東方幻影人   作:藍薔薇

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第274話

好き好んで思い返したいとは思わない精神的外傷(トラウマ)を思い出した所為で、痛くもない右腕と心臓に痛みの残滓が残っている。気分もあまりよくないし、気付いたら倒れていた体をこれ以上起こす気にもなれない。

さとりさんとこいしが目の前にいるにもかかわらず、わたしは手のひらをじぃっと眺める。何の変哲もない、普通の手の平だ。親指も中指も薬指も小指も、もちろん人差し指だって普通。何処をどう見ても何処にでもあるような指で、決して螺子みたいにグルグル回転していない。

その時の記憶はもちろんある。ただ、産まれてからその時までずっとそうだったと自分自身に言い聞かせて騙して思い込んで勘違いさせた結果、自分のことなのに自分から離れた誰かのことのような気がしてならない。確かに自分自身の経験のはずなんだけど、まるで知識として持っているような感じがして、繋がっていないような感じがする。

まるで夢でも見ていたような気分だ。この現実とほとんどそのままそっくりで、ただ一つわたしの右手の人差し指がグルグル回転する、ってことだけが違う夢。それ以外何も変わらない。そんなつまらない夢は、さとりさんに強制的に叩き起こされたわけだけど。

今のわたしにあるものといえば、ただ、まあ、出来ちゃったなぁ、という印象くらいだ。

それは、出来た、という感情でもある。精神の書き換えの予行演習。こいしに関する記憶に穴を空けられて取り繕われ、フランの破壊衝動が混ざって『紅』となったように、今度は自ら書き換える。秘術の解読が出来なければ、こうして絶対記憶能力を組み込もうかな、と思ってのことでもある。

そして、出来てしまった、という感情でもある。わたしは本当にここまで変われるんだなぁ、と。出来たらそりゃあ嬉しいけれど、出来なかったらどれだけ喜んだだろうか。分かるわけないか。ま、そもそも出来ないはずがないと思っていたわけだし、仮にもし出来なかったらそれはそれで思うところもあっただろう。どう思ったかなんて知る由もないけれど。わたしなんて、そんなものだ。

さとりさんにはああ言われたけれど、わたしは止めることはしないだろうな、とも思う。どれだけ捻じ曲がろうと、どれだけ歪み切ろうと、どれだけ変わり果てようと、わたしはわたしだ。わたしが鏡宮幻香である限り、わたしは鏡宮幻香である。

 

「…貴女は変わるつもりはないのですね」

「変わるんだよ、これから。…変わらなきゃいけないんだ」

 

掴んだ新たな可能性。これをそのままお蔵入りだなんてもったいない。人差し指が変わるなら、右手だって変えられるだろう。右手が変わるなら、右腕だって変えられるだろう。右腕が変わるなら、右半身だって変えられるだろう。右半身が変わるなら、全身だって変えられるだろう。そう考えていると、自然と頬が吊り上がっていく。

そして、それと同時にこの歪んだ使い方に乾いた笑いが込み上がってくる。他のドッペルゲンガーがいたとしたら、わたしを見て驚くだろうなぁ。…ま、ドッペルゲンガーに自我なんてありゃしないんだけどさ。

 

「だぁかぁらぁー!お姉ちゃんも幻香もわたしのこと置いてかないでよー!」

「うわっぷ…。あはは、すみませんね」

 

膨れっ面で抗議してきたこいしを受け止めつつ、謝罪する。ただ、こいしを置き去りにしてさとりさんと会話したことをであって、中身が伝わらない会話をしていたことではないが。

 

「さとりさん」

「…別に、もう構いませんよ」

「ありがとうございます」

 

さとりさんに了承を得たところで、こいしの手を掴んでいい加減起き上がる。いくら気分が悪くても、ずっとここで床に腰を下ろし続けているわけにもいかないから。

 

「どうしたの?」

「さとりさんの話は終わったようですから、わたしはこいしと遊ぼうかな、って思っただけですよ」

「やった!それじゃあねぇ、わたしの部屋に行こ!」

 

掴んだ手をこいしに引っ張られながら、大広間を後にする。扉を潜る直前に振り返ると、さとりさんはやけに寂しそうな表情で微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

引っ張られてこいしの部屋。部屋に入ってすぐにこいしは机に積み上げられていた紙束を鷲掴みし、花吹雪のようにばら撒いた。宙を舞う一枚を床に落ちる前に手に取って読んでみれば、細かく波打つ渦巻が描かれている。その絵の周辺には『花開いて散る』『ゆっくり広がっていく』『爆ぜる、ダメ、ゼッタイ』と補足するように書かれている。…何だこれ?

