

 静かなその空気は、まるで到来する嵐を恐れているかのようで。

 ただただ、冷たく深かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 枢木スザクの逮捕の翌朝、エリア11、いや世界中の話題は彼の名で占められていた。

 事件の中心であるトーキョー租界はもちろん、ブリタニア本国や他のエリア、そしてEUや中華連邦といった諸国の人々まで含めて、注目を集めていた。

 何しろ、ブリタニアの皇族総督がナンバーズの手で倒れた稀有な事例なのだから――――。

 

 

『では、枢木スザク容疑者はあの旧日本最後の総理大臣、枢木ゲンブ首相の遺児なのですね?』

『はい、容疑者は14歳の時に名誉ブリタニア人資格の取得を申請、皇帝陛下の御名において申請は受理されました。枢木スザク容疑者はその後軍籍を得て、栄誉あるブリタニア軍人としてシンジュク事変に従軍、そして……凶行に及んだと「自供」したそうです』

『なるほど……ブリタニアの慈悲の象徴でもある名誉ブリタニア人制度が生んだ悲劇だったと言うわけでしょうね』

 

 

 トーキョー租界の繁華街、大型のショッピングセンターがいくつも集まった場所だ。

 デパートらしきビルの壁面に設置された大型のモニター、そこに特別編成のニュース番組が流れていて、解説者とコメンテーターが最もらしい顔で容疑者の経歴を述べている。

 行き交う人々はそのニュースを見て一様に暗い表情を見せる、義憤に駆られた声を上げる者もいる。

 

 

 当然だろう、租界の大通りを歩く人々は皆ブリタニア人だ。

 彼らは自分達を治めていた領主の不幸な最期を悼み、テロリストに敢然と立ち向かった勇気を称え、そして彼を殺した不当なテロリストを恨んだ。

 それはごく自然な反応であって、他国人の共感も大いに得られるだろう。

 ――――ここが「日本」と言う他人の家で無ければ、だが。

 

 

「おい、止まれ」

 

 

 総督の死が公表された翌日だけあって、空気は固い。

 市民生活を脅かすような施策は――戒厳令や非常事態宣言――こそ成されていないものの、租界の空気はピリピリしていると言って良い。

 警棒では無く、アサルトライフルを構えた軍人がウロウロする程度には。

 

 

「貴様、イレヴンだな? 身分証を見せろ」

 

 

 そしてそんな繁華街の片隅で、実際の2人組の軍人に声をかけられた少女がいる。

 着用している服は赤と白のコルセットスーツ、白ブラウスのお腹の部分が赤いコルセット風になっており、リボン代わりの編み紐が結ばれている物だ。

 コルセット下から膝まで伸びる紅色のプリーツスカートと、足全体を覆う黒のストッキング、キャスケット帽子とパンプスも黒系統、それ以外の装飾品は無く、中古屋(リサイクルショップ)ででも買ったのかやや古びている。

 

 

 年の頃は15歳、帽子に収めた髪色は黒、瞳も黒――――ブリタニア人では無い。

 そう、少女は日本人(イレヴン)だった。

 ブリタニア人居住区である租界内部に、何故イレヴンの少女がいるのか?

 その理由は、今しがたニュースでコメンテーターが言っていた制度による恩恵だ。

 

 

「……何だ、名誉か」

 

 

 ブリタニア兵の告げた言葉に道行く人々が視線を向ける、おそらくはわざとだ、ニヤニヤとした顔がそう告げている。

 名誉、そう、少女が兵士の男に渡した身分証のカードは名誉ブリタニア人に与えられる物だった。

 ブリタニア人以外の人間がブリタニア人と同等、あるいは一定の権利を得られる制度。

 わかりやすく言えば、ブリタニア人以外のブリタニア人だ。

 

 

「紛らわしい……名誉がこんな所をウロウロしてるんじゃない! さっさと帰れ、イレヴンが!」

 

 

 渡したカードは少女の手に返されることなく車道の方へと放り投げられた。

 地面に落ちたカードの上を信号が変わって走り出した乗用車やトラックが走っていく、あれでは信号が変わるまでは取りに行けないだろう。

 歩道の端で立ち尽くす少女に意地の悪い笑みを見せて、兵士達はどこぞへと消えた。

 後に残された少女は溜息を吐く、そしてとにかく信号が変わるまで待とうと……。

 

 

 ――――ガンッ、と、鈍い音が響いた。

 次いで肩のあたりに熱を感じて、反射的に片手で肩を押さえた。

 頭に当たったそれはどこかから投げられた中身入りの缶コーヒーだった、ぶつけられた頭や中身のかかった肩がジンジンと痛む。

 

 

「……汚らわしい、名誉の癖に!」

「クロヴィス殿下を殺した卑しい奴ら」

「ブリタニア人にしてもらった恩を忘れて、畜生以下の存在だわ」

「ああ臭い臭い、ドブネズミはゲットーにいりゃあ良いのに」

 

 

 周囲から聞こえる悪意の声に、少女は俯いたまま顔を上げない。

 ただじっと、車に踏み躙られる自分の身分証を見つめている。

 

 

「大体どうして、あんな汚らわしいイレヴンが租界にいるんだよ」

(……どうして、だって?)

 

 

 しかし心は別だ、彼女は顔を俯かせたまま、意識は上や周囲へと向ける。

 

 

(ボク達だって、来たくて来たわけじゃない……)

 

 

 その少女は、青鸞だった。

 表情を殺し、ただじっと周囲から降りかかる悪意を受けている。

 ここで何か問題を起こせばさっきの兵達が戻ってくる、だからじっと耐えている。

 

 

 加えて言えば、彼女は名誉ブリタニア人ですらない。

 ならば先程の身分証は何なのかと言う話になるのだが、そこには複雑な事情が介在する。

 一言で言えば、偽造品だ。

 それも、「本物」の偽造品。

 いずれにしてもリスクがある、それだけのリスクを犯して何故青鸞がいるのか、それは。

 

 

『枢木スザク一等兵の軍事裁判は本日中に行われ、判決も即刻……』

 

 

 そこで初めて、青鸞は顔を上げた。

 コーヒーの匂いが鼻につくが、そんなことはまるで気にならなかった。

 彼女の瞳は、デパート壁面のモニターに向けられている。

 

 

 映像では何度も、何度も同じ場面が流されている。

 茶色の髪の名誉ブリタニア人が、晒し者にされながら拘束される映像。

 枢木スザクが、彼女の……彼女の「兄」が、映っている。

 7年前に別れて、それきりだった相手だ。

 

 

『やはり、現行の名誉ブリタニア人制度を見直した方が良いのかもしれませんね』

 

 

 コメンテーターのそんな言葉に、青鸞が拳を握る。

 何故ならばそれは、事実上、名誉ブリタニア人制度自体が間違いだったと言っているに等しかったからだ。

 ならば何故、と、青鸞は声を上げたかった。

 

 

 ならば何故、そんな制度を作ったんだと。

 そんなことを言うなら、最初から作らなければ良かったでは無いか。

 そうすれば、そうすれば。

 ……そうすれば、あの人だって。

 

 

「これ、キミの……」

 

 

