7日目 明け方
戦場
吉川軍
先鋒を任された1人である熊谷信直。
彼とそれに付き従う者達は、多くの者が我先に舟へ逃げている中で踏みとどまる陶軍の部隊を見つけて口角をあげる。
踏みとどまっている奴等は、彼らの予想が正しければ、それは陶軍の中でも歴戦の男の家の者のはずだからだ。
「吉川元春様が家臣、熊谷信直! いざーー」
尋常に! と言おうとした矢先に、真横から殺気を感じた信直は、迷わず体を捻る。
そして、目の前を通り過ぎた矢が飛んできた方を見ると、すぐに信直は察した。
「罠か!」
奇襲攻撃をかけた軍の先鋒が討たれる。それが士気にどれくらい影響するかは未知数だが、下がるのは確実だろう。
簡単な罠に引っ掛かった事に後悔している間に、目の前の旗印が動き始める。
「卑怯者の名前を聞こう!」
「勝つためには必要! 拙者の名は弘中三河守
「やはりお主が弘中殿か! 拙者は熊谷伊豆守信直と申す!」
「武田から毛利に鞍替えした者か! 先祖にあやかってるのか?」
「当たりだ!」
2人の大将が話している間に、それぞれの軍は衝突するが、隆房がこの島から出るまで守りきるために士気があり更に数も多い弘中らの軍に、熊谷らの軍が押され始める。
戦況は毛利優位に変わっていて、先鋒の役目はほぼ果たされているようなものだが、信直は目の前の知勇兼備の名将を倒すために踏ん張る。
そのほぼ互角の戦いの横っ腹をついたのがーー。
「熊谷ー!!」
信直ら荒武者達を率い、最近になって女の子な一面も見せた事から、周りから見れば引くぐらいの熱を荒武者達が捧げている吉川元春だった。
良晴におんぶされながら刀を振るう彼女は、
対して、良晴は彼女が振るう動きに合わせつつ、自分達に迫る敵も避けるという神業に近い動きをして、徐々に足を前に進ませる。
「ここまで、か」
隆包がぽつりと漏らしたのは、その元春と良晴のコンビネーションによる前進を見たからではなく、最後の希望だった隆元急襲部隊が敗走していくのが見えたからだ。
順次撤退を命じた隆包は、苦悩する男を助けるために部下より早く撤退していく。その後から彼の部下達も後ろに動いていくが、やがて民家から火の手が上がるとそのスピードをはやめた。
「火を消せ! 神社に移させるな!」
『御意!』
元春の命令で一部が火災の消火にあてられ、弘中軍は大きな被害を受けつつも崩壊せずに撤退に成功する。隆包は、変の後からずっと横顔を見てきた陶隆房の隣に辿り着くが、しかし眼前の光景は予感が当たった物だった。
ある舟は必死に対岸へ進み、ある舟は燃え盛り、ある舟は乗る人もおらずただ漂い続け、ある舟は厳島神社の鳥居に突っ込んで徐々に見えなくなる。通じて言える事は、隆房が乗れそうな舟は無いという事だ。
「海岸線を進もう。どこかにあるかもしれない」
「……ああ。すまんな」
ほとんど脱け殻のようになっている隆房をやはり横目に見ながら、隆包はこの島に渡る前の事を考えていた。
陶家とはお隣同士にあたる隆包は、主家である大内家の未来を
しかし新しい当主に擁立しようとした問田亀鶴丸=大内義教の逃亡、彼までの中継ぎにしようとした大友家の男との不和、宮川房長の討死と不幸な事が相次いだ。これが元就や毛利両川の策謀によるものなら、その手を見てきた俺達でもまだ対処出来ただろう。
「毛利隆元と相良良晴、か」
しかし、降ってわいてきたのは妹に散々批難されてきた毛利家の嫡男と、東の方の戦いで活躍した
安芸のほとんどの商人と瀬戸内の王・村上武吉を徳と家族を想う心で味方につけた毛利備中守隆元と、忍者を表の戦いで普通に使い公家達をやる気にさせた相良鎌倉郡司良晴。
その2人の登場を予想出来る者がいるとすれば……。
「やはりこれは天道じゃなかったみたいだな」
隆房の感情の無い声に沈みこんだ意識を再び上がらせた隆包は、自分達が本土の方に面する海岸を見渡せる所に立っている所に気付き、そして「嗚呼……」と晴れ間が見えてきた空を見上げる。
この反乱をお家を助けるための浄化作用とするため「この戦は天道である」と言い張った男を待つ舟は無く、変わりに後ろから多くの足音が迫ってくる。
「総大将が無様に逃げ回るのはこれ以上は
この島に渡る前の軍議で毛利元就の策謀を見抜いていた隆包を見た隆房の目付きは、覚悟を決めたそれだった。
「対岸に行けばあるかもしれん。行ってくれ」
「…………ああ」
天道に嫌われた者に待ち受けるのは……。
「隆包」
「んっ?」
「この歌を次に残してくれ」
「……聞こう」
笑みを浮かべる隆房が
「では、黄泉の国で会おうぞ!」
「ああ」
さらばだ、五郎。俺が愛した人よ。