今話は暴力的・性的・ショッキングな表現があり、不快感を感じる場合があります。
また、コード・ギアスに関してオリジナル要素が入ります。
苦手な方は、ご注意ください。
では、どうぞ。
ある夜、1人の少女が月を見上げながら物憂げな溜息を吐いていた。
ウェーブがかった長い髪に、閉じた瞳、月明かりに照らされる白い顔は、満点の星空の下で異常に美しく見えた。
それはもしかしたなら、車椅子と言うファクターがあるからかもしれない。
「はぁ……」
もう、何度目の溜息だろうか。
何度目の、と言うか、ここ最近は毎夜のことでもある。
そんなことをしても何も変化しないことがわかっていても、それでも溜息を吐いてしまうのは、心の中に澱みがあるからだろう。
カゴシマの北、ミヤザキとの境界に存在する別荘地。
山中にある木造のログハウスで、少女は寝室のテラスから夜空を見上げていた。
人里から離れたその場所から見上げる夜空は透き通っていて、目には見えないが、美しいのだろうと少女は思う。
「お兄様、青鸞さん、咲世子さん……」
どこかに行ってしまった家族や友人を想って、少女……ナナリーは呟く。
呟いた名前の主は、今は傍にいない。
ただどこに行ったのかも、ナナリーは教えて貰っていない。
何かをしているのだろうと思う、それもナナリーには言えないようなことを。
だがナナリーはそれを確認することはしない、困らせてしまうだろうから。
困らせてはいけない、ナナリーは幼い頃から……車椅子に乗り始めてから、ずっとそう思っている。
手をかけさせてはいけない、困らせてはいけない、面倒を感じさせてはいけない。
(……お兄様が、そう望んでいるから)
兄の望む妹であろうと、ナナリーは心に決めている。
あんなに自分のことを思ってくれているのだからと、常に自分に言い聞かせている。
大人しい、無力で儚くて、守らなければならない程に弱々しい。
そんな存在であろうと、そう決めている。
しかしそうは言っても、胸は痛くなるのだ。
「……?」
その時、ナナリーの敏感な聴覚が物音を捉えた。
何かと思い、車椅子を回して寝室へと戻った。
最初は共に暮らしているノエルが紅茶を持ってきてくれたのかと思ったが、どうも違う様子だった。
いつもの軽い足音では無く、何か重いものが壁にぶつかるような音だった。
目が見えない分、耳は良い……死活的に良い。
「……ノエルさん? あ……」
スライド式の扉を開いて廊下に出れば、つん、とした匂いが鼻腔を擽った。
錆びた鉄の匂いと言うべきか、独特の酸味を感じる匂いだ。
香料の類では無い、そしてナナリーの本能はその正体が何かを正確に教えてくれた。
数年前、まだ目が見えていた頃、その最後。
全身で、その匂いの中に包まれたのだから――――。
「……ノエル、さん?」
寝室から廊下に出て右に行こうとした時、車椅子の車輪に何かがぶつかった。
ナナリーがいる家で、車椅子の移動の邪魔になる物を通路に置くはずは無い。
だが今は何か柔らかいものにぶつかって、ナナリーは動きを止められてしまった。
手を伸ばすと、さらりとした髪に触れた。
その髪の感触は知っている、着替えやお風呂などの世話をされる中で何度も触れた髪だ。
それが、ナナリーが呟いた名前。
ノエル・ムーンウォーカー、現在、このログハウスでナナリーの世話と護衛を行っているメイドだ。
母の姿を知るが故に自分に対して失望している人、でも優しい人だ。
その人が、今。
「……ナナ……お嬢……に、げ……て……」
……え?
あるいは、目が見えなくて良かったのかもしれない。
状況が理解できず、いつもはさらさらなのに今はぬめり気のある液体で濡れているノエルの髪に触れているナナリーの周囲には。
一対の赤い鳥のマークが、ナナリーを取り囲むように、闇の中に浮き出るようにいくつも輝いていた。
◆ ◆ ◆
砂漠において、最も危険な物は何だろうか?
その疑問への解答を、青鸞は今まさに全身で感じている所だった。
灼熱の砂漠のど真ん中と言う、その状況の中で。
「……ぅ……」
乾ききった唇から漏れるのは、吐息ですら無い掠れた呻き声だ。
白のシャツと薄青のロングスカートは砂に塗れて元の色を失い、砂を踏みしめる足は裸足で、乾いて罅割れた肌からは汗の一滴も流れてこない。
太陽の光で痛んだ髪は荒れていて、露出した首元や手などの肌は真っ赤に焼けて、足の裏は皮がぺろりと捲れて水膨れならぬ血膨れがいくつも出来ている。
降り注ぐ太陽によって50度に達しようかと言うその世界は、どこまで言っても広がる砂の山ばかり。
青鸞の足跡を風が消す後ろも、これから足跡が出来るだろう前も、左も右も、ずっと。
砂ばかりで、他には何も無いように見える。
それは視覚を通して青鸞にも見えていて、精神的に彼女を攻め立てていた。
(……もう、何日歩いてるんだろう……)
声に出すことが出来ず、頭の中でそう考える。
しかし疲労と環境と、空腹と水分不足が彼女から思考能力を奪っていた。
今の彼女には、自分の疑問に対して答えられるだけの判断力が無い。
ただ歩く、だが何で歩いているのかもわからなくなってきている。
砂漠に放り出されて、すでに1週間が経過している。
ここは、地獄だった。
人間のいない、1人きりの、地獄だった。
太陽が肌を焼き、風が舞い上げる砂が喉に詰まり、足先が沈む砂は余計な力を使わせる。
衣服の中、もっと言えば下着の中まで、砂でジャリジャリと言っている有様だった。
(……もう、何回……)
常人が何の装備も無しに放り出されて、生きていられる環境では無い。
方角も場所もわからず、しかも他に誰も通らない。
そんな環境で。
(……死んだんだ、ろう……)
生きていられるはずが、無い。
1日目は、とにかく砂漠を抜けるなり誰かを見つけるなりしようと、広間にも関わらず歩き続けた。
暑さは湿度が低い分、40度を超えていても何とか我慢できたが、水分だけはどうしようも無かった。
水分はすぐに乾き、夕方には足元も覚束なくなっていた。
だが問題は、むしろ夜にあった。
砂漠の夜は寒い、どうも緯度が高いらしく、マイナス20度まで下がる。
寒さから身を守る遮蔽物も暖を取る道具も無い、シャツ1枚の格好で耐えられる寒さでは無い。
鍛えていようがいまいが、それは寿命が少しだけ伸びると言う意味しか持たない。
その夜、衰弱した青鸞は凍死した。
しかし、青鸞がその事実に気付くことは無かった。
――――魔女は、死なない。
2日目の朝、何事も無かったかのように目が覚めた。
左胸のコードが彼女を死から蘇らせたのだが、この時はそれに気付かなかった。
ただ常にも増して身体が重く、まともに動けなかった。
結果、2日目と3日目はほとんど動くことも出来ずに死んだ。
……4日目に入り、ようやく青鸞も気付いた。
――――魔女は、死ねない。
