紫は怪訝そうな顔で、首を傾げた。わざわざ顎に人差し指を当てているのが、何だかムカつく。
「…訊きたいこと?そんなことされるつもりはないのだけれど…」
「知るかよ、お前の予定なんて。紫、お前は私が訊いたことに正直に答えてくれりゃそれでいいんだ」
「あらあら…。ねえ、カルシウムちゃんと摂ってる?卵の殻なんかいいらしいわよ?」
「カル何とかなんかどうでもいいんだよ。話を逸らすな」
そんなつまらないって感じの顔をされると、なおのこと腹が立ってくる。今すぐにでも殴り飛ばしたい。が、そんなことして何処かに行かれたら意味がない。抑えろ、抑えろ…。
睨み続けること数秒。紫の口が動いた。まず出たのは、止まっていた空気を無理矢理動かすような溜め息だった。
「…しょうがないわねぇ」
そして、私に向かって右手の人差し指、中指、薬指を突き出した。何だ、これ?
「…三つ、よ」
「あぁ?三つ?」
「貴女とは、それなりにいい仲だと思ってるわ」
確かに、かなり古い仲だ。空白がゴッソリと空いているが、その前からある程度友好的な関係はあったと思う。
「だから、三つまで答えてあげる。さあ、何でも好きな事を訊きなさい」
まさか、回数に制限を加えてくるとはな…。面倒なことになった。私が正直に答えろなんて言ったから、三つまでなんて制限を課したのだろう。だから、この三つの質問では嘘を返さない。紫はそういう奴だ。
「真っ先に訊かなけきゃならないことは、既に決まってる」
「へえ、そうなの?何かしら?」
「…幻香のことだ」
「あの子の?」
意外な答えだったのか、僅かに瞼が持ち上がった。が、すぐに元に戻り、何事も無かったかのような顔に戻ってしまった。
瓢箪の酒を一口呑み、嫌に渇いた喉を無理矢理潤す。肺に溜まっていた空気を一気に吐き出してから言った。
「私が幻香の意識を萃めようとした時のことだ」
「あら、そんなことしたの?」
「ちょっとでいいから黙ってろ。…萃めようとしたらな、お前の結界が幻香の意識にあったんだよ」
その結界の中にあった『ドス黒い意識』。あれを思い出しただけで、今でも嫌な汗が噴き出そうだ。
「…あれは、何を封じ込めている?」
「…あぁ、妙な干渉があったと思ったけれど、あれは貴女だったのね」
「そんなこと訊いてんじゃねぇ。答えろよ」
「はいはい」
そう言いながら、右手の薬指を曲げた。
「あれは、能力の結果よ」
「はぁ?」
「ちゃんと聞いてた?能力の結果、よ」
幻香の能力の、結果?待て、おかしいだろ。幻香の能力は『ものを複製する程度の能力』。石ころは掴める。妖力弾は目に見える。だが、意識に実体はない。そんなものをその能力の対象に出来るのか?…いくら考えても全く分からない。
紫に訊けば答えるだろうが、たった三回…いや、もう残り二回か。その二回に入れてもいいようなことなのか、と考えてしまう。
「ぐっ…、どうするか…」
「そんな難しく考えなくてもいいのに」
…確かにそうだ。このまま時間が無為に過ぎていくのもよくない。ただでさえ時間をかけ過ぎてしまったのだ。
「…次だ。幻香の能力について」
「本気で訊いてるの?貴女、もう知ってるんでしょう?」
「…いやっ!待て!やっぱナシだ、ナシ!」
落ち着け。時間がないからって、訊くべきことを間違えるな。瓢箪の酒を一気に呑み込む。…よし、少し落ち着いた。
「そう?なら、それでもいいけど」
「そうだな…。お前が封じ込めてる意識、私達はとりあえず『ドス黒い意識』って呼称してるんだがな」
「へえ、確かにあれは黒そうね」
「お前の腹の中には敵わないだろうさ」
「失礼ね」
コイツの腹の中は相当黒いが、それでも幻香の中にあった『ドス黒い意識』には負けるだろう。だが、そうであってほしいという願いが、自然と口から出てきた。
