東方幻影人   作:藍薔薇

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第414話

とある酒の呑める店に当たりを付け、凍えた風を防寒具の上から受けながら急いで行ってみると、そこには目的である勇儀が一人で高価な酒を何本も空けていた。あたいはその隣の席に腰を下ろし、一つ安い熱燗を注文した。今の旧都は何かと物価が高い。

 

「勇儀、あんたこんな高い酒呑んで…。大丈夫かい?」

「いいんだよ。手に入れた金を使う。これも仕事の内さ」

 

そんな軽いやり取りをしている間に、あたいが注文した熱燗が置かれた。グッと一気に飲み干し、少し冷えた体を温める。

さて、今日は幸先がいい。さとり様に任された仕事を手早く済ませるとしよう。

 

「で、今の旧都はどうなんだい?」

「大分マシになった、って言っといてくれ。思ったより早く立ち直りそうだ」

「…そもそも、あんたが旧都を崩壊させるような被害を出すような喧嘩したのが原因でしょうに」

「そう言うなよ。私だってまさかあんな隠し玉が出るとは思ってなかったさ。むしろ、地霊殿をぶっ壊さなかっただけありがたく思えよ」

「…はぁ、はいはい。それじゃ、用は済んだからあたいはこれで」

「酒代は私が払っといてやるよ」

 

そう勇儀に言われ、その好意をありがたく受け取る。居酒屋の店主にもそのことを伝えていると、その店主から一本の純米大吟醸が入った一升瓶を手渡された。

 

「好きに呑め」

「えっ、本当かいっ!?」

「熱燗一杯じゃあ寂しいだろ?」

 

思いがけない勇儀からの土産物にあたいの気分は一気に急上昇し、居酒屋を出る足が普段の何倍も軽くなった。

 

「にゅっふふーん」

 

いつもなら歌うことのない鼻歌すら出てくる始末。きっと鏡を覗けば頬が緩んだだらしない顔をしているに違いない。肌を流れる冷えた空気のことなんか一切気にならなかった。そのくらい、あたいはこの酒瓶が嬉しかったのだ。

この酒を誰と呑もうかなぁ。地霊殿でさとり様のために共に働いている仲間達と呑むのには、残念だけど量が足りないかな…。ならば、ここはやはりさとり様と一緒に呑もうか、それともこいし様と一緒に?…うーむ、悩みどころだ。

つまみになる軽い食べ物はあっただろうか、何てことも考えながら地霊殿に帰ると、そんな上機嫌が一瞬にして素に戻された。

 

「な、な、な…」

 

地霊殿の三階の壁に大穴が空けられていた。そこから地霊殿に戻っていく人影が一つ。見覚えのある防寒着を着た赤髪の後ろ姿。間違いない。

 

「何をしてるんだい、あんたはアァーッ!」

 

ここ最近、地霊殿の庭を毎回ボコボコに荒らして部屋に帰るを繰り返す厄介者、鏡宮幻香。その被害は庭だけに留まらず、遂に地霊殿まで広がったか!

この状況で一升瓶を落としていなかった自分を褒めながら一升瓶を脇に抱え、一目散に地霊殿へと帰還する。そのまま全力疾走で廊下を走り階段を上がり、あの大穴が空けられた場所まで駆け抜けた。

 

「そこで待ちなぁーっ!」

「え?」

 

呑気に伸びをしている幻香にあたいは大声で止まるよう叫び、その前でどうにか停止する。

 

「…あぁ、お燐さんですか。どうしました、そんなに慌てて?」

 

色々な意味で荒れた呼吸を戻すべく、肩で息をしていると、対する幻香は反省の欠片も感じさせないのんびりとした仕草で壁を背に当てて休み始めた。…本当にどうしてくれようか。ひとまず、さとり様にはキチンと報告。絞ってもらうように頼むとしよう。

そうと決めたところで荒れた呼吸が大分落ち着き、あたいのことなんかまったく気にしていないかの如き余裕さでこめかみを軽く押している幻香に、人差し指を真っ直ぐと突き出した。

 

