新世界に招待されてからいくらか時が経った頃の小話。
寝起きでうすぼんやりとした頭のまま布団からのそのそと出て、日光に当たらないように気を付けながら窓の外をボーッと眺める。何か特別なことがあるわけではない、奇妙な事象が発生しているわけでもない、平々凡々な朝である。
「ふぁー…、今日は何しよっかなぁー…」
込み上がってきた欠伸を一切我慢せずに大口を開けながら、私は今日の予定を思い出していた。けれど、特に何もなかった。何かしようって目的とか、何処か行こうって約束とか、そういうのはなかったはず。…うーん、どうしよっかなぁ。
椅子に腰かけながら腕を組んでうんうん唸って考えてもいい考えが浮かんでこない。…とりあえず何か食べようかな、と思ったけれど、そういえばこの前ちょうど食材を切らしたんだった。…橙から貰う?最近独り立ちする宣言しちゃったのに?それは嫌だな。うん。
「あ、そうだ」
ピンと思い浮かぶもの。そうだ、私にはこれがあったんだった。どうして最初に思い至らなかったんだろう?
私は立ち上がり、壁に引っ掛けてある金属質の鍵を手に取った。頭の部分には紅色の宝玉が嵌め込まれている以外に飾りっ気のない、探せば似たようなものがいくらでも見つかりそうな鍵。けれど、これは私にしか使えない特別な鍵なんだ。
「えい」
宝玉に妖力を流し込みながら何もない空間に向けて鍵を突き出すと、ズプリと空間が鍵を飲み込んでいく。そして、何もない空間で鍵を捻れば、ガチャリと開く音が響いた。そして、空間に私一人が余裕で通れるほどの大きさの長方形の線が走る。
空間に浮かぶ長方形を扉のように開くと、様々な色が流れていく不思議な空間が広がっている。私は空間に開かれた長方形を通り抜け、それから鍵を引き抜く。すると、長方形は音もなく閉じてしまった。これで知らない誰かがここに来ることはない。そう思いながら、不思議な空間に伸びている通路を歩いていく。
この鍵を使えば、お姉さんが創った世界に行くことが出来る。より具体的には、お姉さんが住む社に繋がる。この鍵は宝玉に触れてDNAを判定しつつ妖力を流すことで識別して本人ならば扱うことが出来る、って言ってた。お姉さんから私達に一本ずつ配られた特別な鍵。
「あっ、フランじゃないですかっ」
「おはよう、香織。お姉さんはいる?」
「いますよ。ささ、こちらですっ!」
通路の出口を抜けると、そこにはちょうど香織がいた。お姉さんの従者の片割れの黒い方。そんな彼女にお姉さんがいるかどうかを訊けば、部屋に案内してくれる。
日の当たる場所を避けながら廊下を歩く香織に付いていきながら、私は窓から外を眺める。…うわぁ、真っ青な空が一面に広がってる。しかも、雲が遥か下にあるよ。どうやら、今のお姉さんの社はとんでもなく高い場所にあるみたい。
そんなことを考えながら歩いていると、緑黄色の羽毛を持った鳥と人間を足して二で割ったような人とすれ違った。すれ違い際に会釈すると、向こうは嬉しそうに羽を振るわせてくれた。わぁ、あの人がここの集団の種族なんだ。
「主様っ!ご友人が遊びに来ましたよっ!」
お姉さんがいる部屋に着いた香りが扉を叩いてそう言ったけれど、返事がこない。…どうしたんだろう?