 不意に声をかけられて、青鸞は身を震わせた。

 ブリタニア人ばかりの町で、まさか声をかけられるとは思わなかったからだ。

 顔を上げれば、そこには1人の少年がいた。

 

 

 艶やかな黒髪、光の加減で紫に見える瞳、着ている物は黒の学生服。

 意外と背が高い細身の身体、片手に何かの包みを持っているようだが……もう片方の手で、ボロボロになった青鸞の身分証を持っていた。

 呆けていた青鸞は、戸惑いながらもそのカードを受け取ろうとして……。

 

 

「…………まさか」

「え……?」

 

 

 2人で、動きを止めた。

 時間が止まったかのような静寂感があたりを包み、互いに互いの顔を穴が開きそうな程にじっと見つめる。

 見つめなければ、ならなかった。

 

 

「まさか……そんな、だが」

 

 

 相手の少年は戸惑うような声を上げると、しかし己の考えを確認するように。

 

 

「……青鸞、なのか?」

 

 

 その声に、その雰囲気に、そのアクセントに。

 青鸞は、記憶を刺激された。

 それはかつての記憶、とても古い記憶……子供の頃の記憶だ。

 

 

 15年の人生のほんの一時期、時間を共有した相手。

 忘れるはずの無い、最後に輝きの瞬間。

 まだ、自分がただ意味も無く幸福で……何も失われていなかった時間だ。

 だから彼女は告げた、その名前を。

 

 

「……ルルーシュくん?」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 時間を、ほんの少しだけ遡ろう。

 そこまで遡る必要は無い、ほんの数分だ。

 その数分前、私立アッシュフォード学園の学生である少年、ルルーシュ・ランペルージは、ある目的のために租界の町並みの中にいた。

 

 

 友人と共に懇意にしている店のマスターの下を訪れ、注文していた品を受け取ってきた所だ。

 まぁ、相手はそのことを「覚えていない」だろうが。

 片手の紙袋の中に感じる硬質感を確認しつつ、彼は歩いていた。

 そして、ある繁華街の交差点に差し掛かった時。

 

 

『では、枢木スザク容疑者はあの旧日本最後の総理大臣、枢木ゲンブ首相の遺児なのですね?』

『はい、容疑者は14歳の時に名誉ブリタニア人資格の取得を申請、皇帝陛下の御名において申請は受理されました。枢木スザク容疑者はその後軍籍を得て、栄誉あるブリタニア軍人としてシンジュク事変に従軍、そして……凶行に及んだと「自供」したそうです』

『なるほど……ブリタニアの慈悲の象徴でもある名誉ブリタニア人制度が生んだ悲劇だったと言うわけでしょうね』

 

 

 頭上、自分のすぐ後ろにそびえ立つデパートの壁面に設置されたモニターから、そんな声が聞こえる。

 それに対してルルーシュがとった行動は、「丁重な無視」だった。

 周りのブリタニア人のようにクロヴィス総督の死を悼むわけでも、名誉ブリタニア人への怒りを露にすることも無い。

 

 

 あらゆる意味で、無意味なことだと思うからだ。

 せいぜい、「自供」とやらの内実について皮肉を感じるだけだ。

 だから彼はコメンテーターの言葉にいちいち顔色を変えたりはしない、ただでさえ貴重な放課後の時間をそんなことに使う気は無い。

 ただでさえ、今日は彼の人生にとって重要な……。

 

 

「……ん?」

 

 

 彼が端正な眉を顰めたのは、トラックや乗用車が走る横断歩道の向こう側を見たからだ。

 車と車の間隔、その間から見えたのは、1人の少女だ。

 黒のキャスケット帽子が目に付く少女だ、それだけなら特に目を引かれることもなかったろうが。

 

 

「……名誉……!」

(――――名誉ブリタニア人か)

 

 

 馬鹿な女だ、と、ルルーシュは思った。

 何かの缶を投げつけられた少女を見て、むしろ冷たい眼差しで。

 名誉ブリタニア人がクロヴィス総督を殺した――と、いうことになっている――こんな時に、名誉ブリタニア人が街を出歩けばどんな扱いを受けるか、想像力が欠如しているとしか思えない。

 

 

「……む」

 

 

 次第に信号が変わり、横断歩道を多くの人が歩き出す。

 もちろんルルーシュもそれに倣う、しかしその時、彼は自分が何かを踏んだことに気付いた。

 何かと思えば身分証だ、誰かの落し物だろうか。

 いや、名誉ブリタニア人用のライセンスカードだ。

 

 

(……さっきの女のか)

 

 

 特に感慨も無く、ルルーシュは拾い上げたカードを裏返した。

 そこに写真が印刷されている、真面目な顔で映っているのは彼とさほど変わらない、そして彼の妹と同じくらいの年齢の……と、そこでルルーシュは初めて目を細めた。

 印刷された写真の少女が、妙に彼の記憶を刺激した。

 それはおそらく、つい2日程前に7年ぶりに幼馴染に再会したことも無関係では無い。

 

 

「いや、まさか……」

 

 

 顔を上げる、件の少女はルルーシュには気付いていない。

 どうやら後ろのモニターを睨んでいるようだ、もし少女がルルーシュの思っている通りなら。

 その行動にも、納得は出来る。

 

 

 だから彼は、思わず名前を呼んでしまったのだ。

 7年前、幼少時の一時期を共に過ごした女の子の名前を。

 幼馴染の、妹の名前を。

 

 

「……青鸞、なのか?」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 2人が出会ったのは、7年前のことだ。

 とはいえ直接に出会ったわけでは無い、共通の知人を介しての出会いだった。

 よって、それぞれその「知人」との関係は同じでは無い。

 

 

 ルルーシュにとって、「知人(かれ)」は幼馴染の喧嘩友達だった。

 そして青鸞にとって、「知人(カレ)」は肉親だった。

 2人を出会わせた共通の知人、その名は枢木スザク。

 そう、今まさに総督殺しの犯人とされている男である――――。

 

 

「……ほら」

「あ……えと、ありがと」

 

 

 ショッピングセンター街からやや離れた場所に、広い自然公園がある。

 綺麗に整えられた芝生、所々に点在する露天や売店、時間が来れば水のショーを見せる噴水、遠くに見えるトーキョー租界の街並みとモノレール・ライン……。

 そんな公園のベンチの一つに、ルルーシュと青鸞は場所を移していた。

 

 

 あのままあそこで話すと、お互いに不味かったからだ。

 それに、青鸞の衣服のこともある。

 水で濡らした白いハンカチを差し出してくるルルーシュを目を丸くして見つめながら、青鸞はそれを受け取った。

 

 

「…………」

「……………………」

 

 

 そこから、少しの間沈黙が続いた。

 気まずさや再会の緊張からではなく、何を話すべきかの整理をしているためだ、お互いに。

 7年ぶりに再会した幼馴染と、まず何を話すべきなのか。

 お互いの中で模索を繰り返し、そして出し得た結論。

 先に沈黙を破ったのは、青鸞だった。

 

 

「ナナリーちゃん、元気?」

「……ああ、元気だよ」

 

 

 ルルーシュの顔に微笑が灯る、青鸞も同様だ。

 彼の妹、ナナリーと言うのだが……それもまた、2人にとっては共通の知人だった。

 ルルーシュにとっては肉親で、青鸞にとっては幼馴染の友達だった。

 7年前に出会った、大切な友達。

 

