その狂気に満ちた笑みを見た瞬間、背骨が氷に貫かれたような戦慄が走った。
「…さっさと閉めろォ!」
自らを奮い立たせるためにもわざとらしいほど声を張り上げ、部屋の扉を閉めるよう叫ぶ。ガタガタと音を立てて扉が閉まった。閉められた瞬間、外から僅かに聞こえていた葉の擦れる音などの環境音が一切聞こえなくなった。これで、私とコイツは閉じ込められたわけだ。
床に縫い付けられた脇差なんか最初からないかのように、幻香だった者――フランドールと区別するために『破壊魔』と呼ばせてもらおう――は何の躊躇もなく右腕と左脚を床に切り捨てた。そのまま不自然なほど緩やかにフワリと浮き上がり、足元に転がっていた、多分本物であろう脇差の刀身に左踵を落とし、パキリと容易く踏み折った。…既に左脚が治っている。右腕もだ。
「…マズはさァ」
一瞬、フランドールが言ったのかと勘違いしてしまうほど全く同じ声。だが、あまりにも調子の狂った声。何をしてくる…?
「…は?」
突然、カクリと腰を曲げてみせた。相手の真意がよく分からない。
「ありガとネ」
「…何のことだ?」
「オねーサンをワざわザ押し退ケテくれテ」
「ああ…」
…どうやら、お辞儀のつもりだったようだ。そして、体制を戻すと私に右手を突き出した。
「ソしテさよナラ」
「ッ!?」
キュッ、と右手を握り締めた。その瞬間視界が真っ赤に染まり、そして黒一色に塗り潰される。一瞬の激痛を最後にあらゆる感覚が消失し、永遠とも思える浮遊感を感じる。
…何時振りだろうか。こうやって『死』を味わうのは。
最近の輝夜との殺し合いも、特に示し合わせたわけでもないのに、どちらかが死ぬまで続けるようなことがなくなった。命を賭けた、とか言ったが実際はギリギリのところで留まっている。…もしかすると、私がアイツを殺すつもりがないなんてことが意外と伝わっているからだったり、…ないな。気持ち悪い。
そんなくだらないことを考えていると、喪失感が終わりを迎え、感覚が一気に復活していく。
「トりアエず、さッキの三人ヲ壊ソっかナァ…」
視界に飛び込んだ光景は、あまり信じたくないものだった。
壁に大穴が空き、僅かな月明かりが注がれていた。闇に慣れた目には、竹林と破壊魔の背中が見えた。物騒な呟きが耳を通った。
それをさせるわけにはいかない。好き勝手させるつもりは全くない。微塵もない。これっぽっちもない。その小さな肩を掴み、無理矢理こちらを向かせる。
「…おい、待てよ」
「アレ?さッき壊しタと思ッ――ガッ!?」
掴んでいた手を振り、正面を向かせ、そのがら空きの腹に右爪先を突き刺す。非常に軽い体はそのまま吹き飛び、二、三回地面を跳ねた。
このままこの部屋でずっと破壊され続けようと考えていたが、考えが甘かった。想定外だ。まさか、破壊耐性とか言ってた魔法陣の掛けられた壁をブチ抜くとは…。
「仕っ方ねぇなぁッ!」
それなら、この場にい続けるのは危険だ。萃香とフランドール、そして何より慧音を巻き込んでしまう。どこかに移動する必要がある。誰も近付こうとしない、都合のいい場所は…。しかし、そんなすぐには思い付かない。
「…けホッ」
軽く咳き込みながらもヨロヨロと起き上がった破壊魔は、実に不思議そうな顔で私を真っ直ぐと見つめた。
「確カに『目』ヲ潰シた。けド治ッた。オッかしイなぁ…」
「その時不思議な力が働いたんじゃねぇの?」
「ソっか。そレジゃア、今度コそさヨナら」
一瞬の激痛と共に、再び『死』が訪れる。しかし、それもすぐに終わる。元に戻ったとき目に入ったのは、三日月の如く頬をつり上げた破壊魔の、実に嬉しそうな表情だった。
「…アハァ」
「悪いな。簡単に壊されるつもりはない」
「イイモノ、見ィつけタァ!アハッ!アハハッ!」
「あっそ」
一瞬で距離を詰め、異常なまでに甲高い声で笑う破壊魔の顔面を殴り飛ばす。小さな放物線を描いて飛んでいこうとするが、それに合わせて跳び上がり、追撃の膝を叩き込んでさらに遠くへ飛ばす。いい場所が思い付くまで、軽く時間を稼ぎながら私に意識を集中させよう。破壊を他へ向けさせないように。
そんな私の攻撃が気にならないのかすぐに起き上がると、その場でさらに笑い出す。
「アハハハッ!アハハハハッ!最ッ高だヨ!貴女!」
「そう言うお前は最低だよ」
「イクら壊シてモすぐ戻ル!おネーさンノ複製みたイニ!」
「…あれはあれでおかしいんだよ」
幻香は簡単にやっているが、あれは明らかに異常な能力だ。妖力なんて無形から形あるものを創り出す。それは、光から鉄を生成するようなものだ。種を蒔かずに木を生やすようなものだ。それが異常でなくて、何だと言う?