だがどうしようも無かった、砂漠の真ん中で今さらどうしようも無かった。
何度も何度も死を繰り返し、何日も何日も死を繰り返し。
生きて動ける時間を精一杯に使い、何とか砂漠を抜けようと歩き続けた。
熱に焼かれて死に、寒さに凍えて死に、飢えて動けずに死に、身の渇きで死に、砂漠の小さな生き物に噛まれて死に、砂嵐に巻き込まれて死に、流砂に飲まれて死に…………。
「……ぁ……」
何度も何度も、何度も何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――何度、も。
死んで、生き返って、死んで、生き返って、死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って。
死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで――生き、返って。
「……ぅ……」
そして、また。
砂に膝をつき、そのまま自分の体重を支えきれずにうつ伏せに倒れた。
頬が焼けた砂を打ち、風が目に砂を入れてもどうにも出来ず、指先すらまともに動かせず……呼吸を証明していた鼻先や口元の砂の動きも、徐々に弱くなって。
死んだ。
うつ伏せに倒れ、腫れぼったい目を閉じて、数分もしない内に呼吸が止まった。
生き返るとは言っても、C.C.のように完全回復するわけでは無かった。
コードが不完全なためか蘇生が不完全で、生き返っても身体のダメージや疲労が残っているのだ。
だから今や、生き返っている間に進める距離も10メートルを切っていた。
もう、常に死んでいると言っても良い。
「……………………」
……風が、息絶えた少女の身体に砂を降らせていく。
その中で、少し離れた砂の上からそんな少女の様子を見ている者がいた。
この暑い砂漠に不似合いな、古代の司祭服を思わせる黒の長衣を着た誰か。
彼は電子双眼鏡を手に、ピクリとも動かなくなった少女を見つめていた。
「……対象、死亡した模様です」
『そう、じゃあそろそろ回収してくれる? 良い頃合いだと思うし』
「御意」
長衣の下の通信機からは、無邪気な子供の声が響いていた。
◆ ◆ ◆
身体全体を包む奇妙な感覚に、青鸞はゆっくりと目を開いた。
すると視界に自然では無い、人工の照明による光が入ってきた。
薄く開いた目をさらに眩しげに細めて、青鸞は顔を下へと動かす。
少女の身体は、薄い赤色のゼリーに包まれていた。
いや正確には、テニスボールくらいの大きさのゼリー状の物体に身体が覆われていたのだ。
イメージとしては、浴槽にボール大のゼリーを敷き詰めた様子を思い浮かべてくれれば良い。
その中に、細い少女の裸身が沈められている。
(……なに……?)
未だぼんやりとした思考で、浴槽――というより、カプセル――の縁に手をかけて身を起こす。
ゼリーは特にべたつくことも無く滑り落ちて浴槽へと沈む、ぷるぷるとした表面に腰から下を包まれて、なかなかに気持ち良い。
掌を開閉すると、記憶の中で荒れ果てていたそれは随分と綺麗になっていた。
それから周囲を見て、カプセルを中心に15畳程の部屋にいるのだと気付く。
白い壁に覆われたそこは病院のようにも見えるが、壁や床を這う配管やコード、ケーブルなどが違うことを教えてくれる。
それ以外にある物は青鸞のいるカプセルの他に、傍に置かれている白のチェアだけ。
そしてそこには、黒に近い濃い蒼の衣装が置かれていた。
(……服、か)
流石に裸でいるわけにもいかない、多少思考がはっきりしてきた青鸞はカプセルから出た。
少し高いが、縁にお尻を置いて、ゆっくりと足を出し滑るように降りた。
ここに来て、青鸞は少し警戒した。
意識の覚醒が警戒心を呼び起こした、この部屋は何だ。
少なくとも、砂漠では無い。
それでも裸よりはと身に着けた衣装は、どこか宗教的な印象を受ける物だった。
司祭が着る
着方がわからず苦労したが何とか着込んだ、だが確信した。
(ギアスの紋章……)
首からかけた
鳥が空に舞うような、独特のマークが。
ギアスの紋章、すなわちここは。
「やぁ、起きたんだね――――良く似合っているよ、枢木青鸞」
壁だと思っていた場所に亀裂が走り、不意に開いた。
自動扉の向こうからまた強い光が漏れて、青鸞は手で光を遮りながら目を細めた。
徐々に光量に慣れた先に、小柄な人影がある。
その人物は、黒の長衣で覆った奇妙な集団を従えていた。
その全員の衣装に、ギアスの紋章が刻まれている。
「饗団へようこそ、歓迎するよ」
「……っ、V.V.……!」
やはり、ここは饗団のアジトだ。
それがわかって身構えるが、状況が好転するはずも無い。
むしろV.V.は、それをおかしそうに見やって。
「あれ? 今さらそんな態度を取るのかい?」
「何を……ボクをこんな所に連れて来ておいて!」
「覚えていないのかい? キミが自分から連れて来てほしいって言ったんだよ?」
本当に面白そうに、V.V.が笑う。
「覚えていないのかい? 砂漠で、キミは僕達に命乞いをしたんだよ」
「な……」
さっ、と青鸞の顔から血の気が引いた。
だが記憶が無い、そんなことを言った覚えは断じて無い。
確かに砂漠越えは辛かった、苦しかった、何度死んだかわからない。
だけど、それで命乞いをする程落ちぶれたつもりは無かった。
「恥ずかしがることは無いよ、枢木青鸞。人間、本当に苦しかったら藁にも縋るものだからね」
「……嘘だ」
「嘘? 言ったろう、僕は嘘が嫌いなんだ。それにだったら、どうしてキミは僕達の治療を受けられたの? 身体の調子、随分と良いでしょう? コード保持者に対する医療技術を持っているのは、僕達だけだからね」
「嘘だ」
「キミが僕の手を取ったんだよ、命乞いしながらね」
「嘘だ!!」
身体が震える、そんな、そんなはずは。
そんなはずは無い、そんなはずは無いはず、なのに。
でもV.V.は、コーヒー店でも差し出していた右手を見せながら。
「もう死にたくない、助けて、助けて……うわ言みたいに繰り返していたよ。凛としたエリア11の姫が見る影も無かったね。あまりにも見ていられなくて、僕も助けてあげることにしたんだ」
「う、嘘……」
「だから僕は嘘が嫌いなんだ、嘘を吐くような人間は絶滅すれば良いと思う」
V.V.が歩み寄ってくる、合わせて青鸞は後ろへと下がる。
だがすぐ後ろにはカプセルがあって、落ちないようにたたらを踏んだ。
そして、V.V.が青鸞の目を覗き込むように身を爪先立ちで顔を近づけてくる。
「さぁ、僕はキミを助けてあげた……契約を果たしたんだ。コード保持者にとって契約は絶対、C.C.から教えられなかったかい?」
「そ、それは……も、元はと言えば、貴方がボクを砂漠に……!」
「でも僕はキミを救った、わかるだろう?」
わかるだろう?
