コードギアス―抵抗のセイラン―   作:竜華零

45 / 65
暴力表現あり、ご注意ください。


TURN14:「冷たい 夜 に」

 ――――気が付いた時、そこは見知らぬ部屋だった。

 いや、そこがどこであるのかはわかる。

 白を基調とした壁や床、ベッドにシーツ、いわゆる病室と呼ばれる部屋の特徴を備えていた。

 ややくすんだ壁色が、病院が設立されてからの時間を感じさせる。

 

 

「…………病院?」

「それ以外に見えるのだとすれば、なかなか目が良いな」

 

 

 身を起こすと同時に声がして、青鸞は視線をそちらへと向けた。

 声の主は病室の窓際にいた、昼間なのか、優しい風に揺れる白いカーテンの向こうには陽光が照っているのが見える。

 そして陽光を受けるのは、輝くばかりの美貌を持った魔女だった。

 

 

「C.C.……さん? あれ、何で……?」

「覚えていないのか?」

 

 

 椅子に座り何か分厚い本を読んでいたらしいC.C.は、それを丁寧な動作で閉じて自分の膝の上に置く。

 そしてそのゆっくりとした動作の間に、青鸞は気絶する直前の記憶を取り戻した。

 フラッシュバックのように戻ってきたそれに、青鸞はシーツを跳ね上げる程の大きな動きを見せた。

 

 

 自分は戦場に出ていたはずなのに、どうして病室で寝ているのか?

 インドの叛乱はどうなったのか、中華連邦本国の作戦はどうなったのか?

 そして、スザクやアーニャ達ブリタニア勢はどうなったのか。

 ルルーシュは、黒の騎士団や旧日本解放戦線の皆は無事なのか。

 だがそんな彼女に、C.C.は冷静に一言だけ告げた。

 

 

「見えてるぞ」

「え? ……あ、わっ!?」

 

 

 一瞬何を言われたかわからなかったが、C.C.の視線を追うことで理解した。

 シーツを捲ったその下には肌色が見えている、つまり青鸞は何も身に着けていなかった。

 どうやら例の癖は、いついかなる時でも発揮されるものらしい。

 慌てて動いたためにかなり際どい部分まで見えてしまっていて、青鸞は顔を赤くしてシーツを掻き抱いた。

 

 

「……薄いな」

「何が!?」

 

 

 静かなC.C.の言葉に抗議じみた声を返す、だがC.C.はそんなことを気にも留めなかった。

 そこで、ふと青鸞は不思議を感じた。

 どうして、C.C.がここにいるのだろう。

 

 

 普通に考えるなら、看病とかお見舞いかだろう。

 本を読んで時間を潰していたことを考えるとおそらく前者だが、普段のC.C.を知る者なら彼女がそんなことをする人間とは思わないだろう。

 だが青鸞に関することであれば、その評価はやや変化する。

 だからこそ、青鸞は不思議に思うのだが……。

 

 

「ここはコルカタの病院だ、マハラジャの好意で病室を用意してもらった」

「マハラジャ……インドの?」

「それ以外にいるか? まぁ良い、それでお前が寝ていた日数だが…………一週間だ」

「一週間!?」

 

 

 驚いた、まさか一週間も寝ていたとは。 

 だがそんな青鸞に対して、C.C.は片手を軽く上げて見せた。

 止まれ、のジェスチャーだ。

 また肌が見えてしまったのかとドギマギする青鸞だが、その時、傍で誰かが小さく唸る声が聞こえた。

 

 

「……ロロ?」

「ん……姉さ……」

 

 

 最初にシーツを跳ねた時に隠れてしまったのだろう、シーツを取り払うと繊細そうな少年が現れた。

 眉を八の字にしてむにゃむにゃ言っていて、青鸞のベッドに半ば上半身を預けて眠っていた。

 どうやら今のC.C.の「待て」は、ロロのことを気にしてのことだったらしい。

 

 

「私は今日だけだが、そいつは一週間お前に張り付いていたぞ」

「そうなんだ……」

「周りを威嚇するものだから大変だったぞ、医者にとっては面倒極まりない患者の関係者だったろうな」

「そ、そうなんだ」

 

 

 ロロの頭を撫でようとして上げた手が、行き場を失って空中を彷徨った。

 そんな青鸞に脱ぎ捨てられていたらしい襦袢を投げつけながら、C.C.はどうでも良さそうな目を向けながら。

 

 

「インドの叛乱を含めたこの一週間の動き、聞きたいか?」

「……うん、お願い」

「良し。良いか、まずお前が戦場で気を失った後……」

 

 

 面倒くさそうに、しかし律儀に。

 そうやって話し始めるC.C.の言葉に、青鸞は襦袢を着つつ耳を傾ける。

 自分が意識を失った後に、何があったのかを聞くために。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 インドの大反乱と同時期に行われた中華連邦国内のクーデターにより、中華連邦とブリタニアの婚姻による同盟条約の締結は白紙に戻された。

 中華連邦領内に存在していたシュナイゼル軍も旧EUロシア自治州シベリア――最も、公式には中華連邦もEUもロシアの消滅と占領を認めていないが――へと撤退している。

 

 

 しかし、中華連邦国内の問題は何一つ解決されていなかった。

 むしろ叛乱とクーデターによって国力が落ちた上、さらには「インド独立」と言う事態まで生じている。

 すなわち三極の一つ中華連邦は、今、解体されようとしていたのである。

 

 

「中華連邦として、インドや他の自治州の独立を認めても良いとは、こちらも考えてはいる」

 

 

 場所はインドと中華連邦の中間、ネパールの都市カトマンズの空港だ。

 空港に停泊する航空戦艦ヴィヴィアンの会議場では今まさに、その中華連邦の解体について話し合いの場が持たれていた。

 当事者は3者、中華連邦本国、自由インド、そして叛乱とクーデターの双方に参加する形になり、両者の仲介役として議場(ヴィヴィアン)を設定した黒の騎士団である。

 

 

 会議場には多くの人間がいるが、つまるところ発言しているのは3人だった。

 中華連邦の事実上のトップに立つ星刻、自由インド代表のマハラハジャ、そして黒の騎士団のリーダー・ゼロ。

 この3人の会話によって、会議は回っていた。

 

 