 

「……名誉ブリタニア人資格、取ったんだな」

「うん……家の人の意向ってやつでね、ボクはどっちでも良かったんだけど」

「名前も変えたのか?」

「うん、まぁ……いろいろね」

 

 

 ここで初めて、青鸞の胸が痛んだ。

 嘘だからだ、彼女は名誉ブリタニア人申請などしていない。

 ただ租界に入るために必要だったから、キョウトの協力者に今日の昼に手引きして貰っただけ。

 

 

 そもそも、彼女の名誉ブリタニア人証に書かれている名前自体が偽名だ。

 だからルルーシュも顔写真を見るまでは何も思わなかった、直接顔を見てようやく確信したのだ。

 だがそれをルルーシュに言うわけにはいかない、言えるわけも無い。

 自分はまだ日本人で、反ブリタニアの組織に所属しているなどと。

 言えるはずが、無いのだった。

 

 

(まぁ、名誉ブリタニア人扱いされるのは物凄く嫌だけど……租界には、名誉でないと入れないから)

 

 

 仕方ない、一時の屈辱に身を浸すくらいはしてみせよう。

 これもまた、父の教えでもある。

 曰く、必要ならば泥を啜れ――――だ。

 

 

「……ルルーシュくんは?」

「俺も似たようなものだよ、今は……別の姓を名乗っている」

「そっか」

 

 

 ルルーシュ・ランペルージには、ある秘密がある。

 そして青鸞はその秘密を知っている、ランペルージ姓のルルーシュが偽者だということを。

 彼の本当の名前は、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。

 かつて日本を侵略し、植民地化し、そして今も多くの日本人をイレヴンと呼んで差別している超大国、神聖ブリタニア帝国。

 

 

 その神聖ブリタニア帝国の第11皇子、それが彼だ。

 青鸞が彼と出会った7年前、ルルーシュは確かにそう名乗っていた。

 ブリタニアから日本に兄妹で留学に来た、異国の皇子様。

 子供の頃は、絵本から飛び出したような存在を前に随分と舞い上がったもので……。

 

 

「と、ところで、その紙袋は何? 何か買い物?」

 

 

 場の空気を変えるためか、それとも昔のことを思い出して恥ずかしくなったのか、青鸞の方から話題を変えた。

 それはまさに「青鸞」であって、「枢木」の顔ではなかった。

 

 

「え? あ、ああ、これか。いや、特別な物じゃない。ちょっと学校の行事で使う物なんだ」

「学校? ルルーシュくん、学校通ってるんだ?」

「お前だって通ってるだろう? 名誉ブリタニア人なら、学校にも行けるはずなんだから」

「あ、あー……ボクは、キョウトの方だから、学校」

 

 

 また嘘を吐いた、嘘は一つ吐くといくつも連鎖していく。

 ああ、嫌だ。

 青鸞はそう思った、何故なら。

 ルルーシュにだけは、彼女は嘘を吐きたくなかったのに。

 大切な、思い出の人だったから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「青鸞」

 

 

 2人の再会は、意外なほど短く終わった。

 ルルーシュの方に時間が無かったらしく、また青鸞にもそんなに時間は無かったためだ。

 互いに何かしらの用があり、そして互いに当たり障りなく説明して。

 ――――彼らの事情を2つとも知る人物がいたのならば、失笑するだろう状況だとは気付かずに。

 

 

 そして別れ際、ルルーシュは青鸞を呼び止めた。

 最後の話題はもちろん、彼がほんの10分程度の再会の中で口にしなかった話題。

 すなわち、スザクのことだった。

 

 

「青鸞、お前、スザクのこと――――」

「……さぁ、誰のことだったかな?」

 

 

 両手の指を腰の下で組み、スカートの裾を翻しながら青鸞はルルーシュに背を向けた。

 その表情はルルーシュには読めない、だが、青鸞の纏う空気が変わったことは確かだった。

 

 

「確かにボクには兄様がいたけれど、でも、7年前にいなくなった。家とも縁を切って、何もかも捨ててどこかに行っちゃったよ、ボクを置いて――――それはもちろん、言いたいことが無いわけじゃないけどね」

「……そうか」

 

 

 前半はともかく、後半に対して……ルルーシュは頷きを返した。

 明晰な頭脳を持ち、人の心理に対して敏感な部分を持つルルーシュにとってはそれで十分だった。

 だから表面上、彼は頷いた。

 何かを噛んで含めるように、頷いたのだった。

 

 

「青鸞、俺とナナリーのことは……」

「話さない」

 

 

 変わってルルーシュが切り出した言葉に、青鸞は即座の返答を返した。

 話さない。

 7年前の戦争で死んだはずの皇子と皇女が、エリア11で生きているなんて誰にも言わない。

 青鸞は今度は身体ごと振り向いて、そんな意味を込めて柔らかく微笑んだ。

 

 

 それを見て、ルルーシュはそっと頷くように目を伏せた。

 夕焼けのせいだろうか、その左目が微かな赤い粒子を放っているように見えた。

 しかしそれも、すぐに散って消える。

 

 

「そうか……安心した。お前はやっぱり変わらないな、青鸞」

 

 

 スザクと一緒だ――――心の中で、ルルーシュはそう呟いた。

 

 

「そうかな?」

「ああ」

「ふぅん……でも、ルルーシュくんは変わったね」

「そうか?」

「うん、凄くカッコ良くなった」

「はは、ありがとう」

「うわぁ、否定しないとか」

「世辞にはこれで十分だろ?」

「……お世辞じゃないよ」

 

 

 夕日を背景に笑う青鸞は、ルルーシュの目には妙に儚く映った。

 そして今度こそ別れ際、青鸞はそっと手を差し出した。

 ルルーシュは2秒ほど目を見開いた後、薄く笑って、その手を取った。

 

 

 青鸞が目を丸くする、ルルーシュはそっと顔を下げた。

 青鸞の手は軽く持ち上げられて、ほんの僅かに手の甲にルルーシュの唇が触れる。

 子供の頃はくすぐったくて仕方なかったそれも、今はどこか別の意味があるようにも思える。

 

 

「……それじゃ」

「ああ」

 

 

 そしてそれで、お別れだった。

 子供の頃は「また明日」の合図だったそれは、今は別の意味にも思える。

 また明日、ではない何かに。

 

 

 そして互いに背を向けて、それぞれの行き先に向けて歩き出す。

 互いに、思う、同じことを思う。

 ああ、良かったと。

 いろいろあるだろうけど、とりあえずあの子が平和に生きているようで。

 本当に良かったと、そう互いに互いのことを想って。

 

 

((どうか、そのまま平和な世界で幸せに))

 

 

 ルルーシュは、ポケットから携帯電話を取り出した。

 するとそれまで浮かべていた穏やかな表情は全て消えて、鬼気迫った真剣な表情を浮かべる。

 その目には、決意の炎が宿っていた。

 

 

「……私だ、Q-1。今、どこにいる? すぐに指定するモノレール・ラインに――――」

 

 

 一方で、青鸞は公園の出口に待っていた女性と合流した。

 帽子で髪と目線を隠したその女性は、青鸞の後ろ数歩を歩きながら。

 

