少しずつ浮き上がるような感覚と共に目を覚ますと、パチュリーが机に噛り付くように一心不乱に魔法陣を描いていた。周りには足の踏み場もないほどに散らばった大量の紙束。その全てに少しずつ違う魔法陣が描かれ、一言二言添削内容が書かれている。…また一枚、紙が落ちた。そして新たな紙を取り出し、魔法陣を描き始める。
…あの集中状態を切らせることを考えると、とてもじゃないけれど話しかけることを憚れる。なので、音を立てないようにコソコソと長椅子から降り、妖精メイドさん達が頑張っているロケットのほうへと向かうことにした。
「あ、起きた」
その長椅子の横に丸くなって座っていた紫色の妖精メイドさんがわたしに話しかけてきたけれど、その口元に人差し指の先を当てる。怪訝そうな顔をされたが、もう片方の手でパチュリーを指差す。その指先の方向へチラリと視線が動くと、すぐに納得してくれたようで頭を小さく縦に振った。
二人揃って足音を立てないようにソロリソロリと忍び足で進む。わたしがどの程度眠っていたかは知らないけれど、ロケットは三段目に取り掛かっているようだ。一部の妖精メイドさんはわたしが創った材木で奇妙な形の机やロッキングチェアを作っている。
「…何故三日月形」
「さぁ?」
まだ作り途中のようで、天板と脚が止められていないようだ。三日月なのはまあ紅魔館らしいと言われればらしいから別に構わない。けれど、天板を削り取ってそのままのようで、尖っていて危なっかしい。特に三日月の先端。なので、指先で角をなぞりながら回収していく。何度も往復し、少しずつ角を丸くしていく。…よし、こんな感じでいっか。わたしの地味な作業を見ていた一人の妖精メイドさんが手に持っていた鑢を放り投げて顔を綻ばせているし。面倒な作業が減って嬉しいのは分かったけど、あんな硬いものを放り投げないで。もし当たったら痛いから。
それにしても、三段目の大きさから考えてわたしが創った材木はかなり多めだったようだ。この机やら椅子やらは、その分を使い切るためなのかな?それでもまだ余るようならば回収させてもらうけれど、それまで使われることに対しては構わない。
そんなことを考えていると、また別の妖精メイドさんがわたしに駆け寄ってきた。
「幻香さぁん」
「何でしょう?その目が悪くなりそうなほど真っ紅な布で何かするんですか?」
持っていた布の端を持った両手を思い切り広げたのだが、それでもまだ弛むほど大きな布。この色も紅魔館らしいと言われればらしいのだけど、ずっと見ているから目を離すと緑色の残像が浮かびそう。このことを補色残像というらしい。
「これを増やしてほしいなぁ、なぁんて」
「いいですけど、ちょっと待って――ん?」
緋々色金が回収しようとした手を止め、わたしの中を流れる妖力を感じる。…ただ眠っていたにしては異様なほど妖力量が回復している。もしかして、寝る前にパチュリーがやっていたことのおかげ?だとすれば、その分働かないと。どうせ使わなければ緋々色金になって外部に備蓄されるだけなんだし。
「何枚必要なんですか?」
「…何枚だろぉ」
…どうやらまだ未知数らしい。ま、それでも構わない。また余るほど創っておけばいいだけだ。とりあえず五十枚複製して渡したのだけど、一つでは軽い布も五十もあればかなりの重量になる。一度に全てを持ち運ぼうと頑張っているけれど、その感じだと出来れば五回くらいに分けたほうがいいと…あ、転んじゃった。その瞬間、周りの妖精メイドさん達が作業の手を止め、転んだ子を起こしてから布を六人で分割。その後は問題なく運び出されていく。
そのまま運んで行った妖精メイドさんは布の加工をし始めたようだけど、あそこにいる五人はさっきまでやっていた作業をしなくていいのだろうか…。けれど、わざわざ言いに行くのはなぁ。ま、わたしがやればいいか。
「手伝う」
「ありがとうございます」
一人は何に使うのかよく分からない形をした木の塊を根気よく削っていたようで、一つは完成形のようだけど、転がっている三つはまだ途中。
完成品を手に取り、わたしが最後にやろうとして思っていた箪笥の引き出しを組み立てている黒色の妖精メイドさんに見せてみる。
「これ、何でしょう?」
「…ベッドの脚?」
へぇ、ベッドの脚かぁ。そんなもの気にしたことないや。こんな凝った装飾をされてたなんて知らなかったなぁ…。
まじまじと眺めていると、この程度の凹凸なら複製の複製でもいけそうな気がしてきた。けれど、今まで複製の複製は何度かしていたのだけど、創造と大して変わった感じがしない。もしかしたら、同じなのかもしれない。しかし、複製の複製は創造と違う点がある。それは、複製する対象が目の前にある。これだけで大きな差となる…はず。
手に取った完成品を見ながら、続けざまに三つほど複製する。現れたものはゴトゴトと床に落ち、そのまま転がっていった。
「…ぬぅ、微妙」
結局、完成形の複製はどれもこれもどこか歪んでしまったので、大人しく途中で放り投げられたものを加工しようかな。ああ、何か形を把握する術が欲しい。…ん?
