少し離れた席で並々と注がれた酒を乾杯している妖怪達を眺める。流石にあの中に入る気にはなれないよね、酒呑みたくないし。そういうことで、わたしは気を利かせてくれたらしい勇儀さんがあらかじめ投げ渡してくれた果汁が入った一升瓶を開けて少しずつ飲んでいる。どうやら数種類の果物を混ぜているようで、蜜柑や桃、さくらんぼなどの味がする。あぁ、甘いなぁ…。
わたしとしては、さっさと地霊殿のわたしの部屋に帰って休みたかったのだけれども、萃香と妹紅にどうするか訊いていた途中でやってきた妖怪の一人に旧都復旧が無事完了したから皆で仕事終わりの宴会をすることを伝えられ、萃香が即行で了解した。そして、わたしと妹紅は萃香に引っ張られるようにここにやってきたわけだけど、あの中に入って一緒に酒を呑み交わしている妹紅はわたしと違って満更でもなさそうだ。
「食べないのかい?」
「実はあんまりお腹空いてないんですよね」
わたしの向かい側の席に座って萃香と妹紅、ついでにわたしも見張っているらしいお燐さんが指差す二人分にしては少々大きい気がする鍋を見遣りながらそう返す。まぁ、嘘なのだけど。そもそも空腹感が欠落しているわたしにとって、食事にそこまで意味を見出せない。まぁ、グツグツと煮えている鍋の中身を見る限り、唐辛子が入っていないし、出汁が真っ赤に染まっていないし、炎を噴き出してもいないので普通に美味しそうだ。お燐さんが食べ切れなさそうなら、その残りを食べ切るつもりではあるけれど。作ってくれた人に失礼だからね。
「俺ぁ、二十建てたぜぇ?どうだぁ?」
「あぁん?こっちは二十一だっての!」
「仕事終わったし、帰ったら賭けと洒落込もうかね」
「あんた、いっつもそうじゃねぇか…」
「カァーッ、美味ぇ!お前も呑め呑め!」
「もごぉっ!?」
「この前よぉ、向こうの団子屋でみたらしに唐辛子混じってたぜ」
「意外と美味かったなァ、ありゃ。久し振りの当たりだろ」
「んでよぉ、あそこで奴の拳をわざと受けたことでなぁ!」
「はいはい、無防備な顔面にブチ込めたんだろ?知ってる知ってる」
「聞いてくれよォ…。この前なァ、負けに負けて二百もすっちまったんだよォー…」
「お、おぅ…。今度、何か奢ってやるから機嫌直せや」
「あん時の女将の色香と美しさにゃ惚れたね。女子供の娯楽と馬鹿にしてた昔の自分の呪ったわ」
「だなぁ。弾幕を躱し宙を舞う姿はそれこそ蝶のようだった…」
「先月産まれた息子がもう元気溌剌でなぁ、可愛いの勇ましいのなんのって」
「ふっ、てめぇいっつも二言目は息子息子だな。今度会わせろ」
少し耳を澄まして聞いてみれば、達成感と酒に酔いしれている妖怪達は饒舌に取り留めのない話が聞こえてくる。真剣に聞く者、話半分に聞く者、もう聞いたよってウンザリしてる者などなど聞き手も様々。ただ、楽しげな雰囲気は嫌というほど伝わってくる。
「なぁ、こっちの幻香はどうだ?」
「幻香ぁ?…あぁー、地上ののことか」
そんな中で、萃香の言葉が耳に入ってきた。その軽い質問に、萃香の近くに座っていた妖怪達が一気に食い付いている。…ふむ、わたしねぇ。さとりさんからも勇儀さんからも色々言われる程度にはやらかしてるわけだし、あんまりいいこと聞けないと思うんだけど。
「見てるとなんか無性にむかつくんだよなぁ。理由はよく分かんねぇけどよ」
「あいつは豪運だよ。ケラケラ笑いながらいっつも馬鹿勝ちしやがる…。その運俺にも分けろ!」
「目が合うとなんか見透かされてる気分になってゾッとすんだ」
「一発喧嘩仕掛けたら速攻返り討ちにされたわ。しかも追い討ちに顔面踏み潰された」
「弾幕遊戯で相手になったんだけどさ、余裕綽々に躱されるの。なぁにが『次はもう少し楽しませてくださいね』よ!こっちは全力だっての!」