 

「千葉さんがお待ちです……」

「……そう」

 

 

 頷いて、表情を消して、しかし青鸞は一度だけ後ろを振り向いた。

 そこにはすでに彼はいない、姿も見えない、だけどそれで良いと思った。

 その瞳には、強い決意の光が灯っていた。

 

 

 ――――この時。

 もしこの時、お互いの全ての事情を知った後のルルーシュと青鸞がこの時この場所で出会っていたなら、いや全てと言わずほんの一部でも、お互いの事情を知っていたのなら、その思考を知っていたのなら。

 もしかしたら、歴史は変わっていたのかもしれない。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 布を四方にかけて作られた簡易的な更衣室の中で、青鸞は衣服を脱いでいた。

 租界に入る前、適当に調達した衣服だが――――まぁ、もったいないので持ち帰ろう。

 雅あたりが怒るかもしれないが、何かに使えるだろう。

 そして雅のことに思いが至ったためか、青鸞は背中に回していた手を止めた。

 

 

「ああ、そっか。サポーター……」

 

 

 下着――白の生地に花柄の刺繍がされた物――に触れていた手を離して、地面に直に置かれていた籠から黒のサポーターを取り出した。

 上下一式、ただこれは元々青鸞のために用意された物では無い。

 そのためか、身に着けた時にサイズの違いに顔を顰めた。

 胸にも腰にも余裕がある、喜んで良いのか悪いのか。

 

 

「青鸞」

 

 

 紺色のパイロットスーツを着て、手首の弁から空気を抜く。

 身体にスーツが吸い付く独特の感触に息を吐いた後、脱いだ衣服の傍に置いた白のハンカチに触れる。

 ほんの少し茶色の液体が染みているそれを、指先で優しく撫でる。

 声をかけられたのは、その時だった。

 カーテン代わりの布を手で押しのけて外に出れば、すでに夕日が沈みかけて夜の直前だった。

 

 

「凪沙さん、何かわかった?」

「ああ、キョウト経由で協力者と連絡が取れた。シンジュクの時にも世話になったルートとか言っていたが……まぁ、間違いは無いだろう」

 

 

 そう言って千葉が投げて寄越したのは、IDカードとキーだった。

 カードには青鸞とは似ても似つかない、年齢すらも違うブリタニア人の女性の顔写真があった。

 今度は偽造品ではない、本物だ。

 奪い取った品である、写真の女性はどこかで少し眠ってもらっている。

 

 

 何のためにこのIDカードとキーを奪ったかといえば、写真の女性が警備用ナイトメアのパイロットだからだ。

 彼女が乗るナイトポリスと言うナイトメアは、枢木スザクが軍事法廷に移送される際の警備の1機だ。

 見上げれば、青と白のカラーリングが施されたナイトメアがある。

 警備に潜り込み、処刑の経過を見守って情報収集に努める、それが今回の任務だ。

 

 

「……解放戦線としての行動はまだ決定されていないが、しかし同時にどう転んでも良いように最善を尽くせとの命令が出ている」

 

 

 千葉の言葉に、青鸞は頷く。

 それは事実だった、日本解放戦線はこの件に関して何の意思決定もしていない。

 応じるのか、無視するのか、それすらも決められずにいる。

 辛うじて、周囲のゲットーから行ける者は租界に潜入し可能な努力をしろと言う、どうとでも取れる伝達があっただけだ。

 

 

「だが青鸞、これはかなり危険な任務だ。お前が出る必要は無い、私がやっても良い」

「ううん、凪沙さんには全体の指揮を……撤退のタイミングとか、そう言うのを見てもらった方が良いと思う」

 

 

 警備のナイトメアを奪い――残念ながら、かなり端の方だが――潜入する、かなり危険を伴う。

 正直、青鸞に任せるべきではないと千葉は思っている。

 だが本人が強く希望した、自分がやると。

 

 

「一つ言っておく、青鸞。解放戦線はまだ今回の件について何も決定していない、よって、監視以上の行動はしてはならない」

 

 

 ナイトポリスに乗り込む準備をする青鸞に、千葉はそう言った。

 どこか言い聞かせるような声だったが、それも仕方ないだろう。

 青鸞と枢木スザクの関係を知っていれば、どうしてもそうなる。

 そしてそれは、青鸞が誰よりも一番良く知っていた。

 

 

 だからか、青鸞は努めて笑顔を浮かべていた。

 スーツで締め付けられた指を鳴らすように開閉しながら、千葉の顔を見上げる。

 千葉に対して頷きを返して。

 

 

「わかってる、必要以上のことはしないよ」

「……なら、良い」

「はい」

 

 

 そう言って、青鸞はコックピットに上がるためのワイヤーに手を触れた。

 素早く上がっていく青鸞の後ろ姿を、千葉は厳しい目で見送っていた。

 そんな千葉の傍に、佐々木が寄ってくる。

 

 

「……良いのですか?」

「良くは無いな」

 

 

 茅野は租界と外の脱出ルート確保のためにここにはいない、いるのは千葉と佐々木だけだ。

 いざと言う時、青鸞を連れ帰るための2人。

 藤堂と草壁、対立派閥(本人達がどう思っているかは別として)に所属する2人が並ぶというのも不思議な印象だった。

 だが実際、もしもの時には千葉は自らが囮になってでも青鸞を逃がすつもりだった。

 

 

「だが、必要だ。あの子が、本当の意味で父親の跡を継ぐと言うなら……な」

 

 

 最も、と、内心で千葉は思う。

 父親の、枢木ゲンブの。

 

 

(借り物の理想で、どこまでやれるものか……)

 

 

 はぁ、と、千葉は溜息を吐く。

 

 

「ナリタに戻り次第、責任は私が取る」

「……それは」

「……私も、朝比奈のことは言えないな」

 

 

 わかっているのか、青鸞。

 動き出すサザーランドを見上げながら、千葉はそう問いかける。

 借り物の理想で、人は動かない。

 人を動かすためには、もっと他の物がいるのだと。

 それをあの子は、わかっているのだろうか?

 

 

 ……そして、始まった。

 枢木スザクの処刑へのカウントダウンが、始まった。

 そしてそれが、誰にとっても始まりとなる。

 

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 一方で、ナリタの日本解放戦線上層部では昨日に続いて激論が交わされていた。

 枢木スザクを英雄視する者もいれば、ブリタニアに寝返った裏切り者と切り捨てる者もいる。

 奪還作戦を行うべしと叫ぶ者もいれば、無視すべきと主張する者もいる。

 

 

 司令官片瀬は結局何れの意見にも頷かず、事態を静観することとした。

 そして出された結論が、いろいろ言ってはいたが、要するに「現場の判断に任せる」と言う玉虫色の結論であった。

 とみに、纏め役のいない組織の弱さである。

 

 

「藤堂さん」

 

 

 会議室から通路へと出た藤堂の傍に、即座に駆け寄ってきた男がいる。

 朝比奈だ、彼だけでは無い、会議室にいる幹部の側近連中が通路に連なって待っている様はなかなか異様と言えた。

 ここにいる数だけ派閥があると思えば、なおさらだ。

 

 