「キミはもう、僕のモノだ」
「ち、違……」
「違わないよ」
ようこそ。
「饗団へ」
青鸞の中で、何かが音を立てて罅割れた。
光の弱まった少女の瞳を見て、V.V.は1人微笑したのだった。
無邪気で、それでいて邪気に溢れた笑顔で。
◆ ◆ ◆
饗団のアジトは、思ったよりも近代的で、同時に原始的だった。
どこかの地下なのだろう、岩盤を削って作り出した広い空間に、外見上は岩で出来たビル郡が立ち並んでいる。
照明の光が紫に近いのは何か理由があるのだろうか、それに気のせいで無ければ空気が少し薄いようにも感じる。
少しだけ、ナリタの光景を思い出した。
今はもう失われてしまったし、ここのように近代的でも無かったが、ナリタもまた岩盤に囲まれた空間だった。
最も、存在理由はまるで違うが。
「キミは神根島の遺跡を見ているんだよね? ならわかると思うけど、ここも神根島とルーツを同じくする遺跡なんだよ」
「…………」
「こう言う遺跡がある所なら、僕達はどこにでも移動できる。また後で説明してあげるけど、専用の移動方法があってね……まぁ、楽しみにしててよ」
「…………」
特に返答が無くとも、V.V.は構わず上機嫌に話し続けている。
彼が歩いているのはアジトの中枢とも言うべき中央棟だ、ここには饗団の実験施設が多数あり、V.V.直属の機関として機能している。
V.V.は、そこを案内している所だった。
ちらりと振り向けば、広く明るい通路を歩く青鸞の姿が見える。
それに、V.V.は笑みを深くした。
蜘蛛の巣にかかった蝶を見るのは、初雪を踏みつける快感に似た心地を彼に与えた。
「…………」
だがそれを見ても、やや虚ろな目をした青鸞は反応を返さなかった。
俯き気味に、ロングスカートの裾を僅かに揺らす程度の速度でV.V.について歩いている。
その周囲には黒の長衣の饗団員が囲んでいるのだが、気にした様子も無い。
それでも、新たな空間に出た時には少し驚いたような顔をした。
「ここは……?」
「ここが饗団の中枢――――ギアスの実験棟だよ」
ギアスの実験棟、それは聞くからに不吉な印象を青鸞に与えた。
そしてそれは、正しかった。
青鸞の目の前に広がったのは、白く広い、巨大な空間だった。
壁も床も天井までも白く染め上げられた空間は個室で仕切られていて、その一室一室に薄い灰色の衣服を着た子供がいた。
10歳くらいだろうか、着ている衣服の簡素さが病院服に見える。
男の子がいれば女の子もいるが、民族や人種にばらつきがある様子だった。
共通しているのは、子供達の傍にはいかにも科学者然とした白衣の男女がいることだ。
カルテや書類、端末を手に、身動き一つしない子供達の前で何かを話し合っている。
「……あの子達は何? 何をしているの?」
「うん? ああ、コレかい?」
青鸞の問い方が不味かったのか、V.V.は通りがかった個室の前で止まった。
個室は通路側が分厚いガラスになっていて、通路側からは中が見えるようになっている。
青鸞は子供達全体のことを聞いたのだが、V.V.はこの個室のことを聞かれたと思ったらしい。
「えーと……何だったかな、確かリトアニアあたりで拾った戦災孤児だったと思うよ。ブリタニアの植民エリアの身寄りの無い子供が僕らの実験材料になるから、ああ、実験って言うのはもちろんギアスの実験なんだけどね」
反吐が出そうな内容だった。
しかし納得もする、ブリタニアと協力関係にある饗団は、ブリタニアから「実験材料」の提供を受けていたのだ。
「資源」の供給と、「商品」の提供、実にビジネスライクな関係だ。
扱っているものが、人間の子供で無ければ。
そしてその個室では、小さな女の子が手術台のようなベッドに寝かせられていた。
顔は見えない、何故なら女の子の顔には無骨な仮面が張り付いていたからだ。
ただ無数のコードに繋がったそれは仮面と言うより、フルフェイスのメットのように見えた。
数人の白衣の男女が見守る中で、女の子の手足の先だけが時折ビクビクと震えている。
「何をしてるの?」
「だからギアスの実験だよ、アレは確か……『検分』のギアスだったかな。一度見た物を記録し続けるギアスで、どれくらい記録できるか実験してる所」
「記録って、どのくらい?」
「さぁ、1エクサバイトは簡単に超えたって話だけど……汎用性が無くてね。それにアレ、眠っている時に脳内で情報が再生されるから、実験体の寿命が短いんだ」
さらに不吉なことを言った、だがV.V.の表情に変化は無く、むしろつまらなそうだった。
まさか、と思って周囲を見ると、確かに他の子供達も似たような構図になっていた。
何かの器具や薬品を使われて、何らかの記録を取られている。
ギアスの実験などとは言っても、要するに人体実験では無いか。
何かを言おうとした時、ふと隣の個室が目に入った。
そこには白衣の科学者達はおらず、被験体と思わしき人間が1人いるだけだった。
しかも子供では無く、大人の女性で……お腹が、ぽっこりと膨れていた。
「ああ、勘違いしないでね。僕達も流石に
様子がおかしい、
手足を革の枷で拘束されているのはともかく、太腿までしか覆っていない衣装、その足の間から大量の水を噴き出していたのである。
失禁では無い、僅かに赤い色が混ざっているあの水は。
「……は、破水……!」
「ちょっと違うかな」
何でも無いことのように、V.V.は言う。
