「本能『イドの開放』!」
こいしからハート形の弾幕が溢れ出る。キッチリ全方位に撒いているため、これは出来るだけその場から移動せずに、隙間を縫っていくのがいいかな。右側に曲がる弾幕と左側に曲がる弾幕が交差する網目を基本とし、少し待ってから次の網目へ弾幕の隙間を抜ける。チラリと後方を確認すると、少し離れたところにこいしが放った弾幕が滞留している。
「…ん?」
あら、こいしが遠ざかってるような?少し離れ過ぎたかな?少し前へ進むように心がけることにしますか。そう思って網目から網目へ前に進んでいくけれど、一向にこいしとの距離が縮まらない。…もしかして、こいしが後退してるのかな?
けれど、その考えはもう一度後方を確認したところで覆すことになった。滞留している弾幕との距離が離れていない。周りの景色から考えて、滞留している弾幕はその場からほぼ動いていない。こいしが後退し、わたしが前進しているとするならば、滞留している弾幕との距離は離れるはずなのに。…ん?周りの景色が、変わっていない?
すぐに一発妖力弾を指先から出し、その場に止めとく。少し待っていると、その妖力弾が少しずつ遠ざかっていく。これで確信した。
「離れたのは、こいしじゃない。わたしだったんだ…」
前に進んでいるつもりで、その場からほとんど動いていなかった。その場に留まっているつもりで、少しずつ後退していた。まるで同じ極同士を近付けた磁石のよう。弾速や弾幕密度など、いくつか改善点はあると思うけれど、この切札はいつか凶悪なものになる予感がする。
「ぅおっ、とと」
気付いたら三十秒経過していたようで、こいしが弾幕を止める。それと同時に斥力がなくなったため、少し前のめりになってしまう。けれど、周りに滞留しているハート形の弾幕が消えない。…あの、切札終わったなら消さないといけないんですけど。
いや待て。口を出すのはまだ早い。そんな単純な規則、あれだけ楽しみにしていたこいしが覚えていないとは思えない。なら、これは意味があるのだろう。…まぁ、どれだけ経っても意味がなさそうならその時になってから言えばいいや。
「続けて行くよ!抑制『スーパーエゴ』!」
そんなことを考えていたら、こいしが切札を宣言した。しかし、こいしは自分自身を妖力で毬栗のように包むだけで、わたしに対して何もしてこない。
そのとき、ズズ…、とわたしの体がこいしへ向かっていくのを感じた。そして、こいしの奥に滞留していた弾幕がこいしの元へ戻っていく。…と、いうことは。
「やっぱり…」
後ろを振り向けば、弾幕がこちらへと向かってくる。当然、わたしは後ろに目が付いていない。こいしに背を向けてしまえば対処可能だろう。このほんの一、二秒とはいえ、こいしがわたしに対してやったことは引力のみ。この切札の弾幕の基本は滞留させた妖力弾からのようだ。けれど、そう易々と背を向けるのはどうだろう?…逃走するとき背を向けていたなんて事実に関しては目を瞑らせてもらう。
…そう、これは見世物なんだ。効率云々は少し仕舞っておいたほうがいいよね。両手で頬を軽く叩き、何故かしたり顔を浮かべているこいしと目を合わせる。空間把握。範囲はわたしを中心に三歩程度。さっきはこれで避けれたから、これくらいにしておこう。
後ろから迫る弾幕の軌道が頭に浮かび、そこからどう動くべきか推測しながら左右に動いていく。わたしの周りを弾幕が通り抜けていき、やがてこいしに集まっていく。そして、まるで集まっていく弾幕を喰らうかのように毬栗が大きく成長していく。
近付いたら毬栗、離れれば後方からの弾幕、そもそも引力があって体が半ば勝手にこいしに近付いていく。いやいや、この切札はもう今でも十分凶悪だよ。これも成長余地がまだまだ残されているから、わたしが停滞していたら追い付かれるな。
「対となる二枚一組の切札ですか」
「まぁねー!今回はそうしたの!片方だけ使うなら後処理ちゃんとするから!」
少し躱す余裕があったのでこいしに一言投げかけると、元気溌剌な返事が来た。そしてしたり顔がさらに深くなる。嬉しそうで何より。
けれど、その顔はすぐに膨れっ面になった。そして、若干不満気な声で続きを口にする。
「けどさ、ここまでお互い被弾なしだよね」
「ですねぇ。ま、よくあることですよ」
「こうなると最後の切札って使いづらいんだよねー」
