まずは一つだ。厄介な存在をどうにか出来た。けれど、まだ続きがある。辛いか?…全く。痛いか?…全然。苦しいか?…微塵も。やれるか?…やるよ。
眠る八雲紫の頭に手を伸ばそうとしたところで、こちらに向かってくる気配をいくつか感じ取った。そのうちの一つが途轍もなく速く、一直線に飛んできている。八雲紫の記憶を把握するのはひとまず後回しにし、わたしは振り返りながら見上げた。
「紫様ッ!」
「…一足遅かったかな?」
その視線の先から急接近してくる存在は、主を想い憤怒と悲愴が入り混じった表情を浮かべる従者。さて、次へと進む前にやり残したことがあったわけだし、先にこれらを処理しないといけないかな。
目測で速度と距離を測った結果、わたしの元まで五秒と経たずに到達するだろうと推測出来た。しかし、それだけあれば余裕があり過ぎる。わたしは膝を折り曲げてしゃがみ込み、八雲藍に思い切り背中を晒し出した。
「ッ!貴様…ッ!」
「ま、そりゃ止まるよね」
ただし、八雲紫のだが。救うべき主を盾にされれば、その振り上げた腕も、開いた手の上に集められた膨大な妖力も、振り下ろせずに収めるしかないよねぇ?
無理に急停止させたところで、立ち上がりながら反転し、回し蹴りを脇腹に叩き込む。降ろしていた腕に防御はされてしまったが、その腕ごと圧し折ってしまえば防御なんざ関係ない。
腕の骨を粉砕された苦痛に歪む八雲藍を見遣り、それでもなお反撃しようとする手の先に八雲紫を差し出して止めてしまう。辛そうだね、切り捨てることが出来ない者が相手の手中にあると。…ま、どうでもいいか。次が迫ってるし、急がないと。
「変化『巨腕の鉄槌』」
肥大化させた左腕を振り下ろし、八雲藍を押し潰す。肉が潰れ、骨が砕け、血が爆ぜ散る感触。断末魔の声は一切なかった。…ま、仮にも九尾の狐だ。この程度で死ぬなんてことはないでしょう。
左腕を戻すと、血の海に沈みながらも強い意志を持ってわたしを睨む八雲藍がいた。視線に威力があるなら風穴が空いてしまいそうだ。体はまともに動かせないのか、ビクビクと痙攣させている。このまま放っておいても問題ないかもしれないが、もしかすると回復してしまうかもしれないし、確実に再起不能になってもらうかな。
八雲紫に突き刺した妖力無効化の杭を内部に含まれた情報まで複製し、グチュリと突き刺した。刺した瞬間に目を見開きもがき始めたが、やがて動きを止めた。
手に持っていた八雲紫を八雲藍の隣に並べて置き、八雲藍の瞼を下ろしておく。二人揃って眠ってろ。
「…ふぅ。あー、疲れた」
贄に捧げたものが多いせいか、これ一本創るのに相当量の妖力が必要になる。正直言って、こんなものこれ以上創りたくないわ。
さて、次だ。一応、貰えるものは貰っておこう。わたしは八雲紫の横にしゃがみ、頭に手を当てて内部に妖力を流し込む。表層は何も動いておらず、何の情報もない。…うん、これに関しては封印されているわけだから予想通り。目的は、さらに奥だ。
「…あぁ、やっぱりそんな感じだったのか」
目先の餌に食いついたのは確かにわたし自身だけど、歪んだ成長の道を歩む原因に八雲紫が一枚噛んでいた。最果ては成れの果て。最も外れているからこそ、八雲紫が望むもの。けれど、残念だったね。仮説は貴女の記憶によって証明された。貴女に捻じ曲げられた道は既に戻り終え、そしてわたしが望む道を歩き始めている。
それからも出来るだけ急いで読めるだけ読み込んでいったが、わたしの元へ来ている数多の気配が近付いてきたのを感じ、一旦記憶把握を止めた。気配がする方角を見遣ると、地底の妖怪達が何処か恐る恐るといった足取りでこちらに歩いてきている。わたしはゆっくりと立ち上がり、彼らに微笑みかけた。…あぁ、頬が吊り上がる。ちょっと抑えられそうにない。
