東方幻影人   作:藍薔薇

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第149話

二階から欠伸が聞こえてきた。丁度調理が終わったところだけど、せめてもう少し時間が経ってから起きて欲しかった…。

…まあ、いいや。食べ終わってからでも構わないだろう。ご飯とみそ汁と副菜を二人分、お盆代わりの床板に乗せて寝室に持っていく。

 

「おはようございます」

「おは…?」

 

化け猫の挨拶が途中で止まった。ついでに身体も止まっている。そして、視線も一点に止まっている。

たっぷり数秒待つと、ようやく化け猫の口が動いた。

 

「あのさ」

「…何でしょう?」

「顔、どうしたの?…真っ赤っ赤だけど」

 

いや、そんなことわたしだって分かってる。この状況で外に出たら、鳥か何かに頭を突かれそうだ。そのくらい、今のわたしの頭は甘酸っぱい香りを放っている。

 

「…あとで洗いますから、先に食べてください」

「あ、うん」

 

見たことのない、野菜か果実よく分からない真っ赤で丸っこいものがあった。どう調理すればいいのか分からなかったけど、とりあえず包丁で真っ二つにしようと思い切り切った。その結果、真っ赤な汁が飛び散った。その汁をわたしはもろに被ったわけだ。

顔に付いた汁を舐めとった結果、野菜とも果実ともとれる甘みと酸味と青臭さを感じた。林檎のように八つ切りにして生のまま出したけど、きっと大丈夫だろう。

 

「それにしても、髪の毛まで真っ赤っ赤だよ?染み付いたらどうするの?」

「…いいんじゃないですか?」

「よくないでしょ…」

 

どうせ、髪の毛なんて生え変わるし。後ろ髪なんて最近切ってもらってないから、ほとんど伸ばしっぱなしだ。

…そういえば、前髪が目にかかりそうだなぁ。前髪を手櫛で軽く梳き、押さえつけてみる。うん、先端がチラチラ見える。今のうちに飛ばすか。

窓際に寄り、窓を全開にして少し顔を出し、前髪の先端を左手の人差し指と中指で挟む。そして、揃えた前髪の横に右手の人差し指を垂直に当てる。

 

「…ねえ、何やってるの?」

「散髪一歩手前」

「今、食べてるんだけど…」

「大丈夫ですよ。ちゃんと挟んでますから」

「そういう問題じゃない…」

 

確かに、どうせ髪の毛事洗うつもりなんだから、そのついでに飛ばせばいいか。

 

「それにさ、鋏は使わないの?」

「普段は友達に任せっきりなので」

「…その友達、ここに来れないんじゃないの?」

「…そうかもしれませんね」

 

理由は分からないけれど、わたしは迷いなくここに入れた。しかし、他の人も自由に出入り出来るのだろうか?わたしの手を繋いでいれば大丈夫?いや、そもそもわたしが一度外に出てから再び入ることが出来る?…試したことがないから分からない。

わたしは明日、化け猫にこの迷い家を与えた者に報告させに行かせるつもりだ。結界だか幻術だかの異常があったならば、それはすぐさま直されてしまうだろう。そうなれば、わたしはここを自由に出入りするのは不可能になる。したがって、ここを引っ越し先にするのは非現実的なものになるわけだ。

 

「ま、そのときはそのときかな」

「…食べないの?」

「食べますよ」

 

それを現実的なものにするには、鍵が必要だ。この結界だか幻術を突破する鍵。特定の進路や特定の所有物といった条件。それを見つければいい。この化け猫だって、年がら年中迷い家にいるわけではないのだろうし、出るたびに迷っているわけではないだろうから。

 

「いただきます」

 

 

 

 

 

 

窓から顔を出し、遠くのほうを眺める。微風に煽られるたびに濡れた髪が波立ち、止むとすぐに肌に貼り付く。少し鬱陶しくはあるけれど、どうせまた少し風が吹けば離れる。それに、乾けば貼り付くこともない。

左手の指に付いた短い髪の毛を払い落としていると、後ろで寝ている化け猫がわたしに声をかけた。

 

「せめて拭くものは使わないの?」

「こうしていれば乾くでしょ」

「…寒くない?」

「少し」

 

わたしがそう言うと、化け猫が溜め息と共に布団から這い出て、押し入れの中を漁りだした。

 

「…安静にしてくださいよ」

「それより貴女が風邪引くほうが嫌でしょ」

「風邪、ねぇ…」

 

『禍』であることを知っていながら、大規模感染症の根源であることを知っていながら、そんなわたしが風邪を引くことの心配をするのか。

まあ、わたしはあのときの里に入っていながら風邪を貰うことはなかったし、記憶している限り風邪らしき症状が現れたことはない。そういえば、非常に危険らしい魔法の森でも普通に活動していたなぁ…。やっぱり妖怪ってそういうのに強いのかな?

