東方幻影人   作:藍薔薇

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第205話

「…ふふ」

 

椅子に座り、永い時間をかけて掻き集めたDNAを眺めては悦に入る。誰と誰が遠縁であるとか、誰は何の病になりやすいとか、そんなことを考えている時間が私は好きだ。趣味が悪い、と輝夜に言われたこともあるけれど、人の数少ない趣味に口を出さないでほしかった。口には出さなかったけれど。

先日から今の時期に咲くはずもない花が咲き始めた。明らかに時季外れな花々を見て『あぁ、もうこんな時期か』と片隅に思う。六十年の周期で起こる花の異変。実害は特になく、強いて言えば時季外れの花粉の拒絶反応に苦しむ人が出るくらいだろうか。

しかし、本来咲くはずのない時期に花が咲くということは、私にとっては大きな利点となる。ある季節しか採れない薬の原料となる花を一度に全季節分得ることが出来る。そう考え、里へ薬の販売を終えたら薬の原料となる花をいくらか摘み取って来るように、と優曇華に命じた。帰ってきたら、早速薬をいくつか作ろうと思う。余裕があれば、新しい薬を作るのも悪くない。

…あと四十三分二十七秒。何事もなく、平穏な時間。優曇華が帰ってくる時間は既に予測した。その少し前にはこのDNAを片付けよう、と思う。

しかし、それもドタバタと廊下を騒がしく走るてゐによって終わりを告げられた。てゐが扉を開けるまでの僅かな時間にDNAを箱に片付け、扉が開かれるのを待つ。さて、一体何かやらかしたのかしら…。

 

「たっ、大変だ!急患だ急患!」

「患者は?」

「元々どうして動いてられるんだか、ってくらいの大怪我だったんだけど、ここの前で倒れた!」

「そう、分かったわ」

 

てゐから僅かに漂う血の香りに加え、騙そうという意思を感じさせない必死さ。稀に見る冗談の類ではないらしい。簡易治療器具の一式が整然と詰め込まれた鞄を持ち、部屋を出る。

 

「ちょっと早く!」

 

てゐに手を引っ張られながら駆け足で永遠亭の玄関を出ると、確かに人が一人倒れていた。その姿に全く動揺しなかったとは言えない。たった一人の体から出たとは思えないほど血塗れであることもそうだが、服装が月を連想させるものであったことだ。ただし、右袖は千切れてなくなっており、背中の部分には大穴が開いている。肩に掛かっている長い紐が僅かに気になったが、今は患者を優先する。

患者の元にしゃがみ込み、その顔を見る。虚ろな表情で、その眼は何を見ているのかも分からない。…そんな私の顔。ただの瓜二つとは考えられず、そうなれば答えは簡単だ。患者は鏡宮幻香であるらしい。またなのか、という言葉が頭を過ぎる。

 

「聞こえるなら何か行動してみて。指の先でも瞬きでも構わないわ」

 

鎖骨を軽く叩きながら、耳元に声をかける。しかし、反応はない。

 

「聞こえてるの?…返事は!?」

 

声の大きさを二段階に分けて上げてみたが、どれも反応はない。顎を軽く上げて気道を確保。両膝を軽く曲げ、下側の腕を体の前に伸ばし、上側の腕をつっかえ棒のように使って横向け寝状態を支えてもらう。その状態で、まずは外傷を確かめる。左右の腕の形が不自然に違うが、片方もしくは両方が偽物である可能性がある。右腕に棒状のものを叩き付けられたような凹みと三ヶ所の小さな穴があり、そのどれも出血が見られないことから右腕は偽物であると思われる。右足首の上がパックリと切れている。そこから流れている血の量が少ないことから、血液が相当失われていると予想出来る。左側の胸に無理矢理治された痕がある。その部分はちょうど心臓がある場所で、前と後ろで服に空いた穴が重なっていることに不安を覚え、そこに手を当てる。

 

「…え?」

 

トク…、と一回動いたのを感じたのを最後に脈動が途絶えた。それどころか、軽く当てていた手が簡単に食い込む。まるで、そこが空洞になったかのように。

 