「正確には流産、だね。お腹の中の子供にギアスを与えたら妊婦にどんな影響が出るかって実験なんだけど……まぁ、どっちも期待外れの結果だったかな」
「な……何を、馬鹿な、何を!」
青鸞の瞳に光が戻った、V.V.の胸倉を掴み上げる。
「開けろ!!」
「……何をそんなにムキに」
「すぐに!!」
青鸞の剣幕に、V.V.はやれやれと首を竦めた。
それから周囲の黒衣に手で合図をして、妊婦の個室の扉を開いた。
扉と言っても、ガラス全体が上に上がる構造だが。
走り、飛び込んで、妊婦の女性に飛びつく青鸞。
放って置けなかった、ナリタで命が生まれる瞬間を見ていた彼女だから。
妊婦の女性の手を取る、虚ろな目をした妊婦は青鸞に気付いた様子は無い。
それでも青鸞は大きな声で呼んだ、母親となるはずだった女性に声をかけた。
「大丈夫!?」
「……て……ぇ……」
「え、何……何ですか!?」
何事かをうわ言のように呟く女性に耳を寄せる、すると。
「こ゛ろ゛じ゛て゛」
時間が止まった、ように感じた。
それでも、女性は繰り返すように。
「ころして、ころして……にどと、ぶりたにあにはむかいません、だからころして、ころして、ぶりたにあにしたがいます、だからころして、おーる、おーるはいるぶりたにあ、おーるはいるぶりたにあ、おーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあ……」
ガクガクと身体を震わせながら、ただただブリタニアへの屈服の言葉を紡ぐ妊婦。
明らかに、そしてあまりにも様子がおかしくて、青鸞は思わず怯んだ。
何を言っているのかわからない、子供が流れようとしているのに、関係の無い言葉をうわ言のように繰り返している。
「彼女はね、主義者だったんだよ」
襟元を直しながら、V.V.が青鸞の背中に声をかける。
主義者、つまり彼女はブリタニア人だ。
ブリタニア人でありながら、ブリタニアの政策に反対する人々の総称。
「チャールストンだったかな? 数ヶ月前に主義者の拠点が潰されて、そこで捕縛されてここに来たんだよ」
「……チャールストンの、主義者?」
ふと、記憶を刺激された。
ナイトメアに乗る自分、旧要塞跡を殲滅する自分、主義者を捕縛する自分。
ナイトオブイレヴン、セイラン・ブルーバード。
吐き気が、した。
妊婦から3歩後ろに下がり、ヨロめきながら口を押さえる。
胃の奥を抉られるような心地に、瞳が揺れた。
視界が、グルグルと回る。
ガクリと、膝から落ちた。
耳には、妊婦の屈服の言葉が届き続けている。
「ボ、ボク……ボクが、ボクが……?」
「まぁ、気にすることじゃないよ。最初は無理かもしれないけど、これから慣れていけばさ」
まるで、アルバイトで仕事を後輩に教える先輩のような軽い声音で。
ぽん、と右手で肩を叩いて、V.V.が笑顔で言う。
カタカタと震える青鸞の瞳は、再び色を失いつつある。
それに対して笑顔を浮かべると、V.V.は小さな指先で青鸞の顎先を掴んだ。
くいっ、と上向かせて、光の無い瞳を覗き込む。
「――――さぁ、教えてあげる」
全てを。
そう告げて、告げた後に、赤い輝きが意識を埋め尽くした。
◆ ◆ ◆
――――最初は、ただ「それ」を崇めていた。
人々はその「何か」を崇め、畏れ、奉っていた。
古代と言う閉じた世界の中で、「何か」は人々にとって神にも等しいものだった。
人々は「神」を畏れ、巫女を通じて崇め奉り、日々を過ごしていた。
だが時代が進むと、事情が変わってきた。
通信・移動手段が進歩して、人々は自分達が崇めている「何か」が世界中にあることに気付いた。
そうした人々が結びついて、交流を持つことで、彼らは興味を持った。
自分達が崇めている「これ」は、いったい何なのだろうと。
そして、ギアス饗団は生まれた。
「これは……?」
青鸞は、セピア色の世界にいた。
まるで古い映画のように視界が擦り切れているが、それでも自分がどこかの島の浜辺にいることはわかった。
それも夜らしい、セピア色の空には大きな大きな満月が浮かんでいた。
自分だけが色を持つ世界で、きょろきょろとあたりを見渡す。
気のせいで無ければ、どこか見覚えのある島のような……。
「……今から525年前の、神根島だね」
「……っ」
不意にかけられた声に身構えて、後ろを振り向いた。
普通なら砂が跳ねる勢いのはずだが、そうはならない。
足跡すらついておらず、まるで変化が無い。
記録のように。
「そんなに驚かないでほしいな、これはキミのコードの記録なんだよ?」
「ボクのコードの……?」
「そう、クルルギのコードの記録さ。キミが完全な形でコードを継承するには、必要な知識がたくさんあるからね」
同じ砂浜に立っているV.V.には、やはり色がある。
セピア色の世界の中で、自分達にだけ色がある。
記録、その言葉が青鸞の脳裏で反響する。
コードの、記録。
「……ほら、来たよ」
「え?」
「525年前の夏、この日、クルルギのコードは永遠に失われた。その原因が、来たよ」
どうしてV.V.がそんなことを知っているかは――それこそ、記録を見たのかもしれない――わからないが、だがV.V.の視線を追った。
するとそこに、いた。
色の無い、セピア色の、映画の登場人物のように。
1人の少女が、浜辺に立っていた。
(あれ……?)
