この世界は『幻想郷』というそうだ。十年ほど前に誕生したわたし、
わたしはドッペルゲンガーという妖怪だ。スキマ妖怪がわたしの姿を見て――少し驚いた表情をしていた――そう言っていたからそうなのだろう。
わたしがいるところは『魔法の森』と呼ばれるところらしい。数年前に通った『人間の里』にいた妖怪がそう言っていたのを覚えている。昔創った木材を使って、家のようなものを建て、茸や木の実を採集し、川を優々と泳ぐ魚や暴走した猪、ぐっすりと眠っている蛇などを捕獲、その後ちゃんと調理して食べ、のんびりと暮らしている。
◆
窓から白い光がわたしの顔に差し込んでくる。眩しい…。
ゆっくりと体を持ち上げ、軽く伸びをする。布団から出て、干しておいた猪の肉と乾燥茸、昨日採っておいた木の実をお湯に入れて食べる。塩を入れようと思ったけれど、既に底を突いてしまっていたことを思い出す。今度貰いに行こうかなあ。
洋服入れを開けると、かなりぼろくなってきた服が4着ほどある。その中で、半年くらい前に創った服に着替える。これは人間の里で先生をしている彼女と同じ服だ。これもそろそろ創り変えたほうがいいかも…。
家を出て、近くにある泉で顔を洗い、眠気を飛ばす。わたしの顔が泉の水面に映る。病的なまでに白い肌、腰のあたりまで伸びた絹のように白い透き通った髪の毛、薄いアメジスト色の瞳。もっと食べないとこんな不健康な顔を見せてしまうことになるだろう。しかし、この顔を見たことがある人はわたし以外には多分いない。わたしはそういう妖怪なのだ。
顔を洗い終えると、遠くのほうで爆発音が響いてくる。きっと、弾幕ごっこをしている妖怪か妖精がいるのだろう。
数年前に『吸血鬼異変』が終結した。その結果『命名決闘法案』――通称『スペルカードルール』――というものが、博麗霊夢の名と共に発布された。なんでも『妖怪同士の決闘は小さな幻想郷の崩壊の恐れがある。だが、決闘の無い生活は妖怪の力を失ってしまう』という理由があるとのこと。これはお互いに得意技を見せ合い、その美しさで競う決闘ルールだそうで、いわゆる蹴鞠などのスポーツのようなものだそうだ。
この決闘で重要なものはスペルカード。これは自分の得意技に名前を付けたもので、決闘前に枚数を提示しなければならない。また、使用するときには宣言してから使用する。基本的には、華麗で美しいものや派手で豪快なものが好まれているらしい。
しかし、わたしは一度も決闘なんかしたことがない。このルールが発布される前を含めてもだ。
理由ならすぐに答えられる。『人間妖精妖怪とほとんど話さない』からだ。今まで話した人数は、下手したら両手で足りるかもしれない。最後に話したのはこの魔法の森を教えてくれた優しい獣人だろう。
なので、わたしは妖力をどのぐらいの力で撃てばいいのか分からない。弱すぎたら意味がないし、強すぎたら大怪我、最悪の場合死んでしまうだろう。これからのことを考えると、妖力の力加減を教えてくれる優しい人を探す必要があるかも。
決闘をしないのだから、スペルカードも持っていない。これもいつか考えなくちゃいけないかなあ…。
思い立ったが吉日、という言葉がある。これからあの優しい獣人に会いに行こう。力加減とかスペルカード、スペルカードルールについて詳しく教えてもらおう。ついでに、そろそろ底を突きそうな日用品や調味料を貰えたら嬉しいなあ…。
◆
「こんにちはー」
「ん?ああ、幻香か。こんにちは」
というわけで、会いに来ました。挨拶をしないと彼女にお説教を食らうので、ちゃんとあいさつをする。
彼女の名前は上白沢慧音。人間の里で寺子屋の先生をしている獣人さん。話している内容がたまによく分からなくなることを除けば、とてもいい人だとわたしは思っている。だから、彼女には出来るだけ敬語で話すことにしている。今までいろいろお世話になったしね。
挨拶もそこそこに、軽く部屋を見渡す。あ、あの箪笥いいなあ、あとで貰うことにしよう。
「で、いきなり何の用だ?」
「あー。えーっとですね、スペルカードルールについて少し」
「ふむ、じゃあ説明しよう。スペルカードルールとは――」
◆
「――というものだ。分かったか?」
「はい、大体は」
知っている内容のほうが多かったが、とても分かりやすい説明だったよ。最後のほうを除けばね。これで目的の一つは達成した。
あとは妖力の力加減とスペルカード、日用品補充だけど、どれを先にやろうか…。
少し考えて、日用品補充を後に回す。時間のかかりそうなものは早めに片づけたほうがいい。
「あと、妖力の力加減を教えてくれると嬉しいです」
「どういうことだ?」
「弱すぎると意味ないし、強すぎたら怪我させちゃうじゃないですか」
「よし分かった。ちょっと外に行こうか」
そう言って慧音は勢いよく立ち上がり、外へ出ていった。慌てて追いかけると『臨時休業』と書かれた立札を入り口に立てていた。何処からそんな立札が出てきたのだろうか…。
そのまま人間の里を出ていくので、とりあえず付いて行く。一体何処に行くのだろう…。
◆
到着したところは、見渡す限り竹でいっぱいだった。周りには人の気配はほとんどない。ここならちょっとくらい強くてもあまり問題なくて済みそうね。
「さて、妖力の力加減だったな。とりあえずあの竹にでも撃ってみてくれ」
慧音がビシィッと指を一本の竹に向ける。あの竹に撃て、ということだろう。とりあえず、猪狩りのときと同じぐらいの威力でいいかな。
右手を軽く握ってから、人差し指を出す。そして、体を循環する妖力をその指先に集める。すると、薄紫色の発光する小さな丸い弾が浮かび上がった。そのまま指先を竹に向け、弾を指先から切り離す。
すると、弾は勢いよく進み、竹に被弾した。竹がメキメキと音を立てながら倒れる。ちょっと強かったかも?