「我らインドの叛乱があればこそ、そちらのクーデターは上手くいったはず。そちらはその恩義を仇で返そうと言うのか」

「そうでは無い、確かにインドの叛乱が我々のクーデターに与えた影響は大きかった。だが、そちらも我々の助力のつもりは無かったはず。結果論を頼りとした要求は認められない」

「つまり、インドの独立を認めるつもりは無いと」

「そうは言っていない」

 

 

 試すようなマハラジャの物言いに、星刻は首を横に振る。

 それからマハラジャがお茶を一口飲むのを見守り――お互い、間を開けたかったためだろう――そして、再び一言ずつの言葉を交わす。

 

 

「わしらはすでに、インドの大半を実効支配しておるが?」

「だが国際法上は中華連邦の領土だ。ブリタニアもEUも、未だインドの独立を承認してはいない」

 

 

 それを聞きながら、ルルーシュ=ゼロは沈黙を保っていた。

 

 

(……黎星刻、流石に強かだな)

 

 

 彼は内心で、星刻の粘りに感心していた。

 ルルーシュ=ゼロが見る所、星刻には今の中華連邦を維持するつもりは無い。

 と言うより、中華連邦本国を掌握しきれていない現状では不可能、むしろインドなどの軍区や自治州は邪魔な荷物になる可能性が高い。

 だから独立したければさせてやる、だが……。

 

 

「インドの独立は認めても良い、が、「いつ」独立するかまで合意した覚えは無い」

 

 

 ルルーシュ=ゼロは仮面の中で苦笑を噛み殺した。

 いけしゃあしゃあと良く言う、今すぐにでも独立して手を離れて欲しいだろうに。

 しかしそれを臆面にも出さず、やむにやまれず、仕方なく、そんなに言うのであれば、独立させてやっても良い……そんな風に交渉を進める。

 インドの独立と言う規定路線を、買い叩きに来た。

 

 

 だがいくらそうであっても、この場で「本当は独立してくれない方が困るんだろ?」とは言えない。

 言っても否定され、相手の得点になるだけだ。

 だから星刻の「独立を認めても良い」と言う姿勢はそれだけで「譲歩」となる、そして譲歩には譲歩を返さなくてはならない、それが国家間交渉のルールだ。

 譲歩を示さず我を通すだけの国は、逆に他国に譲歩してほしい時にされなくなってしまう。

 

 

(そして、インド側がこの場で出せる譲歩と言えば……)

 

 

 独立の延期か、あるいは星刻が新たに作る中華連邦への支援か、域内の中華連邦資産の保障か……それくらいか。

 いずれもインド側としては呑み辛い、独立したてのインドも混乱していて力が無い状態だ。

 可能な限り、代償は少なく独立を勝ち取りたいだろう。

 

 

 つまり中華連邦とインドの交渉は、膠着状態に陥っている。

 だがルルーシュ=ゼロにとって、それは好ましくない。

 だからこそ、このタイミングで彼は発言することにした。

 本来部外者である彼が発言できる内容と言えば、それは一つだ。

 

 

『双方とも、お互いに言いたいこと、求めたいことがあるのはわかる』

 

 

 そして中華連邦もインドも、ルルーシュ=ゼロの言葉をまるきり無視は出来ない。

 何しろルルーシュ=ゼロと黒の騎士団は――もちろん、自分達の目的のためとは言え――現在、中華連邦とインドの安定のために身を粉にして働いているのだから。

 ……まぁ、利用されるだけされて捨てられる可能性もあるが、それはともかく。

 

 

『だがここは大局的見地に立って、そして対ブリタニアと言う戦略に立ち返って交渉して頂きたい。ロシア方面に撤退したブリタニア軍がモンゴルに圧力をかけてきている今、我々に残された時間は少ない』

 

 

 そう、ブリタニアはすでに次の手を打ってきている、中華連邦の領土を脅しと交渉で削りに来ている。

 ブリタニアが中華連邦を飲み込めばもうブリタニアに対抗できる勢力は作れないだろう、EUが完全に崩壊してしまってもそうだ、そしてEUは今の所、負けている。

 時間が、無い。

 ブリタニアへの逆転を狙うには、もう、今が最後の機会なのだ。

 

 

 自国の利益にこだわって交渉が長期化すれば、いずれブリタニアに飲み込まれる。

 ブリタニアへの対抗を優先して交渉を決着させれば、自国の利益が失われる。

 これはそう言う交渉で、だからこそ膠着する。

 だからルルーシュ=ゼロは、己の全能力をもってこの交渉を妥結させなければならなかった。

 

 

「それではゼロ、キミには何か腹案があるのか」

「聞くだけは聞いてやろう」

『良いだろう。双方が一定の満足を得られる私の腹案、それは――――』

 

 

 ブリタニアに、勝つために。

 星刻とマハラジャの言葉に頷くと、ルルーシュ=ゼロは仮面の中で目を細めて息を吸った。

 強い言葉を吐くための前準備だ、そして次の瞬間、彼は言った。

 

 

『――――独立国家共同体(CIS)だ』

 

 

 カトマンズにいるルルーシュ=ゼロは、己の才覚を頼りに道を切り開こうとしている。

 だがそれは逆に言えばコルカタや他の場所のことにまで手を回せていないと言うことであって、そこへ行って始めて、ルルーシュ=ゼロは人間じみて見えるのだった。

 限界のある、人間に。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 中華連邦の君主「天子(てんし)」と言えば、数十億人の民の頂点に君臨する存在だ。

 それを聞いて、どのような人物像を想像するだろう?

 豪腕唸る巨人? 狡猾な政略家? 強烈なカリスマ? 人の好い調整役?