「最後に自慢の大技で三回被弾させる自信があるか、最後に華々しく魅せて負けるか。…みたいな感じでしょうねぇ」
「んー、要改善?」
「かもね。後でさとりさんに考えてもらいましょう」
つまり丸投げ。そのままならそれで別に構わないし、変更するならそれに対応するだけの話。ここではまだ始まったばかりの娯楽だ。浸透し切っていない今なら、ある程度改変は容易い。やり過ぎると反感を買いやすいけど。
そんなことを話していたら、遂に滞留していた弾幕が底を突いた。経過時間は大体三十秒弱、残り数秒。そして、最後の最後に毬栗のような妖力を盛大に炸裂させた。…まぁ、ここまで離れているとちょっとばかり届かなかったけれど。
「よし、次はわたしですね。鏡符『多重存在』」
宣言と共にこいしの
正直、あまり使いたくなかった。けれど、魅せるにはまだ足りないと思っていたとはいえ、他に使える切札がなかったんだ。模倣「マスタースパーク」は既に派生形を使ったし、複製「緋炎」は実用性のある範囲と火力調節の両立が厳しい――元が攻撃用魔法陣だからしょうがない――し、鏡符「幽体離脱」は最後に使うつもりだから。新しい切札、早く考えないとなぁ…。はぁ…。
「うわっ、わたしが四人!」
「目指すは百鬼夜行です」
「萃香じゃん」
「そうですよ」
若干頭が軋むけれど、どうせ三十秒だ。大した問題じゃない。こいしの
「うわぁ…、星粒みたいだね」
「星空見えないですけどね」
「年がら年中変わらない天井だもんね」
「地底だからね」
「しょうがないね」
こんな時だっていうのに、わたしとこいしはケラケラと笑い合う。
それにしても、こいしはフラフラと彷徨うように弾幕を捌いていくねぇ。んー、単純な弾幕だとこいしには当てれなさそうな感じがするなぁ…。何と言うか、目で見てから回避、の前に既に動いている感じがする。…あれか。確か、反射ってやつ。もしそうなら、反射でも間に合わない速度を出すか、完全な死角から不意討ち気味に攻撃するか、不可能弾幕を使うかなどなど…。そんな風なことをしないといけないのか…。
そんなつまらないことを頭の片隅で考えながら四体の複製を操作する。遠目から見ればあんまり違和感がないかもしれないけれど、近くで見ると動きがかなりぎこちないんだよなぁ…。こいしの周りをグルグルと回らせつつ弾幕を放つ。終盤には回転速度を上げ、残った過剰妖力をほぼ使い切るくらい弾幕密度を濃くしていく。
「わっ、ひゃっ、うひっ」
「…これを避けれるのかぁ」
多少は慌てているように見えるけれど、こいしは三十秒いっぱい躱し切った。すぐに複製をこちらへ戻し、回収する。弾速は遅めとはいえ、あの微細な弾幕を避け切るか。…わたしの周り、強い人ばっかりじゃないか。もっと頑張らないと。
こいしの放つハート形の妖力弾をフェムトファイバーを振るって引き裂きつつ、さてどうするべきかと考える。こいしの弾幕がもう少し多くないと、わたしの鏡符「幽体離脱」は使いづらい。
「どうしよ」
「どうしましょう」
このままでは膠着状態。さとりさんに長引かせるな、って言われているから、このままでは駄目だ。しょうがない、ちょっと少ないけれど使うか…。
わたしの周囲に漂う『幻』を前方へ突き出し、その全てを炸裂させる。これで増やす弾幕を稼ぎつつ、距離を取る。
「これが最後。鏡符『幽体離脱・操』」
「えっ!さ、『サブタレイニアンローズ』!」
わたしの最後の宣言に慌てて重ねてきたこいしへ、複製した弾幕を飛ばす。案の定躱されつつ、こいしから綺麗に円を描く弾幕が放たれる。…んー、もう少し待てばよかったかも?…ま、いっか。
円を描く弾幕が順番に薔薇の花が開いていくけれど、この距離ならまだ余裕がある。複製した弾幕を大きく二つに分け、片方でこいしを覆う。そして、もう片方で内側に閉じ込めたこいしへ攻撃させる。
…しかしまぁ、こいしの切札である「サブタレイニアンローズ」によって、こいしを閉じ込めている弾幕が打ち消されていく。これは駄目だ。やっぱり『幻』を炸裂させた程度の弾幕じゃあ、まだまだ少ないよね…。
次々と迫る薔薇の弾幕を躱しつつ、わたしは最後まで複製した弾幕を操り続けた。一本の糸のように連ねて次々と突撃させたり、右側から一枚の壁のように中心まで押し寄せてみたり、覆っている弾幕を動かしたりと、遊び半分試し半分で色々と操り、そして三十秒経過。僅かに先に宣言したわたしはこいしに負けたのだった。