2月6日 朝
近江・滋賀郡 東海道
蒲生 賢秀
「くくくっ。鬼十河がいなくなっただけでこの様か。三好家という者達は」
何年にもわたり戦ったり和したりを繰り返してきた三好家への最後の大戦、と言い切った御館様は、満足げに京の六角軍から届いた書状を見ながら呟いた。
鬼十河が急病で亡くなったその日、将軍様の勧告から三好家と和平した
わかりやすいその動きだが、三好家も管領様を再び出すわけには行かず、戦いに引きずりこまれる。
「高政もようやく腰をあげた。後はあの2人が動けば……」
歪みきった1つの性格を除けば信頼出来る御館様は、前の山並みを見上げながら呟く。
一方で、私は別の事を考え、密かに嘆息をついた。
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2月6日
畿内とその周り
鬼十河の死を契機にして反三好の旗印をあげたのは南近江の六角義賢、河内・紀伊の畠山高政、
歪みきった好色漢、新時代を否定したい旧人、金の亡者、そして本来の役割を忘れた餓鬼達の集まりだが、早速彼らの思惑通りには動かなかった。
六角家の挙兵を、丹波で世話になった甲賀者から聞いた時、晴元はただ「そうか」とだけ呟き、義輝は「阿呆が」と書状を焼いたという。
「御館様よりお達しが来ました。大和衆を引き連れて京に向かえとの事です」
「わかりました。頼次、行きますよ?」
「はい!」
一方で、攻められる側も色々と準備を進める。河内北東部の飯盛山城にいる長慶は、弟の1人を亡くした悲しみをこらえつつ、弟や家臣達に出陣を命じた。
前の長慶の本拠地だった摂津・芥川山城の城主を継いだ三好義興には摂津の者達7000人を、大和・信貴山の松永久秀にも大和の者達7000を預けて、京の西側の城に派遣する。
また、畠山軍 に囲まれた岸和田城への援軍として、総大将に弟の河内・高屋城城主の三好実休を河内衆と共に、更に長老の三好長
「雑賀の奴等がいるのか」
「はい。三好家に
「まあ、堺とかで動き回ったからなあ」
三好軍の部隊がそれぞれの所へ展開した頃、良晴達は京を出て人がめっきり少なくなった芥川山城の城下にいた。
六角軍がやって来る京にいるわけにはいかず、けれども舟がある堺は大阪湾一帯が三好軍による臨戦態勢が敷かれてるため大きく動けない。
風魔から和泉方面での報告は受けた良晴は、しばし考え、更に氏康と良氏から来る書状を見つめた後に決断する。
「それぞれ交代してここで待機。良い具合に傾いたら帰るぞ」
『はっ!』
北条軍、芥川山城で待機。
その決断が、三好家の行く末を決めた事を、この時も誰もが知らなかった。
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2月11日 朝
京 西院小泉城城下
土岐 頼次
平安京の外側。そこに、その城はある。好色漢とそいつが何処かから引きずり出してきた御輿とは、御所を挟んで反対の位置にある。
姫巫女様、下京の町人達、そして上京の公家達は思い思いの所に逃れたらしいが、そこら辺を担当する人が何時も以上にぼやいていた。
「実休様は久米田で岸和田城の重存様の救援を待ち望んでいます。その士気を上げるためにも、私達が前の敵を突破しなければなりません」
対陣を始めてから3日は小笠原流と日置流のハイレベルな遠矢の争いでしたが、今日は違います。
尊敬するおじの1人であった一存の初七日までには決着をつけたい義興様が望み、この日の突撃が決まりました。
「さあ、滅しますよ。
『おー!!』
そして、私達は城から出て、京の街を東西に走り抜けます。
目指すは、瓜生山城。かつて将軍様の手下がうろついていた所です。