 

「はい」

「ありがとうございます」

「拭いたらちゃんと洗って干してね」

「…使わなかったとしても洗ったほうがよさそうですね」

「うぐ」

 

渡された手拭いは、長年放っておかれていたかのように埃だらけだ。その押入れに頭を突っ込んだ化け猫も、少し埃が付いている。埃を払い落とそうと考えたけれど、この濡れた髪を近くで払ったらどうなるかなんて考えるまでもない。

 

「まあ、せっかく渡されたのですし、使わせてもらいますか」

「あっ、ちょっと!せめて払ってから…」

 

複製。ただし、埃は意図的に除外する。いつも通りやってしまえば、埃ごと複製しかねない。その辺はいつも曖昧だし、いちいち考えていない。面倒だし。

濡れた髪を綺麗に拭き取り、続けて化け猫の顔を拭き取る。濡れている分、埃が取れやすくていい。

 

「うにゃっ!冷たっ!」

「それより貴女が埃塗れのほうが嫌でしょ」

「…濡れるの嫌いなんだけどぉ」

「この程度すぐ乾くでしょ…」

 

いやがる化け猫を無理矢理押さえつつ、埃を拭き取った。ついでに顔だけだけど汗だとか垢だとかも少しは取れただろう。

少し汚れて湿った手拭いの複製をどうしようか考えていると、化け猫のがわたしの後ろ髪を撫で始めた。…特に染みは残らなかったと思うんだけど。

 

「それにしても、綺麗なのにボロボロだね…」

「どっちですか…」

「この辺りとか、千切れたの?それに、ここはやけに短いし…」

「スペルカード戦では髪の毛は被弾判定に入りませんから」

「…もったいないなぁ」

「そうですか?どうせ、見た目なんて、飾りですよ」

 

髪の毛が綺麗だろうと汚かろうと、どうでもいい。どうせ、わたしの見た目は相手依存。髪型がおかしかろうと、相手はわたしを見て自分を見る。髪型のおかしい自分を見る。それだけ。

不健康気味で白みがかった肌も、長いのは膝の少し上まで伸びた絹糸のように白く透き通る髪の毛も、深く澄み切った薄紫色の瞳も、見ているのはわたしだけ。この姿さえも、わたしから見た自分かもしれないけど。

…いや、カメラを通して見た、写真に写っていた白黒のわたしの姿は、わたしから見た姿に最も近かったか。意思のないものを通せば、何者でもない姿が見れるのかもしれない。

 

「…どうしたの?」

「………いえ、何でもないですよ」

 

そして、その姿を見ているわたしは…。いや、止めておこう。そんなこと、もう結論付けたじゃないか。わたしが何であろうと、醜く生き続けるって。死ぬのは怖くない。死にたくはないけど。

意識を蝕む負の感情を押し退け、笑顔を浮かべる。とりあえず、迷ったら笑っとけ。偽物でも、上っ面だけでも、笑っとけ。そうすれば、周りまで落とすことはない。

 

「さて、貴女に訊きたいことがあったんですよ」

「え?あれ?さっきまで何か…」

「それはもうどうでもいいんですよ。訊きたいことは、貴女がこの迷い家にどう入っているかです」

「…えー、それ訊くぅ?」

「口すぼめたって訊きますよ。偶然わたしが入ったから、それと同じ道を歩めば入れる、ってことになりますよ?」

「それは有り得ないよ…。だって護符が…あっ」

 

護符、ねぇ。じゃあ、尚更わたしが入れた理由が結界だか幻術だかの異常の線が濃厚になった。ほぼ確実と言ってもいい。同じような現象は、永夜異変で嫌というほど味わった。あの時は特定な道筋だったけど、今回は違う。多分、その護符とやらは複製しても意味ない。毒液の抽出液がただの液体になったように、それらしい紛い物になるのが落ちだろう。

 

「…盗るつもりはないですから。それに、こんなこといちいち誰かに言っても意味がない」

「本当?本当に本当?」

「ええ。嘘だって吐きますし、約束も破りますが、このくらいはどうにかしますよ」

「うわぁ、信用出来ない…」

「下手に嘘吐いて騙すより、いいと思いませんか?」

「むぅ」

 

納得してくれなくてもいいよ。どうせ、わたしはそんな奴だし。

 


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