 その意味において、やはり日本解放戦線という組織は一枚岩では無いのだろう。

 それぞれのグループがそれぞれの上官を盛り立てていて、しかも相対的にその力が拮抗していてリードする人間がいない。

 朝比奈などからすれば、戦争時の実績がある藤堂がもう少し前面に立てばとも思うのだが。

 

 

「どうでしたか、会議」

「…………」

 

 

 沈黙で応じる藤堂に、朝比奈は会議の内容を大体想像することが出来た。

 出口の無い主張のぶつかり合いを議論とは言わない、それを会議とは呼べない。

 朝比奈としては、もどかしい思いをせざるを得ない。

 

 

「……租界の千葉からは、何か報告は」

「はい、シンジュク・ゲットーから租界へと向かって、そこで情報を収集すると」

「そうか……朝比奈」

「はい」

 

 

 問いかけに応じると、藤堂は低い声で。

 

 

「スザク君……枢木スザクをどう思う?」

「どうと言われても、直接会ったことも無いですからね。まぁ、でも……」

 

 

 突然問われて戸惑うが、それでも朝比奈は自分なりの答えを返そうと思考した。

 枢木スザク、日本最後の首相枢木ゲンブの息子。

 これ自体は、意外と知られている話だ。

 ただゲンブ首相自身がそれほど評価が高くないことに加えて、その息子と言うのが……。

 

 

「日本人の誇りを捨てて名誉ブリタニア人になった、裏切り者……ですかね」

 

 

 実際、名誉ブリタニア人を見る目は厳しい。

 日本人を裏切り、それでいてブリタニア人でも無い、そう言う存在だ。

 どちらにも認められない狭間の人間、それが名誉ブリタニア人。

 しかも枢木スザクの場合、軍籍にいたわけである、同胞を取り締まる立場にいたわけだ。

 

 

 ブリタニアの皇子を仕留めるという大金星を上げていながら認められないのは、そのためだ。

 まぁ、それでも一部の日本人には彼を見直す向きもあるにはあるのだが。

 いずれにしても朝比奈の認識としては「裏切り者」であったし、何より。

 ……本来、現在の青鸞の位置にいるべき人間だったはずだと朝比奈は思う。

 

 

「……そうか」

 

 

 短く答えた藤堂、その胸中は複雑だった。

 彼の部下や解放戦線の仲間達は、彼が青鸞と同じように反体制派の組織に所属していないことを責めている、藤堂自身はともかくとして。

 藤堂は、全ての真実を知っているから。

 

 

「でも藤堂さん、青ちゃんをこのタイミングで租界に行かせたのは……」

「間違い、か……」

 

 

 だが、千葉ではおそらく止められなかっただろうと藤堂には思う。

 枢木スザク処刑の報を受けて、それでシンジュク・ゲットーから平然と戻ってこられても複雑な思いを抱いただろう。

 これに関しては、藤堂としては苦しい立場にいるのだった。

 

 

 幼い頃の2人を知っていれば、なおさらだ。

 兄のことも妹のことも知っている、そんな軍人はおそらく藤堂だけだろう。

 そして、枢木ゲンブ首相のことを知っているのも。

 

 

「……いずれにしても、租界の千葉からの連絡を待つ。全てはそれからだ」

「そう、ですね」

 

 

 昔からの部下の微妙な返答を耳に入れて、藤堂は表面上は表情を変えずに歩き続けた。

 しかし刀の鞘を握るその拳は、固く握り締められていた。

 まるで、今にも動き出しそうな程に……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ジェレミア・ゴッドバルトと言う男は、その時点では輝かしい経歴を持っていたと言える。

 若干28歳にして辺境伯の爵位を得て帝国辺境――つまりエリア11――において軍事指揮の権限を有し、ナイトメアのパイロットとしても管理官と言う役職面でも有能、ついには総督亡き後、自らの派閥を率いてエリア11の政庁を制圧、代理執政官として総督の代理を務める形になっている。

 

 

 皇族・大貴族を除く一ブリタニア人としては、まさに人臣を極めたと言えるだろう。

 だが、ジェレミア自身にとっては実はそのこと自体はさして重要では無かった。

 彼にとって地位と権力は手段であり、目的では無いからである。

 その意味では、ジェレミアは高潔な人間であった。

 

 

(シンジュクの戦場にいながら、クロヴィス殿下をお守り参らせることが出来なかったこと。このジェレミア、生涯二度目の不覚……!)

 

 

 彼は悔いていた、シンジュクでの戦いでクロヴィス総督を――――ブリタニア皇族を守護できなかったことを。

 後方で指揮を執っていたクロヴィスを、前線でナイトメアを駆って戦っていたジェレミアが守れないとしても当然……しかも彼はテロリストとの戦いの最中で機体を失うなどのトラブルも経験し、事実上守護など不可能だった、だがジェレミアはそれを言い訳にするつもりは無かった。

 

 

 後悔は残る、しかし彼は後悔に呑まれて立ち止まるようなことはしなかった。

 テロリストの凶弾に倒れたクロヴィス総督の遺志を継ぎ、軍内からテロリストと繋がる名誉ブリタニア人を一掃する。

 そのためには、「実行犯」である名誉ブリタニア人を確実に裁かねばならない……!

 枢木スザクがその時点でナイトメアに乗っていてアリバイがあるなど、ジェレミアは信じない。

 

 

(名誉ブリタニア人がナイトメアの操縦者になれぬことは国法に明記されている、ましてブリタニア人が殿下を殺害するはずが無い……!)

 

 

 そう、信じていたが故に。

 

 

「これより大逆の徒、枢木スザクの軍事法廷への移送を開始する!」

 

 

 ジェレミアの声が、トーキョー租界の夜に高らかに響く。

 彼は自らサザーランドを駆り、枢木スザクを軍事法廷へと移送していた。

 コックピットを開いたままオート操縦でサザーランドを動かし、護送車と護衛のサザーランド部隊を率いながら沿道を進む。

 

 

 道の要所要所にはジェレミア配下のサザーランドが配備され、万が一イレヴンの反体制勢力が枢木スザクの救出に動いたとしても対応できるようになっていた。

 高架道路の沿道には多くの「愛国的」ブリタニア市民が集まり、護送車の上で晒し者にされている少年に向けて罵倒を浴びせている。

 その全てがスザクへの悪意に満ちた声であり、1人の少年の精神を打つには十分な威力を持っていた。

 

 

「…………」

 

 

 そしてその全てを、スザクは胸を張って受け止めていた。

 殴打されたのだろう、顔にはいくつも痣がある。

 しかしその瞳は、聊かも揺らいではいない。

 

 

 何故なら彼は、自分が無実であることを知っているからだ。

 例え誰も自分を信じてくれなかったとしても、自身が罪を犯していないのならば堂々とすべきだ。

 スザクは、自分のルールとしてそう決めていた。

 そのルールを自ら曲げない限り、彼は自分が折れないと確信していた。

 

 

「……?」

 

 

 しばらく進んだ時、護送車が止まった。

 どうしたのだろう、とスザクは思う。

 移送の計画など知らないが、しかし止まる必要は無いはずだ。

 

 