 

「…ハッ。ばら撒いちゃ駄目だった」

「何ですかこれ?」

「集めてからのお楽しみで!」

 

そう言われ、床に落ちている紙をまとめていく。一枚一枚にそれぞれ違うことが書かれているけれど、深く考えないようにしてとにかく集め続ける。せっかく教えてくれるなら、そこまで知らないでいたいと思ったからね。

床に落ちている紙を全て回収し切ったところで、机に角を揃えて置く。こいしが同じように置いた紙束と合わせて二枚の紙が目に入る。わたしが集めた紙束の一番上は、中心から直線が大量に伸びていて、『とにかくたくさん』と書かれている。こいしが集めた紙束の一番上は、二つの丸が交差するように波打っていて、『下から上に大きく』と書かれている。

 

「それで、これは一体何ですか?」

「へへーん。実はねぇ、幻香が言ってたスペルカード戦だっけ?それのアイデア!」

「へぇ…、こんなに考えたんですか…」

「まぁね。魅せる弾幕でしょ?簡単そうで難しいよねぇ」

「…あー、そーですねー…」

 

こいしのその言葉に、思わず目を逸らしてしまう。わたしのスペルカードはどう考えても魅せるためのものではない。

 

「例えばこれ!」

 

わたしが目を離した隙に、こいしが紙束の中から無造作に紙一枚を引っこ抜いてわたしに見せつけてくる。ただ、引っこ抜く際に紙束を崩してまた床に雪崩れてしまっていいのだろうか?…こいしが気にしてないならいいか。

楕円を斜めに切って片方引っ繰り返したような模様、パチュリーと遊んだトランプのハートに似た形が二つ描かれ、その中心を線が通っている。きっとこのハート型の妖力弾の軌道のつもりなのだろう。

 

「この形、心臓とか愛とかの意味があるんだって!」

「へぇ、そうだったんですか」

 

流石にそのくらいは知っている。あまり気にしていなかったけど、他にも心という意味があったはずだ。

心を飛ばす、か。無意識のまま無意識に生きるこいしらしい、と言えばらしいかな。心を捨てたのか、それとも自分の心を受け取ってほしいのか。それともそんなこと全く気にしていないのか。…まぁ、今はそんなことを訊くつもりはないけど。

 

「不愛想な形より、何かそれっぽい形のほうが見栄えするよね!」

「そうですね。わたしの知っている魔法使いに星型を飛ばす人がいますし」

「へぇー!刺さったらザクッて痛そう!」

「刺さるなら痛いでしょうねぇ」

 

見事な鋭角だし。

 

「他にも色々あるけどね、やっぱりやってみないと駄目だよね」

「どれだけたくさん思い付いたとしても、それを形にしないと埃を被るだけですからね」

「だよね!だからこれの中からいいもの選んでさ、幻香と初めてのスペルカード戦をやろうかな、って思うんだー」

 

そう言って無邪気に笑う。そのまま崩れた紙束から次々と引き抜いていき、今度は難しい顔をしながら見比べては後ろに放り投げていく。考えたはいいものの、こいしの琴線に触れなかったらしい。

 

「だからさ、ちょっとここで待ってて…!今からいくつか絞り込むから…!」

「好きなだけ時間を掛けてください。せっかくやるならいいものにしましょう?」

「うん、そうする…!むぅ、これは…」

 

こいしが選び終わったら、こいしとスペルカード戦かぁ。こいしってどのくらい強いんだろう?フランは初めてのスペルカード戦でも十分にやり合えたみたいだし、こいしもいけるのかな。どのくらいの実力かは分からないけれど。ふふ、楽しみだなぁ…!

 


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