「あんたねぇっ!ここの壁に大穴空けてよくそんな平然としてられるねぇっ!?」

「大穴ぁ?…あー、それかぁ。貴女、見てたんですね」

「ああ見てたさ!あたいのこの目でバッチリとね!」

「じゃあ、その目でこの壁をバッチリ確認してくださいね」

 

トン、と背中を押されて咄嗟に片脚が前に出た。それから、小さな空気の流れがあたいの顔を撫でる。…幻香が、消えた?…いや、見えなかったのだ。あたいの後ろをコツコツと歩く音が廊下に響いている。

幻香の部屋の扉が閉じる音が聞こえた瞬間、ブワッと冷や汗が噴き出し心臓が暴れ出した。思い出したのだ。幻香と初めて相対し、そして思い切りボコボコにされた時のこと。そして、その後にさとり様に殺されていたかもしれないと言われたこと。不可視の挙動で背後に回り込まれ、あたいの背中を軽く押した。もしも、そこに殺意があったら?…あたいは、何も出来ずに死んでいた。理屈じゃなく、本能がそう言っている。

あたいは鏡宮幻香に恐怖を抱いている。

 

「はぁ、はぁ、はぁ…」

 

脇に抱えていた硬いものを両腕で抱きかかえながら蹲り、荒れ狂う恐怖の感情をどうにかして押さえ込む。そうだ。非常に癪ではあるが、鏡宮幻香はあたい達に殺意がない。さらに言えば興味も然程ない。それは、さとり様があたい達に散々言って聞かせてくれたことだ。あの時がそうだっただけで、これからはまずないだろう、と言っていたではないか。幻香は未だに信じきれないが、さとり様なら信じられる。

どうにか気を持ち直し、それでも震える脚で壁を支えにしながら立ち上がる。一つ大きく息を吸い、恐怖と共に吐き出す。…よし、もう大丈夫。

 

「…うげっ、純米大吟醸…」

 

さっきまで抱きかかえていたものが一升瓶だったことに今更になって気付き、罅でも入っていないだろうかと確認してしまう。…よかった、漏れていない。けれど、人肌で温くした酒を誰かに呑まれる気になれなかったし、そもそもこれを誰かと呑む気になれなかった。

 

「…あぁ、そうだ。壁、確認しないと…」

 

それから、幻香が言い残した言葉を思い出す。大穴が空けられた壁。それを確認しろ、と。…そうだ。僅かでもいいから粗でも見つけて、それを肴に呑むのも悪くないかもな、何て卑屈なことを思いながら壁を観察する。

 

「…へ?」

 

ない。もう一度見ても大穴どころか、蟻一匹通れるような穴すらない。罅の一つすら、入っていない。押しても、叩いても、ビクともしない。けど、確かに、ここに、幻香が、大穴を、空けて、いた、はず、なのに…。

創造能力で壁を創って嵌め込んだ?…いや、それにしてはおかしい。さっき押してもずれたりしなかった。偶然押してもずれなかったとしても、大穴の形に沿って線が走っていないとおかしい。なら、ご自慢の創造能力で癒着までさせた?…いや、壁の汚れまで周囲とまるで変わらない。しかも、ここはよく見たらこいし様が昔爪で削っていた落書きが薄っすらと残っているではないか。しかも、ちょうどその落書きの真ん中を大穴の外周が通っていた覚えがある。ご自慢の創造能力で、こんな目を凝らさなければ見つからない、しかも壁の汚れと裏側にあった落書きまで丁寧にまったく同じに創った?…そんなことがあり得るのか?記憶力が無駄にいいことは知っている。だが、そんなことまで覚えてられるとは思えなかった。

 

「何者よ、あいつ…」

 

確認終了。異常、なし…。大穴が空いていた、という結果そのものが覆されたかのように元通り。ハッキリ言って不気味だ。こんな気分になるなら、ここまで綿密に確認しなければよかった…。

上機嫌だった気分は何処へやら、あたいは沈んだ気分でさとり様に与えられた部屋に一人トボトボと戻ることにした。今日はこの酒を呑んで嫌な気分を無理矢理忘れよう。そうしよう。…この件も含めたさとり様への報告は、申し訳ないけれど明日に回させてもらうとしよう。もう、そんな気分じゃない。

手元にあるこの酒が安物ではない事だけが、唯一の救いだった。

 


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