「ふふっ、そんなことがあったんですか?」
「あははっ!チルノって本当に無茶するね!」
「はい。チルノちゃんったら、いっつもこんな感じで…」
「そりゃ大変だ。――っと、もう着いちゃいましたか」
幻香は、普通だった。普通になった。あの瞬間私達に見せたひび割れたガラス細工のような姿を覆い隠し、普通を演じきった。
ここにいる全員がそれを察していた。フランはどう接すればいいのか分からずにいた。妹紅は言いたかったことも含めて後で問い詰めるつもりらしい。大妖精は幻香の演技に乗った。はたてはそもそも何も変わっちゃいなかった。こいしちゃんは無邪気に笑っていた。そして私は、そうやって嘘を吐く幻香を見ていて辛かった。
私は嘘が嫌いだ。楽しかった場を白けさせるつまらない嘘は嫌い。悪意のある嘘は当然のように大嫌いで、感情に任せて力任せにぶっ潰せる。だが、善意から来る嘘はもっと嫌いだ。嘘を嘘のまま放っておきたくないのに、嘘のまま放っておくしかなくて、私はどうすればいいのか分からなくなるから嫌いだ。
ふと、大昔に何処かの誰かが言っていた言葉を思い出した。曰く、『真の嘘吐きは嘘を吐かない』。本人が嘘を真実だと信じているから嘘を吐いていないのだと言う。ふざけるな、と思ったが、事実そういう奴が存在することを私は知っている。そして、幻香もその一人に入るときがある。さっきまでの自分をなかったことにしている、今がそうだ。
「ようこそ、地霊殿へ!」
「とりあえず、わたしの部屋にそのまま直行でいいですか?」
「…うん。それでいいよ」
幻香は私達の反応を軽く窺ってから地霊殿の扉を開けた。細々としたところは変わっているが、大まかに見れば特に変わった様子はない。周りを見渡してみた感じ、いつかの日に見た地霊殿のままだった。
「…何て言うか、地底の紅魔館みたい?」
「あー、わたしも最初はそう思いました」
「色は似ても似つかないけどな」
あんな目に悪い真っ紅な洋館が他にあってたまるか。
幻香はたわいもない会話を続け、私達は探り探りといった風に会話をしながら階段を上り、三階の鍵が掛かった部屋の前まで辿り着いた。
「ここがわたしの部屋ですね。中はそこまで広くないですが」
「そうかな?」
「流石に七人も入ることは想定してないですよ」
「で、鍵は?」
「あ、忘れてた」
そう言うと、幻香は右手を開きながら目を閉じた。少し待つと、その手の上に薄紫色の鍵が一本現れる。よく見る複製能力、ではなく今回は創造能力だ。
「幻香ったら、いつの間にか鍵付きに創り替えちゃってさぁー。勝手にお邪魔出来なくなっちゃった」
「…後で貰えばいいんじゃねぇの?」
「そうだね。くれるかなぁ…」
「頼めば貰えるさ。あんたと幻香の仲なんだろ?」
そんなことをこいしちゃんと話していると、幻香は鍵穴に先程創った鍵を差し込み、カチャリと回して扉を開けた。…確かに、七人も入ったら少し狭苦しい間取りだな。
「とりあえず、入ってください」
「わーい!」
「あああのっ!おお邪魔、しまっす!」
いの一番のこいしが飛び込み、フラン、妹紅、大妖精、最後にはたてと続いて部屋に入っていくのを見ながら、私は扉に手をかけていた幻香を見遣る。
「悪い、私はいい。さとりと顔合わせたくねぇしな」
「そうですか。それじゃあ、ついでに一つ頼まれてくれませんか?」
「何だ?」
「『すみません。そして、ありがとうございます』と、伝えてくれませんか?」
「はいよ。ちゃんと伝えとく」
先程上った階段へ戻ろうと足を向けようとしたら、幻香は近くにあった窓を全開にした。
「久し振りの旧都、楽しんできてください」
「幻香も久し振りの友人と楽しんでくれよな」
その言葉を最後に、私は窓から飛び出した。そのまま一直線に突き進み、鬼達と五人抜きをした場所へ飛ぶ。そこに勇儀は見当たらなかったが、とりあえずはそこに向かった。