少し不安になっていると、香織が少し呆れ顔を浮かべながら振り返った。
「えーっと、ごめんなさい。最近の主様は外を見るのが趣味で、熱中のあまり…」
「そうなの?」
「はい…。この部屋にいますので、どうぞごゆっくり」
そう言うと、香織はそそくさと立ち去っていった。その背中を見送ってから、私も部屋の扉を数度叩いた。…確かに返事がこない。許可は貰っているし、私は返事を待たずに部屋に入ることにした。
部屋に入ると、茣蓙にお姉さんが座っていた。その前には見たことのない野菜と果実が器に盛り付けられているのだけど、手を付けたようにはとても見えない。だって、お姉さんはそっぽ向いて壁のほうをジーッと見詰めていたのだから。窓じゃなくて、壁。どう考えても外を見ているようには見えないんだけど…。
「お姉さん?」
そんなお姉さんに声を掛けたけれど、返事がない。
「お姉さーん?」
もう一度、もう少し声を大きくして呼んでみた。やっぱり返事がない。
「お姉さんッ!」
「んぉ?…あ、え、フランじゃあないですか。いつの間に」
「さっき来たばっかだよ、もう」
耳元で名前を叫んでようやく気付いてくれた。目をぱちくりしながら私と顔を合わせてくれたお姉さんは、器に盛られた食材に気付いてため息を吐いた。
「…また悪いことしちゃったなぁ。気付かなかった」
「さっき香織が言ってたけど、外?を見てたんでしょ?どう見ても壁を見詰めてるようにしか見えなかったけど」
「壁の向こう側を…、いや、実際に見てもらったほうが早いか」
そう言いながら器を脇に置いたお姉さんは、私の頬を両手で優しく挟んだ。暖かな熱が伝わってきて気持ちがいい。
…じゃなくて!見てもらうって、何を?
「お姉さん、外なら窓が」
「ちょっとごめんね」
言葉の途中で、私の首が本来曲がってはならない何処かへひん曲げられた感触がした。それと同時に、視界に映るものが一瞬にして切り替わってしまった。
「…なに、これ」
白とも黒ともつかない空間が広がっていて、見渡す限りキラキラ輝く星のような点々が無数に散らばっている。その景色に驚きながらおそるおそる周囲を見回して、目に見えたものにギョッとする。それは、まるで無理矢理絵の中に閉じ込めたように平べったくなった、お姉さんの部屋だったから。
「世界の外側だよ。で、遠くに点が見えるでしょう?あれらは全部、世界なんだ。わたしの世界に来る前にいた幻想郷も、この無数の点の中の一つに過ぎない。無論、わたしの世界もね」
お姉さんはそう言いながら、私の頭をまた動かした。首が凄く変な感じ。きっと、また変な方向にひん曲げたんだと思う。私には到底理解出来ない領域に。
「フラン。左目を閉じて」
「う、うん」
お姉さんに言われるまま、私は左目を閉じた。その次の瞬間、私の右こめかみにズプリと何かが入り込んでくる。
「ぇ、ぁ…?」
「落ち着いて。ちょっと右目を創り替えるから。大丈夫。わたしが責任持って元通りに創り直してあげるから」
「そ、そうなの?」
急に右目を創り替えるなんて言うからビックリしちゃった。けれど、お姉さんそう言うなら大丈夫。私はお姉さんを信頼している。だから、何の問題もない。
「うわぁ…っ!」
そうして創り替えられた右目に映ったのは、遥か遠くに見えた点の一つだった。つまり、私の右目は世界の一つが見えたのだ。
そのまま右目を動かしてその世界を見回そうと思ったのだけど、何故か動かなかった。
「お姉さん、右目動かないよ?」
「超高倍率のまま動かしたら見せたいもの見せれないでしょ?だから、右目は私が動かしてるんだ。ほら、まだ倍率上げるよ」
そう言われ、右目に映る世界がどんどん近付いて見えた。お姉さんが言った通り、倍率が上がっているのだろう。やがて、その世界に浮かぶ地球の中のある一区画、そのさらに近付いた一つの大きな館が視界の真ん中に映った。
「…え、紅魔館…?」
