東方幻影人   作:藍薔薇

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第111話

部屋の一角に山積みされている蛇肉を掴み取り、ボチャボチャと鍋に放り込む。昨日拾った茸も一緒に。塩と胡椒を少し振りかけ、火打石で着火。

 

「…減らないなぁ」

 

腸詰は何とか食べ切ったので、最初に比べれば一回り小さくなったような気がする。半月で食べ切れそうだとか思った覚えがあるが、撤回しよう。わたし一人じゃその倍、一ヶ月はかかりそう。

鍋が煮えるまでの間に、本棚から『医術教本』を引き抜いて読む。この本はこれまでに何回も読んでいるのだが、これはその道に進んだ人にしか分からなさそうな専門用語をわざわざ使ってわざわざ難しく説明している。けれど、わたしに必要なのは人体構造についてだ。筋肉の薄い部位、骨がほとんど皮一枚でしか守られていない部位、太い血管が流れている場所、といった人間の急所が分かればいい。

 

「縦に真っ直ぐあるんだよなー。うん、覚えやすい」

 

願わくは、こんな知識使わないで済めばいいのだが。まあ、使うとしても使わないとしても覚えていて損はない。

忘れているところがないかと思いながら読んでいたら、鍋からプクプクと音が鳴り始めた。焚火から鍋を退け、スープモドキを器に移す。軽く冷ましてから口にし、それなりの味かな、と思いながら蛇肉を噛み切る。…せめて蛇肉をぶつ切りにするくらいはしたほうがよかったかもしれない。

 

「何しようかなー…、うーむ」

 

半分ほど残ったスープモドキに蓋をしながら、これからすることを考える。今日は何となく誰かが来るような気がする。だから、ここの近くで出来ることがいいんだけど…。

 

「…体術の練習かな」

 

素振りでも構わないだろう。相手がいないから少しやり辛いけれど。素振りって、当てるより力使うんだよね。だからってその辺に生えている樹に向かってやるのはよくないと思う。わたしはそんなことを無傷で出来るような熟練者ではないのだから。

そうと決まったのだから、早速始めたいところだけど、食べてすぐ動くのは少しね…。ちょっと本でも読んで休んでからにしよう。

 

 

 

 

 

 

わたしより頭一つ高い相手を想定し、軽く飛び上がりながら回し蹴りを放つ。そのまま着地した右脚を軸足にし、勢いをそのままに左かかとでもう一撃。上手く繰り返せば何度でも蹴りを加えることが出来そうだが、目が回りそうだし、そこまでやるつもりもないので、今回は二回で抑える。一息吐き、姿勢を正す。

先程と同じような相手を想定し、僅かに体を沈ませる。左脚に力を込め、硬く握った右拳を打ち上げる。上手く顎に決まれば頭が思い切り揺れ、立つのも覚束なくなるらしい。時には掠っただけでもふらつくというのだから恐ろしい。一息吐き、姿勢を正す。

前方に相手がいると想定し、左足を前に出し、腰を捻って右腕を引き絞る。限界まで捻った体を戻す反動と共に一歩踏み出しながら掌底を打ち出す。打ち出すまでが少し遅いが、打ち出せば相当な速さになる。長めの枝の先端を手の平に乗せて撃ち込むのもいいかもしれない。撃ち出す前、手の平に棒が乗っているときに当たってしまったら、手の平から肩まで痛い目に遭いそうだけど。一息吐き、姿勢を正す。

少し離れた場所に相手がいると想定し、勢いよく走り出す。ある程度の速度が出たら、片足で前方へ跳びながらの前方一回転踵落とし。そこまで力を込めたつもりはなかったが、地面に僅かに削れる。やはり、重力は強大な力だと思う。前や横からの攻撃と比べると、上下からの攻撃は相当防御し辛いしね。一息吐き、姿勢を正す。

自分と同じ程度の背丈の相手を想定し、半歩程度後ろへ跳ぶ。左手の親指を除いた四本を揃え、軽く腰と腕を捻る。左足を後ろに着地し、右足を前に踏み込むと同時に貫手を突き出す。狙いは喉。男性相手ならば喉仏と呼ばれる器官が僅かに盛り上がっているから分かりやすい。当てれば呼吸困難、潰したら窒息という急所。殺すつもりはないのだが、相手がいないので思い切り貫くつもりで。一息吐き、姿勢を正す。