 だがカレンが目にした天子は、そのいずれでも無かった。

 

 

「まさか、年下の小さな女の子だったなんてね……」

 

 

 誰かに聞かせる気の無い小さな声で、ぽつりと呟くのはカレンだ。

 場所は朱禁城の庭園の一つだ、原生地も季節感を無視した色とりどりの花々が咲き乱れるそこは、「自国こそ世界の支配者」とする中華連邦の国是を表しているかのような。

 その花々の中に、小さな女の子が座っている。

 

 

 花々の中に濃い紫のロングスカートがふわりと広がる様はまさに花のようで、大きく開く紫の腰添えと一体化した翡翠色の衣装は小柄な身体を覆ってなお可憐だ。

 衣服の間から僅かに見える薄い肩は、あまり日に当たっていないためか儚く白い。

 4つの髪飾りで肩上に纏められたシルバーブロンドの髪は太陽に煌いていて、薄い赤の瞳はぱっちりしている。

 

 

「おお……私のような一近衛にそのような栄誉を!」

 

 

 今は花々の中で花の冠を作り、先日のクーデターで最後まで天子側にいた禁軍の女性兵、張凛華の頭の上に笑顔でそれを乗せている。

 凛華を膝をついてそれを受けている、まるで騎士叙勲のような仰々しさだった。

 

 

「天子様は、良くも悪くもお人形さんのような存在なのですよ」

 

 

 その様子を少し離れた位置から見守っていたカレンに、不意に声をかける存在があった。

 振り向けば、そこには女官服に身を包んだ痩身の女性がいた。

 葵文麗、天子付きの筆頭女官。

 医者だと言う話だが、文麗を見ていると不思議とそうは見えない。

 むしろ、もっと扱いにくい何かだろうとカレンは思っている。

 

 

 彼女はカレンに軽く会釈すると、そのまま隣に立った。

 ちなみに何故カレンがここにいるのかと言うと、表向きは天子の客――天子の危機を救ったとして――で、裏向きはカトマンズの交渉妥結までの人質である。

 そんな彼女に文麗が声をかけたのは、カレンの朱禁城での立場の微妙さを表してもいた。

 

 

「……どう言う意味?」

「良い意味では、それこそお人形さんのような愛らしさ。可愛くて可憐で素直で、個人レベルで天子様を嫌う人間はまずいないでしょう。やや引っ込み思案な所は、少々改善して頂きたい所ですが」

 

 

 なるほど、とカレンは頷く。

 確かに天子は可愛らしい、育ちの良さのせいか生来の性格のせいか、正の感情に溢れている。

 1人の少女として見るならば、外見も手伝って万人が彼女に好意を抱くだろう。

 

 

「そして悪い意味、ただただ大人達の言いなりになる所。難しいことはわからない、嫌な物は見たくない……まぁ、それは大宦官達がそう育てたと言うことで、天子様お1人の責任かと言うと、考えものではありますが。それでも、本来は言い訳の許されない立場にいるはずなので」

「厳しいのね」

「小言を言うのも女官の役目ですから」

 

 

 それに対しても、カレンは頷く。

 確かに天子は純粋すぎる、事の善悪を自分で計ることが出来ない。

 純粋さは罪では無いが、しかし天子と言う立場における純粋さは罪になる。

 大宦官の専横をそのまま受け入れた純粋さは、無知と重なって大きな罪を生んだ。

 数十億の飢民と言う、罪を。

 

 

 そんな天子の姿を視界に収めて、カレンは目を細めた。

 今頃はルルーシュは交渉、藤堂や四聖剣の面々は中華連邦各地で混乱の収拾に当たっている。

 日本に残してきたメンバーも、それぞれの仕事を果たしているはずだ。

 今の自分には日本のことを考えるだけで手一杯だが、中華連邦はどうなってしまうのかとも思うのだった。

 

 

「あの……っ」

 

 

 その時、気が付けば天子がカレンの傍へと駆けて来ていた。

 手には2つの花冠を持っていて、その内のラークスパデルフィの花冠を文麗へと捧げた。

 膝を折ってそれを受ける文麗の顔は優しくて、何だかんだ言いつつも天子のことを想っていることが良くわかった。

 

 

「あの、あの……あの」

 

 

 そして天子は、カレンにも花冠を捧げてくれた。

 ホワイトレースの花冠、まさに原産地も季節感も無視した花畑だ。

 きょとんとした表情を浮かべるカレンに、天子は恥ずかしそうに顔を赤くしながら。

 

 

「た、助けてくれて、ありがとう」

 

 

 その言葉に、カレンは優しい笑顔を浮かべた。

 天子の様子に、とある車椅子の少女の姿が僅かに重なった。

 小動物のような可愛らしさが、その共通項。

 ――――虚実は、カレンにもわからないが。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 神聖ブリタニア帝国、EU、そして中華連邦。

 「三極」と呼ばれる3つの超大国の関係は、ほんの1年前まではブリタニア(国力:10)対EU(国力7)・中華連邦(国力5)の連合勢力という対立構造にあった。

 国力的には10対立12、辛うじて後者の陣営が有利な状況だ。

 

 

 それが変化したのは今年に入り、EUがブリタニアとの戦争で敗色濃厚になり、かつ中華連邦がブリタニアの半属国と化す道を選択してからだ。

 帝国宰相シュナイゼルがEUと中華連邦のシベリア国境紛争を利用し、両者の同盟を解消させ、「中交欧攻」と呼称される外交方針を選択したことが大きかった。

EUを攻め中華連邦と結ぶ、理想的な各個撃破策と言えた――――しかし。

 

 

『神聖ブリタニア皇帝として命じる。帝国宰相シュナイゼル・エル・ブリタニアよ、直ちに中華連邦に侵攻し、彼の地を我が版図に加えよ』

 

 

 シュナイゼルが数年がかりで仕掛けた策も、たった1人の豪腕によって掻き消される運命にあった。

 元々皇帝親政のブリタニアで宰相の権限はさほど大きくは無い、あくまで皇帝を輔弼することしか出来ないのだ。

 その意味では、いてもいなくても同じ存在とも言える。

 

 

「……恐れながら皇帝陛下、先の私とのお話を覚えておいででしょうか……?」

『今はベル計画を進めるEUとの戦争に集中すべし、確かに覚えておる』

「ならば、今は中華連邦に軍を進めるのは得策では無い……と、恐れながら、臣は再び皇帝陛下に進言致します」

 

 

 とは言っても、シュナイゼルは皇帝に進言することを恐れない男だった。

 彼が今いるのは旧EUロシア自治州極東、イルクーツクのブリタニア軍駐屯地だ。

 中華連邦のモンゴル自治区に隣接する地域で、彼はここで二個師団を率いてモンゴルに中華連邦からの離反を促す交渉(と脅し)を進めている所だった。

 今はそれで十分と、そう判断したからだ。

 

 

 だからこそ彼は民衆の支持を失った大宦官を見捨て、中華連邦が完全に星刻の新体制へと変化する前にロシアまで退いたのである。

 アヴァロンで超高度を飛行しつつ、中華連邦本国と中央アジアの境界線上をルートに選択肢し、中華連邦軍とインド軍に挟撃される危機を回避した。

 

