東方幻影人   作:藍薔薇

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第322話

最近の幻香さんは変わった。…いや、元に戻った、と言うべきかもしれない。

ここに始めてきた時は張り詰め過ぎていると思うほど警戒に警戒を重ねていた幻香さんですが、今では大分緩んでいる。こいしの件が解決して一つの拠り所となったこともあるでしょうけれど、それ以上に幻香さん自身が地底を、旧都をそこまで警戒せずともいいと思い始めていることだ。

 

「最近の調子はどうですか?」

「え?…あぁ、特に問題ないですよ。さとりさんのほうはどうです?」

「私も特筆しなければならないようなことはありませんよ。強いて言えば、貴方がまた賭博でやらかしたことくらいですかね」

「ぅぐ。…悪かったですよ」

 

幻香さんには賭博で異常な吊り上げをしないように、と言っているのに半ば無視されていることは知っている。周りの流れから、親による半強制的吊り上げから、稀に自らの意思によって莫大な金が動いていることはペット達から報告されている。誰が呼び始めたのか、賭博荒らしなんて通称がくっ付く始末。けれど、それはそれで旧都にとって一つの楽しみになっているというのだから皮肉な話だ。結局最後には幻香さんが金をほぼ返却してしまうこともあって賭博場からの苦情も思っているより少ない。

 

「調子はよし。…ですが、何やら難しいことを考えているようですね。…ズレた世界、ですか」

「難しいですよ、本当に。さとりさんも考えてみます?」

 

だからこそ、こういうことを考える余裕が出来ている。地霊殿のいるときだけでなく、旧都を歩いている時ですら考えているというのだから、きっとそうなのだろう。

 

「私よりも貴女のほうがこういうことは得意でしょう。私が考えたところで何か変わるとは思えません」

「そう言わずにちょっとくらい考えてくださいな。仕事も一段落着いたようですし、遊び感覚で付き合ってくださいよ」

「…そうですね。少しばかり付き合ってあげましょう」

 

幻香さんの頭の中を読んでみると、何とも不思議な現象があった。普通の壁に体当たりをすれば普通はぶつかってお終いだ。しかし、数億分の一以下の確率でもしかしたら自分自身を構成する原子が一度完全に分解されて壁を構成する原子と原子の間を通り抜けてから再結合されることで壁をすり抜けるかもしれない、というトンデモ理論。原子とは物体の最小単位だとかなんとか。…まぁ、つまり幻香さんの頭の中によく浮かび上がるあの物凄く小さな粒々のことらしい。

つまり、夢想天生なるズレた世界へ浮くらしい妙技は、こちらの攻撃は原子と原子の間をすり抜けて回避され、あちらの攻撃は原子と原子がぶつかり合うことで喰らってしまうのではないか、とのこと。…ハッキリ言って、そんなことが有り得るのでしょうか?というのが私の本音だ。

そもそも、すり抜けるだけならそんなトンデモ理論を使わずとも、その辺に浮かんでいる悪霊が日常的に行っているようなことだ。生身の人間に出来るかどうかは知らないですが。

 

「…本気でそんな理論が答えだと思っていますか?」

「いえ全然。けどまぁ、零ではないかなぁ…、くらいには」

 

しかし、この理論では八雲紫の言っていたらしいこの世界から浮くとは少し外れているのではないか、とのこと。幻香さんの理論では、飽くまでこの世界で起こり得る可能性だから、らしい。ついでに言えば、そもそもこの理論って浮くと関係ないかな、とも。

正直な話、私には付いて行けなさそうな話だ。遊び半分で付き合うくらいじゃないとやっていられなさそう。

 

「攻撃となる対象に当たらなければ喰らわない。当たり前だけど、サッパリなんだよなぁ…」

 

そうぼやきながら、幻香さんは過去に見た夢想天生を思い返していた。その姿は半透明で、まるで空気のよう。こちらの攻撃は触れも出来ずに普通にすり抜けていく。その隙に放たれた掌底を腕で防御しようとしていたが、その腕をすり抜けて懐へ深く入っていく。…確かに当たらない。喰らわない。すり抜ける。しかし、当たる。喰らう。受ける。