「俺に出来ねぇこと平然とやってのけるの見せられてさぁ、何か苛つくんだよなぁ…。どうしててめぇが出来んだ、ってさ」
「物陰の完全な死角から無音で襲われたと思ったら躱して蹴飛ばしていたのよ…。意味分かんない」
「イカサマ見抜いて放っといて逆に利用しやがるんだよ、アレ。遊び半分で挑むと後悔する」
「見かけるたびになんか考えてるみてぇで、何考えてんだかよく分かんねぇから気味悪ぃんだよなぁ」
「鬼相手に喧嘩してるのよく見てる。…ほら、あの鬼だよ、あれ。しかも毎回勝ってる」
萃香相手だからだろうか、あまり悪感情を感じない答えだ。今すぐ殺してやりたい、くらいなら言われると思ってたんだけどなぁ。けれど、まぁ、割と好き放題言われてるなぁ。この場に私がいるのを知ってて言ってるのだろうか?…知ってても気にしなさそうだな、地底の妖怪達って。
それらの答えを聞いた萃香は一升瓶に入った酒を一気に呑み干し、よぉく分かった、ありがとよと言って空になった瓶を床に転がした。そんな風にしたら誰か転びそう、と思ったらもう既に何十本もの空瓶が床に転がっていた。今更か。
「お燐さんはわたしのことどう思ってます?」
何となく目の前で小皿に寄せた肉と豆腐にふぅふぅ息を吹きかけて冷ましているお燐さんに訊いてみた。わたしの問いに目をパチクリさせたお燐さんは、すぐにそっぽを向いて不愛想に答えてくれた。
「…あたいは好きじゃあないね」
「ま、そうですよねぇ」
何となく分かっていた答えに納得して甘ったるい果汁に口を付けてていると、頬を真っ赤にした鬼が他の妖怪を押し退けながら萃香の前に腰を下ろした。押し退けられた妖怪達は少し顔を歪めたが、それが鬼だと知った瞬間気にすることを止めている。…やっぱり、鬼ってのは存在そのものが強者なんだなぁ、とふと思った。…あれ、強者だよね、鬼って。萃香と勇儀は強いけど。
「ところで萃香の姐御。いつになったらここに帰ってくるんですかい?」
「…さぁなぁ。いつにしようかね」
「そこで濁るなんてらしかねぇ。ハッキリしてくださいよ」
「今んとこ戻るつもりはねぇな」
ま、そうだよなぁ。戻るつもりがあるのなら、そもそも地上に来ない。地底を切り捨てない。地上と地底の不可侵を破ることによる弊害を飲んでまで、地上へ行こうとした覚悟があるのなら、地底に戻るという考えはあまりないと思っていた。
けれど、その答えを聞いた鬼は納得出来ていない様子。机に両手を叩き付け、その拍子につ上が真っ二つに割れる。その音で話が止まり、一瞬の静寂が訪れた。そして、何事もなかったかのように話が再開する。
「何でですかい…。皆、あんたが帰ってくるのを待ってるんすよ…っ」
「ここにいるのは楽だがな、地上にいるのは楽しいんだよ。ここにはなかったものがある。地上に出なきゃ、変わり果てた人間を知ることもなかった。吸血鬼とかいうパチモンの鬼とやり合えなかった。新たな友と巡り合うことはなかった。知らない酒を呑めなかった。…他にも色々言いてぇことはあるけどよ、悪ぃが私は地上に帰る」
「…帰る、すか。はは。それなら、もう止めねぇすよ…」
周囲の雑音の中に、滴の落ちる音は紛れて消えた。…これ以上は見ないでおこう。というか、見てられない。
「それ」
「ん?」
「その果汁、あたいにもちょうだいよ」
「…いいですよ」
お燐さんの伸ばした手にある水呑にトポトポと注いであげると、グッと一気飲みした。…うん、分かるよ、そんなうへぇとでも言いたげな顔を浮かべるのも。これはそんな風に一気に飲むものじゃないよね。
この宴会は長引きそうだなぁ、と思いながら、天井に細く息を吐いた。