 

『温いな、シュナイゼルよ』

「は……」

 

 

 しかし大画面の通信画面に映る皇帝シャルルは、映像の向こう側から傲然とシュナイゼルを見下ろしていた。

 

 

『彼の国はすでに我らとの条約に合意していた。それを反故にするばかりか、公式に発表されていた第一皇子と天子の婚姻を一方的に破棄し、あまつさえ第二皇子……そして皇帝の代理人たるラウンズを国外に追放した』

 

 

 皇帝シャルルが上げ連ねているのは、ブリタニア側から見た中華連邦の非礼の数々だ――加えて言えば、ブリタニア国内で訴追されているゼロ、枢木青鸞との同盟――そのいずれもが国際法を無視した蛮行であり、実際、シュナイゼルは国際機関への提訴の準備を進めていた。

 しかしシャルルは、それを「温い」と言った。

 

 

『これすなわち帝国への侮辱、すなわち皇帝への侮辱、すなわち宣戦布告も同然である』

 

 

 侵略しろ、潰せ、奪え、と、そう言った。

 しかし純軍事的に見れば、悪くない判断ではあるのだ。

 EU・中華連邦の総合国力がブリタニアを凌駕していたのは1年前の話で、今や両国が手を結んだ所でブリタニアには到底及ばないのだから。

 

 

 アフリカの大半とフランスやバルカン半島を失い、国力が半減したEU。

 独立紛争とクーデターにより解体の危機に陥り、やはり国力が半減した中華連邦。

 そしてロシアやアフリカの大半を得て、今や世界の半分以上を得たブリタニア。

 単純に計算すればブリタニアの国力10に対して、EU・中華連邦の総合国力は良くて6。

 今ならば、両方を同時に相手しても勝てるだろう。

 

 

(とは言え、解せないね……)

 

 

 皇帝との通信会見が終わった後、執務室の椅子に背を預けながら、シュナイゼルはそう思った。

 いくらなんでも侵攻が唐突過ぎる、勝てる戦とは言え足元を掬われる可能性が無いでも無い。

 まして中華連邦は広大だ、民衆の支持もあるわけでは無い……最も、それは今まで得てきたエリアでも同じことが言えるのだが。

 

 

「いかがなさいますか、シュナイゼル殿下?」

「……勅命となれば、仕方ないね。カノン、師団長達を集めてくれるかな。今後のことを詰めなくてはね」

「はっ」

 

 

 心配そうな顔で尋ねてきた副官カノンに鷹揚に返しつつ、シュナイゼルは今回の皇帝の決定について考え込んでいた。

 深い思考の海に沈む青の瞳は、宝石のような深さと美しさを備えていた。

 その深さと美しさのまま、シュナイゼルは口の中でポツリと呟く。

 

 

「……世界を創造する力、か……」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「まぁ、大体の状況はそんな所だ」

「そう……ありがとう、大体飲み込めたよ」

 

 

 説明を終えたC.C.にお礼を言う青鸞、言葉通りに大体の事情は了解した。

 当たり前の話だが、自分が寝ている間に皆いろいろと動いていたらしい。

 今ではコルカタにはC.C.くらいしか残っていない、護衛小隊はもちろんいるが。

 

 

「……他に聞きたいことは無いか」

「他?」

 

 

 聞き返すと、C.C.は黙ったまま次の言葉を待っている様子だった。

 はて、現在の皆の状況以外に聞きたいことなどあっただろうか?

 首を傾げる青鸞だが、C.C.の視線が己の左胸に注がれていることに気付いた。

 

 

 襦袢を着た身に視線を落とせば、そこにはうっすらと赤いマークが刻まれている。

 コード、ギアスの源、不死を与えるもの。

 襦袢の隙間から覗く肌に刻まれたそれは、未だに受け入れるには濃すぎる事情を含んでいる。

 しかし今、C.C.はそれを見ていて……。

 

 

「……あ」

「何だ」

「いや、確か気を失う前……えっと」

 

 

 思い出した、デカンでの戦いの最後の局面。

 モルドレッドと交錯した時、いやアーニャと接触した時、コードが反応したのだ。

 理由は良くわからないが、アーニャ側の精神と触れたような気がする。

 そう言うと、静かな表情で聞いていたC.C.は一つ頷いて。

 

 

「そう、か……相手はアーニャ・アールストレイム、だな?」

「う、うん」

 

 

 モルドレッドの名前は出したので不思議では無いが、妙な確認だった。

 しかもその後、C.C.は考え込んでしまって何も言わなくなってしまった。

 声をかけるかどうか悩んでしまう程に真剣だったため、声をかけにくい。

 

 

 そうこうしていると、自分の膝の上で何かがもぞもぞと動いたのを感じた。

 少しこそばゆくて、視線を向けると、どうやらロロが起きたらしい。

 目元を擦りながら身を起こした彼は、青鸞の姿を見ると喜色を浮かべて……。

 

 

「青鸞さま!!」

 

 

 ロロが姉の名を呼ぼうとしたその瞬間、病室に雅が飛び込んで来た。

 物騒なことに手には青鸞の刀――卜部の軍刀――を抱えていて、珍しいことに表情は青ざめていた。

 何があったのかと聞く前に雅は青鸞に刀を押し付けた、そしてシーツの下に刀を隠すようにする。

 青鸞が目を白黒させていると、雅の後を追うようにして黒の制服を着た男達が病室に雪崩れ込んできた。

 

 

「憲兵です……!」

 

 

 憲兵? と青鸞は首を傾げる。

 いや意味は知っている、軍内部における警察のような存在だ。

 黒の騎士団内部では正確には憲兵と言う名前では無いが、まぁ似たような存在だろう。

 確か情報部がその役割を負っていたはずで、実際、彼らは小火器ながら銃を装備している。

 黒の制服に目元を隠すバイザー、確かに憲兵と言う雰囲気はあるが。

 

 

「これはこれは青鸞さま、意識を取り戻されたと聞いて安心致しました」

「……貴方は」

 

 

 じっとりとした声音と共に、憲兵に左右を守られてブリタニア人の男が入ってきた。

 長い金髪に彫りの深い顔、そして黒の騎士団では情報参謀の役にある男。

 ディートハルト・リート、ゼロの「プロデュース」を自任する黒の騎士団の幹部である。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――査問。