幻香さんは、これに真正面から勝ちに行くつもりらしい。そうでないと博麗の巫女に勝利したと言えないから。

 

「ズレ…。一直線上を通る攻撃から外れる、つまりズレてしまえば当たらないのは当たり前ですね。ですが、相手はその直線上にいながら当たらないのですか。…えぇ、私にもサッパリ分かりません」

「そうですか…。あーあ、何かきっかけが欲しい…。引っ掛かりでいいんだ。それさえあれば、どんな難題だろうと解けるはずなんだ…」

「そもそも、世界から浮く、とは一体何でしょう?」

「…世界とか言われてもなぁ。幻想郷以外の世界とか、月の都と地底と外の世界くらいしか知りませんよ。月の都と地底は幻想郷と言ってもいい気がしますが。…さとりさんは何か知ってますか?」

「全く。天界も魔界も冥界も幻想郷の内部でしょうから」

「天界?魔界?…ま、いいや」

 

どうやら知らないらしい。私の書斎のかなり奥のほうにそれについて載っているものがあったはずだが、幻香さんはまだそこまで読み進めていないようだ。

行き詰っている幻香さんは、急に頭の中で三本の線を思い浮かべてそれを創り出した。三本の線の中心が触れ合い、かつ直角になるように組み合わせ、それを持ってクルクルと回していく。

 

「縦、横、奥行き。点なら零本。線なら一本。面なら二本。…そして世界は三本。最低限三つ情報があれば、正しい座標を導ける。…けど、足りないんだよなぁ。確かにその座標にいるはずなんだ。けれど、そこにはいないんだ。本当、意味分からないよね」

「足りないなら増やせばいいのではないですか?」

「増やす、ねぇ…。どうやって?」

 

そう訊き返され、私は少しばかり考えてみる。…ええ、分からない。けれど、それでいいのだ。

 

「それを考えるのが貴女でしょう?」

「…ま、そうですね。考えてみますか。四次元空間ねぇ。時間軸じゃないのは難しいから全然考えたことないんだよね…」

 

そう言いながら幻香さんの頭に浮かぶのは、時間を操作出来るという一人の人間。人間も恐ろしい能力を持つようになったものだ。私がまだ地上にいた頃にそんな人間がいれば、もしかしたら私はここにいなかったかもしれない。

そんなことを考えながら、私は幻香さんを読み続けていた。広がり続ける情報の波に少しばかり気分が悪くなってくる。しかも、その中身がほとんど意味不明なのだから余計にだ。

断片的に理解出来たものを並べてみると、本来四次元は理解出来るものではないらしい。平面しかない者に球体を見せたら、その者は円と答えるだろう。同様に、私達から四次元の何かを見せられても三次元でしか捉えることが出来ない。…とのこと。そんなものを無理矢理でも考えている幻香さんは、やはりどこか異常だ。

 

「…うん、簡単には解けなさそう。関係あるかどうかは知らないけれど、これはこれで考え甲斐がありそうだね」

「そ、そうですか…」

 

そう言って妖しく笑う幻香さんを見ていると、変わったな、と思う。これは元に戻ったのではなく、純粋な意味でだ。

少し、確認してみよう。

 

「…幻香さん。仮にですが、霊夢さんが亡くなって夢想天生のことを考える必要がなくなったとして、貴女はそれについて考え続けますか?」

「考えますよ。無知は恥です。未知の幸福より、既知の不幸。未知を探究し、既知を追究する。これが重要なんです。だって、わたしには次がないんですから」

 

…やっぱりだ。幻香さんにとって、夢想天生の謎は博麗の巫女を超えるためというよりも、その原理の追究に重きを置いている。結果としては変わらない。けれど、以前と変わってしまったところだ。

知識欲の肥大化。前からそうだったようですが、最近はより一層貪欲になったと感じざるを得ない。何か理由があったのかもしれない。何か原因があったのかもしれない。けれど、私には分からない。

 

「…貴女は貴女ですね」

「当たり前でしょう?わたしはわたしですよ」

 

けれど、幻香さんは幻香さんだ。多少変わってしまっても、本質は変わらない。

 


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