東方幻影人   作:藍薔薇

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第206話

呆然と立ち尽くしていた。『鏡宮幻香が八意永琳になった』という事実が起こした衝撃は、私を止めるには充分であった。体格、声色、動作、癖。どれを取っても私としか思えない。さらには、もう二度と作らないと決めていた蓬莱の薬の不死性すらも会得した。信じられないような脅威の成り代わり。

…やはり、彼女は化け物ね。今までの同じ顔でも不思議ではあったが、こうして仮説であった変化を目の当たりにすると薄気味悪い。フランドール・スカーレットに成っていた幻香が元に戻っていたので、あれが恒常的でないことは確かだけど、それでも恐ろしいものは恐ろしい。

 

「はい薬!これでいい――って、あいつは!?」

「…勝手に治ったわ」

「勝手にぃ!?ちょっと頭大丈夫!?もしかして医者の不養生…」

「そんなわけないでしょう」

 

嘘は言っていない。しかし、事実からはかけ離れている。この事実はとてもではないが人に語れるようなものではない。誰彼構わず言い触らせるようなことではない。

そう考え、てゐから八八八九番の薬を奪い取る。勝手に戻ったのなら、もうこの薬を使う必要はない。

 

「これは私が戻しておくから、貴女は好きにしていいわよ」

「…いいのか?」

「いいのよ。経過観察は私の仕事」

 

そう言うと、てゐは少しだけ不安そうな表情を浮かべながらも迷いの竹林へと駆け出して行った。

…これでいい。今の彼女を誰かに見られるわけにはいかない。見られて困るか、と問われればまだ分からない。だからこそ、不確定であるからこそ、見る者を制限する必要がある。まずは、私になった彼女が永遠亭の何処へ行ったかを確かめる必要がある。

 

「お師匠様、ただいま戻りました」

「…優曇華」

 

そう考えていたのだけど、予測よりも遥かに早い時間に帰ってきた優曇華によって計画の変更を余儀なくされた。その優曇華は相当急いで帰ってきたようで、軽く息を乱していた。

 

「早かったわね」

「私もこれだけ早く戻るつもりはなかったんですが、どうしてもお師匠様に伝えなければならないことがありまして…」

「言いなさい」

「『禍』、幻香さんが里の人間を再び返り討ちにしたそうです」

「…そう」

 

つまり、あの甚大な負傷は里の人間に負わされたもの?…いや、とてもじゃないがそうとは思えない。二人がかりであったとはいえ、スペルカード戦でてゐと優曇華を退けた。仮にも元戦闘員であった優曇華を、だ。生半可の実力ではないことくらいは分かる。さらに言えば、襲いかかる人間達を一度返り討ちにしたという経験がある。それが慢心になったならば有り得るかもしれないが、そうではないだろうと思う。

それではどうして、と考えても今の私には分からない。傷を詳しく調べようにも、既に戻ってしまっては調べようがない。

 

「それで、何が言いたいの?」

「生きている者は全員重症だったので、常備薬ではないちゃんとした薬を届けに行きたいと思いまして…」

「分かったわ。付いて来なさい」

 

現在何処に彼女がいるかは分からない。しかし、てゐが薬品庫からここへ来る道で出くわさなかった。それから時間はそこまで経っていない。ならば、これから薬品庫へ行く道中で出会う可能性は低いだろう。

薬品庫への道を真っ直ぐ進んでいると、後ろから優曇華が申し訳なさそうに話しかけてきた。

 

「すみません、お師匠様」

「いいのよ。重症の患者は早期治療が重要だもの」

「あの、それもそうなんですが…」

 

最小限の動きで後ろの優曇華を見ると、両人差し指の先端を突き合いながら、目を逸らしていた。言い淀むことでも伝えるべきことはしっかりと伝えるように指導したつもりだ。その成果は、数秒後に表れた。

 

「帰りに花を摘む余裕がありませんでした…」

「それはしょうがないじゃな…?」

 

チクリ、と何かが引っ掛かった感覚。私は優曇華に帰りに花を摘むように命じた。そして?その後は?私はその花で何をするつもりだったのかしら?…覚えていない。思い出せない。いや、それはおかしい。私は優曇華に最初から無意味なことを命じたりはしない。これまでもそうしてきたはずだ。なのに、どうして何もすることがない…?

