東方幻影人   作:藍薔薇

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第197話

劇毒少女は瞼をモゾモゾと動かしているのだけど、未だに起き上がらない。目覚めそうで目覚めない。肩を掴んで揺らすなり、頬を叩いてやるなりして起こしてもいいけれど、そうすると手が爛れてしまう。既に右手がそうなっているからって、これ以上そうなる必要はない。なら、一声かけてあげればいいんだろうけれど、たかが一分にも満たない時間の差。周りに人影が見当たらない今、そこまで急ぐ必要はない。

そして待つこと十数秒。仰向けになっていた少女は、その瞼をゆっくりと開いた。

 

「…あ、れ?…ここ、何処…?」

「貴女の鈴蘭畑ですよ」

 

そう言ってあげると、ビクッとしながら体を一気に持ち上げ、目を見開き頬を引きつらせた非常に分かりやすい表情を見せてくれた。…そこまで驚くことじゃないでしょうに。

 

「なっ、ななな何で貴女…って、誰!?」

「誰って…。あー、そういえば髪の毛の色変わってるのか」

 

綺麗に黒色が抜けた髪の毛を左手で弄る。さっきまで頭頂部以外真っ黒な髪だった相手が、目が覚めてみれば金髪になっていたわけだ。そう思われても仕方ない、かな?

 

「ちょっと見た目は変わりましたが、わたしですよ。ほら、さっきスペルカード戦をしたでしょう?」

「…よく見れば。けど、何か私そっくり…」

「…そんなことだってありますよ」

「不思議ね――きゃっ!」

 

そう言われるなんてことくらいは分かっていたけれど、それでもちょっとだけ嫌な気分になる。だから、少女が横になっていた板を何の前触れもなく回収した。

 

「いったぁ…」

 

どうして嫌な気分になったのかと言われれば、つい先日までこの誰から見ても同じ容姿を隠し続けてきたからかもしれないし、ついさっき人間の里のことが頭に浮かんだからかもしれない。けど、どちらが正解か、それともどちらも間違っているのか、わたし自身も分からなかった。

僅かな厚さだったとはいえ、突然落とされた少女が何もしてこないはずもなく、少し痛むであろう尻を擦りながらわたしを睨んできた。その眼を見ていると、むず痒いほんの僅かな罪悪感が浮かんでくる。

 

「…悪かったですよ。それと、鈴蘭の件も」

「むぅ…」

 

少し目を逸らしながらそう言い、許されたかどうかも分からないまま沈黙が続くこと数秒。少女は言葉を発した。

 

「…ねぇ。どうして私をここに運んでくれたの?」

「どうして、って…。そりゃ、あそこに倒れたまま放置するなんて出来ませんでしたから」

「…どうして、貴女はここで待っていたの?」

「それは、動かない貴女をそのまま放置するのも何でしたし…」

「そうなの?…あり――やっぱ止めた。…帳消しよ」

「…ええ、そうしてください。貴女からそう言われるような人じゃないんですから」

 

これまで色々やらかしてきた身だ。必要なら道を好んで外れ、掟を破り捨て、禁忌に容易く触れる。過去もそうしてきた。今もそうしている。未来もそうだろう。もちろん、この少女はそんなことを思っているわけではないだろう。けど、わたし自身がそう思っているから、それでいい。…それでいい。

そんなことを考えていると、少女は空を仰ぎ、届くはずもない高みに手を伸ばした。そして、何でもないかのような風を装って呟いた。

 

「あーあ、さっきまでは何でも出来る気がしたんだけどなぁー…」

「そんなわけないでしょ。何でも出来るなんて、有り得ない」

「…何それ、酷くない?」

「仮に何でも出来る人がいたとして、その人は不可能が出来ない。…ま、ただの屁理屈ですがね」

 

少女が言うことは分からないわけではない。前にわたしも似たような気分になったことがあるから、何となく分かる気がする。けど、何でも出来るなんて思ったとしても、それはただの気の迷いでちょっとした万能感に酔っているだけなんだ。実際は、出来ないことだらけ。

何を掴むでもなく手のひらを閉じた少女は、わたしを見て言った。

 

「…貴女みたいな強い人って、他にもいるの?」

「いますよ。山を崩すような怪力も、目で追えない速度も、摩訶不思議な能力も、皆を引き付ける資質も、余りある人脈も、伝え聞かされる名声も、何もかもわたしは頂点にいない」

「そう、なんだ…」

「そうですよ。上には上がいるんです」

 

壁を登り切った先にあったのは、さらに高くそびえる壁だったなんてことだってあるんだし。わたしがちょっと自慢出来ることなんて、この創造モドキくらいだ。

 

「だから、貴女はここで挫折を知れてよかったですね。知らないままでいると、あとで痛い目に遭いますから」

「…今遭ってるんだけど」

「そうですね。…そこで諦めるか、再び前を向くかは貴女次第だ」

 

さて、ちょっと長く話し過ぎたかな。この辺りで切り上げるとしましょうか。

毒に蝕まれている体を持ち上げ、緋々色金の魔法陣の位置を探る。…うわ、さっきより遠くなってる。風で流されたのかな?