 本来は軍において秩序を乱す行為を行った者を裁く軍法会議、その前段階の尋問行為を指す。

 よってそれに召喚されると言うことは、不名誉なこととされている。

 まして、キョウト六家の当主の1人が対象となれば。

 

 

「何のつもりです、無礼でしょう!」

「申し訳ありません、雅さま。私達が用があるのは、そちらの青鸞さまなのですよ」

 

 

 吼える雅に涼しげに応じて、ディートハルトは青鸞の前へと歩み寄った。

 その手には一枚の書類を手にしている、警察で言う所の逮捕令状と言うものだろう。

 こちらに向けて広げられたその書類にさっと目を通せば、罪状はつまる所。

 

 

「スパイ罪……?」

「なっ……! 青鸞さまをスパイ呼ばわりするなど……キョウトへの愚弄です!」

「家の出自は関係ありません、これは手続きの問題なのですから」

 

 

 しかしキョウトの家柄を完全に無視は出来なかったか、と、状況を静観しているC.C.はそう思った。

 キョウトの人間をスパイ罪に問うために、わざわざトーキョーから出張ってきたのだろう。

 ルルーシュ=ゼロも藤堂達もいないこのタイミングで、全てを片付けてしまうために。

 おそらく、キュウシュウにいる草壁らもこのことは知らないのだろう。

 

 

「大体、スパイとは何ですか。半年前からのことならば、すでに……」

「マインドコントロールを受けていた、と。ええ、確かに聞いていますよ。正直眉唾ものですが、しかしゼロが決定した以上、私はそれに従わなくてはなりません」

「なら……!」

 

 

 雅が全て喋ってしまうので、自分が言うべきことが無い。

 自分がスパイ罪に問われていると言うのに焦りが無いのはそのためだろうと、青鸞はそんなことを思った。

 しかし気になるのは、見せられた書類に書かれたサインだ。

 

 

 ディートハルトのサインがあるのは当然だ、発行者なのだから。

 だが発行者のサインだけでは査問は出来ない、規則上、幹部以上の者の承認がいる。

 それも部隊長レベルでなく、役職を持った大幹部の承認がだ。

 そして今回の査問に承認のサインを与えたのは、黒の騎士団副司令の。

 

 

(……扇、要。シンジュク組のトップ……)

 

 

 脳裏に浮かぶのは派閥抗争だ、穏健派の扇が強硬派の青鸞を排除しようとしている。

 だが青鸞が知る限り、扇はこのような姑息な手段を取るような人間では無かったはずだ。

 では、今回の行動にどんな意味があるのか……。

 

 

「ですが新たな疑惑が出たのなら、話は別です」

「新たな疑惑? こちらに帰還されてからの青鸞さまの行動に、何か落ち度が? 常に戦場にあって兵達の先頭にあった青鸞さまに?」

「ええ、あるのですよ」

 

 

 雅の言葉の奔流をたった一言で受け流して、ディートハルトは懐からさに数枚の紙……いや、写真を取り出した。

 そしてそれを見た瞬間、C.C.の眉が僅かに動いた。

 不味い、と言うのがその感情だろうか。

 そして同時に思う、何故ディートハルトがその写真を持っているのかと。

 

 

 その写真には、2人の人間が映っている――――本当はもう数人いたのだが、映っているのは2人だけ。

 2人しかいないように見せるために、巧妙に角度を計算された写真だった。

 ……バンク・オブ・コルカタ本店の一室、激しい雨でも降っているのだろう、窓が濡れているのがわかる。

 それは、あの雨の日の写真だ。

 

 

「さぁ、説明して頂きましょうか青鸞さま。貴女が何故、私達に断りも無く、説明も無く……」

「それは……」

 

 

 1人は青鸞、そしてもう1人はボリュームのある紫の髪の女性――つまり。

 

 

「――――コーネリア・リ・ブリタニアと密会していたのか、をね」

 

 

 不味い、青鸞の警戒信号が鳴った。

 非常に不味い、何が不味いかと言えば、コーネリアと自分が繋がっていると知られること以上に、その場にはルルーシュ=ゼロもいたと言えないことだ。

 言ってしまえば、ルルーシュ=ゼロの立場も無くなってしまう。

 

 

「そして先のデカンの戦い以降、我々が鹵獲していたKMF、ラグネルが帰還していません。はたしてこれが無関係なのか、我々はそれについても疑念を抱いておりましてね」

 

 

 これも言えない、ルルーシュ=ゼロがコーネリアに対饗団についての協力の前払いとして、ラグネルを与えたなど。

 言えば、ルルーシュ=ゼロが窮地に立ってしまう。

 それだけは避ける必要があった、日本のためにも。

 そう思い悩む青鸞を見て、ディートハルトは笑みを見せた。

 

 

「ご説明して頂けないのであれば、我々と一緒に来て頂かなくてはなりません。どれほど高貴な方であろうと、他の者と同じ扱いで、ね」

 

 

 ぐ……と、青鸞は言葉に詰まる。

 憲兵に連行された者がどのような尋問(ごうもん)を受けるのか、知らない程に初心では無い。

 しかしだからと言って、本当のことも言えない。

 

 

 最悪のパターンだ。

 

 

 そうこうしている内に、憲兵達は動く。

 青鸞を拘束し連れて行く――ルルーシュ=ゼロでさえ把握していない、情報部の尋問室へ――ために、短機関銃を手に近付いてくる。

 雅が庇おうとしてくれるが、正式な手続きを踏んだ行動である以上はどうしようも無い。

 むしろこの事態を、早く他のメンバーに伝えた方が良いのかもしれない。

 

 

「さぁ、青鸞さ――――――――」

「……?」

 

 

 笑みを浮かべたディートハルトの言葉が途中で止まる、不思議に思い顔を上げると。

 

 

「――――止めろ!!」

 

 

 え? と、C.C.が急に上げた叫び声に青鸞は視線をC.C.へと向ける。

 それから彼女の視線を追えば、見つけた。

 今のいままで何も喋らず、ただじっと話を聞いていた小柄な少年を。

 そしてその少年の手に、憲兵が持っていたはずの短機関銃があることを。

 ――――血の気が、引いた。

 

 

「ロロ!! ダ――――」

 

 

 メ、と、言葉が続く前に。

 冷たい瞳に赤いギアスの輝きを宿したロロが、躊躇無く引き金を引き。

 銃声が、立て続けに響き渡った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――逃げた方が良い」

 

