東方幻影人   作:藍薔薇

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第280話

「『どうして、どうして貴方は…』っと。ふふ、我ながらいい引きね」

 

満足のいく台詞を最後に言わせ、横に置かれた紙の山の上に乗せる。あとは、この紙束を表紙などで製本すれば完成。さて、早速製本をしようかしら。

 

「きゃっ!」

 

紙束を手に椅子から降りようとしたところで、大きな音を立てて扉がこじ開けられた。一体誰が、と思っても心が読めない。こいしだ。その拍子に紙束を床にばら撒かれてしまったけれど、そんなものよりも息を荒げたまま扉から入ってきたこいしの様子のほうが重大だ。

 

「ど、どうしたのよこいし…」

 

呼び掛けても何も言わず、真っ直ぐと私へと大股で歩いてくる。その顔を見ようにも、ずっと下を向いたままで見ることが出来ない。ドンドン近付いてくるが決して足を緩めることはなく止まる気配はない。そして、こいしはそのまま私の胸に頭をぶつけたところでようやく足を止めた。その頭は、僅かに震えていた。

 

「ねえ、お姉ちゃん」

「な、何よ」

「幻香が…、お姉ちゃんに、伝言…。『秘術の解読が終わるまで書斎に籠ります』…。そう伝えてほしい、って」

「…そう。確かに受け取ったわよ」

 

幻香さんが書斎に籠っていることは、お燐を含むペット達から報告を受けていた。本以外眼中にないと言わんばかりに読み続けていて、とても声を掛けづらかったとのこと。私も一度だけ覗きに行ったのだけど、そのときに『扉が開いた』と一瞬心に浮かび、そしてすぐさま本の内容の濁流に埋もれていくのが読めた。それだけ本に意識を向けていることがよく分かり、そのまま退室したのは記憶に新しい。

酷く慌てていたようだけど、まさかこの伝言だけ?…いや、そんなはずは…。

 

「…あのさ…、お姉ちゃん…」

 

そう考えていると、両肩を掴まれた。指が食い込むほどに強く、痛くなるほどに強く。それなのに、すぐに外れてしまいそうなほど弱く、震えるその手は弱々しい。そして、ようやくこいしは顔を上げた。その表情は、目を逸らしたくなるほどに痛々しい。けれど、もしも目を逸らしたら何か大切なものを失ってしまいそうで、私はこいしから目を逸らさずに見つめ返す。

 

「幻香が…、わたしを、忘れる、って…、どういう、ことなの…?」

「…っ。そ、それは…」

「答えてよ…」

「こいし、それは――」

「答えてよ」

「こいし――」

「答えて」

「こ――」

「答えてよッ!」

 

誤魔化そうと思っていたわけじゃない。けれど、知らなければ知らないままで構わないと思っていた。何故なら、少なくともこいしの世界ではこいしのことを知らない存在はいないのだから。

けれど、どうやら幻香さんがそのことをこいしに漏らしたらしい。

 

「…ええ、答えるわ。けど、私だって知っていることはほとんどないわよ…。それでも、構わないかしら?」

「いいよ…。いいから、全部、話してよ…」

 

そう言われ、私はこいしの二度目の変化について知っている限りのことを話した。大体十二年前からだろうと推測出来ること。それ以前から知っている人には何の影響もないこと。こいしを視認したら思い出し、認識出来なくなったら思い出せなくなること。そして、幻香さんがその変化後にこいしと出会っただろうということ。

私が知っていることを話し尽くし、その全てを知ったこいしは両手を床に付けて蹲ってしまった。

 

「…そ、っか。じゃあ、幻香は、わたしのこと、何度も、忘れちゃったんだ…。得て、失って、得て、失って、得て、失って、得て失って、得て失って、得て失って、得て失って得て失って得て失っ――」

「こいしッ!」

 

パシリ、と乾いた音が部屋に響く。突然頬を叩かれたこいしは、呆けたで私を見つめてきた。僅かに赤くなった頬を優しく撫でてから、私はこいしを抱き締めた。優しく、そして強く。

 