 そう思い、スザクは顔を上げる。

 顔を上げた先、道の向こう。

 そこに、一台の車が――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ぎし……と、握り締めた操縦桿が軋みを上げるのを青鸞は聞いた。

 場所は高架道路からやや距離のあるビルの屋上、ちょうど、護送車が止まった位置を正面に見据える位置だ。

 そこに、青鸞が操縦者に成りすましているナイトポリスがいた。

 

 

『……ナタリー、ナタリー騎装員、聞こえるか?』

「…………」

『ナタリー?』

 

 

 はっとして、青鸞は通信機へと返答を返した。

 

 

「はい、聞こえています」

『そうか、なら良い。にしても、今日何か声変じゃないか?』

「申し訳ありません、先程から少し喉の調子が……風邪を引いてしまったかもしれません」

『そうか、まぁ、この仕事が終われば良く休め……予定に無い停止だが、軍の方からは持ち場を守っていれば良いと通達が来た。そのまま待機しておいてくれ』

「はい、わかりました」

 

 

 流暢なブリタニア語で返す、IDに記載されているコード付きの返信であるために疑いも少ない。

 通信を切った後、息を吐きながら青鸞は自分を叱咤した。

 しゃんとしろ、ここは敵地のど真ん中なんだぞ、と。

 いくら総督殺害の混乱で穴があるとはいえ、租界の外に出るのも楽では……。

 

 

 ……しかし、その思考もすぐに切れる。

 遠く、高架上の道路にある護送車の上、そこに立たされている少年の顔がコックピット・ディスプレイに映し出されているからだ。

 色素の抜けた茶色の髪、琥珀の瞳、鍛えられた細身の身体。

 枢木、スザク。

 

 

「…………どうして」

 

 

 昔からずっと問うてきた言葉、それをまた呟く。

 もう、何度同じ問いかけを虚空にしてきただろう。

 繰り返し繰り返し問いかけてきたその言葉、だが、一度も答えが返ってきたことは無い。

 あの時だって、答えてくれなかった。

 

 

 今でも、昨日のことのように思い出せる。

 白目を剥いて倒れた父、その傍らで刀を手に立つ兄。

 そして、呆然と立つ自分。

 枢木スザク、自分と血を分けた兄、そして。

 ――――父の、仇。

 

 

「どうして……」

 

 

 だが、その先の言葉は無い。

 答えでは無い、スザクの答えだけでなく、青鸞自身もその先の言葉を持たない。

 何故なら、言葉とは自分と相手の会話によって生まれるものでもあるからだ。

 それは、感情の方向性を決めるものでもある。

 

 

 憎めば良いのか、愛せば良いのか。

 今は圧倒的に前者が強い、ずっとずっと憎んできた、怒りを蓄えてきた。

 何度も、夢に見た。

 どうして殺した、父様を。

 どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして――――。

 

 

「ドウシテ……!」

 

 

 ぎし、と、ナイトポリスの操縦桿から再び軋みが上がる。

 青鸞自身には見えていないだろう、ディスプレイに映るスザクを見る自分がどんな目をしているか。

 ……千葉は、兄妹の情によって青鸞が動くのでは無いかと危惧していただろう。

 逆だ、青鸞は決して兄妹の情などでスザクのためには動かない。

 そのことを正確に知っている者がいるとすれば、日本でおそらく2人だけだ。

 

 

 ……青鸞は聞きたかった、どうしても。

 どうして、父を殺したのか。

 そして、どうして今になってクロヴィス総督を殺したのか。

 日本を裏切って父を殺し、名誉ブリタニア人になった癖に。

 どうして、今になって日本の味方みたいなことをするのか。

 

 

「わからないよ、貴方が。兄様……!」

 

 

 知らず、青鸞の瞳に涙が浮かぶ。

 キツくスザクを睨む彼女の目に、透明な雫が浮かび上がる。

 相反する2つの事象を前にした時特有の、胸の奥が裂かれそうな感覚が彼女を苛んで……。

 

 

「ん?」

 

 

 その時、ふと青鸞は気づいた。

 というより、その場にいる全員が気付いただろう。

 高架道路に繋がるサードストリート、そこから白い大型車が入ってきたのだ。

 沿道の人々が戸惑いの声を上げる中、その車は枢木スザクの護送車の前で停止した。

 ぐ、と目元を拭って、青鸞はそれをじっと見つめた。

 

 

「白の……御料車? 熱源は、2つ……」

 

 

 スザクの顔を一方に映したまま、青鸞はその車にもナイトポリスのセンサーカメラを向けた。

 ビルの上で僅かに機体を動かし、上から俯瞰するように観察する。

 すると、護送中は止められているはずの物資輸送用のモノレール・ラインが高架下まで動いていることに気付いた。

 

 

 まさか、と思った時、事態が動く。

 護送車の前にいる先頭のサザーランド、その開いたコックピットに立つ男が車の中にいる人間に出て来いと言ったのだ。

 アレは確かニュースで見た男だ、名前はジェレミアと言ったか。

 そして、そのジェレミアの声に応じるように。

 

 

『私は――――ゼロッ!!』

 

 

 1人の人物が、張りぼての車の壁を焼き払いながら姿を現した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その人物の姿を見た時、青鸞は純粋にこう思った。

 ――――何だ、あの趣味の悪い奴は。

 随分と酷い感想だが、しかしその場にいる誰もが似たようなことを考えただろう。

 

 

 180センチに届くか届かないかくらいの背丈で、少々貴族趣味な衣装。

 黒のマント、黒の靴と手袋、ここまででも相当だが、まぁしかしここまでならファッションセンスだと言われても納得するだろう、何とか。

 しかし、一点だけ。

 

 

「か、仮面……?」

 

 

 そう、その人物は黒い仮面で自分の顔を覆っていた。

 アップで映像を映せば、黒いトゲや金のラインで装飾されているらしいことがわかる。

 いや問題はデザインではなく、何故あんな仮面で顔を隠しているのかと言う点だ。

 まぁ、普通に考えれば顔を見られたくないのだろうが。

 

 

『枢木スザクを貰い受けたい、コイツと交換でな』

 

 

 ナイトポリスの集音声の問題か、それとも単純に距離があるためか、ジェレミア側の声を拾えない。

 だが何故かゼロと名乗った男の声は問題なく拾える、マイクか何かで周囲に声が通るように拡声しているのかもしれない。

 ただ、「枢木スザクと交換だ」と言う部分だけが青鸞の耳に届いた。

 

 

(交換!? 取引!? そんなことが……)

 

 

 出来るはずが無い、ブリタニア軍はテロリストの要求を絶対に飲まない。

 必要とあれば人質になった自国民ごとテロリストを殲滅するのがブリタニアと言う国だ、そんな国の軍隊に取引など通用するはずが無い。

 ましてスザクは、クロヴィス総督を殺した大逆罪の。

 

 

 青鸞は混乱した、スザクの身柄を要求するということはあの仮面の人物は日本人なのか、どこかの組織に属するテロリストなのか?

 スザクの生まれを知っているのか、それとも他に理由があって?

