「…ふむ、苔で方角かぁ」
『遭難対処法 ~一寸先は闇~』とかいうふざけた題名の本だが、中身はまともだった。こういう知識は活用されないのが一番いいのだろうけれど、必要になったときに知らないと困るだろう。けれど、多少の遭難に遭ったとしてもどうにかなるだろう、と考えてしまうのは悪いことだろうか?迷ったら飛べばいい。暗くなれば明かりを灯せばいい。食料がなければ最悪その辺に生えている草でも食べればいい。
つまり、この本はわたしのような妖怪を対象にしていないのだろう。…まあ、だから知らないでもいい、なぁんて言うつもりは毛頭ない。無駄でもいいんだ。
「パチュリー様が呼んでましたよー?」
「あ、はい。分かりました」
妖精メイドさんにそう言われ、急いで残り僅かとなった内容を流し読む。うぅむ、この本は複製して持ち帰るほどのものでもないかなぁ?なんて思いながら、パタリと閉じた本を目の前の本棚に戻した。
少し固まってしまった首をゆっくり回して解しながらパチュリーの元へ向かう。
「…うわ」
「何よその反応」
目に飛び込んだのは床に置かれた光沢を感じる白色の魔法陣。床に直接描かれているわけではないようで、問題なく動かせそうだ。…しかし、これを十七個複製するのか。結構大きいなぁ。わたしが両腕を広げても、端から端は届きそうもない。
「これを複製すればいいんですね?」
「ちょっと待ってちょうだい。先にこれをロケットに運んでからにしましょう」
「そうですね。増やす前のほうが嵩張らない」
この薄っぺらい魔法陣を持っていこうと手を伸ばしたら、すぐに止められてしまった。破れたり千切れたりしたら困るそうです。…まあ、確かにすぐに破れちゃいそうなくらい薄いけど。じゃあどうやって、と思ったらパチュリーがフワフワと浮かせていた。
「…魔法って便利ですね」
「便利じゃなきゃ使わないわよ」
「それじゃあ、便利じゃない魔法ってあるんですか?」
「あるにはあるわよ。黒魔術とか」
「黒魔術?」
「貴女に分かりやすく言えば、呪術に近い魔術ね」
「えー、あの非効率な?」
「そう。だから、私は使わない。…黒魔術も他にはない長所があるんだけど」
あらゆる面で完全に上位互換となることは珍しい。その黒魔術も、比較的非効率であることを飲んでもいいと思えるような点があるのだろう。…わたしは五感やら四肢やら寿命やらを捧げるつもりはないから、知ったところで使うことはないと思うけど。
あの憎たらしい妖力無効化のことを思い出し、顔をしかめていると、パチュリーが魔法陣をロケットの前にゆっくりと降ろした。
「貴女達、今からロケットの底に魔法陣を貼り付けるから引っ繰り返してくれないかしら」
パチュリーがそんな無茶振りを言うけれど、そんなこと簡単に言われても難しいと思いますよ?そう思って妖精メイドさん達の様子を伺うが、案の定活動に否定的な様子。けれど、やらないというわけではないらしく、一番上の段を一斉に持ち上げ始めた。…ちょっと不安だ。
「手伝ってきます」
「そう?妖精メイドだけで十分だと思うけど…」
そう言われても、不安なものは不安なんだ。わたし一人なら大して変わらないかもしれないけれど、幸いわたしは一人じゃない。
「これで十分でしょ。鏡符『二重存在』。…ッ」
ロケットの上段を降ろし、横向きにして転がしている妖精メイドさん達を一気に複製。その数十八人。これだけ多くの
妖精メイドさんの複製をロケットの中段を囲むように配置させ、持ち上げさせる。ロケットの上段よりも明らかに大きく重いだろうロケットの中段を軽々と持ち上げ、そのまま十八体を動かしていく。…よし、いけそう。
ロケットの中段を同じように転がしておき、ロケットの下段を傾ける手伝いをさせる。既に動いていた妖精メイドさん達が持ち上げてくれて出来た僅かに隙間に潜り込ませ、下から押し上げていく。グググ…、とロケットを持ち上げている複製の腕が伸び切った、と感じたら、そのままロケットが倒れていった。
「…ふぅ。出来た出来た」
軋むような嫌な音を立てながら、三段のロケットの底が見えるように転がされた。普通だったらこんな風に置かれることはないだろうから、壊れてしまわないか少しだけ不安だけど、魔法陣を貼り付ける底を上にするのは、さらに面倒だ。
万歳して喜んでいる妖精メイドさん達の中に紛れている複製をこちらへ戻し、嫌な汗を拭いながら一体ずつ回収していく。押し潰れそうな意識が少しずつ楽になったが、まだ潰れた残滓がある。当分絶好調とはいかなさそうだ。
「出来たわね。さて、幻香。この魔法陣を複製してくれるかしら?」
「ええ、いいですよ」
「過剰妖力もしっかり入れてくれると助かるわ」
「はーい、了解です」
この魔法陣にはどの程度入れることが出来るだろう?それはないと思うけれど、緋々色金と同程度だったら、十七個どころか三個も出来るかどうか怪しい。まあ、そんな心配は思った通り杞憂だったようで、大した量は入らなかった。それでも、塵も積もれば山となるのか、わたしが思っていたより多かっただけなのか、全部合わせて一割程度使っていた。多いような少ないような…。微妙なところだ。
「ありがとう。もう休んでいいわよ」
「え?まだ動けますよ。他に何か作業はないんですか?」
「なら、今から貴方がするべき作業は休養よ。さっきので貴方の顔色が少し悪くなってるわ」
「…そ、そんなはずないですよ。ほら、この通り…」
「いいから休みなさい。貴女が倒れてしまったほうが私にとって痛手よ」
「う…」
少し前に妖力枯渇寸前で倒れているので、今のわたしが何を言っても説得力はないだろう。…しょうがない、大人しく休みましょうか。はぁ…。
◆
…本当に休んでるのかしら、アレは?心配だ。
幻香は紫色の妖精メイドと何か話し合っている。そこまでならいいのだけど、突然『幻』を大量展開し始め、ちょっとした弾幕を放った。それだけで終わるはずもなく、妖精メイドが繰り出したいかにもひ弱そうな拳を掴み、思い切り投げ飛ばし出したときは、幻香にとっての休憩とは何か問い質したくなってきた。
今では、二人共本棚の周りをウロチョロと動き回っている。そう思っていたら、本棚の一部の板を複製し、同じように周りを動き始める始末。…あれは何をしているんだか。本当に心配だ。
そんな幻香とは対照的に、月へ飛ぶロケットは着実に完成へ近付いている。レミィからされた内装に関する面倒臭い注文も、大体出来ている。このロケット製作に関して私が出来ることは、明日には終わってしまうかもしれない。まあ、製作が終わったといわれても、少しずつ改良していく点を見つけていくつもりであるが。
最大の課題は『三段の筒の魔力』。これは、恐らく私にはどうしようもない。何となく、そんな感じがする。咲夜がここにはない外の世界の資料を得たように、ここにはないものなのだろう、という何とも言えない勘のようなものがあった。しかし、それさえ見つけてしまえば完成はほぼ確実。
このままこれといった難もなく完成にまで漕ぎ着けるといいのだけど、そう簡単にはいかないかもしれない。今は咲夜が『三段の筒の魔力』を探してくれている。出来るだけ早く見つかるといいのだけど…。