突撃してくる相手を想定し、右足で思い切り左へ跳ぶ。左足で着地して、すぐさまさっきまでいた場所に戻りながらの肘打ち。急に視界の外側へ行くと、対象を見失いがちになる。その一瞬で意識を刈り取れれば上出来なのだが…。速度や相手の耐久力によるだろうけれど、上手くこめかみに当てることが出来たら気絶させることも出来るかもしれない。一息吐き、姿勢を正す。

後ろに相手がいると想定し、右脚を軸に回転する。相手の攻撃を避けた、というつもりで旋回裏拳を叩き込む。これもこめかみを狙えればいいのだけど、裏拳は普通に殴るよりも狙い辛く、手を傷付けやすい。それでもこれをやる理由は単純で、それだけの代償を支払うに値する威力を出せる、ということだ。一息吐き、姿勢を正す。

頭二つほど高く恰幅のいい相手を想定し、特に考えずに右拳を突き出す。いわゆる正拳突き。軽く捻りを加えることも忘れない。そして右拳を戻す代わりに左拳を突き出し、左拳を戻す代わりに右拳を突き出す。左右を絶え間なく突き出し続けること数十回。最後の右拳を一歩踏み出しながら思い切り突き出す。単純な乱打。それ故に、生半可な防御を崩せる。的が大きい方がやりやすいけれど、体が大きいということは耐久力があるということ。反撃を喰らわないかが問題だ。一息吐き、姿勢を正す。

が、体が重い。額に汗が滲み、肩で息をする程度には疲れてきた。

 

「あー、動き続けるのはきついなぁ…」

 

技を細かく分けて数十回と続けていたのだが、前より疲れやすくなっている気がする。今更ながら、持久力が多少落ちていることを実感した。そう思いながら、軽く歩いて荒くなってしまった息を整える。二歩で吸い、二歩で吐く。それの繰り返し。

少し落ち着いたところで、樹を背に座り込む。目を瞑り、一度息を全て吐き切ってから一気に吸い込む。三回ほど繰り返してみる。…うん、落ち着いた。

 

「やっぱ相手がいた方がやりやすいなぁ…」

 

分かっていたことだけど、頭の中で思い描いた相手と実際にいる相手では雲泥の差がある。まず、実際に当てられるか否かというのが違う。実際の戦闘では当てるものなのだから、その対象がいないと、その違いに戸惑う。次に、受け身の練習がし辛い。腕を掴んで何かする、という行動も相手なしでやるのはちょっと難しい。

複製すれば済む話なのだが、基本的に近くに誰かいないと出来ない。空間把握すれば形だけはどうにかなるのだが、こんなことの為にしたくない。近くに誰もいないかもしれないし。しかし、創造でやると酷いものになってしまう。

 

「あと少し休もう。そうしたらもう一度――ッ!」

 

微かな足音がこちらに近付いてくる。音からして、一人が二足で歩いている。猪のような獣ではないようだ。こちらに気付いているかどうかは知らないが、音の聞こえてきた方向から見られないように、背を預けていた樹の陰に息を潜めて隠れる。迎撃用に、指先に強力な妖力弾を一発放てるように充填しておく。

隠れること十数秒。かなり近づいてきたが、わたしのところへ真っ直ぐ進んでいるわけではないようだ。僅かに逸れている。逸れた方向には、わたしの家があるのだが…。まずいことになったかもしれない。願わくは、わたしの家に気付きませんように…。

そんなわたしの願いは空しく消えた。その足跡の主は、わたしの家のあるところであろう場所で止まり、扉を叩く音が聞こえてきた。

 

「…いないのか?」

 

…何だ、慧音か。よかった。緊張していた体から一気に力が抜けた。樹の陰から出て、わたしの家へと向かう。

 

「いますよ」

「そっちにいたのか。すまないが、手伝ってくれないか?」

「あー、今日はその日でしたか」

 

誰かが来るような、とは思っていたけれど。日付の感覚が曖昧になるのがわたしの悪いところかもしれない。…まあ、普段から日付を気にするようなこと全然ないですからね。

 

「忘れてたのか?まあいい。昼食もここで摂ろうと思って食材を少し持ってきたんだが、問題ないか?」

「…余ったスープモドキがあるんですが、それもついでにしてくれると嬉しいです」

「妙なものじゃなければな」

「失礼な」

 

食べられないものは全く使ってないんだよ、一応。

 


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