鬼はDIOです。
昼間だと言うのに、ここの廊下は足元が全く見えないほど暗い。歩くには、ランタンを持って明かりを灯して行くしかない。
思えば、ここの廊下は窓一つなく、他の扉もない。あるのは、綺麗な装飾の成された鉄の扉と硬い錠前だった。
「……扉にかけられし戒めを、解き放て……」
すると、聞こえたのは女性の声。メイジのようで、杖を錠前に付けて呪文を唱えた。杖の先端が軽く光って、魔法は成功したのだが、何故か錠前は動かない。
「………………」
念の為に錠前を手に取って動かしてみるも、やっぱり施錠させたまま。硬く硬く、岩石のように閉ざされている。魔法を受け付けていないようだ。
「……駄目か」
女は諦めたように呟く。今度は三歩下がり、扉を広く眺めてみる。
「……これは『固定化』の魔法だとは思うが……相当強力ねぇ……これはどうか?」
杖を扉に突き付けて、先ほどのとは違う魔法を行使する。しかし、扉に変化は表れず、何処か神々しい雰囲気を放って鎮座する。効果なし、それを悟った女は苛ついたように舌打ちした後、諦めがついたのか杖を懐に戻した。
「……『錬金』でも駄目か……扉が変化しない…………流石はトリステインを代表する魔法学院とあってか、厳重だな」
ふぅっと息を吐きつつ、煩わしそうにかけていた眼鏡を外した。その目の奥に、野望の紅い炎がメラメラと静かに燃えていたのだった。
「全く……手間ばかりかかる……これじゃあ、死ぬまで開けられない」
扉をランタンで灯しつつ、顎に手を当てて考え事をする素振りをした。女は、この扉の突破方法を思案しているようだが、こんなひっそりとやるからして正当ではない思惑があるのだろう。
「……何か、手立てはないのか……ふぅんむ…………」
持っている魔法の知識とこの扉にかけられた魔法とを、頭の中で照合して作戦を練る。その最中でも、彼女の目にある野望の炎は止まらなかった。
「…………ん……!」
すると彼女は何かを察知したのから眼鏡をかけ直し、後ろを振り向いた。
「そこで何をしている!!」
男の声と、彼女の物とは別のランタンの灯り。振り返った女の視線の先には、何者かがランタンを高く掲げて立っていた。
「……どうも、ミスタ」
女は、さっきまでのドスの効いた声を和らげ、会釈を交えてコルベールに挨拶をする。
「あ! ミス・ロングビルでしたか! いやはや、失礼しました!」
男は彼女を知っているようで、一礼と謝罪と共に警戒心を緩め、ランタンを低く落とした。後ろにいた男と言うのは、先程自分の授業を済ませたコルベールだった。
そして、さっきの女と言うのは、オスマンの秘書であるロングビルであったのだ。その目から、野望の炎は消えていた。
「どうしましたか、ミス? ここに来るとは、珍しいですね」
「いえ、『宝物庫』の目録を作ろうかと来たのですが……」
困ったように首を傾げながら、手元の記録用紙を見せた。
「……私とした事が、鍵を借りるのを忘れていましたわ」
「それは大変ですな! 私が持って来ましょうか?」
「いえいえ、悪いですわミスタ!……まぁ、すぐにやるようにとは命じられていませんので、別に急ぐ必要はないのですが」
それだけ言うとロングビルは、「失礼」と一言置いてその場を立ち去ろうとした。
しかし、コルベールは何故か大急ぎで呼び止めるのであった。
「あぁ、待って下さいミス・ロングビル!」
「………………!」
少し、ヒヤリとした感触が背中に渡った。だがコルベールの声からして、問い詰めるとかのキツい声をしていなかったので、一先ずは安心だ。
再度、コルベールに振り返った。
「……なんでしょうか?」
「いえ! あの……この後お暇でしょうか?」
ロングビルはこの後の予定や仕事を思い出すのだが、特にこれと言った事はない。
「はい……そろそろお昼時ですし、何も……」
「あ、そうですかそうですか!」
コルベールは嬉しそうに、声色を高めた。
「もし、宜しければ、そのぉー……」
「………………」
「ぜ、是非とも、昼食をご、ご一緒にどうですかね?」
「え?」
唐突な昼食の誘いに少し素が出かけたが、何とか取り持ってニコリと微笑んだ。
「……そうですね、そうしましょうか。良いですよ?」
