二つの魔法陣を横に並べ、その一つに一枚の硬貨を置く。そして魔法陣を起動。すると、両方の魔法陣から眩い光を放つ。思わず目を細めるが、観察のために閉じることはしない。光が収まったところで目を開き、最初に置いた魔法陣から隣の魔法陣へ硬貨が移ったことを確認する。硬貨自体も何かしらの変化があるかどうか調べ、特にないことにホッとする。
この程度の大きさと距離なら、何度やっても大して問題ないだろう。しかし、転移させる物質の大きさが大きくなれば大きくなるほど、転移させる距離が伸びれば伸びるほど、必要な魔力量は膨れ上がる。既に百回程度改良を加え続けているが、それでもまだまだ消費する魔力量は膨大だ。だからこそ私は挑戦する。
「いやー、眩しかったねぇ。こう、ピッカアァーン!って感じで」
「…貴女、いつからここにいたの?」
「え?…んー、さっきからかな?」
突然声をかけられて少しばかり驚いたが、それより驚いたのはさっきと言われたのに大図書館を出入りする際に反応するはずの球が反応していなかったこと。私の魔術に干渉しない存在なのか、それとも…。
「貴女、いつからここに来たの?」
「いつからだろ?お腹空いてきたから、多分三日くらい前?」
「…はぁ」
今、この大図書館にいるのは私と首を傾げている緑髪の妖怪だけ。そして、多めに見積もって五日前からこの球が反応した回数を思い返してみると三十七回。一人入って出ると計二回。つまり、この緑髪の妖怪が入ったきり出ていないから奇数になっているわけね。
机に置かれているベルを鳴らす。少し待つと、バタリと扉を開けて一人の妖精メイドが慌ててやって来た。
「はぁ、はぁ…。ご、ご用は…?」
「軽食を用意してちょうだい。それと紅茶も」
「か、かしこまりましたぁ…」
この妖怪のための軽食を頼むと、息を整えずに大図書館から駆け出して行った。
「ありがとね、魔法使いさん。けど、魔法使いならポンッ!って出せないの?」
「無理ね。それは魔術に幻想を抱き過ぎよ」
「そうなの?よく分かんないや」
そういうのは私ではなく幻香の専門だ。体内に入れたら吸収されるはずの妖力塊を保持することさえも可能にしていたのだ。無理だと言っていた食料問題だって解決出来てしまうだろう。
「ここの本は難しくて読みづらいや。お姉ちゃんの書斎もだけど」
「そうかしら?」
「そうだよ。あんなに大きくて文字ビッチリな本、誰が読むのよ」
「読みたい人が読むのよ」
「そっか」
この妖怪が言う本は一度見たら忘れられないだろう。何せ、私の身長と同じくらいの大きさなのだから。中身は魔術に関することが並んでいる。あれを全て読み切ることが出来てかつ理解することが出来たならば、もしかしたら誰でも魔法使いの一歩を踏み出せるかもしれない、と言いたくなる本。ただし、仮に全て読むとしてどれほどの時間が必要になるかなんてあまり考えたくないし、重要な部分は暗号で書かれていたりするから理解するのは難しいだろう。
「それで、貴女は三日も前からここに来て何をするつもり?」
「あー!一面本棚に興味引っ張られてウッカリだよ!」
…どうしてかしら。この妖怪を見ていると、何故か幻香と重なって見える。表情がコロコロ変わるとはいえ、それだけなら妖精メイドの中にだってちらほらいるのに。
「わたしはね、パチュリー・ノーレッジ。貴女と話をしたくてここに来たんだよ」
「…私と?」
「そうそう。貴女が協力した、第二次紅霧異変について。わたしはとっても興味があるんだ」
そう言って、目の前の妖怪は笑った。
人間の里では第二次紅霧異変と呼ばれていることは知っている。幻香の、幻香による、幻香のための異変。幻香が欲しくて止まないものを得るための異変。結局幻香自身からその目的を告げられることのなかった異変。
