東方幻影人   作:藍薔薇

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第263話

バタリ、と扉が閉まる音が響く。この部屋にいるのが私一人となり、そうだと思ったときには冷や汗がブワリと溢れ出していた。荒れる呼吸をゆっくりと整えていき、震える体を落ち着けていく。一人の友人を何万と殺し続けていた、と読んでしまい、その圧倒的狂気に一度倒れてしまったが、それだけで済んだ私は自分を褒めてやりたい気分だ。…ふぅ。平常通りとはいかないが、大分落ち着いてきたわね。

 

「…お燐、盗み聞きとはいい趣味してるわね」

 

そう一言、壁の向こう側へ言い放つ。お燐がこの部屋に入ってきた時から、その心の中は幻香さんへの警戒でいっぱいだった。私が幻香さんと二人きりになりたいと伝えたときには、それは危険だと口に出そうとしていた。部屋から出て行ったときには、どうにか出来ないか、と心にあった。私が床に倒れたときには、壁の向こう側から誰かがいる音が伝わってきた。これだけあれば、そのくらいの想像は付く。

たっぷり十数秒待ち、隣の部屋から静かな足音が聞こえ、扉が開く音が聞こえてきた。そして、そのままこの部屋の扉が開き、ばつの悪そうな表情を浮かべたお燐が入ってくる。その心も、盗み聞きをしたことは悪いと思っているようだ。

 

「大丈夫ですか、さとり様?」

「ええ、もう平気。それより、隣の部屋で壁に耳を押し付けていた理由を言ってくれないかしら?」

「う…。そ、それは、その、もしあの不届き者がさとり様に何かしたら、と思ってですね…」

 

心の中と同じようなことをお燐は言った。つまり、私のためだと思ってやったこと。そこまで咎めることではないだろう。

けれど、それはあまりいいことではなかったのだろう。

 

「無駄よ。貴女には絶対に敵わない。彼女が手段を選ばなかったとき、既に貴女は死んでいたのだから」

「な…!」

 

そう言うと、お燐の心の中が幻香さんとの攻防が流れていく。投げ付ける火球はスルスルと躱されていく。追いかければ容易く攻撃され、突如現れた壁に阻まれる。匂いから居場所を突き止めたと思えば、曲がり角で奇襲を受けて吹き飛ばされる。…そう、最初から既に劣勢だったのね。その中で幻香さんが怨霊に取り憑かれて体が変質していくのが見えたとき、幻香さんの異質さが垣間見える。そして、こいしが止める寸前の幻香さんの顔。…あれは、一線を越えた表情だった。

 

「驚くことはないでしょう。貴女は最初から弄ばれていたじゃない」

「そ、それなら!どうしてあの不届き者を受け入れたんですか!?」

「そうね。それは、彼女が危険だからよ」

 

そう答えた瞬間、ダンと机に両手を叩き付けたお燐は、私の目と鼻の先まで顔を近付いてきた。その表情と心は、怒りで塗り潰されている。

 

「危険ならなおさら受け入れるべきではないでしょう!?」

「違うわよ。幻香さんが危険なのは、私達が彼女を受け入れなかったとき」

 

部屋に入ってきた瞬間、彼女の心には私の第一印象が浮かんでいた。そして、その後ろではこの地底で生きていく手段が無数に流れては積み上げられていっていた。それは穏便なものから過激なものまで、多種多様にあった。

 

「あれでも穏便なものだったのよ。何せ、私達が死んでいない」

 

彼女の手段の中には、私達を皆殺しにすることが平然とあった。地底を真っ新にすることが当然のようにあった。できるわけがないだろう、と思いたかった。けれど、その手段にはそれを行う方法までキッチリとくっ付いていた。つまり、出来ないものではない、ということ。だから、私はこの時から彼女の要求を受け入れることに決めていた。ただ一人例外を作るだけで、未曽有の災害を防ぐことが出来るのなら安い買い物だ。…彼女が地底でも『禍』と呼ばれる必要はない。

