「ん…っ」
ボーッとした曖昧な頭が急速に無理矢理覚醒させられているのを感じた。思い出すのは、萃香との喧嘩の途中でなんか倒れたこと。色々と無理が祟ったのだろう、うん。目を閉じたまま周囲の様子を探ってみると、背中がやけに柔らかく、周囲の音もかなり少ない。おそらく、倒れたわたしを何処か別の場所に運んでくれたのだろう。地霊殿だろうか?
「幻香ッ!よかった!よかった…っ!」
「ぐえっ!?」
身体を起こした瞬間、はたてさんがとんでもない速度で跳びかかってきた。抵抗する暇も与えず、そのまま両腕で抱き締めてくる。ちょっ、痛い痛い!首が締まる!
流石にそのまま放置していたら死にかねないので、力任せにはたてさんを引き剥がした。かなり強く抱き付かれていたけれど、思いの外簡単に離れてくれて助かったよ。…まぁ、諦めが悪いのか何なのか、はたてさんはまたすぐにわたしを抱き締めた。今度は優し目だったけど。
「よう、気分はどうだ?」
「差し当たって問題はないと思いますよ」
「そうか。ならよかった」
何だか少し集中しているように見える萃香に訊かれ、私は両手を開いたり閉じたりしながら答えた。それにしても、何だか呼吸をするたびに楽になっていくのだが、気のせいなのかなぁ?…ま、いいや。
「ところで、わたしが倒れてからどのくらい経ちましたか?」
「そこまで経ってねぇよ。せいぜい十分かそこらだな」
「そっか。いやぁ、意外と早いものですねぇ」
「…随分と気楽だなオイ」
「気を失うなんてよくあることでしょう?それに、あの場には貴女と妹紅がいましたからね」
仮に倒れてもどうにかしてくれる。わたしはそう思えた。…まぁ、仮に放置されたのならそれもしょうがないかなぁ、とも思うけど。…ん、妙に集中してた萃香がフッと楽になったみたい。何か気を遣うことでもあっただろうか?
そんなことを思っていると、妹紅がベッドに座りながらわたしに顔を向けてきた。その表情は、若干神妙な面持ちであった。
「幻香。お前が垂れた原因は、おそらく妖力枯渇だ」
「は?妖力枯渇ぅ?…何で?」
「こっちが訊きたいよ。例えば、身体強化の妖術があるんだが、それを使ったか?」
「へぇ、そんな妖術あったんですか。使っていませんし、そもそも使い方を知りませんよ。けど、それを使えばもっと手っ取り早く強く…、いや、それじゃあ駄目か。意味がない」
そもそも、わたしが妹紅に体術を教えてもらった理由は、妖怪専門家が扱う妖力無効化の呪術への対処のためだ。それなのに、身体強化の妖術を覚えるなんて意味がない。まぁ、そんなものがあるなら知っておきたかったけれど。…いや、以前パチュリーが妖術には得手不得手がある、って言ってたな。妹紅は身体強化の妖術は不得手だったかもしれない。
「そうか。…それじゃ、他に何か思い付くか?」
「いえ、全然分かりませんね」
「はぁ…。だよなぁ…」
呆れた口調でそう言われても、分からないものは分からない。ただ、あの倒れる直前の身体の不調は妖力枯渇が原因だったのかなぁ、と思い直す程度だ。そう言われれば、妖力枯渇のときもあんな感じに倒れてるよね。
自分の中に流れる妖力量を確認していると、妹紅がわたしの胸をグイと押してベッドに横にさせられた。…ふむ、大体三割程度か。妖力枯渇からの目覚めにしては多過ぎるほどにあるから、きっと何かしらの対処を施してくれたのだろう。
「とりあえず、しばらく寝とけ。昨日もぶっ倒れてただろ?」
「…そうですね。少し、休ませてもらいましょうか」
過程は異なるけれど、両方とも妖力枯渇が原因のようだし、潤んだ心配の色を映す目でわたしを見詰める大ちゃんが言っていた通り、無茶せず横になって休ませてもらいましょうか。
はたてさんに抱き締められたまま天井を見上げ、首だけを曲げて妹紅のほうを見る。
「どうした?」
「…負けちゃいました」
「あぁ、そうだな」
信じてみたけど、駄目だった。よく分からないけど、妖力枯渇して勝手に負けた。…あぁ、情けないなぁ、わたし。傲慢にも勝てると思っていたわけじゃあないけれど、それでも太鼓判を押されて負けるとなると、話はちょっと違う。