 

 病室内の惨状を前に、C.C.がそう言うのを青鸞は聞いた。

 至近距離で短機関銃の掃射(フルオート)を受け、C.C.は虫の息となったディートハルトの傍に膝をついている。

 その周囲には、ディートハルトが従えていた憲兵が1発ずつの銃弾を受けて倒れていた。

 

 

「そいつのギアスでは、監視カメラまでは誤魔化せない……なら、もう、憲兵を撃ったことは覆せない。このままここにいれば、査問どころでは無くなる……」

 

 

 朱色に染まった病室の中で、C.C.の声がやけに乾いて聞こえた。

 それからのことは、正直よく覚えていない。

 青ざめた顔の雅に背中を押されて、ロロに手を引かれるままに病室の外に出る。

 C.C.がルルーシュに、雅が神楽耶に連絡を取るという言葉を背中に受けて、刀だけを手に駆け出した。

 

 

「……対象、外に出ました!」

「ディートハルト様はどうなされた?」

「わからん、が、とにかく身柄を確保しろ!」

 

 

 しかし外に出れば、そこには当然のように他の憲兵がいた。

 青鸞を護送するための兵力だろう、とは言え規模は十数人程度。

 ロロのギアスをもってすれば、片付けるなど造作も無い数だった。

 だが、それは出来なかった。

 

 

「ダメ……殺しちゃダメ!」

「姉さん、でも」

「お願い……!」

 

 

 姉に強く言われて、ロロは仕方なく方針を変えた。

 それでも殺して逃げた方が面倒が無くて良いのだが、泣きそうな顔で頼まれては嫌とは言えない。

 しかし姉とは対照的に、ロロは今幸福だった。

 ここ数週間はただ青鸞についていくだけだったが、今は自分が手を引いている。

 

 

 自分の力で、姉を危機から救い出せている。

 姉を守るために、自分の力を行使している。

 今までの無味乾燥な暗殺の日々に比べれば、心が酔ってしまいかねない程に甘美な響きだった。

 家族のために、誰かを殺すと言うのは。

 

 

「……あん? ありゃあ青鸞さまじゃねぇか。追いかけてるのは憲兵の連中か……?」

「どうして憲兵が青鸞さまを……?」

「いや、それは俺にもわからんが。と言うか青鸞さま、起きたのかよ。何で雅の奴から連絡が来てねぇんだ?」

 

 

 そしてそれを、護衛小隊の山本と上原も見ていた。

 護衛の名を冠する以上、必要以上に青鸞から離れるわけにはいかない。

 だからこうして、建物の外で警戒していたのだ。

 実際、病院の正門の両側をガードする形で、2人のナイトメアが立っている。

 2人はナイトメアの足元、つまり正門の側に立って中の様子を窺っていた。

 

 

 山本と上原の2人は、正門の陰に姿を隠す。

 そこを、ロロに手を引かれた青鸞が駆け抜けて言った。

 ロロの手には銃があり、青鸞の手には刀がある、極めて物騒だ。

 病院の施設の前では、足を撃たれた憲兵達の悲鳴や呻き声を上げている。

 明らかに、無関係とは思えなかった。

 

 

「……気のせいか? 銃声が聞こえなかったのに、気が付いたら連中が撃たれてたぞ?」

「私にもそう見えましたけど……それより隊長、どうするんです?」

「そりゃお前、俺らの仕事は青鸞さまを守ることなんじゃねぇの?」

「わかりました、では」

「馬鹿、銃しまえ。お前まで憲兵に捕まるだろうが」

 

 

 でも、と押してくる上原を手で制しつつ、山本は正門の陰から病院側の様子を見た。

 すると、生き残りの憲兵隊がぞろぞろと外に出てきていた。

 歩兵はそのまま正門にやってくる、それを見て山本は。

 

 

「よっと」

「ぁ、ん……っ!」

 

 

 上原の右の胸に手をやり、そのまま強めに揉んだ。

 厚手の軍服の上からでもわかる程に柔らかな弾力が掌に伝わってきて、おお、と感嘆の声を漏らす。

 しかし一方、胸を揉まれた上原はと言えば、顔色を青くした後に一気に紅潮させた。

 羞恥以上に怒りの色に顔を赤くした上原は、奥歯を噛み合わせて拳を振り上げて。

 

 

「た、隊長の……ばかあああああああああああああああああっ!!」

「うわらばっ!?」

 

 

 重い一撃が顔に入った、上原の目端から透明な雫が散ったが、それ以上に山本の鼻から吹き出た流血の量の方が多かった。

 そして殴打の衝撃で吹き飛んだ――多少、故意の面はある――山本は、ちょうど良いタイミングでやってきた憲兵達にぶつかった。

 

 

「うわ!? な、何だ貴様ぁ!!」

「うぉあっ、わ、悪い、ただちょっと今修羅場で……!」

「み、見損ないました! 隊長を見損ないました! 馬鹿! 外道! 変態っ、変態! 変態!!」

「き、貴様ら……良いから道を開けろぉ!!」

 

 

 そしてその騒ぎを、青鸞はロロに手を引かれながら振り向くことで見た。

 どうやら山本と上原が時間を稼いでくれたらしいことに気付きつつも、今の青鸞にはどうすることも出来ない。

 泣きそうに顔を歪めて、彼女はいるべき場所から逃げ出すことしか出来なかった……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「姉さんはここに隠れてて、僕が憲兵達を撒いてくるから」

「ろ、ロロ、ロロ……」

「うん、わかってる、殺さないから」

 

 

 不安そうに自分を見上げる姉の顔にゾクゾクとしたものを感じつつ、ロロは雑誌の束――30冊ほど重ねて紐で縛った物――を、姉が隠れている場所に置いた。

 コルカタの路地裏の一つ、そこに積まれていた廃棄処分用の雑誌や新聞の束、その山の中だ。

 細い路地の壁に沿うようにすらりと並べられたその山の中に姉を隠して、ロロは駆け出す。

 

 

 少しして、「いたぞ」「あっちだ」と言う憲兵達の声と足音が聞こえた。

 ビクリ、と雑誌の山の中で青鸞が身じろぎをする。

 しかし誰も青鸞に気付くことなく、そのまま去っていって……青鸞はほぅ、と息を吐いた。

 そして、そのまま抱えた膝に顔を埋める。

 

 

(……なんで、こんなことに……)

 

 

 何故と言っても、もはやどうにもならない。

 こうなってしまえば、もはや黒の騎士団の中に自分とロロの居場所は無い。

 いくら不当な言いがかりだと――あながち、不当とも言えないが――訴えても、それを聞き入れて貰える余地は失われてしまった。

 いくらルルーシュや神楽耶のとりなしがあったとしても、厳しいだろう。

 

 

(……草壁中佐に、何て言えば)

 

 

 こんな時に思い出すのは、藤堂でも朝比奈でもなく、草壁だった。

 ブリタニアにいたことを告白した際にもかなり叱られたが、今回はその比ではあるまい。

 いくらなんでも、あり得ない。

 あってはならないことが、起きてしまったのだ。

 

 

「……ぁっ!」

 

 

 …………?

