ここから遠く離れた場所で待機してもらっている彼女達がやって来るのには、まだもう少し時間がかかるだろう。その時間を何もせずにいるのはもったいないので、長椅子に横たわり、妖力の回復を意識的に加速させていく。しかし、その分体力が削られていくのだから難儀なものだ。けれど、この先妖力をかなり使うことは確実。このままでは、下手すれば足りないくらいだ。そのときは非常にもったいないけれど、このフェムトファイバーを回収することになるだろう。妖力量なら緋々色金十個分を軽く超えるくらいはあると思うけれど、当たり前だが回収してしまうとどんどん短くなってしまう。道具として使うにはある程度の長さが必要なのだから、どうしても必要な時まで回収は避けたい。これを創るのだって頭使うんだから。
それにしても、このフェムトファイバーは何時までもその姿のままでい続けることが出来る、というふざけた性能があるけれど、その代わりに過剰妖力が一切入らないことが不便だ。過剰妖力を炸裂弾にして攻撃することも出来ないし、過剰妖力を推進力にして動かすことも出来ない。密度百パーセントだから、そんな余分で不純なものを入れる場所がないということだろうか?…まぁ、わたし自身が鞭を振るうように自在に操れるならいいのだけど、咄嗟に出来るのは、何かに叩き付けることと巻き付けることくらいだ。飛んで来たものを弾くことは半分出来れば上々くらい。武器としての利用はかなり先の話になりそうだなぁ。
フェムトファイバーを弄りながらそんなことを考えていたら、近くにいた萃香がフェムトファイバーを興味深そうに見ていることに気付いた。
「萃香?」
「ん、その紐がちょいと気になってなぁ」
「…分かるんですか?」
「何となく。今まで色々やってきたからかな、これ以上ないくらい萃まってるのを感じるんだよ」
私のそれとは違う方向で、と続けた萃香は、わたしから紐を引っこ抜いていた。…せめて何か言ってからにしてほしい。
「…とてもじゃないけど、私には真似出来ないな。どうやったら出来るんだかサッパリだ」
「流石月の技術ですね。曰く、永遠に変化しないそうですよ?」
「へぇ、ちょっと試していいか?」
「…勝手に疎にして解かないでくださいよ?」
「出来るかどうか微妙なとこだけど、そうじゃない。ただ単純に引っ張るだけさ」
そう言うと、紐を拳一つ分離して二ヶ所掴み、腕に血管が浮かぶほど力強く引っ張り始めた。僅かに開いた口から覗く歯は、砕けんばかりに噛み合っている。萃香の眼がこんなことなのに真剣そのもので少し怖い。
「…はぁ、凄いなこれ。まさか、紐に負ける日が来るとは思わなかったけどな。ちょっと、いや、かなり傷付いたかも」
しかし、終わってみればフェムトファイバーは無傷であった。見た感じ変わった様子もなく、少し探ってみても密度に変化なし。十割完全に満ち満ちている。これはもしかしたら千切れちゃうかも、なんて思ったのだけど、まさか千切れないとは。自分で創っておいてそう思うのはおかしな話かもしれないが。
「へー、萃香に千切れない紐なんてあったとはな。…よし、次は私だ」
「あ、おい」
傷付いた、なんてことを言っていながら全くそうは見えない萃香の近くで眺めていた妹紅がひょいと紐を取り上げると、その手から炎を噴き出した。
「力で駄目でも燃やせば焼き切れるだろ?」
「…どうなんでしょう?」
「試せば分かる。…ん?あ、これ無理っぽいな」
そう言って炎を払うと、焦げ目すらない綺麗なままの姿が現れた。よく思い出して考えてみれば、燃えて焼き切れるとは反応による変化の結果。つまり、変化することのないフェムトファイバーが燃えることはあり得ないのか。
「よーし!次は私!」
「おー、物騒なもの担いでるなぁ、フランドール」
「ほらほら」「貸して!」
三人のフランが妹紅からフェムトファイバーを受け取り、その内の二人が端を持ってピンと張る。そして、残された一人がフェムトファイバーの目の前でレーヴァテインを振り上げた。
「スゥ…。セイッ!」
「うわっ!」「きゃっ!」
レーヴァテインがフェムトファイバーに思い切り振り降ろされると、両端にいたフランが引っ張られるように崩れてしまった。それに伴い、ピンと張られていたフェムトファイバーは一気に緩くなってしまい、レーヴァテインが空しく床に切れ込みを入れて終わった。
「あ。…やばっ!」
床に刺さったレーヴァテインを引っこ抜いても、その刃に纏っていた炎で床に炎が広がっていく。フェムトファイバーも一緒になって炎の中に入っているけれど、きっと大丈夫だろう。しかし、本はパチュリーが掛けたという魔術結界で守られているとはいえ、それ以外は大火事だ。
「任せろ。…ほれ」
「うひゃっ」
その瞬間、萃香の手が何倍にも大きくなった。その巨大な手を床に振り下ろし、炎を押し潰す。…床が凹んでしまったけれど、これ以上燃え広がるよりはマシだっただろうか?…あ、パチュリーが何とも言い難い表情で床の凹みを眺めている…。しかし、そのことについてわたし達に口を出すことはなく、代わりに溜め息を吐きながら机に置かれているベルを鳴らした。きっと、これからやって来るであろう妖精メイドがこの床を修理することになるのだろう。
「ほれ、かなり熱いだろうから気を付けろ」
「へ?…そうでもないですけど」
「いや、皮膚が焼ける香りがする。かなりヤバいんじゃないか?」
押し潰したついでに回収したのであろうフェムトファイバーを萃香に投げ渡されたので、掴み取ってみたけれど、特にどうってことはなかった。しかし、そう思っていたのはわたしだけのようで、妹紅にそう言われると、確かに皮膚が焼けたような嫌な香りがする気がする。
急いで右手を離すと、触れていたところが分かりやすいくらいに真っ赤になっている。少し弄れば皮がベロリと剥けそうな感じ。…うわ、これ割と深い火傷じゃなかったっけ?
