幻禍が世界を去ってから数日後の小話です。
待ってるから。
「新聞、号外でーす。受け取ってくーださい」
庭で肉の燻製を夜中から明け方まで続けていたら、私の家にまで飛んで来たらしい天狗が開けていた窓に新聞を投げ入れてきた。私は外にいるんだが、どうやらあの天狗は私に気付かなかったらしい。わざわざ迷いの竹林までご苦労なこった。…それにしてもあの声、いつもの天狗じゃなかったな。
温度調整があるからここからあまり離れたくないのだが、号外で、かついつもと違う天狗が書いた新聞という代物にほんの少し興味が湧いた。早足で家に入り、投げ込まれた新聞を手に取った。
「…『禍』?」
すぐに戻ろうと考えていたのだが、見出しに書かれたその一文字に目が引き寄せられる。…嫌な予感がする。
一度目を瞑り、気分を落ち着かせる。…ひとまず、戻ろう。燻製の適温から外れたら、せっかくの肉が駄目になるかもしれないから。そう思うことで、意識を無理矢理新聞から逸らす。
家から出てすぐ庭にドカリと腰を下ろし、燻製の火を確認する。…この様子なら問題ないな。さて、…読むか。
「…ッ」
『博麗の巫女、『禍』を討つ』。その見出しを読み切ったところで自然と両手に力が入り、新聞がクシャリと歪む。…待て、まだ読み切ってない。ここで感情に任せて引き千切るのは後でも出来る。そう考え、意志を持って両手を広げた。
両手を脱力させてから膝の上に落ちた新聞を改めて手に取り、続きを読み込む。曰く、博麗の巫女が『禍』の封印を自ら解き、死闘の末に『禍』を討ったそうだ。将来への不安を断つことが出来た、という言葉で締めくくられている。そして、死闘の痕跡として、跡形もなく吹き飛ばされている博麗神社跡地の白黒写真が貼られていた。
「幻香が、死んだ…?」
そう言葉に出すが、いまいち現実味がない。待てよ、待ってくれ。あの幻香がだぞ?贔屓目に見ているかもしれないが、並大抵の相手なら負けるとは到底思えないし、後れを取ることはあっても死ぬ気がしない。そう感じていたのだが…。
それに、そもそも幻香は地底にいるんだろ?まさか、見つかったのか?それとも、もう自ら地上に上がったのか?…分からない。
「死んだ。…死んだ、かぁ…」
幻禍が死んだと考えると、自然と心に悲しみが満ちていく。涙は出ない。ただ、もう会えないと思うと、惜しい奴を亡くしたと感じる。不思議な奴だった。楽しい奴だった。痛々しい奴だった。けれど、そこまで思っても、それでも私はあの幻香が死んだと信じることが出来なかった。
「…あぁー…。慧音、何て言うかなぁ…」
新聞から目を離し、空を見上げる。この新聞はきっと人里にも配り歩かれているだろう。また宴会騒ぎになるかもなぁ…。あの頃の慧音、私と会うときはあんまいい顔してなかったんだよな、あれ。けれど、外じゃあそんな顔出来ないから、貼り付けた笑顔を浮かべてた。…嫌なんだよ、ああいう顔。
気が付けばクシャリと握り締めていた新聞を改めて見遣ると、博麗の巫女が重傷、という文章が目に付いた。…そう言えば、数日前に迷いの竹林を慌ただしく移動する音が聞こえたな。あれはそういうことだったのか。…号外、っていう割に、結構前の話じゃあないか。
「フラン、荒れるだろうなぁ…。押さえるのに苦労しそうだ…」
迷い家に住んでるフランにこの新聞を知るのはもう少し後になるだろう。だが、私達の誰かが迷い家に行けば嫌でも知るだろう。行かなかったとしても、橙という化け猫から伝わるだろう。だったら、暴れるフランを止められる私か萃香が伝えたほうがいい。
だが、幻香の訃報を伝えるのは、正直言ってきつい。この訃報が嘘だと思いたい。その根拠が欲しい。…あぁ、そうだ。天狗の新聞なんて半分以上法螺吹きじゃあないか。いつも通り嘘っぱちなんだよ。文々。新聞なんかそうだろ。同じ天狗の新聞だし、これだってそうだろ。