「本当ですか!? いや、有り難う御座います!」
承諾を受けたコルベールは、初告白に成功した初心い中学生のように喜ぶのであった。その様を前にニコニコとしているロングビルだが、次に開かれた目にはあの、野望の炎が宿る。
(……この男なら、何か知っているかも知れない)
そんな彼女の思惑に気付くハズもなく、コルベールはロングビルに先を促した。
「それにしてもミスタは、どうして『宝物庫』に?」
ロングビルはこじ付けてはいるものの、一応は目録作成の為である。しかし、それ以外では滅多に人は訪れようともしないこの窓無しの暗い廊下を、目的無しに来る人物はいないだろう。
彼女の問いに、並列して歩いているコルベールは楽し気に笑う。
「いやぁ!『宝物庫』の『固定化』を確認しに来ました! あれは素晴らしく、高度な『固定化』ですよ!! 見ていて飽きが来ませんな!」
「………………」
「そう思いませんか?」
「そ、そうですね……はは……」
忘れていた、この男は学院きっての『変人』だと言う事を。彼の研究室はガラクタに埋もれ、昼夜を問わず何かの発明がされているとか。
まさに、知識欲の塊、毎日が研究日和だと思っているタイプなのだ。そんな彼が、見えもしない『宝物庫の固定化』を見に来たとかの理由でここまで来た。正直、常人には理解出来ない感性だと思う。
「何て言ったって、何人ものスクウェアクラスのメイジが施した、要は『重ね塗りされた固定化』なんです! あらゆる魔法に対抗する為に設計された、超厳重の要塞なんです! 何と、宮廷の宝物庫と同じ技法だとか……」
「……そうなんですか」
それは参ったなと言わんばかりに、考え込むロングビル。しかし、コルベールと行動を共にして正解だったようだ、彼は変人と言う所に目を瞑れば、あらゆる魔法や技法を使えないのに知識にしている『魔法雑学先生』または『魔法学おばけ』。
故に、何かアレコレを知っているハズだ。
「……もしも、ですが……それを破れるメイジはいるのでしょうか?」
やや踏み込んだ質問だ。流石に疑われる事を覚悟したが、仕方ない。
「恐らく、存在しないでしょうな!」
コルベールは疑う事も考え込む素振りも見せずに断言した。
「魔法でアレを破る者がいるのなら、それはスクウェアを超えた者ですよ! 何て言えど、スクウェアクラスが何人も重ねてかけているのです。破れる者がいるのなら、それはもう怪物ですよ!」
「……へぇ、素晴らしいですね…………」
これには頭が痛くなった、聞かなきゃよかったとまで後悔した。この先生が断言してしまったなら、もう無理なのだろう。コルベールに聞こえないように溜め息ついた。
「……しかし、これは自論ですがね? 実は弱点があると思うのです!」
「……えっ!?」
ここでまさかの想定外。何とこの魔法学おばけ、この『要塞級固定化魔法』の突破方法を編み出していたのだ。これには流石の彼女も本心から驚いた。
「……それは、どんな?」
「ふふふふふ……聞きますか?」
急かす気持ちを抑えて、至って冷静に、あくまで冷静に、コルベールにその方法を聞いた。コルベールは、自分の研究報告に酔っているのか、疑う気持ちを微塵も出さずに言ったのだった。
「あの固定化は、あくまで『対魔法用』。つまり、『物理耐性』を持っていないのです!」
「じゃあ……つまりは……」
「そう!『ゴーレムの拳を食らった時には成す術無し』と言う事です!! 物事は単純であります」
それを聞いたロングビルの口元は、ニヤリと吊り上がった。お淑やかな印象にそぐわない、悪人のような悪巧みの笑み。目には野望の炎が、激しく燃え盛っていたのだった。
「あぁ、あと、これも語っておきましょう! ミス、『破壊の円盤』はご存知で?」
再びコルベールが話し掛けて来たので、ロングビルはパッと別人のように表情を変えた。目の炎は鎮火している。
「『宝物庫』で厳重保管されている物ですよね? 名前だけなら聞いた事あるのですが……ミスタは拝見を?」
「はい!! もう、あれを始めて見た時の興奮は凄いものでして、その日の夜は眠れませんでしたよ!!」
保管されている『破壊の円盤』の事に話題が移った瞬間、コルベールの目は好奇心に光り輝いていた。この人物をここまで興奮させる『破壊の円盤』とは何なのか、気になる所である。
