ーー少しだけ、昔の話をしよう。
島田流、日本戦車道の数ある流派の中でも西住流と双璧を成し世界中に道場を構える名家である。
その家元である島田千代の第1子として誕生したのがこの俺、島田 白兎だった。
裕福な家庭で何不自由なく幼少期を送り、時には母の乗る戦車に乗って遠出し、また時には戦車道の大会に連れていって貰ったりもした。
いつか自分も母のように戦車に乗り、有名な大会で優勝し家族を喜ばせたい。いつしかそう思っていた。
だが、いつからだろうか。家にいる時に時折妙な違和感を感じるようになったのは。母が不安そうな顔を稀に見せるようになったのは。
其れがのちに知るであろう、島田流家元としての跡取り問題による両親や親族からの不安や心配の声であった。
そもそも戦車道とは、女性が乙女の嗜みを学び自身を鍛えるとされている武道である。
そう、自分は母の跡を継いで島田流の家元にはなれないし、優勝は疎か大会に出ることさえ許されないのだ。
子供ながらにその真実に気付き、当時の俺は酷く落ち込んだ。
だが、現実は残酷であった。
跡継ぎの娘が未だ生まれないのならば、せめてこの島田の血を絶やさぬように、この息子が結婚し誕生した次の世代に託す為に、知識だけでも 技術だけでも 残さねば。
その決議が行われた次の日から、この人生は『島田流家元の後継者』とはかけ離れた、ただの『島田流を次の世代に残す為のモノ』へと変わっていった。
毎日のように叩き込まれる実戦、戦術、知識、技術。
それは幼い頃に思い描いていた光景とは似ても似つかないものであった。
当時5歳の俺は戦車道が嫌いになっていた。
しかし神様は本当に気まぐれだ。
この生活にようやく慣れてきた、もうすぐ7歳の誕生日を迎えようという時のことだ。元々子供の授かりにくい身体であった母だが、遂に娘を授かったのである。
待望の跡取りが出来たことで親族は大いに喜び祝った、「これで心配事も消える」「跡取り問題も無事解決だ」と喜々としていた。
こうして長いようであっという間の、島田 白兎の戦車道が終わりを告げた。
その後産まれた子は愛里寿(アリス)と名付けられ、いつも俺のうしろをついてくる可愛い妹に育っていった。
それから暫くは割と平和な日常が続いていった。
愛里寿が戦車道を習い始めるまではまだ時間があったし、俺は家の責務が無くなりごく普通の小学生として過ごしていた。
何より家族が、母がよく笑うようになった。跡取りの女児を産めなかった責任から解放されたからであろう。幸せな家庭がそこにはあった。
そして、昔嫌いになっていた戦車道は もうそこにはなく、俺にとってどうでもいいものに変わっていた。
ーーーーーーーーーー
愛里寿が産まれてから早6年の年月が経った。
時間が過ぎるのはあっという間で、俺は小学校を卒業して地元の中学へと入学した。また愛里寿は6歳の誕生日を迎え去年から母に島田流戦車道の初歩を教わり始めた。
そして、俺はまた再び戦車道を学び始めていた。
今度は自分の意思で。
島田愛里寿という跡取りが誕生したことで、これ以上俺が戦車道を学ぶ理由は皆無に等しい。ではなぜ、一時はあれほど嫌っていた戦車道をまた学び始めたのか?
確かに男性でも戦車道に関わることは可能だ。
試合などには出れずとも将来的には連盟の戦術指南役や指導教官になることはできる。
だが俺が再び戦車道を始めた理由はもっと単純明快なものだった。
妹の愛里寿と一緒に戦車に乗り、共に学ぶことができる。そして学び始めて間もない妹に自分が兄として、戦車道の先輩として教えてやることができる。つまりはただの妹バカで自己満足なだけだ。
今日は我が家にあるイギリスの巡航戦車カヴェナンターに乗り込み、愛里寿に操縦を教えているところだった。
「兄さまは戦車道、好き?」
「んー、どうだろう?でもお前にこうして戦車の操縦を教えてる、この時間は好きだよ。愛里寿は?」
「私も兄さまに教えてもらう、この時間がすき。ボコと同じくらいすき!」
愛里寿は包帯でぐるぐる巻きにされたクマのぬいぐるみを抱いてそう答えた。
「ふー、やっぱりカヴェナンターの車内は暑いな。よし愛里寿、今日の練習はここまでにしてアイスでも食べようか!」
「うん!食べる!」
そんな平和で幸せなやり取りを経て、島田家兄妹の戦車道は培われていったのだった。
―――それから5年後、俺は高校3年生となり重大な選択肢に迫られていた。
1つはこのまま大学へ入学し、戦車道連盟の戦術指南役を目指し勉強を進める道。
もう1つは昔からの数少ない趣味である料理を仕事に、専門学校か何処かの料理店へと進む道。
悩んだ末に俺は後者である料理人への道を選んだ。
俺が好きだったのは、愛里寿と共にある戦車道だったんだ。
その愛里寿は今や、天才少女と呼ばれ飛び級で大学選抜チームからのスカウトを受けている。
もう俺が教えることは何一つ無い。
そう考えると少し寂しさはあったが、それ以上に誇らしさがあった。
親族からはやはり惜しいものがあると多少止められはしたが、最終的には認めてもらえた。
更には叔父の知り合いの古い店を一店舗好きにしていいと借して貰えるようになった。どうやら彼らなりに子供の頃のことを悪くは思っていたようだった。
こうして若干18歳にして一国一城の主になってしまった俺は、約束の店があるアンツィオの学園艦へと向かった。
別に今生の別れというわけでは無いのだし、両親と愛里寿には軽く挨拶を済ませるだけだった。
俺が戦車道を辞めたことで、最後まで愛里寿が拗ねていたのが心残りであったが。
それから始めの1年はとにかく大変だった。小さな店ながら慣れるまでにやる事が多く、また学ぶことも多かった。
更には戦車道連盟の教官をやっている叔母の頼みで、何度か他の学園艦へと講習に向かったりもした。
そして今、俺はアンツィオ高校の臨時コーチとして彼女達を指導している。
辞めたはずの戦車道なのだが、何故か未だに辞められずにいる。
昔から年下の女性には甘い俺の性分のせいなのかもしれない。