その少女は、青鸞と同い年くらいの少女だった。
セピア色の世界で正確な色はわからないが、髪と瞳は黒く、肌は白く、そして顔や腕に独特の紋様を描く化粧を施していた。
服装は簡素な貫頭衣だが、勾玉や数珠のような装飾品で身を飾っている様子だった。
紅を引いた唇や髪、または衣服を気にしては直すその行動は、見るからに乙女だ。
そして青鸞は、何となくその少女に見覚えがある気がした……鏡の前とかで。
それにあの化粧は、確か子供の頃に見たことがある。
枢木神社の、神事の中で。
考え込んでいると、不意に少女が喜色を浮かべて顔を上げた。
「……っ」
少女の視線を追って、息を呑んだ。
何故ならそこには、少年がいたから。
色はわからない、だが顔立ちはわかる。
……その少年は、スザクに似ていた。
500年前と言うだけあって、どこか時代劇のような印象を受ける。
着物と袴、腰に差した一本の刀。
服装は違えど今と変わらない、青鸞の知るスザクにダブって見えた。
正直、見れて嬉しい顔とは言えなかった。
しかも、である。
「おや、はは、これは面白いね」
「……っ」
面白そうに笑うV.V.とは裏腹に、青鸞はさらに息を詰めた。
何故ならその剣士の少年と貫頭衣の少女が、V.V.と青鸞の目の前で抱き合ったからである。
それもハグなどの軽いものでは無く、互いの背中に手を回して抱き締める深いものだ。
少年も少女も満たされたような、幸せそうな顔で抱き合っている。
「位置的に見えないだろうけど、あの女の子がクルルギのコードの保持者だよ」
「……そう」
「最後の保持者、彼女を最後にクルルギのコードは永遠に失われることになった」
「最後って……って、ちょっと……!?」
V.V.に言葉を返そうとした時、青鸞は目を剥いた。
目の前で抱き合っていた少年と少女が、お互いの顔を少しずつ近づけていたからだ。
キス。
その単語が脳裏に浮かんだ時、青鸞は動揺した。
ちょっと待て、と。
青鸞の顔を持つ少女とスザクの顔を持つ少女がキスをしようとしている、正直、どう受け止めれば良いと言うのか。
あーうー、と慌てるその姿を、何と形容すべきだろうか。
「あ……?」
しかし結局、少年と少女の唇が重ねられることは無かった。
何故ならば、少年の背中に一本の矢が突き立ったからだ。
そしてそれは2本、3本と続き、口から鮮血を散らして少年が砂浜に膝をつく。
力無く崩れ落ちる少年を抱きとめながら、少女が悲鳴を上げる。
音は無いが、悲鳴を上げているのがわかる。
青鸞が状況の変化についていけずにいる間に、彼女の周囲を無数の人が駆け抜けて行った。
全員が奇妙な木の仮面をつけていて顔は見えないが、手に弓や刀などの武器を持っている。
男だけでなく女も混じっているようだが、状況がさらに変化したのは確かだった。
「な、何、何が」
「落ち着いて、これはただの記録だよ。僕達には何の関係も無い」
ぐ、と言葉に詰まるのは、最低限のプライドが残っていたからだろうか。
そしてそうこうする内にも場面は動く、仮面の集団が貫頭衣の少女を羽交い絞めにして少年から遠ざけ、倒れた少年を取り囲んで。
その背中に、無数の刀の刃が突き立てられる。
少女の悲鳴が、質と量を変えて響いた……ように、見えた。
「彼はね、クルルギの分家にあたる人間だったんだよ」
その凄惨な光景を見ながらも、V.V.は表情一つ変えなかった。
曰く、ただの記録だから、だ。
それこそ、映画と変わらない。
「クルルギのコードは血統で繋がるコード、彼らは本家同士の近親婚で生まれた女を巫女としてコードを刻み、その血の濃さによってそれを保ってきた。それに分家の、それも末端の血筋の男が手を出したんだから、あらゆる理由で排除しようとするだろうね……まして」
ふふ、と笑って。
「本家を守る剣士の家系なんて、血に汚れた家柄じゃね」
V.V.の言葉が終わるのとほぼ同時に、異変が起こった。
仮面の集団が、急に苦しみだして倒れたのである。
その中で1人、あのコード保持者の少女だけが動けていた。
セピア色の世界の中でも、衣装の左胸の部分で何かが輝いているのはわかる。
コードの力でショックイメージを与えて仮面の集団を打ち倒し、少女が無残な姿になった少年に取りすがる。
身体中に穴が開き、もうどうしても助からないような傷を負った少年を。
涙を流して絶叫する少女から、青鸞は目を逸らした。
見ていられない、そう思った。
「始まるよ」
それでもV.V.に促されて、少女を見た。
そして、目を見開く。
何故なら少女は仮面の集団の1人が持っていた短刀を奪うと、貫頭衣を脱ぎ捨て裸になって、逆手に持った短刀を少年の胸に突き刺したからだ。
何度も、何度も、何度でも。
少年の身から噴き出す血を全身に浴びながら、鬼のような形相で短刀を振り下ろし続ける。
歯を食い縛り、涙を流し、コードを激しく輝かせながら。
刃を、振り下ろし続けた――――。
◆ ◆ ◆
「結論から言えばね、彼は助からなかったんだ」
ぴたりと停止したセピア色の世界の中で、V.V.は淡々と告げた。
「それはそうだよね。ギアスの素質があるわけでも無い、ギアスを与えてすらいない男。そんな男がコードを受け継いで助かるなんて御伽噺は、叶うわけが無い。でも面倒なことに、コードの委譲には成功してしまったんだ。それで本家の女は死んで、でも男の身にはコードは発現せず……」
そして、クルルギのコードは失われた。
宿り主を失い、何処かへと消えた。
そして、500年の後。
「キミの身体に宿った、これは奇跡だよ」
連綿と続いてきた、血の刻印。
そう思えば、そして先程の記録を見せられれば、思う所も出てくるだろう。
自然、手は左胸へと伸びる。
「でもね、枢木青鸞。それは奇跡ではあっても偶然じゃ無いんだよ」
にっこりと笑うV.V.、その時、場面が転換した。
視界がぐにゃりと歪むような感覚に、2歩ほどヨロめく。
V.V.が平然としている様子にやや苛立つが、それよりも周囲の変化に気が行った。
そこは、見覚えのある遺跡だった。
崩れそうな岩盤に、奇妙な模様が描かれた大きな扉、祭壇へ続く階段。
神根島の遺跡だ、見間違えるはずが無い。
しかもセピア色、つまりこれもコードの記録だ。
遺跡には人間が1人いる、しかもそれは青鸞の良く知る人物だった。
「……父様?」
「そうだね。枢木ゲンブ、もう首相になってる頃かな、これは」
父だった、父ゲンブが探検家のような出で立ちで遺跡にいた。
だが考えてみれば、当然だろう。