 先程までスザクのことを考えていただけに、混乱の度合いはいっそう強まった。

 

 

『違うな、間違っているぞ――――ジェレミア』

 

 

 ディスプレイの中で、白の御料車が爆ぜた。

 どうやら張りぼてだったらしい、そして張りぼての中には奇妙な物があった。

 それは、半球体の塊だった。

 デコボコと突起やケーブルがついており、球体の横に付属している四角い機材に直結している。

 

 

『クロヴィスを殺したのは――――』

 

 

 アレは……と、青鸞が感じた疑問を解決する前に。

 ゼロと名乗った仮面の男は、大仰な動作で宣言した。

 

 

 

『――――この、私だッ!!』

 

 

 

 ――――この時、青鸞が感じた感情は2つだ。

 疑念と、失望。

 まず第1に、疑念……あんな仮面の言うことを鵜呑みにするのかと言うこと。

 しかし、皇族殺しを宣言して得をする人間がいるだろうか、それも警備網のど真ん中で。

 だから嘘ではないのかもしれない、そこで出てくるのが第2の感情、失望だ。

 

 

 失望、それはスザクに対する感情だ。

 言葉にするなら、「ああ、やっぱり」。

 やはり、あの人は日本人の味方などでは無かったと言う感情だ。

 何故か、青鸞は自分の胸の奥が抉られたような深い失望を感じた。

 自分でも、不思議な程の失望感だった。

 

 

(はは、何だ、もしかして期待してたの? ボク……)

 

 

 そんな期待、するだけ無駄なのに。

 あの人は父を殺して、ブリタニアに走った、ただの裏切り者。

 間違っている、期待することが――――期待してしまう自分が、間違っている。

 だから……だから、青鸞は乾いた声で笑った。

 

 

『ほぅ、私を殺すか? 良いだろう、そうしたければそうするが良い。だが私が死ねばアレが……「オレンジ」が公表されることになるが、それでも良いのかな?』

 

 

 ナイトポリスのセンサー類は変わらず音を拾ってくれている、だがこれまでのようなテンションで聞くことは出来なかった。

 しかしそれでも、ゼロがジェレミアに銃を向けられる段になって、少しだけ迷った。

 はたして、スザクを助けようとしているあの仮面の人物は何者かと。

 ゼロがもし無実の日本人(名誉ブリタニア人だが)を救おうとしている、それだけの人間なら……。

 

 

『公表されたくなければ……』

 

 

 だとすれば、日本人だとすれば。

 だがこの状況下から何が出来るだろうかと、何とは無しに思考を回していると。

 

 

『……私達を、全力で見逃せ!!』

「見逃せって、そんなことが出来るわけが……」

 

 

 呟いた矢先、不可解なことが起こった。

 先程までゼロに銃を向け、何かしらの言葉を叫んでいたジェレミアが銃を下げたのだ。

 しかも後ろの護送車に何かを告げた直後、枢木スザクの身柄が解放されたのである。

 拘束衣はそのままだが、しかし銃を持った兵士の下からは解放された。

 ゆっくりと道路の上を歩くスザクの姿を、青鸞は信じられないものを見るかのような目で見つめた。

 

 

 何だ? 何が起こった? いったいどうしてスザクは解放された?

 ブリタニア軍が要求を飲むのか? まさか、そんなはずは無い。

 だが現実として、スザクはゼロの目の前にまで歩いて行った、撃たれることも捕らえられることも無く。

 知らず、青鸞は操縦桿を強く握り締めていた。

 

 

「あ……!」

 

 

 次の瞬間、御料車から煙が出た。

 それはチャフスモークのようで、沿道の人々が煙をかぶっても倒れない所を見ると毒ガスなどの類では無いらしい。

 そして同時に、さらにあり得ない出来事が起こった。

 

 

 ゼロとスザクが逃げるのを止めようとした他のサザーランドを、ジェレミアのサザーランドが阻止したのである。

 それは明らかにゼロとスザク、そして車から飛び出してきた赤髪の女の逃亡を助ける行為だった。

 正直、意味がわからない。

 ゼロの言っていた「オレンジ」が関係あるのか? だが。

 

 

「……兄様は? それと、ゼロは――――」

 

 

 見つけた、青鸞の位置だからこそわかった、高架下のモノレール・ラインだ。

 そこにもう1機、作業用のナイトメアタイプの機体があったようだ。

 スザクはゼロ達に連れられる形で高架から飛び降り、その機体が張ったネットを経由、モノレールの貨物車に飛び降りた。

 そしてモノレールが走り出す、ネットを張った機体はサザーランドに破壊されたが……。

 

 

『――――全部隊に徹底させろ!』

「……ッ、何?」

 

 

 通信機から、大音量で男の声が響いた。

 何事かと思うが、ニュースで聞いたジェレミアの声に似ているような気もする。

 

 

『いいか、全力だ! 全力を挙げて奴らを見逃すんだッッ!!』

「はぁ?」

 

 

 意味不明の通信だ、実際、何のことを言っているのかわからない。

 まぁ、良い。

 青鸞は元々ブリタニアの言うことを聞く必要は無い、だが。

 

 

「…………」

 

 

 ディスプレイの向こう、モノレールが高速で移動している。

 画像を何枚も重ねて確認すれば、まだ顔が見える。

 スザクの顔が――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『良し……全ての条件はクリアされた。後は予定のポイントでラインから降りれば良い』

 

 

 救われた形になったスザクは、自分が今どうなっているのか、自信が無かった。

 自分は軍事法廷に出廷するはずだった、だが、何故かモノレールに乗って逃げている。

 逃げている……ルールを曲げて?

 自分は、また。

 

 

「……キミは、いったい……?」

『話は後だ、まずは安全なポイントまで……』

 

 

 自分の横にいる仮面の人物、確かゼロと言ったか。

 ゼロを見上げる、するとゼロはじっとモノレールの後方を見つめていた。

 釣られるようにそちらを見れば、どんどん遠ざかる高架道路が見えた。

 

 

『……ほう、どうやら少々骨のある奴がいたようだな』

「え?」

『追っ手だ』

 

 

 マイク越しの声に顔を上げれば、モノレールを追いかけるようにレール上を走る機体があった。

 ナイトメアだ、だがサザーランドでもグラスゴーでも無い。

 青と白のカラーリング、警備用の軽武装のナイトメア――――ナイトポリスだ。

 だがスザクは知らない、いやゼロでさえも。

 そのナイトポリスに乗っているのが、ブリタニア人では無いことを。

 

 

 ……何をやっているんだ、自分は。

 ナイトポリスの中で、青鸞は唇を噛み切っていた。

 これは明らかに命令の範囲を逸脱している、ナイトポリスのランドスピナーをレール上を走らせ、スザクを乗せて逃げるモノレールを追いかけている。

 

 

「……どうして」

 

 

 今度は、自分に対する問いかけだった。

 どうして、してはならないと頭ではわかっているのに。

 どうして自分の身体は、操縦桿を前に倒している?