「もちろん、話したくないならそれでもいいよ。そのときは次の質問に答えてもらうだけだから。あ、『やっぱり前の質問に戻して』はなしね。つまらないから」
「いいわよ、別に。答えられない、なんてことはないのだし」
ただ、好き好んで話したくないだけだ。誰かに訊かれればそれなりに答える。何かに強く興味を惹かれる気持ちを私は知っている。どうしようもないくらい大きな感情で、自分自身ですら制御出来なくなることもある感情。知りたいことを調べようとすることは、魔法使いとして当然のことなのだから。
「それで、貴女はその異変の何について知りたいのかしら?」
「貴女から見た首謀者の姿」
「見た目、という意味ではないわね?」
「うん。考え方とか、どうして起こしたのかとか、そんな感じ」
どう話したものか、と考えていると視界の端に光を感じた。そして、大きな音を立てて扉が開かれる。どうやら、先程頼んだものが出来たらしい。
「はぁ、はぁ…。ど、どうぞ…、軽食、紅茶、です…」
「うわぁ、美味しそう…」
「ありがとう。それと、もう少し落ち着いたほうがいいわよ」
「は、はい…!それでは…!」
一人分の洋菓子と紅茶を机に置き、お辞儀をしてからゆっくりと歩いて行った。…一人分?まあ、そんなこともあるだろう。妖精メイドだし。
「食べていい?」
「どうぞ」
「わーい!いっただっきまーす!」
目を輝かせる妖怪は、洋菓子を一つ口に投げ入れた。サクサクとした音を立てて食べる姿はとても可愛らしい。
「んー、美味しいねぇ。これがわたしの近くでも売ってたらいいのに」
「食べ始めたところで悪いのだけど、貴女は首謀者のことを何処まで知っているのかしら?」
「『禍』」
「…そう。それじゃあ、まずは考え方ね。基本は自分を犠牲に他人を手伝うことが多かったわ。けれど、あの異変のときは明確に私達を利用すると言ってきた。驚かなかったと言えば嘘になるわね」
「どうして協力したの?」
「それは簡単よ。私は彼女を一度利用し尽くした。だから利用されることにした」
他にもフランが協力することを決めていたからだとか、純粋に友人としてだとか、色々とあるのだけど、主な理由はそれになる。
「次に、どうして起こしたのか。これは彼女の口から明確に語られていないから推測になるけど、構わないわね?」
「いいよ。予想も想像も空想も妄想もドンと来―い!」
「なら話しましょう。目的はおそらく、人里の人間達から受け続けている悪意を受けないで済ませるため。ただし、結果は問わない」
「自殺も一つの結果」
「…そこまで知っているのね。取った手段は博麗霊夢との一騎打ち。勝てば理想、負ければ死亡。…結果は封印。生きながら死んでいるのか、死にながら生きているのか、どちらとも言える結末」
「残念、なのかな?」
「…私は残念よ。あの子とはもっと仲良くしたかったもの」
あの膨大な発想と奇天烈な閃きは、私の魔術の発展に役立てることが出来ると思っていたのだから。
「そっか。ありがとね」
「ええ、どういたしまして」
そう言って紅茶をグーッと飲み干した妖怪は、ゆっくりと立ち上がった。
「えいっ」
「きゃっ!」
そして、何を思ったのかいきなり私の目の前でパチンと手を叩いた。思わず目を瞑り、ゆっくりと目を開けると、そこには空になった皿とティーカップを置いてあるのみだった。
目の前の食器を見て首を傾げる。私が食べたのかしら?…そうね、いくら食べずとも生きていけると言っても、食べていたほうがいいことがあることは知っている。魔法陣のことに集中し過ぎて、無自覚に食べていたのだろう。
再び座標移動の魔法陣に目を遣りながら、空になった食器を片付けてもらうためにベルを鳴らす。そして、視界の端で光は二度瞬いた。