わたしの家は隙間が一切ない構造ではない。数ヶ所だが、わたしがこうして妖力を流す際に通ることが出来る僅かな隙間がある。そうなるように作った。こうして中にいるのが本当にわたしが知っている人なのかとか、外から来た人が本当にわたしの知っている人かとか、そういうものを知る際に障害とならないように。
空間把握。…机の上に何やら大きなものがあり、椅子に座って瓢箪を口に咥えている萃香がいた。あの特徴的な角を、わたしは他に知らない。けれど、橙ちゃんがあんな風になっていたってことは、普通じゃない何かがあるのかもしれない。
大ちゃんに手振りで陰となるところで待機するよう頼み、扉を叩く。
「…ん。幻香か?」
「ええ。入りますよ」
扉を開けて中に入ると、あからさまに不機嫌な萃香がいた。…こりゃあ橙ちゃんも怯えるわけだ。わたしだって、気分を害している圧倒的強者に好き好んで近付きたくない。
わたしの顔をまじまじと見詰めた萃香が、怪訝そうな顔で言った。
「お前、本当に幻香か?」
「何を疑ってるんですか?ほら」
萃香が手に持っていた瓢箪を一つ複製して投げ渡す。受け取って軽く眺めたらすぐに投げ返された。
瓢箪を回収していると、萃香が机の上に乗っていたわたしの顔よりも大きな肉の塊を掴んだ。…それ、わたしが干してた猪肉なんだけど。屋根に干していたはずの肉がないと思ってたけれど、萃香が食べてたのか。それならいいや。
「疑ったわけじゃねぇよ。ま、そんな角見せびらかして、扉通るときにその角の先端が壁をすり抜けりゃ、間違いないと思ってたさ」
そう言うと口から炎を放射して肉を炙りながら食べ始めた。かなり塩味が強いと思うんだけど、酒と一緒に食べるのにはちょうどいいのかな?わたしには分からない。
「それにしても、機嫌悪いみたいですね」
「あ?そう見えるか?」
「ええ、かなり」
「そうかよ」
机を拭くのはあとにして、これ以上汚されないために大き目の皿を一枚萃香の前に置く。すると、萃香が瓢箪の酒を肉に注いで火を点け始めた。…いや、そういう調理法があるのは知ってるけど、もうちょっとちゃんとした方法で…。ま、いっか。わたしが食べるわけじゃないし。
とりあえず、向かい側の椅子に座って待っていると、長いため息を吐いた。
「ここはあんま好きじゃない」
「ここ…?迷い家が、ですか?」
「ああ。分かってるのか?ここは紫の結界の中だぞ?」
「知ってますよ」
「知ってんのかよ。…ったく。確かに人はほとんど来ないだろうよ。普通ならまず来れない」
「らしいですね。わたしも最初はちゃんと迷って入ったんですよ」
「つまり、次は違うんだろ?」
「ええ。なんか入れました」
説明が長くなると思ったので省くと、またため息を吐かれた。
「けどな、あんたも紫のこと嫌ってたろ。どうしてそこまで知っててここにいようと思えたんだ?」
「家を建ててから知った、じゃ駄目ですか?」
「駄目だな。私が知ってる幻香なら、この家を平然と切り捨てるさ」
「そうでもないですよ…。多少はもったいないと思いますもん」
「多少は、ね」
「ええ。多少は、です」
確かにそうだと気付いたときは、ここを切り捨てるべきかどうか考えた。家のこともあるが、他の場所にここよりいいところはあるだろうか、と。ここに住む場合の長所と短所を並べ、他の場所へ行った場合の長所と短所を揃え、少しの間考えた。
「けれど、ここより人気のないところは、わたしが知る限り冥界くらいです。そこへ行ったとしても、ここより条件が悪い」
「それで、紫は?」
「わたしもそこで詰まった。だから、考えを変えました。どうせあのスキマがある限り何処にいても大して変わらない、って。結界の中だろうが外だろうが、幻想郷の端から端まで覗けるんだから」
「…ま、確かにそうだけどな。いいのか?」
「いいんですよ。それに、八雲紫からわたしが近いなら、わたしも八雲紫に近い。これはこれで長所足り得ますよ」
つまり、わたしが必死に並べた長所と短所は全てどっちにも傾くことが出来るということだ。だけど、わたしは無理矢理どっちに傾けるべきか定めた。そして決めた。
「ま、というわけで我慢してください。何ならここに来ない選択肢だってある」
「いや、それはもったいない」
「そうですか。なら、この護符のどちらかを持って行ってください。妹紅から聞いたでしょう?」
「ああ、聞いたよ。これ、つまり紫の細工があるんだろ?」
「でしょうね」
しかし、萃香は難色を示すことなく、真っ先に球体の護符を手に取った。軽く摘まんでいるようだけど、その人差し指と親指に少し力を籠めれば一瞬で潰れてしまうだろう。
「ま、いざとなれば壊せばいいか」
「約一割破損すれば機能停止するそうです」
「一割なんてみみっちいことするかよ。十割破壊だ」
そう言うと、球体の護符をしまい込んだ。
「さ、機嫌を直してくださいよ。怖くて友達が入れられない」
「何だよそれ。いつ私が襲い掛かると思われたんだよ」
「初めて会ったとき」
「そりゃ悪い」
うん、もう問題なさそうだ。
「大ちゃん、もう大丈夫ですよ」
「あ、そうなんですか?…こんばんは、萃香さん」
「ん?前に何処かで見たような…?」
まあ、萃香が覚えていないのも無理はない。わたしとスペルカード戦をしたときに、観客としていただけだからね。
「まどかさんの友達で、大妖精です。気軽に大ちゃん、とでも呼んでください」
「ふぅん。知ってるみたいだけど、私は伊吹萃香、鬼だ。会うことはあんまないかもしれないが、覚えとくよ」
二人の挨拶は済んだようだし、わたしは残った食材で軽く料理をするとしますか。えぇと、猪肉はギリギリ二人分くらい。さっき採ってきた木の実は見自体が小さいからおまけ程度。…あれ、これだけ?
