私は、何回『死』を迎えたのだろうか。私は、何回『死』から蘇ったのだろうか。途中から数え始めたような気がするが、よく覚えていない。思い出せる程近い過去のはずなのに、永遠のように遠い過去のように感じる。
夢でも見ているような浮遊感。現実とは思えない喪失感。地に脚が付いているのかすら定かではない感覚。右も左も前も後ろも上も下も無くなったような不思議な意識。
今、わたしはどうなっているのだろう?目は何を映してる?鼻は匂いを嗅いでいる?耳は音を拾ってる?皮膚は何かを感じてる?そもそも、肉体を持っている?生きている?死んでいる?…よく分からない。
それでも、ただ一つだけ確実に分かることがある。『助ける』。それは頭に、心に、魂に刻み込まれたように、それは強く私を奮い立たせる。
「――ぁああッ!」
瞬間、目の前に迫りくる右手を右腕で受け止める。そのか細い腕から放たれたとは信じられないほどの威力を受け、嫌な音を立てながら右腕が圧し折れる。
それと同時に、忘れていたとばかりに、全身から激痛が浮き上がる。右腕の骨折なんかその中の小さな一つにまとめられ、どうとも思わなくなる。
「ヴッ…!?」
「…アハァ」
その痛みに僅かに怯んだ隙に、私の体を何かが突き抜けた。異物が混入した違和感と嫌悪感をまざまざと覚えたが、息を吐き出そうにも吐き出せない。というか、肺に大きな風穴が開いている。
破壊魔の左腕が私の体内を弄り、何かを掴んだように感じた。一瞬力が込められ、ブチブチと千切れる感覚と共に一気に引き抜かれた。その手に握られた真っ赤な何か。極僅かに、震えているようにも、見えなくも、ない。
不思議と、脚がふらつ、き始め、身体が、一気、に、だる、く、なる。あたまも、ぼーっ、とし、て………。
ありとあらゆる感覚が一気に途絶え、ふと頭に七九二七六、という数字が浮かんだ。…ああ、私はまた死んだのか。それに、この数字は多分『死』の数だ。意識していなくても、ちゃんと数えていたのだろうか。この場所に来てから数え始めたからもう少し多いと思うけれど、その差は百もいってないだろう。
いや、そんなこと考えている暇はない。さっさと戻らなくては。
「…ハッ」
意識が覚醒し、痛くないはずの体に残る痛みを感じる。目の前の破壊魔は、左手に持った何かを弄んでいた。僅かに伸びた何かを摘まみ、振り子のように揺らしている。
「あノさぁ」
「…何だよ」
相変わらずの調子外れだが、久し振りにまともな言葉を聞いた気がする。
「心臓っテ、なンカ林檎ミたいダよネ」
「どこがだよ」
「…あァーン」
私の言葉をまともに聞かず、早々と大口を開け、破壊魔が先程引き抜いただろう私の心臓を丸ごと口に入れようとした。だが幸か不幸か、その小さな口に私の心臓は入り切らず、悔しそうな顔を一瞬浮かべると、すぐに握り潰した。
「マ、いっカ。ソろそろオシマイみたイダしィ?」
「!?それってど――」
私の問いに答えるつもりはないらしく、右脚が飛んできた。それを左腕で受け止めると、またもや嫌な音を立てる。すぐ左腕を無理矢理、意識的に治す。いや、治すというより元の状態に戻すのほうが正しいか。
そんな私の些細な努力は『目』ごと握り潰された。内側から私の体が破裂する。七九二七七、という数字がボンヤリと浮かび、すぐに自ら蘇りを促す。速く。可能な限り速く。今まで勝手に行われていた蘇生を、意識的に加速させる。
覚醒した意識と共に視界に映ったのは、握り締められた右手。たかが数秒程度の差。それは極僅かな差かもしれないが、数千数万積み重なれば、相当な時間だ。それだけ早く、私に意識を向けられる。それだけ早く、私を破壊させられる。
「アハッ!アハハハハッ!アハハハハハハハハッ!本ッ当に最ッ高だヨ!」
「うるせぇよ!」
◆
『ねエ、おネーサん』
「……………」
『アッちの私ハ、もウそロソろ消えルミたイ』
「……………」
『十分壊しタもんネ。願いハ叶ッた。そリャ消えるヨ』
「……………」
『けド、私ハ違う』
「……………」