「てゐ!今すぐ薬品庫の八八八九番の薬を持って来なさい!褐色の瓶に無色の液体!」

「わ、分かったウサ!」

 

反射的に後ろから覗き込んでいたてゐに命じた。ここで呆けている時間はない。どういうわけか知らないが、心臓が消えた。まるで最初からなかったかのように。人間ならば、心停止から三分程度で障害が遺り、十分程度で助かる確率がほぼ零となる。必ずしも妖怪に当て嵌まるわけではないが、普通なら多少耐えることが出来る時間が延びる程度。だったら、人間の時間で考えたほうがいい。

てゐに持ってくるように頼んだ薬は、妖怪用に調整された自己再生能力促進薬。ただし、普段なら絶対に使おうとは思わないほどの効果がある。投薬した者の妖力を乱用して治すため、こんな状態の患者に使うことは普通しないのだが、相当失血しているにもかかわらず、妖力がそれほど失われていない。むしろ、十二分にある。しかし、副作用が甚大であり、適量でも激痛、栄養失調、妖力枯渇等々。間違えれば死に至ってもおかしくない。そんな劇薬。しかし、脳の欠損すら回復した――残念ながら失った記憶は戻らなかった――この薬なら心臓喪失であろうと治すことが出来るだろう。

 

「さて、注射器は…」

 

鞄を開きながら、最早何も映していないだろう、吸い込まれそうなほど空虚な眼を見る。それから、鞄の中にある注射器を探した。

 

「ん?」

 

…今、視界の端で幻香の体が動いたような…?風は吹いているけれど、ほとんど気にならない程度。服が少しなびいたのかしら…。

 

「なっ!?」

 

そう思いながら注射器を手に眺めていたら、突然体を仰向けにして上半身を持ち上げた。心臓もなく、さっきまで動く気配もなかったのに、何事もないように動き出した。

そんなあまりに非常識な出来事に驚いていると、右腕をボトリ、と落としながらゆっくりと立ち上がった。

 

「さ、何を作ろうかしら」

 

耳に響く言葉が信じられなかった。何故なら、それは普段から聞く声だったから。手を口元に動かし、その口が動いていないか確かめてしまう。ポッカリと開けているけれど、声を発していたとは思えない。

起き上がった幻香の背が明らかに高い。さっきまで普通に着ることが出来ていた服装がきつそうになっていて、動くたびにへそが見えそうになる。その歩く動作がいちいち私にそっくりで、寒くもないのに鳥肌が立ってくる。

そんな私を意識に入れることなく、幻香だった者は永遠亭へ足を運びだした。

 

「ま、待ちなさい!」

「あら、どうしたの?」

 

そのまま放っておくわけにもいかず、駆け寄ってその肩に手を置いた。そのときにふと、身長がほぼ同じであると思った。振り返って微笑む顔が、鏡でも見たような錯覚に陥る。その顔に血が付着してなければ、さらにそう思っていただろう。そして、右手を口元に寄せて口元を隠した。咄嗟に後ろを見るが、地面にはさっき落としていた右腕は確かに転がっている。

 

「何も用がないのなら、その手を放してくれないかしら?私は早くやらなくてはいけないことがあるのよ」

「心臓がないのに好き勝手活動されても困るのよ。そこで安静にしてなさい」

「心臓?…もう戻ったわよ。貴女ならよく分かっているでしょう?」

 

戻った…?治るではなく、戻る?その言葉遣いに違和感を覚える。

そして、その違和感は確信となった。

 

「私は貴女なのだから」

 

肩に乗せられていた手を掴まれ、胸へと寄せられた。ドク…、ドク…、と規則的に脈動する心臓を感じる。唖然としていると、手を離してそのまま永遠亭へ入っていった。その背中を追うことは出来なかった。そんな私の頭の中では、あの仮説が渦巻いていた。

『鏡宮幻香はフランドール・スカーレットに、もしくはフランドール・スカーレットは鏡宮幻香になった』。三種のDNAから得た我ながらふざけた仮説。しかし、たった今、鏡宮幻香は私になった。仮説でしかなかったものが、現実となって目の前で起きている。

 


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