青鸞は父の手記で神根島に導かれたのだ、その父がこの遺跡に来ていないはずが無いではないか。
「興味があったんだよね、まさかクルルギの末裔が遺跡を今も守っているなんて知らなかったからさ」
「え……」
不意にそんなことを言われて、青鸞はV.V.を見た。
V.V.はこちらを向いていない、上から横顔を見下ろす形になる。
目を合わせることは出来なくて、少年の形の良い唇の動きだけを追う。
その時、父ゲンブの方でも状況に変化があったようだった。
それは、扉だ。
扉が開く、赤い輝きを放ちながら。
「とは言え、彼ほどに遺跡に興味を持った人間はそれこそ500年ぶりだろうけど。でもだから、僕もシャルルも……ギアスの遺跡が、エリア11のこの島にあると気付けたんだけどさ」
赤い輝きを放ちながら、遺跡の――――コードを奉っていた祭壇の扉が、開く。
「おかしいとは思わなかった? どうして枢木ゲンブがキミを種にブリタニア皇帝への嫁入り交渉が出来たのか。植民エリアの元指導者の娘なんて他にもいくらでもいるのに、どうしてキミだけが? そして枢木ゲンブはどうして自分だけは取引できると思ったんだろうね?」
「ど、どうしてそれを」
「知っているさ、知っているに決まってるよ。だってさぁ……」
扉の向こうからゲンブの前に現れたのは、1人の少年だった。
長い金髪に、紫水晶の瞳、そして司祭服のような裾の長い衣装。
小柄な、10歳くらいの少年。
扉の向こうの光が後光のように差して、少年を神のように見せていた。
すなわち。
「――――僕が教えたんだもの」
V.V.。
「僕が枢木ゲンブに教えたんだ、コードのことやギアスのことを。そして彼は気付いたんだ、その秘密を独占するブリタニアにはどうあがいても勝てないって。だから彼は諦めたんだ、日本を守る道じゃなく、自分を守る道を選んだんだ」
また、場面が変わる。
次の場面は、とても狭い空間だった。
一番近いイメージは、手術室、だろうか。
先程の子供達がそうしていたように、手術台の上に子供が寝ている。
1人は男の子のようだった、色素の薄い髪色をした少年。
そしてもう1人は女の子、長い黒髪の少女。
別々の手術台の上で目を閉じて、眠っている2人の子供。
それが誰かなど、知りたくもない。
なのに。
「彼は僕の与えた情報の断片を元に、独自にクルルギのコードの再発現に挑戦した」
――――良いのですか、貴方様のご子息とご息女ですぞ。
「な、何……!?」
青鸞は両耳を押さえる、今まで聞こえなかったはずの音が耳に届いたのだ。
それは、コードでは無く……青鸞自身の、肉体の記憶だからか。
いずれにしても、反響するように響く声に青鸞は怯えた。
「国を売って地位を得て、自分は不死になるために」
――――道徳の講義など聞きたくない、で、どうなのだ。
「い、嫌……」
嫌だ、聞きたくない、聞きたくない。
だが耳を押さえた所で声は聞こえてくる、V.V.のクスクスと言う笑い声も。
……そして、青鸞は気づいた。
「ただどうも、息子の方は適正が低かったみたいだね。枢木ゲンブも早くから興味を無くしてたみたい、それ以降は息子とも疎遠だったらしいね。でも枢木青鸞、キミは違った。コードの適正が異常に高かった、先祖返りだ、枢木ゲンブは狂喜した」
――――素晴らしい、アレの母親の血が濃く出たのかもしれんな。
「は、母親……?」
「キミが生まれた後、すぐに亡くなったんだってね。でも知ってるかい? 病院の記録には母子共に健康って残ってるんだよ……なのに、どうしてすぐに亡くなったんだろうね?」
気付いてしまった、V.V.が先程自分で言っていたでは無いか。
父ゲンブが、どうしてコードの……不死の研究にのめり込んでいったのは何故?
国を売り、娘を売って己の保身を図ったのは何故?
諦めてしまったのは、何故?
絶望してしまったのは、何故?
そしてブリタニア皇帝との取引の結果、あの無謀な戦争の引き金を引いたのは何故?
父を、兄を、そして多くの日本人を塗炭の苦しみに放り込んだあの戦争の引き金を引いたのは。
何故?
何故? 何故? 何故? ――――誰?
父を狂わせた、その元凶は――――。
「――――僕だよ」
「あ……」
V.V.。
「僕が枢木ゲンブに教えた。成功すれば僕の役にも立つし、失敗してもブリタニア皇帝が……シャルルが遺跡を手に入れられる。結局、枢木ゲンブは……」
「あ、ああぁ……」
V.V.の横顔、チカチカする視界の中で、それだけがはっきりと映っていた。
形の良い少年の唇が、頬が、笑みの形に歪むのを見ると。
見てしまって、青鸞の中で何かが、ぷつりと音を立てて。
「……僕達「兄弟」の手の内で、踊ってくれていたってわけだね」
そして。
◆ ◆ ◆
少年の肩が、ピクリと震えた。
何かビリビリとした感触に眉を顰めて、少年……スザクは己の肩に触れた。
ラウンズのマントに覆われたそこに触れても、何の答えも無い。
「……青鸞?」
口をついて出たのは、何故か妹の名前だった。
ここはロシア・シベリア地方、対
先年にEUから奪い取った土地で妹の名前を呟いても、聞こえるはずも答えが返ってくるはずも無い。
それなのに、どうしてかスザクは妹の名前を呟いた。
胸の奥が、妙にザワザワとしていた。
酷く落ち着かない、今は中華連邦侵攻に向けた準備を指揮しなければならないのに。
実際、彼の前には数千の兵がいる。
それぞれ持ち場を守り、車両やナイトメアが人の波の外側を固めているのだ。
だが今、スザクの心は目の前の兵を見ていない。
「おーい、どしたスザク?」
「ぼーっとしてる?」
「あ、ああ……いや、ごめん。本当にぼうっとしてたみたいだ」
「まぁ、仕方ないさ。ここん所いろいろあったし、あんま寝て無いしな」
両サイドから同僚――ジノとアーニャ――に声をかけられて、スザクは我に返った。
ジノの言う通り、忙しくて休めていないせいで、変な気分になってしまっただけだろう。
それでも、胸の奥のざわめきは消えなかった。
だが集中しなければ、今からの仕事には耐えられない。
「ほら、来たぜ……吸血鬼が」
ジノにしては珍しく棘のある言い方で、彼は視線で上空を示した。
そこには、駐屯地にある部隊が着陸している様子が見て取れた。
数機の航空戦用ナイトメアが着地する際に生じる強い風が、スザク達のマントを揺らす。
降りてきたのはヴィンセントだ、ただしカラーリングはピンク。
ナイトオブテン直属、グラウサム・ヴァルキリエ隊。
そして当然、直属部隊がいることは……来た。
ナイトオブテン専用KMF、頭に紫色の大きな角を持つ独特のナイトメア『パーシヴァル』が。
