東方幻影人   作:藍薔薇

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第207話

『…ん』

「あら、もう起きたのね」

 

目が覚めたら、目の前にいかにも調合に使いそうな器具が大量に並んでいた。材料と思われるものも隣に整然と並べられている。…これは一体どういう状況なの?

 

『あ、あれ?…体が』

「悪いけれど、今は私のものだから」

『…今なら彼女の気分が少し分かりますよ』

 

視界に映るものは分かる。鼓膜に響く音も分かる。染み付くような独特の香りも分かる。手に持っている器具や材料の感触も分かる。右腕に触覚があることに少し驚き、心臓の鼓動を感じることにさらに驚いた。けれど、どれだけ体を動かそうとしても、わたしの意志では動かない。

その代わり、わたしではない誰かが体を勝手に動かしている。材料を粉末状にしたり、水に溶かしたりと、手際よく調合されていく。

 

『…ぅぐ』

「あら、どうしたの?」

 

そして、頭の中に強制的に濁流の如く流れ込んでくる膨大な情報。ズラズラと並ぶ物質の反応と、それに必要な様々な条件。似たようなものを月の都にあった書籍や文献で、文章として読んだことがあるけれど、これはその比ではない。より精密で、より細密で、より緻密で、より過密である。

 

『…自白剤?生涯持続?』

「あら、伝わっちゃったかしら?」

『そんな廃人製造劇薬作るのやめてくださいよ…』

「いいじゃない。前に作ったのは薬が切れたらまた服薬させないといけなかったから、今度はそんな必要ないものを作ろうとしたんだけど」

『…確か月の都でありましたね、そんな薬の製造方法』

「そう。あっちでは普通に作れたけれど、ここだと必要な物質を反応させるにはちょっと足りないものが多かったのよ。…ま、やってみせるわ」

『やめて』

 

そんなものはこの幻想郷にあってはいけないと思う。月の都でも『製造を禁ずる』と書かれ、明確な製造方法は書かれていなかった。

 

『…そうだ。訊かなきゃいけないことがあったんだ』

「何かしら?…ま、分かるけど」

『なら答えてくださいよ。ちなみに、わたしは鏡宮幻香です』

「八意永琳よ」

『…は?』

「驚くことはないでしょう。予想していたこと、伝わってるわよ?」

 

いや、月の都にいたようなことを語っている時点で、誰のドッペルゲンガーであるかなんて相当絞られていた。それに加えて、薬を作るような人なんて、わたしは一人しか思い付かなかった。それだけなんだけど…。けど、やっぱり驚くものは驚くのだ。だって、あの永琳さんだよ?

熱せられてコポコポと小さな気泡が立つ液体を眺めさせられながら、驚きの感情を横に置く。今は聞きたいことが他にも色々ある。いちいち驚くのに時間を割くなら、後でまとめて驚いておこう。

 

『ドッペルゲンガー。貴女の目的は?』

「私は新しい薬を作りたいの。九七五一七番目のね」

『わたしを飲み込まないんですか?』

「出来るけれど、必要なかったから。五体満足に動かせるなら、それで十分」

『目的が終われば、貴女も消えますか?』

「そうね。それがドッペルゲンガーの定め」

『この体は、貴女のものだと思いませんか?』

「思わない」

 

嘘は言っていない。全て本当のことだと分かってしまう。伝わってしまう。

 

「もうお終いかしら?」

『…いえ、最後にお願いを』

「あら、私にお願いなんてね。…ふふ」

『そんな物騒な薬はやめて、もっと穏便な薬にしてください』

「…はぁ。ま、いいわよ。まだ最初も最初だから、変えるなら今ね」

 

そう言って、また頭に大量の文字列が流れ込んでくる。さっきまで作ろうとしていたものとは別の反応をさせ、全く違う薬を作ろうとしているのが分かる。そして、最終的に作る薬の候補が三つに絞られた。

一つ目は視力向上薬で、理論上月の都が見えるほどに視力が向上するものだそうだ。二つ目は妖力回復薬で、理論上二十四時間かけてゆっくりと回復させていくものだそうだ。三つ目は感情抑止薬で、理論上一週間感情の振れ幅が小さくなるものだそうだ。

 

「どれにしようかしら」

『妖力回復薬で』

「理由は?」

『時間がかからないから』

「あら酷い」

 

流れ込んできた情報を何とか読み出し、三つの反応を並べた。その中で、明らかに妖力回復薬が簡単なものということが分かった。視力向上薬は何十倍の圧力をかける必要があるらしく、感情抑止薬は絶対零度に近い極低温にする必要があるらしいので、どちらもやめていただきたい。それに比べれば、妖力回復薬の新鮮な血液の使用なんて簡単なほうだ。

 

「ま、作れるならそれでも構わないけれど」

 

そう言いながら、火を止めた溶液の上に左手首を出し、右手の親指で血管に切れ込みを入れた。一瞬吹き出た血液は右手のひらに押さえられ、トロトロと流れ出る血液が溶け込んでいく。十分な血液を入れたようで手首から親指を離すと、まるで時間が戻るかのように傷が消えていくのが視界の端で見えた。