なんて、意味のない妄想が頭を巡る。ふぅー、と肺に溜まった重たい空気を吐き出しながら、クシャクシャになった新聞を広げる。もう一度読んだ。さらに読んだ。一字一句余さず読み込んだ。しかし、内容が変わることはない。
「…終わったら、出るか」
これ以上読み返すのを諦め、新聞に火を点けて燻製の火種にし、重たい頭を押さえる。今すぐにでも出るべきなんだろうが、途中で放り出すわけにはいかない。そんな言い訳をしながら、少しでも先送りにしようとした。
…新聞、燃やさない方がよかったな。
◆
扉を叩く音が聞こえ、微睡みの中にいた私の意識がゆっくりと浮上する。…まだ眠いよ、橙。それに寒いし。
そう思いながらのっそりと布団から起き上がり、寝ぼけ眼を擦りながら扉を開ける。
「…あれ、妹紅じゃん。…どうしたの?」
「…あー、あれだ。ひとまず、中に入っていいか?」
「あ、うん。いいけど…、っとっと」
妹紅は返事の途中で私の横を割り込むように入ってきた。…どうしたんだろう、急に?それに、なんか顔色も悪いし。そんなことを目覚めたばかりでいまいち回らない頭で考えていた。
扉を閉めて振り返ると、妹紅は既に椅子に腰を下ろしていた。頬杖を突き、片脚で床をカタカタ鳴らしながら机をジーッと見つめている。…やっぱり変だ、今日の妹紅。落ち着こうとして、けれど全然落ち着けないような感じ。
妹紅の向かい側の椅子に座り、妹紅を真っ直ぐと見る。すると、妹紅が長くて重い息を吐いた。
「…フラン、落ち着いて聞いてくれ。くれぐれも騒ぐなよ」
「う、うん」
「幻香が死んだらしい」
ガタン、と椅子を引く手間を惜しんで勢いよく立ち上がる。倒れた椅子なんて無視だ。今、妹紅は何て言った?お姉さんが、死んだ?死んだって言ったの?
立ち上がった私を妹紅は真っ直ぐと見詰めてきた。その瞳は暗くて、冷たい。
「…落ち着けよ」
「落ち着いてなんていられないよッ!」
「落ち着け、フラン。…頼むから、落ち着いてくれよ…ッ」
「…あ、…うん」
固く握り締められた妹紅の手を見て、そしてそこから香る血の匂いを嗅いで、荒ぶる心に冷や水が掛けられた。…そうだ。落ち着いて、って言われた。騒ぐな、って言われた。私が暴れたら、妹紅も抑えられなくなるかもしれないから。だから、嫌でも冷静にならないといけないんだ。…けれど、さ。分かってても、辛いよ。
倒れた椅子を戻してから腰を下ろす。膝の上に両手を握り締めて置き、私は妹紅の言葉の続きを待った。
「…さっき、新聞の号外が配られてな。博麗の巫女が『禍』を討った、って書かれてたんだよ」
霊夢が、お姉さんを、殺した。封印だけじゃあ飽き足らず、お姉さんの命を絶った。
じんわりと視界が紅く染まっていくのを感じる。手、握り締めててよかった。開いてたら、きっと何でもかんでも壊してたから。そして、そのまま霊夢の元へ飛んで、私がお姉さんの仇討ちをしてただろうから。
目を固く閉じ、爪が手のひらの皮膚を突き破るくらいきつく握り締める。…駄目、暴れちゃ。落ち着いて。落ち着け。
目を開くと、いつも通りの視界に戻っていた。握り締めていた手を緩めて、天井を見上げる。そして、ふと思い出したのはお姉さんが言っていた約束。
「…お姉さん、地上に戻って来てたんだね」
「ま、多分な。…けど、何も言わねぇで逝っちまった」
「みたい、だね…」
信じられない。信じたくない。
「…ねぇ、本当なの?…真実なの?」
「新聞にはそう書かれてた。それしか私に言えることはないよ」
そう言われ、ふっと心が軽くなるのを感じた。そっか、新聞にはそう書かれてたんだ。
「なぁんだ。じゃあ、私はお姉さんは生きているって信じるよ」
「…だよな。私もそう思ってる」
そう言うと、お互いに噴き出した。さっきまでの重苦しい空気が嘘のように霧散し、けらけらと笑い合う。なぁんだ、やっぱりそうなんだ。妹紅だって、その新聞のこと、信じてなかったんだね。
お姉さん、私、待ってるから。ここで、ずっと。