秋も深まり、過ごしやすい気候。夏には見なかった虫が心地よい音色を奏でる季節。しかし、今のわたしはあまりいい気分ではない。家中にお酒の臭いが充満し、夜中だと言うのに隣が騒がしい。ハッキリ言えば、気分が悪い。
「あー、たまにはこういうのもいいかなーアハハハハハ!」
「…いつもならもう寝てる時間なんですけど…」
「じゃあ寝ればいーじゃん」
「ねえ、萃香さん…。寝てもすぐに叩き起こして何か食べる物くれっていうのは誰ですか?」
「そりゃ私だ!悪いな!いちいち起こして!」
萃香さんが自分で持ってきたのも含め、既に十数本は瓶を空にしている。際限なくお酒が湧くという瓢箪も飲んでいるので、二十本分は飲んでいるかもしれない。…いや、下手したら三十本分か?
「…流石に飲み過ぎじゃぁ…」
「あぁ?まだ始まったばかりだろー?」
「…もう夜になって長いんですけど…」
普段から酔っているような気がするが、それ以上に酔いが回り、理由なくわたしの背中を叩いたり大声で笑い出したり。正直言って、近くに人がいなさそうな魔法の森でよかったと思う。もしも、これの所為で睡眠妨害になっていたとしたら非常に申し訳ない。
前にも聞いたことがある話から、ほら話としか思えないような話まで飲みながら止まることなく話し続ける。しかし、嘘を吐くような人ではないからきっと本当なのだろう。しかし、前に『たまには嘘吐くかも』とか言ってたからどうだろう。
醤油で濃い目に味付けした茸や中までしっかり火を通した猪肉など、色々なつまみを作った。普段とは違い、まともに調理しているから妙な味ではないと思う。美味いとは言われたが、不味いとは言われていないので大丈夫だろう。
そんな理由でもう眠気は吹き飛び、欠伸も出ない。いっそのことこのまま起きていた方がいいような気もしてきた。
「ほらほら!幻香も飲め飲め!」
「わたしは水でいいですから、萃香さんはわたしの分まで楽しんでください」
「え?いいの?いやー、そう言われたらそうしちゃおうかなー!」
「…はぁ、いつにも増して気分よさそうですね…」
「気になる?気になるよな!?それはな――」
突然、萃香さんの言葉を遮るような轟音が響いた。一瞬、何の音だか分からなかったが、すぐにわたしの家の扉を思い切り開き、壁に叩きつけられた音だと分かった。
「ハァ…、ハァ…、おねーさん!」
「…フランさん?」
「ん?吸血鬼の妹?」
出入口には、大きく息を乱したフランさんが立っていた。一緒に来ている人は誰も見当たらず、たった一人でここに来たようだ。…いいのかな?
そしてそのままズンズンとわたしに近付いてきて、両肩に手を置いた。いや、置いたというより掴まれた。…何事?
「月がっ!」
「…月が…?」
「月がおかしいの!絶対におかしい!」
「…はい?」
そう言われたので、両肩に置かれた手を無理矢理外し、外に出る。萃香さんとフランさんがわたしの後ろを付いて来たが気にせず目を凝らして月を見る。…よく分かんない。
もうちょっと近づいてみようか、と無駄なことを考えていたら、萃香さんが口を開いた。
「あー、そう言われればそうだなー」
「どこがです?」
「確か今日は満月だったはずだ。けど、少し足りない」
「んんー……、あ、本当だ」
そう言われて見て見れば、僅かに欠けているように見える。けれど、それでどうしてフランさんがここに?
