橋の上の妖怪が言うには、ここは旧都と言うらしい。旧地獄に出来た都だからだろうか。まあ、そんなことはどうでもいい。
周りの家々を見渡して思うことは、やけに古い家と真新しい家が混在しているということ。さらに言えば、急ごしらえで組み立てたような不格好な家とか、一部の壁や屋根だけ新しくなっている家とかもある。
周りの妖怪達を見回して思うことは、ここは地上と比べて明らかに無法地帯であるということ。毛むくじゃらの妖怪と一つ目の妖怪が拳大の石を投げ合って血を流していたし、少し前には吹き飛ばされて家の古い壁をブチ抜いた腕と脚が非常に長い妖怪もいた。
特に隠れるつもりもなく普通に歩いていると、あの幽霊みたいなのがわたしの周りを漂う。ウロウロとしていて鬱陶しかったので、指先で妖力を炸裂させるとすぐに何処かへ飛んでいく。しかし、追い払っても追い払っても少し時間が経てば別のがやって来る。何故だ。
「…おっと」
横から何かが飛んでくる音がしたので、一歩大きく踏み出す。すると、さっきまでわたしの頭があった場所に拳大の石が飛んでいた。それを投げたであろう全身眼だらけの妖怪の姿を横目で見遣り、その全ての眼がニヤついていてちょっと気味悪い。
「どうしよ」
その妖怪がもう一回り大きな石を投げ付けてきたので、とりあえずしゃがんで躱す。この意味があるのかどうかも分からない攻撃は、わたしに対してだけやっているわけではない。当然、それは石だけではなく、木片、土塊、刃物など、他にも様々なものが投げ付けられている。それに対し、喰らってやり返すのも、喰らって気にしないのも、躱して仕返しするのも、躱してやり過ごすのも、ここでは当たり前に行われていることであるようなのだ。
「ぅおっ!…危ないなぁ」
咄嗟に掴み取ったものは、錆びて刃こぼれしている鎌。気付けば投げてくる妖怪は増えてるし、こんなものまで投げ付けてくる。いやはや、これは驚き。歓迎はしない、と言われた理由がよく分かる。
横から飛んで来たものを弾こうと鎌を振るうと、ベチャリと顔に泥が付く。どうやら泥塊だったらしい。それを見た周りの妖怪達がゲラゲラと笑い出す。…どうしよ。やり返してやろうか。けどなぁ、いくら見た感じ当たり前だからって関係を自ら悪化させそうなことをするのもなぁ。けどなぁ、わたしはここに暮らすときにいちいちこんなことの対応に追われると考えるとなぁ。
「止めだ止め」
首を振るい、少し考えたことと泥を払う。当面の目的はあの大きな建物。ここに住むために一番確実な方法は、一番上にいそうな人の許可を得ることだ。そっちのほうが、この妖怪達に喧嘩を売って歯向かう気力を失わせるよりよっぽど楽だろう。…まあ、その確実な方法は一回失敗してるんだけどね。目の前で死んじゃったから。
ヒョイヒョイと躱しながら先ヘ進んでいく。ある程度進んでいくと、不思議と投げ付けてくる妖怪の数が減り始め、それに従い飛んでくるものも減り始める。その代わりに、肉と肉がぶつかり合うような音が聞こえてきた。…今度は何をしてるんだか。
そんなことを考えていると、横から誰かが近付いてくるのが見えた。その瞬間、僅かに残っていた妖怪達がそそくさと何処かへ去っていく。わたしは少し驚いた。その妖怪が出た瞬間に妖怪達が逃げたことではなく、その妖怪の姿に。何故なら、その短い髪の毛からは小さな二本の角が伸びていたのだから。
「おうおうあんた…、不思議と俺の顔そっくりだな。だが、見ない奴だ。何処から来た?」
つまり、鬼だ。わたしより頭一つくらい小さいとはいえ、その雰囲気は萃香に近いものを感じる。…まあ、彼女よりは明らかに弱いと思ってしまうのはしょうがないことだろう。山の四天王だとか、妖怪の山を支配してたとか、そんな武勇伝と比べるほうが悪い。