おそるおそる慧音のほうを向き「ど、どうかな?」と聞いてみる。すると慧音は、少し考えてから口を開いた。
「ふむ、普通に妖怪とやるにはもう少し弱いほうがいいが、この強さでいいだろう。だが、一部の人間を除いて、この強さだと怪我してしまうな。さっきの半分より少し弱いくらいがちょうどいい」
「分かりました。やってみます」
何度か挑戦し、力加減は大体分かった。まあ、最悪怪我をさせてしまっても問題ないのだけれどね。ルールにも『不慮の事故は覚悟しておく』みたいなことが書かれているみたいだし。
その後すぐに弾の大量展開、通称『弾幕』を練習した。威力はそのままに大きさや形を変え、真っ直ぐ飛ぶ弾や標的を追う追尾弾、爆発して小さな弾に分裂する炸裂弾などを学んだ。また、展開しておくことで勝手に弾を発射し続けるという、とても便利な妖力の使い方も教えてもらった。これは弾幕を張る際に使われるものだと言っていた。
「うん、呑み込みが早くて結構。さて、次はスペルカードだが、何かアイデアはあるか?」
「…全く考えてません」
「そ、そうか。スペルカードは大抵自分の能力や得意技を使う。今度会う時までに考えておくといい」
「はい、分かりました。今日はわざわざ付き合っていただきありがとうございました」
慧音のほうを向き、ペコリとお辞儀をする。少しおかしい敬語になってしまったかもしれないが気にしない。
さて、あとは日用品と調味料の補充をしなくては。
「あ、そうだ」
「ん?何か思いついたか」
「いえ、そうではないですが、調味料が少々欲しいです」
「あー、いいぞ」
「あと、家の箪笥を貰ってもいいですか?」
「いちいち言わなくてもいいだろうに…。良いぞ、貰ってけ」
◆
慧音の家に戻ると、既に太陽が沈みきっていた。家に入れてもらい、慧音に貰ってもいい調味料の量を聞く。塩と砂糖は一袋、胡椒は小瓶二本、醤油は半分ほど使った残り物を貰った。ありがたい。貰った調味料はとりあえず机の上に置いておく。
「さて、では箪笥貰いますね」
そう言いながら箪笥を隅々まで見回す。一つ一つ引出しを開けて内部も確認する。
全ての確認を終えたので、左手を添える。そして右手は開いて空いた空間のほうへ向けておく。視線は箪笥に向け、妖力を流し込む。
突然、右手から左手と同じような感触が伝わる。右手のほうを向くと、ほとんど同じ箪笥が出来ていた。出来上がった箪笥をちゃんと確認する。引出しもちゃんと動くかとか引出しはちゃんとものが入れられるかとか。…うん、問題なし。
これがわたしの能力。『ものを複製する程度の能力』だ。視界に入れたものを複製することが出来、手で触れた状態で複製したほうが精巧な複製が出来る。
「いつ見ても不思議な光景だな」
慧音も少し驚いている。彼女の服は何度か創らせてもらったから見慣れていると思っていたけれど、まだ慣れていないのかな?ついでに慧音の着ている服を左手でつかみ、3着創らせて貰う。
そうして箪笥の中に貰った調味料と新しい服を入れて魔法の森へ帰ることにする。
「それでは、ありがとうございました。さようならー」
「またな」
慧音が笑顔で手を振っていたので、わたしも笑顔を返した。