東方幻影人   作:藍薔薇

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第318話

染み付いてしまった血生臭い嫌な香りが一瞬鼻を掠め、僅かに顔をしかめてしまう。ただの血の香りならもう慣れたつもりだったけれど、どうしてこんなに気になるんだろう…。

指先を鼻に近付けて軽く嗅ぎながら、隣を飛ぶこいしを見遣る。こいしは特に気にしていなさそうだ。何度か行ったこともありそうな雰囲気だったし、もしかしたら既に慣れていて気にならないのかもしれない。

ようやく旧都の端っこに降り立ち、大きく伸びをする。あー、やっぱりわたしには空中より地上だなぁ。やっぱり地に足の付いた生活がいい。

 

「寄り道もしたし、今回は次で最後かなー」

「最後ですか…。一体どんなもので?」

「んー、ドカンとしたものだね」

「…それ、わたしに食べ切れますかね?」

「時間内に食べ切れたらタダだって」

「大食い挑戦ですか」

 

時間が無制限あれば半日くらい使って食べ切ることだって出来るだろうけれど、時間制限があるとなれば話は変わる。どの程度の量か詳細を知らないけれど、わたしにはとても無理そうだ。

 

「こいしは食べ切れましたか?」

「いやー、無理無理。あんなの一人じゃ食べ切れないって」

「ちなみにそれはお幾らでしたか?」

「三百だよ。安いよねー」

「安いですね。…ん?安いのか?」

 

金銭感覚が欠如気味のわたしには、それがどのくらいの価値なのかよく分からない。えーっと、一あれば団子一本買うことが出来るから、団子三百本分。…そう考えるとすごく安っぽく感じるのは何故だろう。

 

「けど、それを本気で食べ切るつもりで注文するなら最初にしたほうがよかった気がするんですが」

「流石にあれを食べ切ろうなんて思ってないって。二人がかりでも難しそうだし。けど、あれがとっても美味しいのは確かだからね」

 

それは楽しみだな、と思いながら歩いていると、後ろから肩を掴まれた。…今度は誰だろう?

 

「よお、地上の。久し振りか?」

「あー、貴方ですか。久し振りですね」

 

振り返ると、いつかの鬼がいた。こんなところで会うとは珍しい。…まぁ、これまで出会った回数は片手と少しで済む程度だけど。

 

「で、今日もですか?」

「そりゃな。負けっぱなしは嫌な性分でな。それに、地上のに負けたままなのは癪だ」

「貴方も暇人ですねぇ。…ま、いいですよ」

 

そして、あれ以来出会う度に喧嘩を仕掛けてくる。頭を軽く掻きながら、既に両手を握って構えている彼から少し距離を取る。

 

「こいし、少しお腹を空かせてきますね」

「はーい。じゃ、わたしはあそこで待ってるからね」

 

そんな些細な嘘を言うと、こいしは近くの家の屋根に飛び乗った。そして、周りの妖怪達が喧嘩の気配を感じ取ったのか、わらわらとわたしと彼を囲み始める。気付けば小柄な妖怪が賭け金の集計を始める始末。まぁ、別に構わない。これも毎度のことだ。

 

「さ、好きなようにどうぞ」

「その余裕そうな面、叩き割ってやるよ」

「これから美味しいもの食べるんだ。割られたら困る」

 

両腕をダラリと降ろし、特に覇気もなく彼の様子を伺う。ジリジリと距離を詰めて来るけれど、わたしはその場で待機し続ける。

 

「おらあっ!」

 

そろそろかな、と思ったところで彼が僅か二歩で距離を詰めて肉薄してくる。迫る右拳を左側に大きく跳んで回避し、追撃を受けない距離まで離れる。一撃でお終いだから、当たらないようにする。

けれど、いつまでも躱し続けていたら終わるものも終わらない。着地した左脚を深く曲げ、思い切り跳び出す。真っ直ぐと伸ばした右脚を片腕で防御されるが、そのまま踏み台にして跳んで彼の上を取り、前方二回転の踵落としを叩き込む。

 

「ぐ…っ」

「…あら」

 

わたしが振り下ろした踵を、彼は両腕を交差して防ぎ切った。これ、前回の決まり手だったのに。

すぐに交差した両腕を振り払われたことで、わたしは軽く吹き飛ばされてしまった。片手と両脚を地に着けてガリガリと地面を削りながら減速し、どうにか人垣一歩手前で何とか停止する。流石は鬼だ。萃香や勇儀さんよりは弱くても、十分な怪力。

 

「二度も同じ手で負けっかよ…!」

「なら別の手にするだけですよ」

 

そう言いながら駆け出し、お互いに射程範囲に侵入した瞬間に自分が出せる最短最速の軌道の貫手を彼の鼻に突き出す。目を見開きながらも首を素早く曲げられ、わたしの貫手は頬を掠めた。僅かに皮膚を破り、血が舞う。

