特に当てもなく紅魔館の廊下を歩いていく。そんなわたしの後ろには、紫色の妖精メイドさんが付いて来ている。その歩幅はわたしと全く同じで、わたしとの間の距離がさっきから一切変わらず、いることがすぐに分かるけれど気にならない距離。こういう些細なところに優秀と言われるところが出ているのだろう。
そんな彼女がわたしに近付いてきて、チョンチョンと肩を叩いてきた。
「…何でしょう?」
「どこ行く?」
「さぁ?大ちゃんがどこにいるか分かりませんから」
空間把握を使えば、多分分かるだろう。けれど、これからのことを考えて出来る限り使わないことにした。
「じゃあ、誰かに訊く?」
「そうしますか」
と言われても、都合よく誰かが近くにいる気配はない。天井や床を挟んだ上や下からは音が聞こえるんだけどなぁ…。流石に天井や床をブチ抜くわけにはいかないよね。
まあ、とりあえず誰かとすれ違うまで歩き続けるとしますか。黙って歩くのはつまらないから、軽く雑談しながらでも。
「そういえば、貴女は大ちゃんのことを何て呼んでいるんですか?」
「大ちゃん。そう呼んでって言われた」
「わたしも言われましたよ。気軽に、って」
「私も」
本来は高位であるはずの大妖精が、妖精達に気軽に呼ばれることを望む…。同じように妖怪の中で高位の存在であろう吸血鬼や鬼、スキマなんかとは違う感じだ。まあ、高飛車であれ粗豪であれ偏屈であれ、と言うつもりはないけれどね。
「ここで働くことになったきっかけは?」
「誘われた」
「そっか」
「悪くない」
悪くない、か。わたしはどうだろう?今をいいものだと思ってる?…よく分かんないや。いいことも悪いことも多過ぎる。残念ながら、この二つは打ち消しあうことはなく、ただただ膨らんでいくばかりだ。
「それにしても、誰もいませんね」
「いない」
さっきまで聞こえたはずの足音も、いつの間にか全然聞こえなくなっていた。少し目を瞑って耳を澄ましてみると、微かな音が数ヶ所にまとまっているようだが…。
「よく分かりませんが、廊下にはほとんどいないみたいですが…」
「あ」
「え?何かありました?」
「そろそろお昼。一緒に作る?」
「…ああ、そういうこと」
皆で昼食を食べていたのか。どおりですれ違わないわけだ。さて、ここでわたしが取る選択肢は二つ。妖精メイドさんが集まっているところに行くか、この子と一緒に昼食を作るか。
「作りましょうか。一緒に」
「うん。頑張ろ?」
昼食は取れるときに取ったほうがいいし、調理に慣れておきたいから。
◆
「…こんな季節外れの野菜がどうしてあるんですか…?」
「保冷部屋。便利」
「いいなぁ…。ちょっと羨ましいですよ」
それでも、旬の食材を使ったほうが美味しい、と付け加えられた。こんなカチコチに凍って霜が降りた野菜を解凍して使うとなると、多少は質が悪くなってしまうのだろう。
まあ、この際野菜の質は考えないようにしよう。わたしとしては、こんな状態の食材をどう調理するかのほうが重要だ。
「どう調理しますか?」
「スープ」
そう言いながら、凍ったままの野菜に思いきり包丁を突き立てた。ジャリジャリと微細な氷が擦れるような砕けるような音と共に切り刻まれていく。
「…うわーお」
「手伝って」
「あっ、はーい」
とは言っても、あんな風に切るのはちょっと躊躇われる。下手な切り方をしたら、野菜が砕けて吹き飛んでしまうかもしれない。…けど、やるしかないかぁ。
試しに包丁の刃を凍った野菜に当ててみたところ、確かに凍っているけれど硬いわけではないらしい。そのまま野菜を切ってみたけれど、野菜が切りやすいのか包丁がいいのか、すんなりと切れた。…まぁ、野菜を切っているとは思えないような音が聞こえるけど。
それからも、紫色の妖精メイドさんに言われるがままに様々な野菜を切り刻んでいく。ああ、左手の指先が冷たい…。
「ふぅ、出来ましたよ」
「鍋に入れて」
「…はーい」
言われたとおり、水が半分ほど入った鍋の中に、凍った野菜を水が跳ねないように慎重に入れていく。
そして、全ての野菜を入れたら野菜が鍋の水から頭を出していた。まあ、これから火を通せば野菜の体積はかなり縮むからちょうどいいかな。
「火を点けて、味付け」
「どういった味付けを?」
「気分」
「それは非常に分かりやすい」
ただし、初めてのわたしには全く分からない。なので、火を点けたらさっさと彼女に任せることにした。横から眺めていると、塩を小さじ一杯入れただけで、それ以上何かを加えることもなく大きく伸びをし始めた。
「…暇」
「あれだけでいいんですか?」
「今日はサッパリがいい」