確かにさとりと顔を合わせたくないと思っていたし、勇儀との約束の件もある。幻香が言った通り、久し振りの旧都の雰囲気を味わいたかったし、昔の友人に会いたいのもあった。だが、あの時あの場にいたくなかった一番の理由は、あの幻香の近くに非常に居辛かったからだ。…ま、多分バレてるんだろうな…。
「…さて、どうすっかねぇ…」
そう呟きながら、まずは荒れ果てた地面を一度萃めて均一にしておく。私達がやった喧嘩の後始末なんかをよくやっていたことを思い返す。ぶっ壊れた家を建て直すなんて器用なことは苦手だから、その辺は勇儀とか他の連中に任せていたことも思い返した。
「…え、す、萃香さん…?」
「あん?…ヤマメか。久し振りだな」
「旧都に侵入者、って話は聞いてましたけど、まさか貴女だったとは…」
ある程度地面を均し終えたところで、おそらく建築のために呼ばれたであろうヤマメが一番乗りで現れた。後ろのほうを見てみると、数人の妖怪がチラホラとこちらに向かって来ているのが見える。懐かし顔ぶれだ。
「ま、どうしても来たい、って奴がいてな。邪魔させてもらったわけだ」
「…邪魔する、ですか。…そうですよね」
「何だよ、その言い方。気になるじゃねぇか」
眉をひそめながらそう訊いてみると、ヤマメは愛想笑いを浮かべながら言い難そうに口を開いた。
「貴女は、もう地上の妖怪なんだなぁ、って。そう感じただけです」
そう言われ、一回心臓が暴れた。自分でもそうだろうと思っていたが、こうして面と向かって昔から付き合いのある奴にいざ言われると、正直くるものがあった。
私は、一度旧都を切り捨てた身だ。今更まだ地底の妖怪だと言えるような存在ではないのだ。ただ、もう戻れないかもしれないな、と改めて思うと少しだけ、本当に少しだけ悲しかった。
「それじゃ、私は勇儀さんに頼まれたあの家を建て直しますから。…はぁ。どうしてこんなに…」
「おう、任せた」
「…その言葉も久し振りですね。よーし、やりますかぁ」
「あ、そうだ。勇儀が何処にいるか知らねぇか?」
「勇儀さんですか?んー、すぐ来ると思いますけど」
「そか。ならここで待たせてもらうよ」
そう言って地面に胡坐をかき、一人瓢箪を煽る。すれ違う懐かしい顔ぶれには軽く手を振りながら、勇儀が来るのを暫し待った。
「よう、勇儀。来たぜ」
「ああ、萃香。来たか」
そして、数十本の丸太を両腕で抱えた星熊勇儀が現れた。軽い挨拶を済ませると、すぐに丸太を地面に転がして建て直しをしている妖怪達にでかい声を張り上げて言った。
「悪い!これから萃香と話すことがあるからここを任す!」
次の瞬間、どよめきが走る。はぁ!?だの、ちょっと待ってだの、何言ってんだ姐御ぉだの、騒がしくなったが、それらは気にすることなく大きく腕を振ってこの場を立ち去っていく。私はその背を黙って付いていった。
そして、私達が何時も集まっていた酒蔵の最奥の部屋に腰を下ろした。そこら中から漂う懐かしい酒の香り。
「ほら」
「おう」
私達の間に置かれた星熊盃に、伊吹瓢から酒を注ぎ込む。無限に酒が湧き出る瓢箪と、注がれた酒を極上のものに変貌させる盃。こうして呑み合ったものだ。
「懐かしいな」
「ああ、そうだな」
哀愁を感じながら盃を半分ずつ呑み合っていると、勇儀は笑いながら訊いてきた。
「なあ、萃香。どうだ、また一緒に来ないか?」
「…そりゃいい誘いだな。私もさっき考えてた」
空になった星熊盃が満杯になるまで酒を注ぎながら、私はその答えを口にする。
「悪いが、その誘いは蹴らせてもらう」
「…訳、聞かせてくれよ」
「見上げるよりも、前を見たい」
「…そっか」
そう言うと、勇儀は盃に満たされた酒を呑み干した。それを見ながら、私は瓢箪に口を付けていた。