私は確認のために、わざと旧都への移住は認められない、と伝えた。その瞬間、彼女の心には、私を打倒する手段が並べられ、私を殺す手段が並べられ、私の言葉を捻じ曲げる手段が並べられ、そしてそれらを理性によって抑え付ける様が読めた。

 

「そんなこと、言われましても…」

「ねえお燐。今すぐ星熊盃を奪ってきなさい、と私が命令すれば、貴女は果たしてくれる?」

「それは…」

 

無理だ、と心にありありと浮かんでくる。

 

「無理だ、と。ええ、そうよね。そう言ってくれると思っていたわ」

「それが何だって言うんですか?」

「やってくれるかどうかは別として、幻香さんは出来る」

 

彼女と話していた時に垣間見えた強烈な思想。自身がどうなろうと問題なく、他者がどうなろうと関係ない。自身がどう思われようと止まることはなく、他者がどう思われようが止めることはない。物も命も価値も基準も倫理も人間性も例外なく切り捨てることが出来る。そんな目的のために全ての犠牲を厭わないという絶対的意思。

 

「だから、私は彼女に恩を売ることにした」

「恩を売る…」

「ええ。そんな彼女を、私の手札に入れておきたかった」

 

とは言うものの、彼女を上手く扱えるとは思っていないし、そもそも彼女を何かに使おうとも思っていない。…まあ、万が一のときの保険のためだ。そのときは、私が求めた結果を必ずもぎ取って来るだろう。

 

「それに、彼女はこいしの友達だもの」

 

こいしが友達だ、と私に報告してくることは少なからずあった。けれど、そのなかでも鏡宮幻香という存在はお気に入りなんだな、と思っている。何故なら、一度限りの友達の報告の中で、彼女だけは幾度となく報告されたのだから。

これだけ言うと、お燐はまだ完全に認めてくれたわけではないようだけど、納得はしたようだ。

 

「もういいでしょう。私は仕事の続きをしますから、貴女は貴女のやるべきことを熟してください」

「…はい、さとり様。それでは」

 

扉が閉まる音が響き、再び部屋は私一人となった。長く息を吐き、こいしの友達である幻香さんのことを考える。そして、わたしが彼女を受け入れることにした、決定的な理由が浮かぶ。

 

「…似ているわね、本当に」

 

まるで鏡を見たようにそっくりだ。私が髪を伸ばせばあのようになるだろう、と思わせる。こいしはわたしそっくりだ、と言っていたけれど、その意味は少しばかり違うものだっただろう。そんな、特異体質。無垢な白、らしい。

 

「私と、彼女は、本当にそっくりで、まるで違う」

 

心を読んで人間達に嫌われた私。姿を写して人間達に嫌われた幻香さん。本当に、鏡のように真逆にそっくり。人間は自分と同じものを持つ存在を好むくせに、内側を暴かれることを嫌い、外側が同一であることを嫌う。なら、人間達はどこが同じならいいのだろう?…答えは知っている。そこまで求めていないのだ。せいぜい三割で十分だ、と。それ以上は気味が悪い、と。人間は、誰しも唯一存在でありたいのだ。だから、心を読める私は嫌われた。だから、姿を写す幻香さんは嫌われた。

そうなったとき、私は逃げた。人間達に背を向け、地底へ潜り、地霊殿へ引きこもった。旧地獄を管理し、旧都を管理し、怨霊を管理した。言葉を発することが出来ない動物達に懐かれ、人型へ成長を遂げた存在は放し飼いにした。

しかし、幻香さんは立ち向かった。人間達の悪意を圧し折り、対抗する手段を考えるために身を隠し、そして大博打を挑んだ。悪意を受け止め、害意を撥ね退け、殺意を仕返した。数少ない友人と呼べる存在との関係すらも切り捨てることを厭わず、再び舞い戻るために地底へと降りてきた。

 

「…眩しいわ、本当に」

 

同じ結末だとしても、そこに至るまでの過程がまるで違う。そんな彼女に同情し、そんな彼女に尊敬した。だから、私は地霊殿に受け入れることにしたのだ。

 


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