「萃香。いつからここにいたんですか?」
「あー、昨日の夕方くらいだな。妹紅の家に行ったら即行でここに連れ出された」
「それで、食べたと?」
「食べた。屋根に会ったのは保存するつもりだったみたいだから、後回しにしたけど」
「けど食べた、と」
「他は食い切ったからな」
まあ、調味料を貪り食われなかっただけよしとするか…。あるものを使って何か作るか。
フライパンに木の実を全て入れ、砂糖と一緒に煮詰めていく。
「あの、まどかさん」
「どうしたんですか?大ちゃん」
「これ、どこで寝ればいいんでしょう?」
「ん?そういや、一人、詰めても二人くらいしか寝れないなここ」
「わたしは机の下にでも寝てますから、残った場所に二人が寝てください」
「それはまどかさんに悪いですよ…」
「ま、この感じだと明日は雨だ。外で寝るのは止めたほうがいいしな」
「え、雨降るんですか?」
木の実から水分が少しずつ出ていくのを眺めながら、菜箸の先にこびり付いたものを舐めとる。…うん、砂糖の甘味と木の実の酸味がそれなりに合ってる。この中に軽く塩抜きをして食べやすい大きさに切っておいた猪肉を入れて焼いていく。あのまま焼くと、塩味が強過ぎただろうから、塩抜きは必要だろう。
「どうした?雨だと都合悪いのか?」
「かなり。明日も紅魔館に行かないといけないんですよ」
「ふぅん。フランは?」
「そのフランに会うためにですよ。最終手段では、萃香。貴女の力を貸してほしいです」
「へえ、何するんだ?」
「紅魔館に対して、喧嘩を売りに行きます」
「ちょっ…!ま、まどかさん!?」
「へえ、そりゃ面白そうだ」
「けれど、これは飽くまで最終手段。やらずに済むのが望ましいですよ」
わたしだって、好き好んでこの手段を取りたいと思ったわけじゃない。これは、フランが外に出たくないと考えた理由が、レミリアさんの判断である『紅魔館が責任を持って解決する』にあるとした場合だ。どちらにしろ、一度フランに会ってからじゃないとこの手段を取るつもりはない。
フライパンの中の猪肉を三つに分けて皿に移す。それにしても、元が二人分だったからちょっと少な目だ。
「出来ましたよ」
「お、美味そうじゃん」
「まどかさんって、何でも出来るんですね…」
「何でもじゃないですよ。ただ、出来ることを少しでも増やしたいだけ」
出来ないことを出来ないままで放っておくことが出来ないだけだ。今は出来なくても、いつか出来るようになりたいと考え続けている。
皿の置かれた猪肉を萃香が手掴みで取ろうとしたところで、急に止まった。
「そういや、紫の式が私のところに来たんだが」
「へぇ、わたしにも来ましたよ」
「式って、もしかして式神ですか?それは珍しいですね…」
「知ってるんですか?」
「一応は…」
大ちゃんは、わたしが思っている以上に物知りだ。もしかしたら、わたしの友達の知っていることを全て集めたら、ほとんどのことを知ることが出来るんじゃないかと思えてくる。
「それで、月に行くって話だ。私はどうでもいいと思ったんだが、幻香はどうだ?」
「行けたら行ってみたいと思いますよ。あっちにはわたしの知らないものがたくさんありそうだから」
「そうかい。ま、必要なら声をかけてくれてもいいぞ。それまで私は特に何もしないつもりだ」
「分かりました。さ、食べましょうか」
猪肉を一切れ口に入れると、甘味と酸味と旨味が互いを邪魔しあうことなく引き立てあっているように思えた。余り物で作ったわりには、美味しいものが出来たと思う。二人からも特に非難は来なかったから、大丈夫だろう。
けれど、これでこの家にある食糧は尽きた。朝食は橙ちゃんが余ってたら貰えるかな…。