その傍には副官機がいる、濃い緋色のスタイリッシュなKMF『モリガン』だ。
すなわち、着地したそれらの機体から降りてきたのは……。
「おやぁ……?」
オレンジ色の髪に紫のメッシュを入れた独特の髪形、何よりも殺意に満ちたその目。
見間違えるはずが無い、スザク達の前で唇の両端を釣り上げている男はナイトオブテン、ルキアーノ・ブラッドリーだ。
フランス上陸作戦の成功に貢献した後、皇帝の勅命を受けて欧州ロシアから極東へと転進してきたのだ。
援軍として。
「ふん、汚らしいイレヴンに、貴族の七光りに、お人形の小娘か……おかしいじゃないか、え?」
わざとらしくスザク達1人1人の顔を見て、下卑た声で告げる。
「
クククク、と、いやらしく笑うルキアーノを。
スザクは、密かに拳を握って睨みつけることしか出来なかった。
その心の中では、戦場で別れた妹の顔が浮かんでは消えていた。
青鸞、彼の妹、彼に「どうして」と問うてくる娘。
だがスザクは、その問いに答えたことは一度も無い。
何故なら彼は、契約したから。
契約、それはギアスに関わる者にとっては特別な意味を持つ。
(……青鸞、僕は……キミを)
帝国最強の騎士、ナイトオブセブン、皇帝の秘密を知る男。
皇帝との契約で今の地位を得た「裏切りの騎士」、枢木スザク。
彼は今この時も、実の妹を裏切り続けているのだった。
◆ ◆ ◆
「あ……あぁ、あ。あ……あああぁ、ああああああぁ! あああああぁああああぁぁああああああああああああああああああああぁああああああああああぁあああああぁっ! あぁあああああああああああああああああああああああああああぁあああああああああぁあああああああああぁぁあああああああああああああああああぁぁぁぁぁっっ!!」
悲鳴、絶叫、悲痛な叫び。
ありとあらゆる表現を使ってもなお表現しきれない叫びが、饗団の実験棟に響き渡っていた。
実験棟の外にいる者にすら聞こえる程の絶叫、それを前にしても、V.V.はなおも涼しげな表情を変えていなかった。
「いや、でも驚いたのは本当なんだよ? 最初に聞いた時は本当に誰のことだからわからなかったし、シャルルに教えて貰ってようやく思い出したんだよ。それくらい、クルルギのコードが再発現するなんて思っていなかったんだ」
「あああああああああああああああああああっ!!」
「その意味では、キミの父親の執念はなかなかだったと言うことだろうね。まぁ、自分は息子に殺されて、しかも実験体にしてた娘が不老不死を手に入れるんだから……」
「あぁっ、あ、っ、う。う゛う゛ぅうああああああああああああああっ!! あ゛あ゛っっ!!」
「……やっぱり、馬鹿だったんだろうねぇ」
クスクスと嘲笑するV.V.を、青鸞を見上げていた。
通路の白く固い床に頬を打ち付けられた状態で、前髪の間から鋭い眼光を滲ませている。
もう光は消えていない、むしろ苛烈なまでの輝きが瞳に宿っていた。
黒衣の饗団員、大の男が4人がかりで押さえつけなくてはならない程に、苛烈に。
「ああああああああああっっ!! あ――――っ! あ――――っ! あぁ――――――――っっっっ!!!!」
「五月蝿いなぁ、レディなんだからもう少しお淑やかにしたら?」
「ぐっ……う゛う゛ぐっ、が! お前……お前、お前お前お前ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇっっ!!」
ぎしり、と、骨が軋んでもなお身を起こしV.V.に飛びかかろうとする青鸞。
負の感情の全てを叩き込んで煮詰めたかのような瞳、その目の端には透明な雫が散りつつあった。
噛み切ったのだろう、唇からは顎先に向けて血が滴り落ちている。
怒り、哀しみ、憎しみ。
そうした全ての感情を得て、喉を潰さんばかりに叫び続ける。
周囲の白衣の科学者達が身を竦める程の叫び、だがV.V.はやはり動じていない。
青鸞よりも年長の不死者としての余裕か、それともそれ以外なのか。
「V.V.……ッ、V.V.うううううううぅぅぅぅっっ!! お前がっ、お前が父様を……父様をぉっ!!」
「僕は声をかけただけだよ、決めたのは彼自身さ。まぁ、結果的に馬鹿を見たのは彼だけど」
「父様を馬鹿にするなぁっ!!」
「……キミも変な人だね。父親に裏切られ続けてるくせに、父親はキミに嘘を吐いていたんだよ?」
「お前がっ……お前が、お前が父様を惑わしたんじゃないか……っ!」
V.V.がゲンブにギアスのことを吹き込まなければ、それに端を発する全ての悲劇を防げたかもしれないのに。
キョウトの腐敗と支配に絶望してはいても、ギアスに縋るおぞましい計画には手を染めなかった。
だったら、クルルギのコードを餌にブリタニアと取引などしなかったろう。
そうすればあの戦争だって起こらなかった、スザクがゲンブを殺すことも無かったかもしれない。
そんな青鸞に、V.V.はやれやれと肩を竦めて見せた。
付き合いきれない、そう言いたげに。
それがまた、青鸞の神経を逆撫でした。
「よくもっ……よくも、お前ええええええええええええええええええええええええええぇぇぇっっ!!」
「はいはい、わかったよ。それよりも枢木青鸞、僕達の仲間になる気は無いかい? 寄る辺無き哀れなコード保持者、500年ぶりのクルルギの血統よ」
「誰がっ! お前なんかにっ!!」
「あっ、そう」
興味なさそうにそう言って、V.V.は指を鳴らした。
するとどこからか、また別の黒衣の集団がやってきた。
その集団の中に、今の青鸞と同じように、黒衣の集団に拘束されている少年がいた。
色素の薄い髪に線の細い身体、白の拘束衣に身を包んだその少年は。
「ロロォッ!!」
「んんっ、ん――っ、んん……っ!」
「ロロッ……ロロォッ! 離せ、離せえええええぇぇっ!!」
猿轡を噛まされたロロは、黒衣の饗団員によって腕を捻り上げられて苦悶の表情を浮かべた。
青鸞は気持ちばかりが急いて、しかし身動きが取れずに食い縛った歯の間から唸り声を上げることしか出来なかった。
それでもなおもがいて自分の下に向かおうとする青鸞の姿に、ロロは場違いながら涙を浮かべた。
「あははは、本当に変な人だね。偽物の記憶を整理できずに裏切り者を弟呼ばわるするなんて。まぁ、それは良いんだけど……キミは良くないよね、ロロ」
「……ッ」
ロロの前まで歩き、V.V.は懐から注射器を取り出した。
封を取って軽く押し、薬液を僅かに出した後、それをロロの首に当てて注入した。