「大きさは手の平いっぱい程度なのですが、あれは鏡のようで鏡ではなく、硬いようで柔らかいような……何処の言葉でもない謎の『四つの文字』の他、ずっと眺めていれば表面に『男の絵』が浮かび上がる!」
「……凄いですね……」
「一度、何か魔法がかかっているか、アカデミーの方に調べさせたそうですが、『解読不能』との事! まさに不可解の塊、未知なる世界への遺産!……ミステリーですぞ!!」
興奮するコルベールだが、それを宥めるようにロングビルは質問を付け加えた。
「しかし……何故、『破壊』と名が付いているのですか? 聞いている限りは、無害そうですが……」
確かに聞いた限りでは『不可解な物』と言う印象なのだが、『破壊』に至る理由が分からない。大きさも程々らしく、どうしてそんな物騒な名前になったのかイメージ付かない。その問いにクールダウンしたコルベールは、真面目に冷静に応対する。
「何でも、『オールド・オスマンを救った』らしいのですよ、あの、一枚の円盤が」
「え? な、何から?」
「驚くなかれ、『ワイバーン』です! なんでも、『破壊の円盤』がワイバーンを退治したとの事ですが……詳しくはオールド・オスマンも教えてくれませんでした」
「………………」
聞いただけなら無害そうな代物、しかしその内には何か『強力な秘密』が隠されているようだ。ロングビルの目が、ギラリと、番鳥のように光るのであった。
「まぁ、それより昼食ですな! 何を食べますか? 料理長と面識があるので、何か特別に作って貰う事も出来ますぞ!」
「あ、私はいつものお料理にしますわ」
「そ、そうですか……はい」
二人は、食堂へと歩いて行ったのだった。
『初めて? 杜王町名物の創業明治三十六年、ごま蜜団子ってお菓子よ』
女の子の声だ。何の話をしているのだろうか。
『何言ってんだよ……定助〜もちろんさぁ。おまえは家族じゃあないかァ』
今度は若い男の声だ。家族……オレの事を家族と言ったのか。
『壁の目が隆起したから、崖崩れとか危険なりィィ〜』
最初とは違う、もっと若い女の子の声。壁の目……壁に目がある……何を言っている?
『おまえのことを思っている人が、この世に誰もいないと考えるのは違う……オレとかもいるだろ……』
次はもっと歳の取った男の声。オレを、オレを思っている……思ってくれている。
『岩に生まれたのは……!!』
男の声、若い男の声だが、オレに敵意を剥き出している。
『貴様の方だッ! この前! 岩に挟んでオレが殺してやったッ!』
何を言っている、殺した? オレは今、ここに存在している、生きている。この男、オレを……知っている……?
『そう、あなたはあなた……わかってるわ……』
女性の……大人の女性の声。声が、少し震えている。
『この世の誰だってそう……』
まだ、同じ声が続く。オレを知っているのか、オレを理解しているのか。
『あなたはあなた自身』
言わない、言ってくれない。教えてくれない、教えてくれ。
声が聞こえないぞ、勿体ぶらないでくれ、教えてくれよ。なぁ、どうして声が止まったんだ? オレは全員を知っているのか? おい、答えてくれよ、知っているのに教えてくれないなんて、あんまりじゃないか。
暗闇の中だ、誰も感じない。冷たい。何処へ行った? 何処から話し掛けている? 隠れたのか? どうして隠れるんだ? ここは何処だ? オレは誰なんだ?
なぁ、オレは誰なんだ、何者なんだ、みんな知っているのか?誰でも良い、教えてくれ、オレを教えてくれ……オレは……オレは……
「オレは、何者なんだぁぁぁッ!?」
叫んで起きたらそこは、ベッドの上。
包帯だらけの上半身を起こして、荒い息で周りを見渡した。
「………………」
見覚えのある風景……彼がいたのは、ルイズの部屋の、ルイズのベッドの上。窓から溢れる太陽の灯りが、顔に当たって暖かい。
「………………」
気配がしない、誰もいないのだろう。ボンヤリと、光のないランプを眺めていた。窓を見ると太陽が浮かんでいる、向きからして今はお昼時だろうか。
「…………!」
扉が開く音が聞こえて、部屋に誰か入って来た。
今思ったけど、良い歳した男がこんな豆まきしていいのか?