『ダッて、こウして感ジテる満足ハあっチの私ノものだモン』
「……………」
『ケど、ヤッぱり私は消エる』
「……………」
『私ガ、オねーサンを取リ込んダみタイに』
「……………」
『今度ハ、私が取り込マレる番』
「……………」
『ナんて言ウんだロ?絵ノ具みたイな?』
「……………」
『紫ニほんノちょットだケ紅が混じッても、大シて変ワらナイでしョ?』
「……………」
『私のホうガ圧倒的ニ小さいカラ、混じッてモ大しテ変わラナいよ』
「……………」
『そンナ感じ、かナァ』
「……………」
『…イや、チョっと違ウかな?』
「……………」
『私は、おネーさンと一緒ニなるンダ』
「……………」
『混じッテ、溶け込ンデ、一緒にナル』
「…………ま」
『ダカら、寂しクなイヨ?』
「……待って」
『あレ?おネーさん?』
「…この体は、貴女の物だ。ドッペルゲンガー」
『違ウよ。誰ノものデもナイ。私ハ、最後に消えルの。ソレが定め』
「…貴女はドッペルゲンガーなのでしょう」
『ソレなのニ、私ハ消えなイの。ずット、ズゥーッと、オネーさんト一緒』
「ですが、わたしは…」
『アのサ、おねーサン。私ノこと最後マで消そウトしなカッたよネ』
「わたしは…わたしは…ッ!」
『止メるこトダけ考えテ、私ヲ消そウとハしなカッた』
「わたしは違う…ッ!」
『…最後まデ、嫌いニなラナかッた』
「…!」
『おネーサんが私ノ気持ちを分カったヨウに、私モ少しは伝ワッてキタんだヨ?』
「そう、だったんですか…」
『凄ク嬉しかッタ』
「……………」
『あリがト、サヨなら』
「待って…!わたしは…ッ!」
『またネ、私のお姉さん』
◆
迫り来る右の貫手。それを左手で受けようとしたその時、私の目の前を何かが横切った。
「な…?」
次の瞬間、破壊魔の右腕が爆ぜた。飛び散る血液と肉片。その一部が眼に入り、視界が赤く滲む。
曖昧で、飛び飛びな記憶の中で初めて見せる行動。この目潰しの後に破壊が行われるだろう、と予測めいたことが考え、これから襲い来るだろう激痛と『死』を覚悟する。
…。
……。
………。
…………ん?
おかしい。何故だ?何も、来ない。
「…あ」
余りにも小さく、あまりにも儚い、呟きとも取れる声。幻聴かと思った。久しく、聞いていない声。そして、待ち望んでいた声。
「ああ」
だが、それは幻聴ではなかった。眼に入った血を何とか洗い流そうとする。既に血塗れであることも忘れ、服の袖を擦りつける。
そして、ようやく晴れた視界には、私がいた。
「…も、妹紅…さん?」
「…よぉ、幻香」
右腕が喪失した肩を左手で握り締めている幻香がいた。しかし、何故かその眼には涙が浮かびだし、次々と零れ落ちていく。
「…私、は…ッ」
「お、おい、どうした?」
「私は、辛いです…」
「な、何言ってんだ。多分、もう破壊魔は――」
「そう、ですね。彼女は、もういない…」
フラリ、と幻香が力なく倒れそうになったのを、未だに痛む体を鞭打って支えた。そのまま顔を服が血塗れなのも気にせずに埋め、嗚咽混じりの言葉を零した。
「私は…っ、貴女、をっ、たくさん、傷つけた…っ」
「…気にすんな。あれは、私が勝手にやったことで」
「それなのにッ!わたしは…、何も、感じない…。感じて…ない…」
真っ赤に充血した眼で、私を力強く睨んだ。その眼からは涙が溢れ、その表情は悲痛の色に染め上げられていた。
「安心も不安も歓喜も激怒も悲哀も楽観も感謝も感動も驚愕も興奮も好奇も焦燥も困惑も幸福も緊張も責任も尊敬も憧憬も欲望も恐怖も快感も後悔も満足も不満も無念も嫌悪も羞恥も軽蔑も嫉妬も罪悪も殺意も優越も劣等も怨恨も苦痛も諦念も絶望も憎悪も何もかもッ!私は、感じてない…。空虚なんですよ…、空っぽなんです…。それが、辛い…ッ!」
そう言うと、幻香は左手を強く握り締めた。血が滲むほど、強く。
「わたしって、何なんでしょうね…?」
「鏡宮幻香、だろ」
「…そう、ですよね。鏡宮、幻香…ですね」
そう言う幻香は、少しでも動かしたら粉々に壊れてしまいそうなガラス細工のように儚く見えた。