「ふぃー…。ちょいと疲れた」
「お疲れ様です、妹紅」
「おう。…いつからいたんだ?」
「多分最初のほうからですかね。…ここまで更地になるのは予想外でしたけど」
そう言いながら、最早どう足掻いても使い物にならないほど粉砕されてしまった旧都の跡地を見回す。勇儀さんの攻撃を躱して衝撃波が放たれ続け、往なして衝撃を外側に逃がし続けた結果である。砂と木屑がそこら中を舞い、空気が濁って遠くが見通せないほどだ。目を開けて歩いてたらすぐ痛くなりそう。
…これだけの数の家々をブッ壊し、そして建て直しする羽目に遭う妖怪達のことを考えると、思わず頬が引きつってしまう。
「あぁー…。私もここまでなるまで粘るつもりはなかったかなぁ。こうなるなら、さっさと降参しとけばよかったかも」
「はは、そうかもしれませんね」
「で、幻香はこれからどうすんだ?…ま、あの萃香の顔から何となく予想出来るけど」
「お察しの通りですよ、っと」
そう言いながら勢いよく立ち上がり、大きく伸びをしながら楽しげに前へ出て行く萃香を見遣る。…あぁ、遂に萃香との喧嘩が始まるのか。楽しみなような怖いような…。針の先端をツンツン突きたくなるあの感覚に少し似てる。
両手を軽く握り、コツコツと打ち付ける。空気は若干悪いけど、呼吸は平常。やる気はそれなり。
「やっぱりやるのか、喧嘩。んじゃ、やる前に一つ言っておこうか。一応、師としてな」
「何でしょう?」
「お前なら勝てる」
突然、そう断言されて思わず振り返る。…いや、何言ってるんですか?
「…冗談でしょう?」
「冗談じゃない、大真面目だよ」
言葉通りの真剣な目付きで言われ、わたしはゆっくりと前に顔を向けた。
「組手でわたしの全力、もう知ってるでしょう?無理でしょ。全然足りないって」
「全力だとか本気だとか言って誤魔化してんな。今を超えろ。次を超えろ。終着点を超えろ。出来ないなんて嘆く前にやれ。幻香、お前なら、出来る」
「…行ってきます」
振り返ることなく、わたしは喧嘩の舞台へと足を踏み出した。周囲を見回せば地底の妖怪達ばかり。先程まで妹紅と勇儀さんが喧嘩して家々をまとめて更地にしたから、これ以上何かを壊すということもなさそうだ。
…それにしても、全力、ねぇ。出してたよ。あれが限界だった。それでも届かなかった。わたしには、何もかもが足りない。それなのに、それでも、勝てると言う。わたしは、わたし自身に才能なんざ存在しないと思っている。けれど、妹紅にそこまで言わせるものがわたしに存在するのなら、わたし自身が信じられないものを信じてみよう。
「んじゃ、始めよっか」
「えぇ、始めましょうか。…前とは、まぁ、一応違うってところを見せてあげましょう」
「おっ、楽しみだね。――そらッ!」
跳びかかりながらわたしの顔面に向けて突き出された右拳を半身ズラして躱し、萃香が着地してしまう前に回し蹴りを放つ。が、わたしの脚は片腕で軽く防がれてしまった。…やっぱり、足りない。わたしには、まだ。
わたしの脚を防いだ腕を押し出して吹き飛ばされる瞬間に、自らその方向へ跳んで衝撃を逃す。それでもなお僅かに痛む脚を心配する前に、両腕を同時に引き絞ったまま駆けてくる萃香に向かって走り出す。
先に放たれた左拳を左側に跳んで回避すれば、すぐさま右拳が飛んでくる。…あぁ、そうだよ。そうなってくれるように、右腕の届く範囲にわたしは回避したんだ。すぐさま左脚で地面を蹴り、くの字を描くように跳ぶことで横向きに萃香の両腕の間へ潜り込む。両腕を伸ばし切ったこの瞬間なら、わたしのほうが早く届く。肘鉄を萃香の鼻に突き刺し、追撃に掌底を突き出しつつ顔を掴み、そこを支点に大きく回転して背後に回る。振り向きながらさらなる追撃をしようとしたが、迎撃されそうな感じだったので中断。すぐさま距離を取る。
「確かに前とは違うみてぇだな」
「…やっぱ効いちゃいないじゃないか。足りないなぁ、全然」
「こっから上げてくぞ!死なねぇように付いて来なァ!」