そして、あれで留まるとは思えない、成長過程だと思われる点。何か制限がかかっているような違和感。あれは、何処まで行く?どの領域まで進んでいく?
「マ、いつカ壊レちゃウンだろウけドね」
これで三度目の『死』。これまで何度も味わってきたつもりだったが、やっぱり慣れない。…いや、慣れてはいけないのだろう。これに慣れてしまったら、私は人間として最も大事なところを失ってしまう気がする。
「いツ壊れルかナ?」
「さぁな。私も知らないね」
復活したらすぐに距離を詰め、前方三回転加速を乗せた踵落としを叩き込む。ただし、頭ではなくわざと右肩に。先程までの三回の『死』は右手を握った瞬間に私の体が破壊されて起こった。ならば、右手を使用不能にすれば、破壊を一時的に封じることが出来るかもしれない。場所が思い付けば、わざわざこんなことをしないでいいのだが…。そう簡単には思い付かない。
「甘いヨ」
そんな私の小細工を嘲笑うかのように左手を見せびらかし、わざとらしくゆっくりと握る。そして四度目の『死』。
こう立て続けに『死』を繰り返すのは本当に久し振りだ。あまり覚えてないが、数百年振りかもしれない。しかし、これじゃ足りない。破壊衝動が潰えるには、明らかに足りない。だが、ここでやらせるのはあまりにも不用心だ。
「右腕ジンジンするゥ…。何か動かないし」
「の、割には余裕そうだな」
「そリャあネ。コんな痛ミ気にスルくらイナらもット壊さなイト」
「なんだそ――おまッ!何してんだッ!?」
左手を握り潰し、自分自身の右腕を吹き飛ばした。次に瞬間、新たな右腕が生え始める。…いくら何でも、そんなことするか普通?
「使エないノは壊ス。当たリ前でショ?」
「…予想以上だ。コイツ」
かなりヤバい。ゾッとする。想像を絶する狂気だ。こんなのに付き合い続けたのか、幻香は。あの真っ暗な部屋に籠って、どんな気持ちだったのだろう?一体どれほどの破壊衝動が眠っているのだろう?私は一体何回死ぬのだろう?考えたくないが、そんなことが頭を過ぎる。
…ん、真っ暗?そうだ。迷いの竹林のかなり奥にある、昼も夜の変わらないほど暗く、闇に支配された空き地。あそこならまず人は来ないだろう。
今はまだ夜だが、きっと何回も日を跨ぐだろう。つまり、昼が来るということ。本当にフランドールになったのだとすれば、吸血鬼は日光に弱い。いくら迷いの竹林だとしても、日光が射す場所は相当強く射す。いくら今が破壊魔だとしても、元が幻香だ。日光と共に塵と化すなんて冗談じゃない。
「そんじゃあ、そこまで連れてかねぇとな!」
そうと決まれば、即実行。日が昇るにはまだ早いが、この場はすぐに離れた方がいい。幸い、あの空き地は私の家からも永遠亭からもかなり遠い。まさに絶好の場所と言えるだろう。
「オラァ!」
「ガフッ!?」
懐に跳び込みながら腰と右腕を限界まで捻じり、一気に開放する。そのまま打ち抜くと、さっきより大きな放物線を描いて飛んでいく。竹の生えていない方へ飛ばすつもりだったが、上手くいったようだ。掴んで連れて行っても、どうせ破壊されてしまうのが落ち。なら、壊される前に殴り飛ばすか蹴飛ばしたほうが早いし楽だ。
「もう一発!」
「あガッ!?」
一気に走り出し、着地点を予測。破壊魔よりも早くそこへ到達し、その空いた脇腹を蹴り抜く。ここから竹林の生えていない場所だけを通って空き地に行くのは厳しい。どうしても鬱蒼と生える竹林の間を通り抜ける必要がある。
なら、何度でも飛ばせばいい。どうせ、多少のことでは死なないことは最初の一撃で分かっている。それに、吸血鬼とは違うが、似たような耐久力を持った妖怪なら大昔に討伐したことがある。こういう妖怪は、弱点を突かなければまず死なない。
「これで最後だッ!」
何十回と飛ばし、その間に数回の『死』を迎えながら空き地へと到着した。月明かりさえ、星一つの光さえも届かない。だが、鬱蒼と生える竹林の中にある数本の光る竹が光源となって、僅かにこの空き地を照らしている。
「…いッタいなァ」
「悪いな。ここなら、思う存分やれる」
「決メた。私、貴女ヲ絶対に壊ス」
「やってみろ」
どうやら、破壊魔の意識も私に集中させることも出来たようだ。
「そレニ、いクらでモ遊べルなンテ最ッ高だしネ?」
そう言うと、早速右手を握り締めた。さて、私は何度破壊されるだろう?何度死ぬだろう?何度蘇るだろう?知ったことか。何度でも破壊されるし、何度でも死ぬし、何度でも蘇る。私は、最初からそうするつもりなのだから。