「まぁ、気にすんな。確かに負けた。だが、生きてる。生きてるなら、続いてる。次がある。次勝てよ。それでも駄目なら、その次だ」
「次、ね。そう何度もやりたくないんですけど」
「はは。そりゃそうか」
それにしても、妖力枯渇かぁ…。萃香との喧嘩の際、わたしは妖力を使うようなことは一切していなかったつもりなんだけどなぁ。弾幕やマスタースパークはもちろん、靴や服からの過剰妖力噴出、複製や創造による移動や防御、空間把握、記憶把握、妹紅の言う身体強化の妖術、その他妖術もしていない。何もしていない。わたしはただ殴ったり蹴ったり往なしたり躱したりしていただけだ。だというのに、どうして妖力枯渇に陥ったんだろう?…不思議だ。萃香や妹紅に言った通り、わたし自身特に変わったことがあるわけでもない。
「…いいや、寝よ」
とは言っても、スッキリ目覚めたばかりで眠気は碌にない。かと言って、黙っているのはつまらない。寝返り打ちづらいなぁ、と思いながらどうにか態勢を変えると、ふと気になるものが目に入った。…いや、ものがないことが気になった、が正しいのだが。
「…扉、壊れてる」
「扉?…あぁー、悪ぃ。緊急だったから蹴破った」
「いえ、それは創り直せばいいので平気です。…ところで、攻撃したということは反撃されたと思うんですけど、どうでしたか?」
「あの弾幕の事か?反撃にしちゃあ弱かったな」
あれじゃあ弱いのか…。それなら、もう少し強力な反撃をするようにしないとなぁ。単純な弾幕をばら撒くだけだったけれど、例えば貫通特化の針状弾幕を放つようにするとか、弾幕ではなく一発にまとめた強力な妖力弾にするとか。…まぁ、休んだら創り直しておこう。施錠と開錠のための暗号は同じでいいや。
その暗号を思い出していると、誰かがわたしの部屋に勝手に入ってきた。…いや、扉がないから勝手も何も知らせる術がないのだけど。誰かと思えばお燐さんじゃないか。何だか物凄く嫌そうな顔を浮かべているけれど、一体何の用で?
「…あぁー、あそこの窓破ったのは一体誰なんだい?」
「私が蹴破ったけど、文句でもあんのか?」
「大ありだよッ!」
「うるさい黙れ猫。幻香が休めないでしょう?」
萃香が窓を蹴破ったのは、ここの扉を蹴破ったのと同じ理由で、わたしをさっさとここに運ぶためなのだろう。少なくとも、萃香に謝るつもりはないらしい。…あと、はたてさん。確かに急に叫ばれてうるさかったけれど、それだけでドスの利いた声色でお燐さんを睨む必要はないですよ?
「気にしないでください。私があとで抑えておきますから…」
「え、あ、うん」
「ですが、手短にお願いしますね?」
不穏な気配を察した大ちゃんがすぐさま二人の視線の間に割って入った。お燐さんが一瞬とは言え青い顔を浮かべていたけれど、一体はたてさんはどんな顔を浮かべていたんだろうか…。
気を取り直したお燐さんは、改めて萃香に顔を向け人差し指を突き付けた。
「…と、とにかく!さとり様が呼んでるから付いて来なよ!」
「はぁ?あのさとりが?…ちっ、分ぁーったよ。行きゃあいいんだろ、行きゃあ」
大ちゃんに頼まれた通り、手短に済ませたお燐さんはそのまま部屋から出て行った。その背中を萃香は鬱陶しそうにシッシと手で払う。…どうやら、思っていた以上にさとりさんのことが嫌いなようだ。
「はぁ…。そいじゃ、行ってくるわ」
「いや、私も行くよ。止めなかったし、そもそも私も窓は蹴破るつもりだったしな」
「そりゃ助かる。あいつと二人きりとか、私は嫌だぞ」
そう言いながら実に嫌そうに立ち上がった萃香は、のろのろと後ろ髪を引かれていそうな亀並みに鈍い足取りで部屋を出て行った。…うわぁ、どれだけさとりさんのことが嫌なんですか…。
妹紅もその隣に立って部屋を出て行ったが、扉跡を通り過ぎるところで振り向き、わたしと顔を合わせた。
「それじゃ、行ってくる。幻香は休んどけよ」
「…はい」
短く返事をし、わたしは目を閉じた。眠れなくても、とりあえず寝ておこう。難しいことは考えずに、ただただ色々と酷使してガタがきそうな気がするわたしを休ませよう。