 その時、何かの音、いや声が聞こえて、青鸞は顔を上げた。

 ロロかと思ったが、どうやら違うらしい。

 しかし次の瞬間、青鸞が隠れている雑誌の山に振動が走り、彼女はビクッ、と身体を震わせた。

 

 

 どうやら雑誌の山の上に何かが落ちてきた……と言うより、叩きつけられたらしい。

 小さく呻くその声は小さな女の子のもののようだった、まだ声変わりもしていないくらいの。

 何だろうと思っていると、穏やかでない音と声が漏れ聞こえてきた。

 

 

「おい、早くしろよ。何か知らねぇが、兵隊がウロついてやがる」

「わかってるって。へへ、大人しくしてろよ……」

「ふ、ぐ……うぐぅ、っ……っ」

 

 

 ビリビリと衣服が裂かれる音、現地の言語で意味は不明だが下卑た笑い声、殴打の音と呻く声。

 日本で何度も聞いた、そう言う類の声だった。

 だから青鸞は、反射的に雑誌の山を内側から蹴倒した。

 バサ……ッ、と大きな音を立てて崩れる雑誌の山に、男達の動揺する声が重なった。

 

 

「な、何だ、てめぇっ!?」

 

 

 頭の上に何冊か落ちてくるのも構わず路地に出ると、そこには想像通りの……いや、相乗以上に吐き気の出る光景が広がっていた。

 雑誌の山を粗末なベッドに見立ててでもいるのか何なのか、褐色の肌の男が太い腕で小柄な少女を押さえつけている。

 しかしその少女と言うのが、明らかに行為に及ぶ準備の出来ていない小さな女の子だった。

 

 

 自然、嫌悪感が先に出る。

 やめろと言ってやめる手合いで無いことは経験上わかるので、手にした軍刀を躊躇無く振るった。

 鞘から抜き、鞘走りの勢いのままに軸足を回して男の首の後ろに刀の背を叩き付ける。

 峰打ち、しかし衝撃は強く男の目がぐりんっ、と瞼の後ろに回った。

 

 

「……逃げて!」

「え……」

「早く!!」

 

 

 音も無く倒れた男のことは気にも留めず、青鸞は衣服を破かれた少女に表通りに逃げるように言った。

 保護して貰えるかはわからないが、そこまで責任を持つ余裕は無い、少なくともここにいるよりは安全だろう。

 

 

「黒い制服の兵隊さん達に助けてもらって!」

 

 

 英語でそう伝えて――騎士団は正義の味方を自任している、である以上、表通りで保護を求める半裸の女の子を無視はすまい――インド人らしい女の子の背中を叩くように押す。

 それで、女の子は逃げ出した。

 さて今度は自分だ、憲兵がここに来たら来たで面倒だから早く逃げなくては、そう思った。

 

 

「このアマぁっ!!」

「……ッ」

 

 

 しかしそれ以前に、女の子を襲っていた男達から逃げる必要がある。

 男と言っても思ったより若そうだった、口髭を生やしているのは民族性だろう。

 もしかしたら、路地裏を根城にしているギャングか何かなのかもしれない。

 だがそれでも、訓練された兵士と言うわけでは無い。

 

 

(全部で4人、もう1人倒してるからあと3人……!)

 

 

 殴りかかってきた1人をいなしながら、状況を分析する。

 相手は全部で3人、やれる、意識を刈り取って即座に場を離れることは可能だ。

 正面からの戦闘ならば、訓練を受け武器を持っている青鸞の方が有利だ。

 ブリタニア兵を相手に出来たことが、今ここで出来ないはずが……。

 

 

「……っ?」

 

 

 がくん、と、膝が折れた。

 何が起こったのかわからなかった、ただ軸足に使った側の足から力が抜けたのだ。

 しかし、当然だろう。

 一週間も寝ていた身体が、急な全力運動についていけるはずが無いのだ。

 まして病院から全力疾走した後で、精神的な負担も大きかった。

 

 

「このガキぃっ!!」

「あ、が……っ!?」

 

 

 顔を拳で打たれた、熱と共に衝撃が抜けてきた。

 並みの少女であればこの一撃で意識を飛ばしていたかもしれないが、藤堂道場の訓練でいくらか痛みへの耐性がある青鸞はそうはならなかった。

 意識を保ち、そしてそれ故に痛みに苦しまねばならなかった。

 倒れこんだ所で、別の男に腹を蹴られて肺の息を全て吐き出した。

 

 

「え、ふっ……かっ」

 

 

 起きろ、立て、戦え、意思が自分に命じる。

 しかし身体が追いついてこない、追いついて来る前に次が来るからだ。

 

 

「がっ、ぐっ……ひ、ぎっ……あ゛っ!?」

 

 

 身体を丸めて重要な器官を守るのが、精一杯だった。

 頭を踏まれ――ゴリッ――肩を蹴られ――ガギッ――背中を蹴られ――ゴッ――手足を踏まれ――グギッ――痛みと熱を感じなくなるまで、殴打された。

 身体の中からかなり危ない音が出始めた頃、ようやく止まった。

 ただしその頃には、身体を動かすことも出来なかったが。

 

 

「けっ……ようやく大人しくなりやがったか」

「おい、顔はやめろって言ったろ。ヤってる時に萎えるから」

「つーかコイツ東洋人じゃねぇか、けっ、良いもん食ってんだろうなぁ」

「その代わり、俺らが楽しめるってもんだろ……この服、どういう作りだ? まぁ、ナイフで切りゃ良いか……」

「……………………」

 

 