 

 

 ナイトポリスが加速する、赤髪の女が走らせるモノレールを追って。

 青鸞が追う、それに対してゼロはスザクの前に出て彼を隠した。

 まるで、彼を守ろうとするかのように。

 

 

「おい、どうするんだ!?」

『大丈夫だ、問題ない』

 

 

 運転席の窓から顔を出した赤髪の女――こちらも顔をバイザーで隠しているが――に、ゼロは平然と応じた。

 

 

『私もまさかジェレミアが全ての部下を御せるなどとは期待していない、当然、策はある』

 

 

 そう言ってゼロが懐から取り出したのは、掌サイズのスイッチだった。

 どこかチェスの駒を思わせるデザイン、その頭にある赤いボタンを押す。

 次の瞬間、モノレールのラインが爆発した。

 

 

 声を失うスザクの前でオレンジ色の閃光が走り、衝撃と共にラインが崩れる。

 ナイトポリスに直撃するタイミングだった、同時に装甲を抜ける程ではない。

 絶妙に威力調整がされていたのか、モノレールの高架が崩れることも無かった。

 

 

『ふ、これで――――何ッ!?』

 

 

 初めて、ゼロの声が動揺した。

 爆発に巻き込まれたはずのナイトポリス、それが何故かラインの外から復帰してきたのである、ゼロでなくとも驚愕の事実だろう。

 しかし、スザクには見えていた。

 

 

 あのナイトポリスは、爆発直前にラインの外に自分で跳んだのだ。

 そして高架そばのビルの壁にスラッシュハーケンを撃ち込み、巻き戻しで機体を爆発の威力の外へと逃がした。

 すると当然、ラインからは外れるのだが……スラッシュハーケンの片方を壁に刺したまま機体を返し、もう一本のスラッシュハーケンを無事な側のラインへと放って戻ったのである。

 

 

(ナイトメアの操縦に慣れている、それも、かなり実戦で……警察の動きじゃない)

 

 

 スザクが見守る中、ゼロが次の策に出た。

 流石にあれ一つと言うわけではなかったらしい、次の策は再びチャフスモーキングでの目晦ましだ。

 車両にあらかじめ備えておいたらしい、どこからそんな機材をと逆に感心する。

 

 

 さらに驚嘆なのはこの後、モノレールのライン変更の分岐点に差し掛かった時である。

 本来ならモノレールに分岐点など無いのだが、これは租界へ物資を輸送する特別ラインだ。

 租界の各区画へ繋がっている、ポイント切り替えも電気式だ。

 ただ手動のはずだが、いったいどうやって……他にも仲間がいるのだろうか。

 

 

「……ッ、しまった!」

 

 

 ここまで来ると、もはや本来の任務がどうとかそう言う話ではない。

 青鸞がチャフスモークの外に出た時、目の前にモノレールはいなかった。

 分岐だ、左のディスプレイを見ればビルの間に微かにモノレールが見えた。

 まだ遠くない、だから青鸞は操縦桿を前に倒してペダルを踏み込んだ。

 

 

「こん……のぉっ!」

 

 

 まずジャンプ、ラインの上に差し掛かった高速車両用道路の壁に機体の足をぶつけて乗せる。

 そしてスラッシュハーケンを発射、左のビルの壁に刺して巻き戻す。

 右手側にある端末を指先で叩いてランドスピナーの角度を変え、狭いビルとビルの間に機体を通す。

 結果、ビルの隙間をナイトポリスの機体が駆けた。

 コンクリートの壁とランドスピナーの間で火花が散り、高速で機体を走らせる。

 

 

『何だと……!』

 

 

 ゼロが右を振り仰ぐ、そこには青と白のカラーリングを成されたナイトポリス。

 ラインに機体を着地、再び始まる追走劇。

 ちっ、と、仮面の下で確実にゼロは舌打ちをした。

 

 

 それは青鸞も同じだった、彼女はナイトポリスのディスプレイに映る仮面の男を睨んだ。

 次から次へと自分を撒こうとする相手、しかもやり口が妙にいやらしい。

 そして、皮肉なことに青鸞とゼロは同時に同じ台詞を吐いた。

 

 

「『しつこいッ!!』」

 

 

 ゼロは驚愕した、まさか一介の警備ナイトメアの操縦者にこれ程の技量があろうとは。

 ブリタニアの人材の層の厚さを表しているようで憎らしいが、しかし認めるべきは認める。

 ただ、今に限って言えばゼロの目的達成の邪魔でしか無かった。

 

 

 とはいえ、まだ最後の策がある。

 彼は懐から携帯電話のような小さな端末を取り出した、そして素早く一連の数字を打ち込む。

 次の瞬間、彼らが乗っている車両より後ろの車両が全て切り離された。

 

 

「……ッ!」

 

 

 ナイトポリスの中で青鸞は息を呑む、しかし対応できないタイミングではない。

 機体を飛ばして車両の上に乗せる、そしてそのまま……という所で彼女は機体を急停止させなければならなかった。

 何故なら、車両の上に壁があったからだ。

 高層ビルの中にラインが通っていて、トンネルのようになっていたからだ。

 

 

『ふふはははは、私達を追うのに集中するあまり、地理の確認を怠っていたようだな。ラインの運営会社とビルの地主の妥協で出来た特殊構造物、これの入り口を切り離した車両で塞いでしまえば……』

 

 

 仮面の中でゼロが笑う、しかしその声は青鸞には届かない。

 彼女は車両の上でナイトポリスを立ち往生させたまま、ビルの向こうに続いているだろうラインを追えるかどうかを思考する。

 だが……。

 

 

『青鸞!!』

 

 

 ナイトポリスの通信機ではなく、座席下に放られた解放戦線の通信機から怒声が響いた。

 千葉だ、その声を聞いた途端、青鸞は自身の中で何かが冷えていくのを感じた。

 怯んだように息を呑み、通信機にそのままの視線を向ける。

 

 

『何をしている、撤退だ!』

「な、凪沙さ……ぼ、ボク、ボクは」

『言い訳は後で聞く! 早く降りて合流ポイントに向かえ、おいていかれたいのか!?』

「あ……ぅ……」

 

 

 ディスプレイを見る、車両と高架、ビルの壁で塞がれている前を見る。

 そこに、いたのだ、さっきまで。

 ほんの少し前まで、そこにいた。

 ……スザクが、そこにいた。

 

 

 聞きたかった、どうしてと。

 答えてほしかった、理由を。

 問いかけたかった、自分はどうしてこんな真似をしたのか。

 何もかもが彼女の思い通りにならなくて、そう思ったら、もう、胸の奥がぐちゃぐちゃで。

 だから。

 

 

「――――アァッ!!」

 

 

 操縦桿に拳を叩きつけて、青鸞は声を上げた。

 操縦桿を殴りつけた拳を握り締めて、震えて、俯いて、ただ。

 ただ、声を上げた――――。

 




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 今回の名誉ブリタニア人の描写は、私にしては優しかったかもしれませんね(え)。

 冗談はさておき、今話はやや無理をして青鸞をトーキョー租界へ。
 いえ、単純にルルーシュを出したかっただけです。
 でも、それ以上にナナリーを出したい。
 具体的には、ルルーシュにナナリーナナリーとお騒ぎさせたい、でもそれをやるとギャグに行ってしまいそうで……くそぅ。
 そんなわけで、次回予告です。


『……弱い。

 何て弱さ、何て脆弱、こんなことで父様の跡を継げるはずが無いのに。

 もっと、自分を強く持たないと。

 いつまでも、準備期間ではいられない。

 もう、弱い自分は嫌だから……』


 ――――STAGE6:「次へ の 胎動」

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