先頭に立つ勇儀さんがわたしの前で立ち止まりながら両腕を広げ、その後ろにいる地底の妖怪達を制する。すぐに殴り掛かってくると思ってたけれど、意外と慎重なんだなぁ。いや、勇儀さんが前にいるからかな?…ま、どうでもいいや。
「…おい、幻香。話がある」
「いいですよ、勇儀さん」
探る気の一切ない威圧的な言葉。けれど、不思議と脅威だとは思えなかった。相手は山の四天王なのに、可笑しな話だ。
ふと改めて地底の妖怪達を見回してみると、憤怒よりも畏怖が色濃く見えた。何故だろう?…あぁ、突然旧都が半分消滅したと思ったら、すぐに丸ごと吹き飛ばされたんだ。怒りよりも恐れが前に出てもおかしくないかも。
そんなことを考えていると、勇儀さんがドカリと腰を下ろし胡坐を掛いた。それに倣うべきか少し迷ったけれど、わたしも腰を下ろすことにする。
「先にいくつか言っておく。こいしちゃんがあんたを必死に庇ったからちょいとばかり考えてやるが、場合によっちゃああんたを潰さないといけなくなる。…だからな、幻香。正直に答えてくれよ」
「そうですか。わざわざ考えてくれるだけ温情、としておきましょう」
考えるまでもないと思うんだけどなぁ。けれど、こいしの行為を無下にはしにくいし、受け取ることにしよう。
わたしは鋭く目で射貫く勇儀さんを眺めていると、重々しく口を開いた。
「単刀直入に問おう。…何故、旧都を更地にした?」
「戦闘の結果だから、何故と訊かれても困りますよ。そうなったからそうなった、としか言えませんから。…ま、あれだ。仕方なかったんだ」
そう答え終えた瞬間、八人の地底の妖怪が跳びかかってきた。勇儀さんを跳び越えてきた二人は勇儀さんに足を掴まれ無理矢理止められたが、それ以外の六名は拳を固く握り締め、わたしに迫り来る。その顔を眺めると、怒りで我を忘れているように見えた。
ガガガガガガ、と六つの鈍い音が響く。目の前の勇儀さんの顔が奇異なものを見る目で見開かれた。左右から呆けた声がいくつか漏れ聞こえてくる。その様子に、わたしは思わず首を傾げた。
「何を驚いているんですか?」
「…急に腕が増えりゃ、誰だって驚くわ」
「今更でしょ」
わたしの両肘から先が三又に分かれ、それぞれ伸びた手が六人の拳を掴んで止めただけなのに。両腕を大きく振るって左右に投げ飛ばし、わたしは腕を元に戻した。体が変容する感覚なんざもう慣れた。
わたしの腕が戻ったことで意識も戻ったのか、再び鋭く睨まれる。ただし、その目はわたしだけではなく、投げ飛ばされた六人と押さえつけた二人の地底の妖怪にも向けられていた。
「…悪かったな」
「いえ、気にせず続きをどうぞ」
「そうかい。なら遠慮なく。戦闘の結果か。よく分かった。…それで、あんたはこれからどうする?」
「地上へ上がる」
「これを放ってか?」
勇儀さんは全てが吹き飛ばされた旧都だったものを見回しながら言った。ふむ、なるほど。
「放ってですね」
そう答えると、勇儀さんは確かめるようにわざとらしく問い重ねた。
「何かしようとは思わんのか?」
「全く」
「こんなにしちまったのにか?」
「全然」
「悪かったとは思わんのか?」
「欠片も」
「責任も感じんのか?」
「微塵も」
えぇ、必要な犠牲でした。八雲紫相手に出し惜しみも手加減も出来ませんでしたからね。スッパリ割り切らせてもらおう。
そう思いながら微笑んでいると、勇儀さんは盛大なため息を吐いた。
「…情状酌量の余地なし、か。悪いな、こいしちゃん。正直、私だってこんな最期は出来れば避けたかったんだがなぁ…。あーあ、もったいねぇなぁ…。萃香に何て言われるやら…」
地上を見上げながらそう呟く勇儀さんは、のっそりと重い腰を持ち上げた。わたしを見下ろす瞳は、酷く冷たい。
「鏡宮幻香。あんたはあまりにも度が過ぎた。…潰すぞ」
「やれるもんならやってみな」
何故かな。負ける気がしないんだ。