眼を合わせて、睨み合う。数秒と経たずにプイ、とすぐに視線を逸らされてしまった。
「で?それがどうしたの?」
「…それは、最初からあったのか?」
「最初?産まれたときからってことかしら?」
…そう言われれば、最初っていつだ?紫の言う通り、産まれたとき?私と出会ったとき?フランドールに付いて行って、月の異変の原因探索へ行ったとき?いや、そういう感じではないだろう。
「…言い換える。それは、いつからあったんだ?」
「あら、そんなつまらないことでもいいの?」
「いいんだよ」
「そう」
そう言いながら、右手の中指を曲げた。
「それは大体二週間前よ。里では永夜異変って呼ばれてるかしら?その終わり際に」
「…つまり、後付けか。なら、取り除く方法だってあるはずだ」
入れることが出来るなら、外すことだって出来るはずだ。不可逆性があるとは思えない。
「そう思うなら、そうなんでしょうね」
「含むような言い方じゃねぇか」
「訊かれてないもの。けど、まあこれくらいならいいかしら?それは無理よ」
「…あっそう」
悔しいが、明確に否定されてしまった。まあ、紫は『ドス黒い意識』を結界を張って封じている。封じているってことはつまり、紫にとっても不都合なものなのだろう。だが、封じるに留めているってことは、取り除きたくても取り除けないってことの証明か。酒を呑みながら、そんなことを考えた。
じゃあ、どうすればいい?あの紫にとっても不都合だと思われる『ドス黒い意識』。それは、放っておいても大丈夫なのか?…いや、大丈夫なわけがない。何か、あるはずだ。何か、致命的なことが。
「最後だ。あれは、『ドス黒い意識』は、放っておいたらどうなる?」
「…恐ろしい事を訊くわねぇ、貴女」
そう言った紫の眼が激しく揺らぐ。…動揺した?コイツが?それほどまでにヤバいのか?
「…そうねぇ。出来れば、訊かれたくなかったわぁ…」
「ハァ?いいから答えろよ」
心臓の鼓動が喧しいほど速くなる。それを誤魔化すためにも、強めな口調で言った。
「…仕方ないわねぇ」
そう言いながら、嫌そうに右手の人差し指を曲げた。そして、苦虫を噛み潰したような顔をしながら言った。
「…最悪、鏡宮幻香は消えるわ」
「きっ、消え…!?」
冗談にしては笑えないし、冗談とは思えない。頭が追い付かない。幻香が、消える…?『ドス黒い意識』の所為で?自分の能力の結果によって?
「…追加で、幻想郷が半壊するくらいの被害が出るわね」
「はっ…、半壊、だと…!?」
いくら何でもヤバ過ぎだろ!?半壊と言われても、どんな感じかという絵が思い浮かばない。それほどに現実味のない言葉。だが、嘘ではないことは分かっている。嘘ではないことが分かってしまっている。どうする?どうすればいい!?
頭の中を暴れまわる情報が落ち着く前に、紫がパンッと手を叩いた。
「…ハイお終い。三つ、ちゃんと答えたからね」
「あ…、ああ。…そうだな」
そんな生返事をしてしまった私を、憐れむような眼で見た紫は、その隣にスキマを開いた。
「…最後に、少しだけ独り言を言うわ」
「何だよ、それ…」
「私は、あの子は失いたくないのよ」
そう言うと、スキマは閉じられ、私しかいなくなった。
「…私だって、失いたくないさ…」
一人、呟く。そんなことで、そんな程度のことで、消えて欲しくない。それに、幻想郷の半壊も甚大だ。
「…行くか」
止まっていても、仕方がない。考えるのは、歩きながらでも出来る。今は、この得た情報を妹紅と共有することにしよう。フランドールにも、出来れば伝えられたらいいとは思う。一週間も経ってしまったことを詫びながら、伝えることにしよう。