「あ、そうですか…」
どうやら、今日は薄味の気分だったらしい。まあ、野菜を煮込んだだけのスープでもそれなりの味になるのだから、人によってはそれで十分だと言うのもいるだろう。
とはいえ、彼女の言う通りスープが温まるまで暇だ。彼女もたまにお玉で鍋を回すのだが、その視線は鍋に一切向けていない。なんと言うか、見るまでもない、って感じ。
じゃあ、暇を潰せばいいか。スープだけでもいいけれど、スープが完成する前に手軽に作れるようなものを調理しよう。
「他に何か食べますか?」
「…どうしよ」
「あ、パンあるじゃないですか。これを軽く焼きましょうよ」
「よろしく」
「任されました」
渡されたバターをフライパンに溶かし、パンを焼く。ああ、いい香り。このバター、冬ならあんまり溶けなかったはずだから、もらえるなら持ち帰りたいくらいだ。味もかなり変わるし。
「どのくらい焼きます?」
「こんがり」
「じゃあ、しっかり焼きますね」
お望み通り、わたしの感覚より少し長めに焼く。そして引っ繰り返してみると、茶色を通り越して真っ黒になっていた。…しまった、焦げちゃった。次のパンは失敗しないようにしないと。
◆
「いただきます」
「いただきます」
こんがりと狐色に焼き上がったパンを美味しそうに頬張るのを見てから、わたしも片面焦げてしまったパンを口に入れた。…うん、焦げていなかったらもっと美味しかっただろう。
紫色の妖精メイドさんが半分ほど食べたところでパンを置いた。彼女に合わせてまだ途中のパンをひとまず皿に置く。すると、すぐに彼女が話し始めた。
「もう皆食べ終わってると思う」
「でしょうね」
わざわざ耳を澄ますまでもなく、足音が聞こえる。食べ歩きなんてしていないだろうから、もう食べ終わっているのだろう。
「だから、早く食べよ?」
「ですね」
スープを飲むとき、ちょっとだけ不安だったけれど、特に何の問題もなく飲むことが出来た。温度も柔らかな暖かさで、味もちゃんとしている。違和感もない。
黙々とパンとスープを食べ切り、スープが入っていた器を静かに机に置き、手を合わせる。
「ごちそうさま」
「ごちそうさま」
「皿洗い、任せてもいいですか?」
「いいよ。すぐ終わらせる」
彼女が快く受け入れてくれたので、皿を洗い終えるまでに、少し今後のことを考えることにした。
まず、可能なら咲夜さんに会わないほうがいい。ボロが出てしまっては、わたしの手段も水の泡。特に、レミリアさんに会ってしまったら即効でお終いだろう。しかし、フランがいる地下へ行くためには、どうしても咲夜さんに会わざるを得ないだろう。そのために妖精メイドさん達に協力してもらうことで、どうにかする。
次に、フランのところまで到達したとして、どうやって連れ出すかだ。彼女はそのまま出てくれるだろうか?まあ、多少は説得するとして、それでも駄目なら最終手段を取ろう。…出来れば使わずに済みたい。
「終わった」
「え、もうですか?」
「うん。行こ?」
…本当に少ししか考えられなかったよ。ま、いっか。ただの確認だったし。
軽く伸びをしてから扉を開け、廊下へと出る。すると、ちょうどよく目の前に桃色の妖精メイドさんがいた。…すっ転んだ状態で。しかも、片方の靴が脱げてるし。
「あのー、大丈夫?」
「だ、大丈夫…」
手元に手を伸ばしてあげると、すぐに掴んでくれたのでしっかりと掴み返して、ゆっくりと立ち上がらせる。メイド服を軽く叩いて、多少付いてしまった埃を落としていると「ありがと」とお礼を言われた。ありがたく受け取らせてもらいます。
脱げてしまっていた靴を桃色の妖精メイドさんが手渡すと、すぐにしゃがんで靴を履き始めた。僅か二、三秒で履き直すと彼女はすぐに立ち上がり、足首を回しながらわたしに言った。
「じゃ、私急いでるから!」
「あ、大ちゃんを探してるって見つけたら言ってくれませんか?」
「分かった!それじゃ!」
そう言うと、おそらく全速力で駆け出して行った。…そんなことするから、さっきみたいにこけちゃうんじゃないかなぁ…。
それにしても、大ちゃんって今どこにいるんだろう?大ちゃんが妖精メイドさんと話すことを、こんな短時間で切り上げるとは思いたくないから、まだ紅魔館にいると思いたいんだけど…。
小さくため息を吐きそうになると、ポンと肩に手を置かれた。
「探せば見つかる」
「そうですね。じゃ、探しましょうか」
すれ違う妖精メイドさんに対して手当たり次第に大ちゃんを見た場所を訊いて、さっきみたいにわたし達が探していることを伝えてもらうよう頼んでいけば、いつか見つかるだろう。
よーし、頑張りますか。