「こいし、よく聞いて…。確かに、幻香さんは貴女と別れるたびに、貴女のことを忘れてしまった」

「ッ!」

「けれど、幻香さん、…いえ、幻香は貴女のために秘術の解読をやっているんです。貴女のために読み解こうと努力しているんです。貴女のために理解しようと頑張っているんです」

「わたし、の…」

「貴女のために、こいしのために、幻香は自分自身の精神を賭けているんです」

 

秘術の解読のために書斎に籠った。そのときに、このことを決意と共に口にしたのだろう。そして、すすることで自分がやるべきことを定め、全てを賭けて挑んでいるのだろう。

私がその危険性を伝えても、決して止めようと思わない。誰に何を言われようと、覚悟を持って決めたことを必ずやり通す。たとえ自分自身の存在が変わってしまう可能性があったとしても、自分が求めた結果のために。

艶やかに光る漆黒に染め上げられた意思を心に宿して。

 

「だから、待ってあげて」

 

背中に回していた腕をこいしの肩に置き、震える瞳を見て伝える。今だけは、幻香さんの代わりに。

 

「必ず貴女の元に帰って来るから。必ず貴女のために戻って来るから。必ず貴女の心配を壊してくれるから。必ず貴女を二度と忘れないから」

「必ず…?」

「必ずよ」

「絶対に…?」

「絶対よ。だから、信じて待ってあげて」

 

そう言い切るが、こいしの震えは留まる気配を見せない。何時間にも思えるほどに長く感じられる静寂の中、ようやくこいしは震える口を開いた。

 

「…わたしのことを忘れちゃうなんて、流石に割り切れないよ」

「こいし…」

「…けど、幻香はわたしのことを、忘れないんだよね…?」

「そうよ」

「名前を考えてあげたことも、お互いに特技を見せ合ったことも、一緒に遊んだことも、お酒を一緒に呑んだことも、わたしが教えてあげたことも、わたしに教えてくれたことも、旧都を一緒に歩いたことも、何もかも全部覚えてくれるんだよね?」

「そうよ」

「だったら、わたし待つよ」

 

そう言うと、こいしは笑った。その笑顔は明らかに無理をして浮かべたものだったけれど、それでもこいしは微笑んだ。

 

「教えてくれてありがと、お姉ちゃん」

「…そう」

 

私の手を離れて立ち上がったこいしは、背を向けて部屋の扉へと歩き出した。扉に手をかけて出て行こうとしたその時、こいしが振り返って私と目が合った。

 

「…それと、教えないでいてくれてありがと」

 

その言葉を最後にこいしは私の部屋の扉から出て行った。…今までずっと黙っていた私のことを責めてもいいのに、たとえ罵ったとしても私は何も言い返せないのに、そんな言葉を言い残すなんて。優しい妹だ。

こいしが部屋を出てから数秒ほどその場で動けずにいたが、ハッと床に落としてしまった紙束をかき集め始める。最後の一枚まで集めてから角を揃え、順序が崩れていないか一枚一枚確かめる。

 

「…まったく、どうして幻香さんは…」

 

貴女はこいしのためにやっているでしょうに、そのこいしがあんなにしてしまっては本末転倒でしょう。

どうして突然そう思い至ったのかは私には分からない。今から書斎に行ったとしても、きっとその心は秘術のことしか映さないだろう。それが出来ないと知ったならば、今度は直接自分自身の精神を書き換えてしまうだろう。幻香さんは、そういう方だ。

 

「当分書斎は立ち入り禁止ね…」

 

たとえ誰が入ろうと気に留めることすらしないだろう。けれど、少しでも気が逸れてしまう可能性を排除して、幻香さんには少しでも早く秘術の解読を終わらせてほしいものだ。こいしのためにも、私のためにも。

私には待つことしか出来ないけれど、ほんの少しだけでも間接的にでも助けになってあげたい。そして、願わくは精神を直接書き換えるなんてことだけはしないでほしいと思うことしか出来ない。

私の尊敬する貴女が、出来るだけそのままでいてほしいと少しばかり願う。

 


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