「おい、痛くないのかそれ?」
「…あ。そういえば、ずっと前から痛みを意識から外してたんだった」
「なんじゃそりゃ」
「占領するのに痛みは邪魔でしかないかなぁ、なんて思ったので。よし、ちょっと意識に戻して…。ん?痛っ。うげ、これ相当痛い!痛たた!」
どういうわけか、高温のフェムトファイバーを掴んだ右手だけじゃなくて、左手もかなりの痛みを発している。確認してみると、出血はしていないものの、何かで抉られたような穴がポッカリと空いていた。ギョッと目を見開いていたら、萃香は呆れたように言った。
「今更気付いたのかよ…。何か理由があってそのままにしてたと思ったら、まさかそんなことしてたとは思わなかったなぁ」
「その左手、お姉様に撃ち抜かれてたんだけど、てっきりすぐ治ると思ってた…。ごめん、おねーさん」
「それよりどうするよ?…おーい、さっきみたいに楽にするのは無理か?」
「え?…少し痛みが引くくらいなら出来ると思いますけれど、すぐに治すというのは…」
「ぜひお願いします…。少し痛みが引けば多分治せますから」
両手を大ちゃんに出すと、その手を掴まれる。一瞬痛みが走るが、それも淡い黄緑色の光によってすぐに薄れていく。…よし。戦闘時に継続するとなればまだ不安はあるけれど、そうでないのならばいい加減もう慣れた。『紅』発動。
わたしの体が僅かに変質したのが分かる。僅かに吸血鬼へと歩み寄ったのを感じる。そこら中で『目』がチカチカと自己主張しているが、今はどうでもいい。両手に意識を向け、治癒していく。
「もう治ったみたいですよ」
「ふぅ。ありがとうございます」
「気にしないでください。私が出来ることをしただけですから」
優しく微笑まれながら言われるけれど、さっきまでのわたしはかなり間抜けだったと思う。痛みを排したまま放置して、気が付けばこの様。一段落着いたからと言っても、すぐには来ないだろうと分かっていても、それでもこれは気を抜き過ぎてたかも。
…よし、気を引き締めていこう。
「とりあえず、フェムトファイバーについてはそのくらいでいいでしょう。ここにいない皆がここに来たら、次に何をするか話しますから」
「それはいいけどさ、さっきからあの編纂家の視線が鬱陶しいんだけど」
「え?…あぁ、いいんじゃないですか?わたし達妖怪についてまとめるのが仕事らしいですから。自己紹介でもしてあげれば、もしかしたら記録してくれるかもしれませんよ?…あと萃香。いくら鬱陶しくても、喉笛を掻き切るような真似はしないでくださいね」
「しねぇから」
萃香とわたしの発言で息を飲んだ阿求さんは、さっきまで見詰めていた視線を机の上の紙に移し、何かを書き始めた。ここからでは読めないけれど、覗くつもりはあまりない。それより、阿求さんは非常に病弱であると慧音が言っていた。大丈夫だろうか?
「ま、いっか。さ、皆が来るのを待ちま――あら?」
ギギ…、と扉が開く音が響き、わたしの異変の協力者たちが一斉に雪崩れ込んできた。
「着いた!ほら、起きろチルノ!このまま寝てたら何もしないで終わっちゃうよ!」
「ムニュ…?お?おぉ!着いたのか!よーし!アタイにかかればもう安心だー!」
「やっと起きたのかー、寝坊助さんめー」
「ふひー!ようやく着いたー!」
「ぜぇ…、ぜぇ…。…さ、サニー、ちょっと、待って…」
「ルナったら、もうへばったの?…大丈夫?」
「リグルもサニーも走るの早いよ…。特にリグルはチルノ背負ってたのに…」
わたしは彼女達に向けて手を振ると、それに気付いたらすぐにこちらへ駆け出してきた。さっきまで寝ていたり、息も絶え絶えだったりしている子もいるけれど、全員やる気に満ちている様子でホッとした。
「よし、早速次の段階について話しますか」
横になっていた姿勢を変えてちゃんと座り直し、一呼吸置く。…よし、落ち着いた。
さて、話し合いを始めましょうか。