瞬間、ロロは己の身体の中で何かが脈打つのを感じた。
目を見開いて瞳を揺らすが、その瞳には……赤いギアスの輝きが生み出されていた。
しかし時間停止のギアスの効果は広がらない、特殊な薬液のようだった。
「ロロ? ロロ……ロロ!!」
「か……ぁ……う……?」
ぶるぶると身を震わせるロロに声をかけるも、答えは無い。
いや、答える余裕が無いと言った方が正解か。
脂汗を流し、苦しげに喘いでいるロロの姿を見て……はっ、と気付いた。
ロロの右眼のギアスが、ON状態になったまま動かない。
ルルーシュの例を思い出す、ギアスの暴走だ。
今の注射はそのための物、それに思い至って青鸞は血の気が引くのを感じた。
V.V.が言っていた、ロロの時間停止のギアスは。
(心、臓……が……)
心臓が、止まるのだ。
「……っ、あああああああああああああああぁっ!!」
叫ぶ。
ロロの下に、行こうとする。
弟の、下に。
涙を流し、歯を食い縛り、血を流し、骨を折りながら。
そんな青鸞に対して、V.V.は嗜虐的な笑みを浮かべて見せた。
そして懐から別の注射器を取り出して、それをこれ見よがしに青鸞に見せてくる。
おそらく、あれを打てばロロは助かるのだろう。
そうでなければ取引にならない、だがそれはV.V.への屈服を意味する。
砂漠のように記憶に無いなどと言えない、直接的に。
「……殺してやる……!」
低い声で、青鸞が唸った。
危険な色を浮かべた眼光と相まって、獣じみて見えた。
「殺してやる、殺してやる……殺してやる! 殺してやるっ! 殺してやるっ!!」
「はは、僕は死なないよ?」
「それでも殺してやる、お前を……絶対に!!」
「そうかい。僕も鬼じゃないから、ゆっくり考えたら良いよ。まぁ……」
呆れたようにそう言って、V.V.は青鸞に背を向けた。
注射器を傍にいた饗団員に渡して、青鸞に背を向けたまま歩き出す。
息が詰まって床に倒れたロロのことなど欠片も気にせず、子供の歩幅にしては足早に。
「それ、2分も保たないだろうね。早めに決めた方が良いと思うよ?」
「……ッ!?」
青鸞の顔が、悲痛に歪んだ。
一瞬だけ表情と言う色を失ったその顔を、V.V.は楽しげに見やった。
それから次の瞬間には美しく憎悪に歪み、それが絶望に変化するのを見た。
そして。
「あ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!!!」
絶望と憎悪の悲鳴が、上がった。
◆ ◆ ◆
少女の絶叫を背中に受けて心地良ささえ感じながら、V.V.は通路を歩いて行った。
彼女のことは黒衣の饗団員達に任せておけば良い、V.V.はそう思った。
彼には、他にもやらなければならないことがあるのだから。
「シャルルはどうしてる? もう中華連邦に攻め込んだのかな?」
「は、2日前に正式に宣戦布告し、ロシア国境から一斉に南下を始めたと……欧州方面から迂回してきたブラッドリー卿を始め、ラウンズの方々の軍を先頭に」
「そう、ならそっちは良いや。黒の騎士団は?」
「は、そちらは特には……おそらく、中華連邦の対ブリタニア戦に参加すると思われますが」
「ふん……?」
V.V.はふと首を、傾げた。
彼の予測では、キュウシュウの旧日本解放戦線が黒の騎士団から離反するはずだった。
ルルーシュの勢力を内側から崩してC.C.を無防備にし、かつ枢木青鸞を手中にする。
そのために、わざわざディートハルトとか言う幹部に例の写真を流したのだ。
しかし今の所、黒の騎士団の中に動揺は見られない様子だった。
ルルーシュが情報を統制しているのか、それとも内側では大騒ぎなのか。
枢木青鸞の逃亡は、それだけのビックニュースなのだ。
まぁ、仮に影響が最小限でも……傷口を広げてやれば良い。
方法など、いくらでもある。
「まぁ、良いや。とにかく枢木青鸞を黄昏の間に。もう少しコードの記憶を見せて躾けないといけないから」
「は……」
「抵抗するなら殺しても良いよ、どうせ蘇生するんだし」
そう、今は躾だ。
いずれはルルーシュも躾けないといけないだろう、その前準備が彼女だ。
そして彼女のコードを。
ズ、ズズン……!
不意に、足元が揺れた。
たたらを踏み、動揺の声を上げる黒衣の饗団員を横目に、V.V.はむっとした視線を天井へと向けた。
断続的に続く揺れは、継ぎ目の無い綺麗な天井からパラパラと誇りを落としている。
それに、V.V.は目を細める。
「…………?」
何が起こっているのか、饗団員の動揺はまるで気にすることも無く。
ただ天井の向こうで起こっていることを見ようとするかのように、睨み続けていた。
そして、その先には。
『――――黒の騎士団、総員に告げる!!』
外が、ある。
青空が広がる砂漠、だがそこには空の青と雲の白以外のものがあった。
空を飛ぶ、船。
白亜の装甲を持つ航空戦艦と、周辺を固めるナイトメア部隊。
その中心を占めるのは黒と金のナイトメア、『ガウェイン』。
声はそこから全方位に拡散している様子だった、声の主は黒い仮面の男。
怒気を孕ませた声が周囲に拡散し、部隊の士気を高めている様子だった。
『明号作戦、開始せよ!!』
直後、通信回線を歓声で覆いながら、黒のナイトメア部隊が砂漠の上を疾走した。
目指す先には、砂漠の島のようにぽつんと存在する岩山の群れだ。
その頂上とも言うべき地点には1機のナイトメアがいる、集団を先導するように立つその機体の名前は『ラグネル』。
その機体の中にいるのは、当然。
「さぁ……日の当たる所に引き摺り出させて貰うぞ」
コーネリアであり。
『そう、鬼ごっこは終わりだ……』
上空の黒のナイトメアには、ルルーシュ=ゼロがいて。
「『ギアスの、元凶……!』」
異母姉弟の声は、奇しくも重なっていた。
採用ギアス:
無間さま(小説家になろう)提案:ギアス「検分」。
ありがとうございます。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
今回は特に気合いを入れました、これぞ竜華零の真骨頂「主人公に対してドS」です。
そして饗団編のエンディングに向けて、物語は加速します。
では、次回予告です。
『誰を憎めば良いのかわからなかった。
最初はスザクだった、父を殺した兄だった。
でも父がボクを裏切っていたと知って、憎しみの対象は拡散した。
だから、誰を憎めば良いのかわからなくなってきていた。
だけど、今。
今、ボクの目の前に、いるんだ。
憎むべき、敵が――――』
――――TURN17:「通過 儀礼」