わたしの知っている鬼は萃香一人だけ。その萃香は無用な嘘が大嫌いだ。笑わせる冗談とか、必要に迫られた嘘とかは気にしないようだけど、それは例外。鬼全員が萃香と同じとは思っていないけれど、わたしには鬼の基準が萃香しかいない。だから、わたしは正直に答えることにした。
「上から来ました」
「上かぁ…。はぁ!?上だとっ!?」
「ええ。…それがどうかしました?」
答えはなかった。
「ぉおらあぁっ!」
「ッ!」
その代わり、いきなり手首を掴まれて思い切り投げ飛ばされた。かなり古くなっていただろう家に叩き付けられ、そのまま大穴を開けて木屑を撒き散らす。その拍子に家全体がギシギシと音を立て始め、そのまま瓦解した。
「痛っ、たた…。いきなり投げるか普通…?」
屋根の大半が藁だったこともあって特に頭に何かぶつかったという感じはなかったが、壁に当たった背中が痛い。穴をあけて衝撃を逃がしてくれたのは助かったけれど、まだ顔に残っていた生乾きの泥に木屑がくっ付いて鬱陶しい。
服を払いながら崩れた家だったものから抜け出ると、目の前に迫っていた拳を咄嗟に体を右に倒して避ける。近くにあった何かをわたしに重ねて複製して倒れていく体を無理矢理起こし、空振って僅かに体勢が崩れた鬼に殴り返す。流石にここまでされて何もしないつもりはない。
「ぐっ、のぉおっ!」
「よっ、ほっ、ふっ」
躱し、躱し、僅かに生まれた隙に一撃加える。その繰り返し。『攻め』と『守り』を切り替えていけ。相手は力任せ。敵が攻撃してくるなら、躱せばいい。相手は鬼だ。あの威力を往なすなんて、今のわたしには出来そうにもないのだから。敵の攻撃が外れたのなら、体勢が崩れたのなら、そのとき一撃加えればいい。ただし、無理はしない。わたしは一撃喰らえば致命的なのだから。
柔よく剛を制す、というらしい。…まあ、萃香に対してやったら多分剛よく柔を断つになるだろうけど。
「何故だ!何故当たらんッ!」
「うん、弱い。妹紅のほうが強かった」
「な――ヴッ!?」
拳を躱し、その足を払う。重心が前に傾いていたことも相まって、簡単に倒れる。その倒れてくる顔に左拳を突き出す。鼻が潰れたような感触がしたけど、まあいいや。ふらつく鬼の頭の両側を掴み、追加で膝を叩き込む。締めに両手を離し、顎を蹴り上げた。軽く浮き上がる鬼の意識は軽く刈り取れたようで、そのままピクリとも動く様子もない。
「…はぁ。わたしは喧嘩を売りに来たんじゃないんだよ。ま、買わないわけじゃないけどね」
倒れた鬼を見下ろし、独り言のように呟く。そんなわたしの肩を、誰かが後ろから叩いた。チャプリ、と水が跳ねる音が聞こえ、酒独特の香りが鼻に付く。…何故だろう。猛烈に嫌な予感がする。
振り返ると、明らかに別格の鬼がいた。頬が引きつる。初めて萃香に遭ったときに似た感じ。その手には真っ赤な盃が乗っており、ちょっと傾ければ零れてしまいそうなくらい酒が注がれている。
「じゃ、私のは買うかい?」
「お断りします」
肩に乗っている手を払おうとするが、どうにも離れない。強く握られているという感じではないのに、とにかく離れない。まさかくっ付いているなんてことはないはずだし、どうして離れないんですかねぇ…。
「まあ待てよ、地上の妖怪。取って食おうってわけじゃないんだ」
「殴って殺すんでしょう?」
「おいおい、流石に早合点し過ぎだろ」
どうしてものを投げ付けてきた妖怪が去っていったのかよく分かった。鬼がいるからというのもあるだろうけれど、特にこの彼女がいるからだろう。雰囲気だけで萃香と同等程度と分かる。…いや、単純な力だけなら萃香以上かも。山の四天王、ということは同じ程度の実力を持った妖怪があと三人いたということ。つまり、もしかしたら彼女がその三人の中の一人なのかもしれない。
「まあそりゃあな?一応地上と地底の不可侵があるし、私の仲間が一人やられたのもある。…けどなぁ、最近は暇でしょうがない」
「…で、何が言いたいんですか?」
「私に勝ったら見逃してやる、って言いたいんだよ」
いや、それは流石に無理があるでしょう。