東方幻影人   作:藍薔薇

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第324話

さとりさんのペットの一人とすれ違ったときに貰った袋から甘栗を一つ摘まんで頬張りながら、目線を少し上げて遠くのほうを眺める。相変わらず怨霊は鬱陶しいけれど、取り憑いてくる気配はない。雑音もほとんどない静かな場所だ。

特別やることが思い付かなかった時には書斎に籠っていたけれど、最近では地霊殿の屋根に座って旧都を眺めていることが多い。歩いている妖怪を、話し合っている妖怪を、食べている妖怪を、遊んでいる妖怪を、喧嘩している妖怪を、飛び交う妖怪を、弾幕を放っている妖怪を、遠くからボーッと眺めている。しかし、今日はあまり妖怪が出ていないようだ。

こうしてここに座っていると、唐突に何か思い付くことがある。馬鹿らしいことだったり、哲学めいたことだったり、以前考えることを一度止めたことだったり、色々だ。そんなときはその思い付いたことについて考える。結論が出ることもあれば、出ないこともある。

今日思い付いたことは難題で、けれどいつか解きたいと思っていたことだった。だから、今日こそはと思い、必死になって今持つ知識と時折降りてくる突飛な発想を頼りに、頭の中で少しずつ形作っていった。

気付けば秋雨が降り始め、冷たい水飛沫と共にわたしを濡らしていく。けれど、そんなものは一切気にならなかった。わたしはただただ難題に事で頭がいっぱいだった。

 

「…あーあ」

 

そして、今日思い付いたことの結論は出た。結論が出たことはとても喜ばしいことだ。けれど、グワングワンと何かが響くような感覚と共に、頭の中が今にも破裂しそうだ。世界がやけに狭く感じる。遠くにあるはずの旧都が目の前にあるように見え、思わず目を擦ってしまう。

けれど、いくら目を擦ってもこのいかれた世界はいかれた世界のまま。変わることなくわたしの視界を狂わせる。目を擦っていた手が紙のように薄っぺらく見えてゾッとする。気分が悪い。吐き気がする。けれど、そんな醜態を晒したくなくて、わたしはそれらを奥の奥に押し込んでいく。誰もいないのにね。

いつもより近くにある天井を見上げ、腕を伸ばせば触れることが出来るような気がした。そんなはずないのに、おかしな話だ。だから、手を伸ばしたわたしはいかれているのだろう。…はぁ、これはかなり駄目だ。どうにかしないと。

 

「こんなとこにいたんだ」

「…こいし」

 

そんなことを考えていたら、気付けばこいしが傘も差さずにくっ付きそうなほど近くに座っていた。当然、全身ビッショリと濡れてしまっている。そりゃそうだ。雨の中で傘も差さずにいれば、誰だってすぐに濡れ鼠になる。

 

「寒くない?」

「そこまで気になりませんよ。ただ、少し頭を冷やしたくなってね」

「そっか」

 

使い続けた頭を冷やすのには、いかれた世界に潜り込んだわたしには、ちょうどいい。もう少しすれば、このいかれた世界も元に戻ってくれるだろう。戻ってくれないと、困る。

 

「ねぇ、こいし」

「なぁに、幻香」

「外面と内面に違いのない人って、いると思います?」

「それこそいないよ。いるわけない。いるはずない」

「だよね。この世界に、そんなものあるはずないよね」

 

そんな他愛のない会話をしながら、隣に座るこいしを見遣る。…あぁ、駄目だ。こいしと目が合ったけれど、まだちょっと変に見える。まるで凹凸のある絵画を見ている気分だ。自分で自分が気味悪い。

こいしがわたしに伸ばしてくれた手が届かないと勝手に錯覚し、わたしの頬にヒヤリとした手が触れたことに驚いてしまう自分が無性に情けなく感じる。

 

「幻香、大丈夫?顔色悪いよ?本当は寒いんじゃない?」

「…もう少しだけ、待ってください。すぐ直りますから。すぐ戻りますから。…だから、もう少しここにいてくれませんか?」

「ん、いいよ。幻香の気が済むまで、わたしはここにいるから」

 

そう言って、こいしはわたしの肩に寄り添ってくれた。雨の冷たさの奥にある温かさを感じながら、わたしはこのいかれた世界から抜け出すために、動くことなく座り続けていた。