「そう、紅魔館だ。けれど、驚くのはまだ早い」
視界がさらに近付いていき、紅魔館のバルコニーに向かう。そして、そこに映る四人の姿に私は目を見開いた。
私だ。私がいる。それに、レミリアと咲夜まで。しかも、私とレミリアはどうしてあんな風に嬉しそうに笑い合っているの?意味が分からない。それに、私とレミリアの間にいるあの桃色の髪をした吸血鬼は誰?あんな吸血鬼、私は知らない。
「知らなくて当然だ、フラン。彼女はフィルシー・スカーレット。愛称はフィル。『理想を体現する程度の能力』を持った、スカーレット家の次女。…当然、貴女の血縁にそんな存在はいない」
「じゃあ、あれは何処の誰なのよ?」
「あの世界の幻想郷にいるスカーレット家は三姉妹なんだ。あの世界は、わたし達の知る幻想郷とは違う幻想郷。そして、あの次女はあの世界に生まれて、生きている、れっきとした存在」
「…違う、幻想郷」
幻想郷が、二つ?…ううん、あの点々全てが世界なのだから、幻想郷だって無数にあるに違いない。
「わたしはね、フラン。ああいう別の幻想郷を見つけては観察しているんだ。そうやっていくつも見ていると共通点が浮かんでくる。博麗霊夢がいる。霧雨魔理沙がいる。上白沢慧音がいる。藤原妹紅がいる。フランドール・スカーレットがいる。パチュリー・ノーレッジがいる。伊吹萃香がいる。古明地さとりがいる。古明地こいしがいる。チルノがいる。大妖精がいる。サニーミルクがいる。ルナチャイルドがいる。スターサファイアがいる。ルーミアがいる。リグル・ナイトバグがいる。ミスティア・ローレライがいる。姫海棠はたてがいる。風見幽香がいる。八雲紫がいる。八雲藍がいる。橙がいる。紅美鈴がいる。十六夜咲夜がいる。レミリア・スカーレットがいる。西行寺幽々子がいる。魂魄妖夢がいる。アリス・マーガトロイドがいる。因幡てゐがいる。鈴仙・優曇華院・イナバがいる。八意永琳がいる。蓬莱山輝夜がいる。射命丸文がいる。犬走椛がいる。メディスン・メランコリーがいる。小野塚小町がいる。四季映姫・ヤマザマドゥがいる。東風谷早苗がいる。稗田阿求がいる。黒谷ヤマメがいる。水橋パルスィがいる。星熊勇儀がいる。火焔描燐がいる。霊烏路空がいる。レティ・ホワイトロックがいる。リリーホワイトがいる。ルナサ・プリズムリバーがいる。メルラン・プリズムリバーがいる。リリカ・プリズムリバーがいる。ヘカーティア・ラピスラズリがいる。極一部例外はあれど、この辺りの同じ名前を持つ、よく似た容姿の存在がね」
私とレミリア、咲夜もいたんだ。それ以外だっていても何もおかしくない。そう思った。
「そして、もう一つ。さっきのスカーレット家の次女のような、他の幻想郷にはいない存在が一人くらいはいるんだ。そういう存在は、その世界でやけに強かったり、誰もに好かれていたり、あるいは逆にとことん弱かったり、嫌われたりしている。不思議だと思わない?」
「…よく、分かんないよ」
「分かんなくてもいいよ。わたしが見てたものを、フランにも見せてあげたかっただけだから」
お姉さんはそう言うと、私の右目を元に戻してから頭をグイグイと二度曲げた。すると、わたしの視界は元のお姉さんの部屋を映していた。…さっきまでの不思議体験はもうお終いみたい。
まだちょっとだけ違和感を残している首を擦っていると、お姉さんが食材が盛り付けられた器を私に差し出した。
「さ、一緒に食べよっか。ま、わたしへの供物なんだけど」
「え、それって私が食べていいものなの?」
「いいんだよ。わたしに献上されたものなんだし。それに、お腹空いてるでしょ?」
「あ…」
そう言われて、今更ながら空腹であったことを思い出した。そういえば、私は朝起きてから何も食べていない…。
お姉さんが差し出した器の野菜を手に取って口に運ぶ。トマトに似た見た目だったけれど、食感も味もほとんどトマトと同じでとても美味しかった。