 もう、男達が何を言っているのかも良くわからない。

 ごろりと仰向けにされたことはわかるが、それだけだ、視界も霞んで良く見えない……瞼が腫れ上がったのか。

 だから、もう……。

 

 

「やめてくれないかな」

 

 

 もう、意識が。

 

 

「それ以上血を流されてしまうと」

 

 

 意識が。

 

 

「私が、私でいられなくなってしまうから」

 

 

 落ちた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 雨の音がした。

 正確には、屋根に落ちる雨の音だ。

 だが自分の身体は濡れていない、ならば屋内にいるのか。

 そんなことをぼんやりと考えながら、青鸞は薄く目を開けた。

 

 

 最初に飛び込んで来たのは、天井でくるくる回り換気用の羽根だ。

 少しお高い喫茶店などに良くある、そんな設備だ。

 そして自分の身体がある場所も、柔らかいが冷たい、革のソファだった。

 待合室とかに良くある、そんな調度品だ。

 それから、それから……。

 

 

「――――ッ!?」

 

 

 慌てて、飛び起きた。

 その瞬間、身体に奇妙な引っ掛かりを覚えたが、痛いとか苦しいとかではなかった。

 むしろ身体の調子は良い、あえて言うなら来ている服が変わっていた。

 やや大きめの白のワイシャツに、足先まで覆う薄青のロングスカート。

 刀はすぐ傍の椅子に立てかけられていたが、襦袢はどこに、と考えた所で。

 

 

「ああ、すまない。酷い有様だったから、勝手に着替えさせて貰ったよ」

 

 

 声をかけられて、ビクッ、と肩が震えた。

 次いで、つんとした独特の香りが鼻についた。

 何だろうと思って嗅げば、それが何かはすぐにわかった。

 

 

「……コーヒー?」

「ああ、うん。コーヒー店だからね」

 

 

 声に振り向けば、カウンターの向こうからマグカップを片手に持った女性が歩いてきている所だった。

 長袖のシャツとパンツで身を固め、ギャルソンタイプのエプロンには店名らしい文字が躍っている。

 見た目だけ見れば、確かにコーヒー店の店主に見えなくも無い。

 

 

「こんな所に、コーヒー店……?」

「インドでもコーヒーは人気だよ、女の店主はなかなかいないだろうけどね」

 

 

 金褐色の髪に青の瞳、白い肌……明らかにインド人では無いが、どことなく清廉な空気を纏った女性だった。

 

 

「服が大きめなのは勘弁してほしいな、服飾屋じゃないから私の服しかなくて」

「服?」

「覚えていないのかい?」

 

 

 首を傾げて思い出せば……それはすぐに思い出せた。

 どうして着替える羽目になったのか、くらいのことは。

 ありもしない痛みが蘇ったような気がして、青鸞は己の身を抱いた。

 そして、カタカタと身体を震わせる。

 

 

 思い出した、自分の状況を。

 思い出した、自分が何をされたのかを。

 思い出した、自分が何をされそうになったのかを。

 だから。

 

 

「大丈夫」

「……!」

 

 

 ふわりと、シャツの白とエプロンの黒が視界を覆った。

 抱き締められたのだ、コーヒー店の店主を名乗る女性に。

 青鸞を安心させるように髪を撫で、肩をポンポンと叩く。

 

 

「大丈夫、キミは汚されていない、大丈夫」

「う……ぅ、あぁ……!」

 

 

 ……しばらくの間、すすり泣くような声だけが店内に聞こえた。

 女性はただそこにいて、それが終わるのを待っていた。

 ずっと、じっとして、そのままで。

 

 

 時間にすれば、ほんの2、3分のことだっただろう。

 しかしそれは非常に大事な時間だったと思う、少なくとも少女にとっては。

 まぁ、同時に恥ずかしい時間だったのかもしれないが。

 1人の少女に、とっては。

 

 

「……ごめんなさい、ご迷惑をおかけしました」

「良いさ、気持ちはわからないでも無い」

「そ、それと……助けて頂いて、本当にありがとうございます」

「良いさ、少し拳が痛くなっただけだから」

 

 

 コーヒー飲む? と言われて頷くと、マグカップを差し出された。

 受け取る時にふと外を見れば、窓の外はすっかり暗くなってしまっていた。

 夜だ、ロロは大丈夫だろうか……と、少し思考に余裕が出てきたことを感じる。

 そして、身を暖めるようにコーヒーに口をつけて。

 

 

「……苦い」

「はは、オーケー。お砂糖とミルクを持ってこよう、いくつ必要?」

「お砂糖はいりません、その代わりミルクを2つ……」

「畏まりました、お客様……っと」

 

 

 おどけたようにそう言う女性に微笑を見せて、そしてふと気が付いたように。

 

 

「あ、あのっ……お名前は、何と?」

「え? ああ……うん、ヴェンツェルで良いよ」

 

 

 発音しにくいだろうけど、と言って、ヴェンツェルはカウンターへと歩いて行った。

 その背を視線で追いかけて、そしてヴェンツェルがカウンターの中に入るのを見る。

 すると当然、ヴェンツェルの身体で隠れていた先が見えるようになる。

 そうすれば、いつの間にかカウンターの席に誰かがいることにも気付く。

 

 

 いや、誰かでは無い……少年だ。

 床まで届く長い金髪に、紫の瞳、そして小さな身体を覆う司祭服。

 冷たく暗い夜の雨音に合わせるように、少年が青鸞へと視線を流して。

 口元に、うっすらと笑みを浮かべた。

 

 

「やぁ、枢木青鸞」

 

 

 知っている。

 青鸞は彼のことを知っていた、直接に会ったことは無いのに、初対面に思うのに。

 でも、知っている。

 その声を知っている、彼は、皇帝と――――。

 

 

「僕の名前はV.V.、キミを迎えに来たんだよ」

 

 

 V.V.と名乗る少年が、にっこりと邪気の無い笑顔を浮かべた。

 




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 ふぅ、饗団編も大詰めです。
 ここからさらに主人公が苦しい状況に追いやられていくわけですが、うん、私はやはり自分のキャラクターに対してドSなようです。
 どうしてこうなった。


『――――帰る場所を無くした。

 あるのは刀一本、それと弟が1人。

 これもまた、1つの結果なのかな……罰、なのかな。

 あるいは。

 ……コードの、呪い……?』


 ――――TURN15:「少年 と 少女」

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。