どのくらい経っただろうか。秋雨はその勢いを弱めることなく、むしろ強めている。そんな中でわたし達二人は隣り合わせに座っている。ようやくいかれた世界も落ち着き、正常な世界へと戻っていく。

 

「ねぇ、幻香」

「何ですか、こいし」

「何、考えてたの?」

 

そう訊かれ、わたしは思わず口を閉ざしてしまう。再びあのいかれた世界に片脚を突っ込みそうになり、すんでのところで留まった。…うん、もう大丈夫。大丈夫。大丈夫だから。落ち着け、わたし。

 

「…ちょっと、答えたくないです」

「そっか。もう大丈夫?」

「ええ。もう、平気です」

「それじゃ、帰ろっか。秋雨、数日続きそうだし」

「そうですか。それなら帰りましょうか」

 

一度強く目を瞑り、ゆっくりと開く。…よかった、もう安心だ。けれど、わたしはまたいつかあのいかれた世界に潜る必要がある。これは確定事項だ。避けては通れない道。だけど、今はまだいいよね?少しくらい後回しにしても、構わないよね?

少し震える脚で立ち上がり、濡れた屋根の上を歩く。天井を見上げ、手が届かないことに少しホッとした。フワリとゆっくり降下し、近くの窓を開ける。出来るだけ体中に滴る水を落としてから窓に足を掛けて中へと入っていく。

 

「…乾かすのにいい場所ってありますかね?」

「くしゅっ。…んー、部屋に戻れば拭くものあるけど」

「なら、それでいいかな」

 

今着ている服を複製しても、そこまで吸水性がよくないからあまり意味はない。髪の毛からポタポタと水を垂らしながら廊下を歩く。今更ながら寒さを覚えて口元が震えてくる。さっさと拭き取りたいところだけど、走っていく気にはなれない。ゆっくり行こうかな。

 

「あら」

「あ、お姉ちゃん」

 

角を曲がったところで何やら分厚い書籍を持ったさとりさんとバッタリ出会った。濡れているわたし達を呆れた目で見て、そして訝し気にわたしを見てから訊かれて当然なことを口にした。

 

「どうしたんですか、そんなに濡れて?」

「幻香と一緒に屋根の上にいたらこんなに濡れちゃったー」

「…ちょっと考え事をしてたら、気付けば雨が降り始めてね。けどまぁ、もうそのままでいいやと」

 

そう、無難なことを口にしておく。けれど、さとりさんは両目をスッと細めた。…まぁ、そりゃそうだよね。

隠し事を隠し切るために、わたしの頭の中を全く関係のないことで埋め尽くしているのだから。けれど、それはわたしが隠したいことがあることを証明していることとほぼ同義であって、そしてそれが一体何であるか気付けないほど、さとりさんは愚昧ではないだろう。

 

「幻香さん」

「…はい」

「後悔のない選択をしてください。貴女にはまだ時間があって、そして選ぶことが出来る権利があります。ですから、早急に決め付けることのないことを願います」

「…えぇ、そうします。それでは」

「え、ちょっとー。二人して急に何の話をしてるのー?」

 

そのことにすぐに答えることが出来ず、わたしは歩き出す。慌てた様子でこいしが後を付いてきて、さとりさんが離れていくことに少しだけ安心する。

角を曲がって少しすると、こいしがわたしの腕を掴んで立ち止まった。

 

「ねぇねぇ、教えてよ」

「…そうですね。そのことは後でちゃんと教えますから、まずは体を拭いてついでに着替えましょうか」

「むぅ。分かった。けど、ちゃんと教えてよね!」

 

こいしはビシッと指先をわたしに向けながらそう言い、わたしの腕から滑らせるように掴んだ手を動かして手を握り、引っ張って歩きだした。

…さぁ、わたしはどうしたい?多少の不都合はあれど、どう選択してもいい。けれど、さとりさんの言う通り今回はまだ時間がある。選択を決定するまでの猶予はまだ残っている。けれど、そこまで長くはないだろうな、と思った。

それよりも今は、こいしにどう話すかのほうが重要か。こいしに何て言われるかなぁ…。

 


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