そこで、わたしはちょっとした失敗をしているかもしれないことに気が付いた。

 

『…あ』

「どうしたのよ、そんな不安になって」

『いや、多分蛇系統の毒が…』

「それならもう無毒化してるわよ。他にもあった全部の毒もまとめて、ね」

『うわぁお…。何てことでしょう…』

 

わたしが知らない間に、体を蝕んでいた毒がなくなっていたとは。右腕も心臓もいつの間にか治っているし。

そのままゆっくりとかき混ぜられ、他の材料を入れたり、煮詰められたり、ろ紙を通したりした。その時間はわたしの予想した通り、相当短かった。

 

「…ふぅ、完成ね」

『これで、貴女は消えてしまうんですね』

「そうね」

『…本当は、貴女が残ってわたしが消えるべきなんでしょうね』

「どちらにせよ、私は消えるのよ。貴女が消えようと残ろうと、それは変わらないわ」

『そう、ですか…』

 

わたしの最後の問いは、紙にビッシリとさっき作った薬の作り方を書きながらという片手間で答えられてしまった。わたしが訊くことが終わってしまい、製造方法を眺めるしかなくなった。血液が必要、というよりは血液に含まれるとある物質が必要だったらしい。必要でない物質は、様々な手段で取り除かれていったみたいである。

 

「よし、これでお終い」

 

そう言って肩の力を抜いていると、突然この部屋の扉が開く音が響いた。

 

「見つけたわよ、私」

「…あら、私じゃない」

 

扉の前に立っていたのは、永琳さんだった。ドッペルゲンガーではない、本物の永琳さん。

 

「もう出来たわよ。九七五一七番。まだ試していないけれど、妖怪用で妖力の長期的回復を促す薬」

「二八五二一番や四〇九八七番と同じではないかしら?」

「それは三十分程度と三時間程度でしょう?これは二十四時間の効果が期待出来るわ」

「そう、それはなかなかいいわね」

「そうね。…ふぅ、これで私の役目は終わり」

『もう、消えちゃうんですね…』

 

そうわたしが呟くと、表情が変わっていくのを感じた。永琳さんの瞳に映るその表情は、儚げに微笑んでいる。

 

「どう作ったかはちゃんと書いてあるわ」

「…そう、感謝するわ」

「ええ、さよなら」

『…さようなら。貴女のこと、忘れません』

 

気のせいかもしれない。思い込みかもしれない。幻聴かもしれない。けれど、わたしには確かに最期に聞こえたんだ。ありがとう、って。

フ…、と消えていく感覚。その体の動かしていた者が消え去り、その体は主導権を失い、机に倒れ込む。そして、その体を動かす権利がわたしへと移っていく。しかし、すぐには動かさない。それは、体が変形しているのをまざまざと感じているから。一応二度目の感覚だけど、慣れることが出来るようなものではない。

 

「こんにちは、永琳さん」

「幻香、よね?」

「ええ。彼女…、いえ、貴女はもう消えました」

 

右手を眺め、左手で心臓の脈動を感じながら言う。体に不調はなく、頭痛も吐き気も目眩も何も感じない。いたって健康体だ。

意識を巡り、彼女が遺っていないか洗いざらい探し出す。しかし、何もない。欠片すらない。残りかすすらない。微塵もない。そうだと分かると、わたしは自然と口に出していた。

 

「この薬、貰ってもいいですか?」

「…それはどうしてかしら?」

「彼女が遺したものだから、他の誰かに渡したくない。…ただのわたしの自己満足ですよ」

「…構わないわ。その紙があるなら、それでも構わない」

「ありがとうございます。…それでは、いただきます」

 

躊躇いもなく一気に飲み干す。苦い。渋い。不味い。…けれど、確かにゆっくりと妖力が回復しているのが実感出来る。

彼女がここにいた形跡は、何も遺されていなかった。けれど、こうしてわたしは取り込んだ。意味なんてないことは分かっている。時間が経てば、こうして飲んだものも失われてしまうことも分かっている。分かっていても、それでいい。

これで二人目だ。…忘れません。貴女のためにも、わたしは出来る限り生き延びようと思います。消えてしまうときは、貴女のことも思って消えましょう。約束します。

 

「さて、帰りますか」

「一応検査してもいいのだけど…」

「いいですよ。もしもわたしに異常が起きたとしても、貴女の責任じゃないんだから」

 

そう言いながら、着ている服を回収する。回収出来ない固まった血が落ちて割れ、グシャリと踏み潰す。そして、すれ違い際に永琳さんの肩に触れながら彼女の服を体に重ねて複製する。少し大きいけれど、今はこれでいいや。血塗れの服よりはましだと思う。

 

「それでは、ありがとうございました」

 

肩から手を放しつつ、お礼を言う。返事はなかったけれど、気にせずに永遠亭から出て行く。

咲き乱れる四季折々の花々。しかし、もうわたしにはどうでもいいことだ。今日はもう家に帰ろう。そして、僅かな間だったけれどこの身に宿っていた彼女のことを、わたしの記憶に刻み込もう。

 


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