 

「さて、貴方はどうしますか?」

 

それだけ言って答えを聞くことなく、わたしはこの場から離れることにした。ゆっくりと足を踏み出し、動かし難い体の動かし方に慣らしていく。どこまでなら大丈夫か、少しずつ見極めながら。

 

「待って!」

 

そんな風にゆっくりと足を運んでいたら、後ろから大声が飛んで来た。わたしの問いに対する答えが続くと思ったら、全然違った。

 

「メディスン!メディスン・メランコリー!…貴女はっ!?」

「幻香。鏡宮幻香ですよ。…それじゃあね、メディスンちゃん」

 

振り返ることなく、右腕を少し上げて横に振る。次会う日が来るかは知らないけれど、そのときが来ることを待っていよう。世間知らずの少女が世を知るのは何時になるだろうか?それこそ、彼女次第だ。

 

 

 

 

 

 

背中から少し強めの風が吹いている。その風で体がよろめくのを感じて咄嗟に踏み止まったのだが、急に動いたことで体が痛む。大分マシになったとはいえ、未だに体は鉛でも詰め込んだように重く、毒の影響は大きい。歩ける。走れる。跳べる。飛べる。けれど、それを継続すると体がすぐに悲鳴を上げる。さっきみたいに急激に体を動かそうとすれば、痛みが走る。けど、この程度ならまだいい。何となくだけど、慣れてきた気もする。

 

「うへぇ、また遠ざかる…」

 

緋々色金の魔法陣を求めて歩き続けているのだけど、また風に舞ってしまったようだ。さっきまでは何かに引っ掛かっていたのか、ほとんど動いていなかったのになぁ…。

今わたしがいる場所と緋々色金の魔法陣の位置を直線で結び、出来るだけ短い距離で済むようにしているのだが、そうするとどうしても道なき道を歩むことになる。まあ、道なんてあってないようなものしかないから、特に気にするようなことでもないけど。

それにしても、どこを見ても花ばかり。地面に生える草だって、花が付くなら何でもかんでも花を開かせている。一応大図書館の図鑑に載っていた草花ばかりだけど、今欲しいと思えるものはなかった。ちょっとした解毒作用のある草はあっても、この状況では効果はなさそうだし。

それにしても『紅』の自己治癒能力で解毒出来ないかと思って、木陰に入ってから痛む頭で無理をして掻き集めてみた。しかし、残念なことに『紅』の効果はほとんど現れることはなかった。というか、集めてみたらすぐに嫌悪感でいっぱいになって数秒と持たなかった。自己治癒能力だけではなく、限界を超えたような感覚も、時間の流れの変化も、『目』を見ることも現れなかった。たった数秒で何となくわかったことは、効果を出そうにも塞き止められている感じだけ。どうしてか少し考えてみたけれど、多分蛇系統の毒でもあったのではないかと思っている。吸血鬼は血液に大きくかかわる妖怪。蛇系統の毒は血液を固めてしまう。だから、吸血鬼に近付く『紅』の効果がほとんど現れなかったのだろう。…まあ、正解でも間違いでもどうでもいい。『紅』が使えない、という結果は覆らない。

 

「ん?おぉ、これは凄いなぁ…」

 

緋々色金の魔法陣の方向へ歩いていると、目の前に向日葵畑が広がっているのが見えた。どうやら、そこに魔法陣があるらしい。それにしても、辺り一面に綺麗に咲き誇っているなぁ…。全ての花が太陽を向いているのを見ると、それは統率されたもののように感じる。

これだけ立派だと、向日葵をかき分けて進むのは少し憚れる。そう思って外側をグルリと回っていると、中に入るためにあるのだろう向日葵のない道を見つけた。

 

「…うん、やっぱりこの奥にある」

 

ようやく緋々色金の魔法陣を回収出来る。そう思いながら歩いて行き、向日葵畑の中心に辿り着いた。…ん、どうやら向日葵畑の葉っぱにでも引っ掛かっているのかな?

 

「ッ!?」

 

振り返って緋々色金を探そうとしたそのとき、全身が凍るような感覚に陥った。始めてフランに遭ったときのような…、いや、そんなのが小さく思えるような重圧感。

それは、向日葵畑からわたしの魔法陣を手に持って出て来た。

 

「…あら、珍しいわね」

 

日傘を差し、鮮やかで癖のある緑色の髪に真紅の瞳をした女性。風見幽香が、わたしの元へ歩み寄ってきた。

 


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