お返しとばかりにわたしの胴へ殴りかかってきたが、その前に彼の肩を飛び越えるように跳び、左脚の爪先に掠めつつも避け切る。けれど、当たったことには変わりなく、僅かに体勢が崩れながらの着地となってしまった。片手を地に着け、腕から肩、背中と転がってすぐさま立ち上がる。…左脚の爪先がかなり痛い。骨が砕けてはいないと思うけれど、このままでは少し力を入れづらいかも。

 

「そらそら!」

「っ…」

 

振り向きながらの一歩で肉薄され、右、左と乱打が飛んでくる気配。一発喰らってしまえば、それ以降も続けざまに喰らうことになる。…これは、避けられそうにない。…はぁ、しょうがないか。

左から来る右拳を左手の甲で、右から来る左拳を右手の甲で触れ、外側へ一気に押し出す。瞬間、自分の手の甲から嫌な音が響く。…あぁ、骨に罅でも入ったかなぁ。

けれど、これで彼の胴はがら空きだ。彼の攻撃を往なすのはこれが初めてで、それはどうやら予想外の行動だったらしく目を見開いて狼狽えている彼の顎を蹴り上げ、蹴り上げた足を大地に踏み下ろしながら全力で振るう右拳を彼の顔面に叩き込む。手の甲から走る痛みなぞ気にせずにそのまま振り抜くと彼の後頭部は地面に埋まるように落ち、ピクピクと痙攣して動かなくなった。グシャリと嫌な感触を覚えるけれど、まあ二、三日もあれば治るそうだからあまり気にしないでおこう。

右拳に付着した血を軽く払い、ゆっくりと右手を上げた。すると、人垣から喜びに満ちた感性と悲観に満ちた絶叫が入り混じったものが響き渡る。思わず耳を塞ぐと、両手から先程よりも鋭い痛みが走った。…あぁ、これは思ったより酷いことになっているかもしれない。

軽く痛覚遮断をしつつ、しゃがみ込んで彼の肩を数度叩く。すると、彼はすぐに目を見開いた。相変わらず起きるのが早い。

 

「大丈夫ですか?」

「…あ、あぁ…、なんどがだいびょうぶだ」

「大丈夫そうじゃないですね。…また今度、楽しみにしてますね」

「…ぢぐじょう、まだ負けだが…」

「悪いですが、わたしだって簡単に負けてられないんですよ」

 

そう言いながら彼の手を取り、ゆっくりと持ち上げる。どうにか立ち上がらせてからその場を離れる。屋根の上に座っていたこいしの元へゆっくりと浮かび上がりつつ『紅』を発動し、両手の甲と左脚の爪先を治癒させる。

 

「ただいま、こいし」

「おかえり、幻香。大丈夫?」

「もう治ったかな。大丈夫ですよ」

 

痛覚遮断を解除し、手の甲を軽く突きながらそう言った。…うん、痛くない。左脚の爪先で屋根を軽く突いても特に痛みはない。一通り確認も済んだところで『紅』も解除する。

念のため両手を開いたり閉じたりしていると、こいしは持っていた金属板をチャリチャリと小さな袋の中に仕舞った。

 

「お金も少し増えたし、すぐに行こっか!目指すは完食!」

「いや無理だって」

 

 

 

 

 

 

「…いや、本当に無理だって…」

「あははー。だーよねー」

 

こいしの声が肉の山の向こう側から聞こえてくる。これを何処から食べろと。座ったままでは手を伸ばしても届かない上からか。多種多様の肉が使われてることは見れば容易に想像出来るけれど、数匹分の肉がこうして積み上げられると最早狂気すら感じる。こんなの一体何処の誰が食い切れるっていうんだ。

 

「ちなみに、時間内に完食出来たらあそこの壁に名前を書く権利が貰えまーす」

「壁に?どれどれ…」

 

肉の山からヒョッコリと飛び出したこいしの指の向こうにある壁を見ると、確かに数人の名前が書かれていた。そして、その中心には一際大きく乱暴な筆跡で星熊勇儀と書かれていた。…あの人、これを食べ切ったのか。

思わず頬を引きつらせていると、逆側に立っていた妖怪が机にトンと何かを置いた。

 

「じゃ、食べ始めるときは先に三百ここに置いてからこの砂時計を引っ繰り返しな。これを食い切れるか、地上の?」

「…出来ると思っています?」

「はは、無理だろうな」

 

チラリと砂時計の砂の量と通る細い管の太さを見遣る。…これ、大体二時間くらいか?

 

「ちなみに、時間内に食い切れなくても全部食い終わるまで残って構わないからな。持ち帰りも自由さ」

「…大きめの箱を準備しておいてください」

 

こいしから事前に受け取っていた三枚の四角い銀板を砂時計の隣に置き、ため息と共に砂時計を引っ繰り返した。

そして約二時間後。結果は山の半分も食べ切ることが出来なかった。当たり前だよね。…うぷ。

 


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