「あ」
空間把握すればいいじゃん。いや、さっきまでもしていたと思うけれど、それは妖力を流して複製しただけ。わたしはその流れを自覚していない。意識しようとしてない。感じようとしていない。それが接触の際の複製。それが普通。けれど、そのときのわたしの頭に複製する対象の形は視覚から取り込んだものだけ。見えない部分は流れた妖力を意識することなく、つまり無意識に勝手にやってること。
もとより、空間把握は視覚の代理として考えたもの。対象の形を知るためだけに編み出した使用法。なら、ここにも応用出来るはず。
完成品を手に取り、空間把握。頭の中にハッキリとその形が浮かぶ。そして、そのまま複製。
「…出来た」
出来てしまった。ああ、出来ちゃった。出来ちゃったかぁ。ふぅん、そっか。
スッと右手を胸に当て、空間把握。自分自身の形が浮かび上がる。わたしはわたしの複製が出来ない。けれど、それを形としてしか見なければ?
「あはは…」
目の前にはクルクルと無様に回るわたしの複製。あーあ、出来ちゃった。そっかそっか。…出来ちゃうんだなぁ。その体は唐突に崩れ落ち、すぐにわたしの元へ戻される。
複製はわたしの体の一部だ。わたしだってそう思ってるし、疑ってはいない。だからだろうな、複製の複製がまともに出来なかった理由は。いや、今までだって本当は創造だったんじゃないか?今までの複製の複製なんて全部嘘っぱちで、今初めて複製の複製、もといわたし自身の複製をしたんじゃないかな?…そうでもいっか。どうでもいっか。この先を考えるのはまた逆戻り。結果はもう出したこと。
多分、もう複製の複製だって単純に出来てしまうし、わたしの体の複製だって容易く出来てしまうだろう。一度出来てしまったから。成し遂げてしまったから。出来ないほうがよかったとは思っていないけれど、出来てしまうのもなぁ…。はぁ…。
「どうかした?」
「…いえ、何でもないですよ。ただの確認です」
ああ、本当にわたしって何なんだろう?その答えは出て来ない。けれど、答えが必ずあるなんて傲慢だ。寺子屋じゃないんだ。答えがないことだってあるさ。慧音だってそう言ってたし。
暗い方向へ進んだ思考を無理矢理捻じ曲げ、次の作業へと移る。えぇと、これは額縁かな?…何故額縁。粗削りなそれを見て、何となく完成図を予想してから指を走らせる。指ではどうにも出来なさそうな細かい部分は、ほんの少しもったいないけれど霧散させて作り出す。…よし、完成。
最後に残った箪笥を手伝おうと思ったら、ちょうどよく最後の引き出しを嵌めているところだった。
「終わった」
「わたしも終わりましたよ。さ、他に何かありますかね?」
「今はない」
「…みたいですね」
改めてよく見てみると、さっきみたいに作業を投げ出す妖精メイドさんは珍しくないようだけど、作業が止まっているというわけではない。どうやら、飽きが来たから別の作業にしようとお互い考えているようで、ただ作業が入れ替わっているだけなのだ。
さっきわたしが布を創ったから別の作業が生まれた。そして、あの五人は作業を変えた。しかし、代わりに作業をする妖精メイドさんはいない。だから、ああして空いてしまったのはしょうがないとも言える。
そして、今は全員が何かをしている。そして、さっきのように誰もしていない作業はない。わたしに創ってほしいものもないようで、ウロチョロ作業を変えながらも、着実に進んでいる。新しく何かをしようにも、途中から参加しているわたしには分からない。誰かに訊けばいいのだろうけど、必要だという雰囲気ではない。
「…出来れば何か手伝いたかったんですけどね」
「パチュリー様は?」
「え。あの集中し切ったパチュリーに話しかけるんですか?それを分かって言ってるんですよね?」
「分かってる」
「…そうですか」
眼をパチュリーのいるところへ向けると、今尚魔法陣を描き続けているように見える。けれど、さっきより描く速さが遅くなっているように見える。…あ、手が止まった。疲れたのかな?それとも終わったのかな?…いや、また動いたから終わったわけじゃないか。
「そうですね。起きたこともついでに教えましょうか」
どうやら集中も切れつつあるみたいだし、少しでも休憩させるためにも話しかけますか。けど、何か出来ることはないか訊くだけではあまりにも短く、休憩にもならない。他に話せることはないか考えておきますか。