「でしょう!?吸血鬼に対して偽物の月なんて何かの挑発よ!」
確かにそうかもしれない。吸血鬼にとって月はとても重要なものだ。それが偽物にすり替わるなんてことがあったら、それは挑戦状と受け取れなくもないかもしれない。
「………で、本音は?」
「お姉様が意気揚々と出て行ったのに『フランはお留守番ね』とか言ってきてむかつく!」
「そうですかー…」
「アッハッハッ!こりゃ元気いいねえ!」
笑い事じゃないですよ萃香さん…。けれど、レミリアさんのことだけではなく偽物の月だというのにも怒りを感じているんだと思う。さっきから月のほうに目が行ってるし。
「まあ、それでどうしたいんです?」
「お姉様を追って、追い抜いて、偽物の月を作った黒幕を叩きのめす!」
やっぱりね。レミリアさんはこの月の異変に気付いて出て行ったんだろう。それを出し抜いてしまいたいわけだ。
ここで、そんなのはレミリアさんに任せておいて帰ってください、なんて言えない。とてもじゃないけれど言えない。もし言ったら、フランさんの不満がどうなるか分かったものじゃない。
「…まあ、いいんじゃないですか?黒幕退治」
「でしょう?行こう!おねーさん!」
「ああ、それでわざわざわたしのところに…」
まあ、これから家に戻って萃香さんに付き合うよりはいいような気もする。あのお酒の臭いはきつい。
よし、行こう。月の異変を起こした黒幕の正体も気になるし。それに、フランさんを一人で行かせるわけにはいかない。
「萃香さん」
「んー?何ー?」
「留守、頼んでいいですか?」
「おー分かった。行ってこーい!」
「棚の中にお酒がもう少し入ってたと思いますから、飲み干していいですよ」
「そこまで言われたら飲むしかないなー!」
そう言うと、萃香さんは家に戻って行った。きっとすぐに棚の中を漁りだすだろう。
「さて、フランさん」
「何?おねーさん」
「一つだけ」
人差し指を額に向けて軽く弾く。
「痛っ」
「わたしも行くのはいいですけれど、ここまで来るのに一人というのはちょっとよくなかったですね」
「…むー…」
「膨れても駄目です」
レミリアさんとの約束。フランさんは一人で外に出ない。けれど、ここに一人で来てしまった。代わりに少しだけ叱っておいた方がいい。
「良いか悪いかは知りませんが、制限には理由があります。多分、レミリアさんは貴女を心配して同行者と一緒に、と言っていたと思います」
「…そうかもしれないけどさぁ…」
「だから、わたしが貴女のところへ行って連れ出したことにしましょう」
「え?」
ここで、一緒に叱られましょう、と言うほどわたしはいい子ではない。レミリアさんが紅魔館を出て行ったのがいつかは分からないけれど、どうにかなるだろう。
「理由はそれっぽいのをでっち上げましょう。『満月じゃないのが気になってパチュリーのところへ行こうとしたらその前にフランさんに会って、世間話でフランさんに満月のことを言ったら、フランさんが興味を持った。わたしはレミリアさんに留守番と言われていたことも知らずに連れ出した』…大体こんな感じでいいですかね」
嘘は真実を混ぜた方がいいのだが、今回はほとんどない。そういうときは、曖昧なところを多く残しておけば、相手側が勝手に補完して真実味が出る。
「え?いいの?それだとおねーさんが…」
「いいですよ。フランさんが叱られるのはあまり見たくないですし」
それより、叱られると紅魔館に尋常じゃない傷がつくことが多い。壁数枚は壊れる。酷い時は紅魔館の右側の一区画が全部倒壊した。そうなるよりはマシだろう。それに、上手くやればわたしへの被害もない。
「とりあえず、どこに行きます?」
「えーと………、こっち行こう!こっち!」
そう言って指差す方向には、何もなかった。いや、普通にそれっぽい自然があったのだが、それはおかしい。
「…あっちには、人間の里があったはず…」
「え?人間の里?……ないじゃん」
いや、確かにあったはず。間違えるわけがない。間違えたら大惨事になってしまうのだから。しかし、何度瞬きしても、目をこすっても、頬を叩いても、一向に現れる気配がない。
これも、月の異変の関係なのか?
「…行ってみますか。わたしはあまり近付きたくないですけど」
「え、何で?」
「……とりあえず、行きましょう。話しながら」