 

「…お、お師匠様?どうかしました?」

「い…いえ、何でもないわ。…急ぎましょう」

「はい、お師匠様」

 

引っ掛かりを拭えぬまま、それでも振り払おうと廊下を普段よりも歩幅を広げて歩く。しかし、結局引っ掛かったままで薬品庫の扉を開けた。棚にズラリと並んだ薬の数々。製作した順番に番号を振っているが、私はどの番号がどの効果であるか全て頭に入っている。しかし、優曇華はまだ入っていないようで、効果別に並べてほしい、と愚痴をときどき零しているのを私は知っている。

 

「優曇華、傷はどんな感じかしら?」

「顔が潰れているか、腕が折れているか、脚が折れています。また、一部の人は片腕、もしくは片脚を切断、もしくは引き千切られています。顔が潰された者は、鼻が完全に砕けている者が多く、眼を軽く潰された者もいます。少数ですが、顎が粉砕された者も。他には、手、肩、肋骨などが砕けた者もいました」

「思った以上に重症ね」

「一応最低限度の止血は済ませてから来たのですが…」

「そう。なら、一七八四二番と――」

 

そのまま続けて二十弱の番号を言い、それを聞いた優曇華が薬棚を右往左往していく。

 

「お師匠様、ありがとうございます」

「優曇華、これも持って行きなさい」

 

部屋を出て行こうとした優曇華を呼び止め、簡易治療器具の一式が入っている鞄を手渡した。優曇華も治療器具をいくつか常備しているだろうけれど、これを使ったほうがいい場面も出て来るだろう。

 

「重ね重ねありがとうございます。それでは!」

 

優曇華はそう言って扉も閉めずに飛び出していた。そして、足音が聞こえなくなったところで、引っ掛かっていたことを再思考する。

まず、私は何か意味があって優曇華に花を摘むように命じた。これは大前提。しかし、摘み取る予定だった花の使い道が出て来ない。…逆を考えよう。どうしてその命を思い付いたか。それは花の異変で、四季全ての花が咲いていたから。各季節にしか採れないはずの花を採ることが出来るから。では、その四季の花を私ならどう使う?

 

「…薬を作る」

 

ガチリ、と嵌った感触。思い出したわけではないが、こうであろうという確信があった。奇妙な既視感を覚える。そして、何故そんなことも忘れてしまったのか、と不思議に思えるほどにそれは浸透した。

私になった彼女は言った。『さ、何を作ろうかしら』と。本当に私になったと言うならば、きっと薬を作っているに違いない。何故かと言われても、私だからとしか答えることが出来ないけれど。

そう考え、研究室へと向かう。その部屋は、私が普段薬の製造をしている部屋で、玄関から薬品庫までの道にはない部屋であるからだ。

 

「見つけたわよ、私」

「…あら、私じゃない」

 

いた。部屋を軽く見渡すと、備蓄されている素材がいくらか減っていた。そして、彼女が座っている机の上には調合の際に使う器材の数々。どうやら、予想通り薬を作っていたらしい。

 

「もう出来たわよ。九七五一七番。まだ試していないけれど、妖怪用で妖力の長期的回復を促す薬」

「二八五二一番や四〇九八七番と同じではないかしら?」

「それは三十分程度と三時間程度でしょう?これは二十四時間の効果が期待出来るわ」

「そう、それはなかなかいいわね」

「そうね。…ふぅ、これで私の役目は終わり」

 

そう言うと、儚げに微笑んだ。

 

「どう作ったかはちゃんと書いてあるわ」

「…そう、感謝するわ」

「ええ、さよなら」

 

そう言うと、彼女はバタリと机に突っ伏した。ゆっくりとだが、彼女の体が縮んでいくのが分かる。そして、見覚えのある体型へと戻った。その体は、モゾモゾとうごめき始めている。

多分、あの私はもういないのだろう。それは、蓬莱の薬を飲んだ私にはもう知り得ない消滅。最期のあの微笑みは、忘れることはないと思う。何故なら、私はそれがほんの少しだけ羨ましかったのだから。

 


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