そう言い放ちながらの大振りを思い切り空振った。その一瞬後、強烈な衝撃波がわたしを襲う。片手で飛び散る砂や木屑から顔を守りつつ、両足と片膝、そして片手を地に付けてどうにか受け切る。
すぐさま距離を詰めてきた萃香へわたしも駆け出し、横から大きく薙ぎ払われた右腕を屈んで躱し、大きく開いた両手を同時に萃香の腹に叩き付けた。小気味のいい音を出したが、問題はその衝撃が全身隈なく均一に流れたか。…駄目だ、かなり疎ら。練度が足りない。均一に流れなければ、相手の動きを強制的に一瞬止めることは出来ない。
「おらァッ!」
「ぐ…っ」
蹴り上げられる脚を見てから大きく踏み出し、萃香を思い切り突き飛ばそうとしたが、少し傾いた程度でほとんど動かなかった。踏み込んだ所為でまともに顎から入ったが、首の動きだけでも衝撃を僅かながら逃がし、わざとらしく大きく吹き飛ばされて距離を取る。…あぁ、頭がグワングワン揺れて気持ちが悪い。…もっとだ。更なる力を出せよ、わたし。
ふらつく体に鞭打ち、視界だけは萃香を捕らえ続ける。肉薄して突き出された右拳に裏拳と叩き込み、衝撃を外側へ逸らす。…が、逸らし切れなかった衝撃が左手甲に走り、骨が軋む。あ、罅入ったかも。続いて迫る左拳も同様に裏拳を叩き込んで逸らすが、これも同様に右手甲が軋む。
萃香の両腕が外側に逸れたところで、空いている胴体に右脚を突き出したが、それは膝で防御されてしまった。けど、知ったことか。さらに踏み込んで押し込み、膝を上げているせいで片足立ちになった萃香の身体を大きく傾ける。そのまま両膝を折り畳みながら左脚も右脚の隣に当て、一気に脚を伸ばして萃香を僅かに吹き飛ばす。
「はぁ、はぁ…。あー、痛てて…」
「よっ、と。いいね、あんたの限界まで引き出してみてぇな」
「いっぱいいっぱいですよ。もっと強くならないといけないなぁ」
「だな。こんなもんじゃねぇはずだろ、幻香。なァッ!」
咄嗟に右へ大きく跳んだ。理屈じゃない、これは本能だ。だが、まぁ、その結果でわたしはまだ立っていることが出来た。
何故なら、跳びながら見た萃香は、わたしがさっきまでいた場所に右腕を突き出していたのだから。ついでに、その奥にいた地底の妖怪達がまとめて吹き飛ぶ。…大丈夫だろうか、あれ。
空中で素早く回転しながら体勢を整え両脚を付いて着地し、すぐさま目の前に肉薄していた萃香を見遣る。すぐさま半身ズラし、皮一枚挟んで回避する。衝撃波が全身を叩くが、拳圧はほぼ前方に放たれるからか、両脚だけでどうにか耐えられた。半身ズラすついでに腰を大きく捻り、限界まで引き絞った腕を解放。最短最速の掌底を萃香の胴に叩き付けた。外傷を与えず、内側にのみ衝撃を流す掌底。…萃香が、僅かだが怯んだ。
すぐさま顎を蹴り上げ、続けざまに回し蹴りを叩き込む。蹴り上げたことで僅かに浮かんだ萃香の身体は、思っていたよりも容易く吹き飛んだ。けれど、こんなんじゃあ駄目だ。決定打には成り得ない。力が、足りない。…ほら、萃香は何事もないように起き上がったよ。
「ハハッ!まだまだ上げれそうだなぁ、幻香。気分はどうだ?」
「見上げた壁が高過ぎて辛い」
「いーや、あんたは思ってるより登ってると思うぜ?」
そう言われるが、実感がない。何せ、そう言う萃香は碌な傷一つ付いていないのだから。…もっとだ。もっと力が、技術が、速さが必要だ。こんなんじゃあ、勝てない。
…何だか、身体が重い。ちょっと無茶し過ぎたか…?
「余所見してる暇はねぇぞ」
「ッ…!」
わたしの脚を砕く下段の蹴りを後ろに跳び退って躱し、追うように突き出された右腕を往なす。若干遅く感じる追撃の左拳は萃香の右腕を押しながら横に跳んで躱し、いつの間にか止めていた呼吸を再開する。
荒れる心臓と呼吸を無理矢理落ち付かせながら跳び出し、迎撃の右拳を頬の皮一枚破りながら肉薄した。ボンヤリと靄がかかったような視界のまま萃香を捕らえ、抉るように萃香の鳩尾に右拳を捻じり込んだ。…あれ?
黒一色。そこから先の記憶はない。