2日目
安芸・吉田郡山城下
吉川元春
陶晴賢は、まず東へ向かった。厳島の神領と桜尾城を接収して、もしもの時にすぐに本拠地が襲われないようにしたのである。
そして、若山城に舞い戻った晴賢が、同胞達の挙兵も確認してから、山口に向けて出立したのは、翌日の未明だった。
時を同じくして、晴賢の挙兵宣言に立ち会い、世代を越えた義兄妹の契りを彼と交わした吉川元春は、煮えたぎる体で馬をかり、父親がいる吉田郡山城の城下に辿り着いた。意気軒昂に同調の挙兵を父親に押しかけ、妹が反抗しようものなら自分が盾になろうという意気込みでやって来たのだがーー。
「なんじゃこりゃ?」
まだ夜が明けていないというのに、城に通じる門の前には多くの男達が詰めかけていた。武士ではなく、銭を武器とする商人達である。
男達に喚きたてられている門番の1人が馬の上で戸惑う元春を見つけ、涙目になりながら駆け寄る。
「何があった?」
「そ、それが、陶に味方するんやったらその前に俺達に殿様と会わせろと引っ込まないんです!」
「ああ?」
「ひっ」
まず、元春の頭に引っ掛かったのは、元就に会わせる事を求めている方ではなく、陶の挙兵を知っている事だった。
「おう、吉川の嬢ちゃんやないけ!」
ごつい体を知った商人が元春に気付き、太い木の棒を持ったまま走り寄る。
対して、慌てて刀を抜いた門番の
「なんや、毛利に用か?」
「毛利っちゅうより元就とお前にだな」
「なんやと?」
その巨体に似つかわしくなく温厚な商人は、懐から乱暴に折り畳まれた紙を取りだし、そのまま地面の上に座る。
「嬢ちゃん、これを見ろ」
「…………」
門番に詰め寄る商人達もこっちを見ているが武器を向けていなく、目の前の奴も木の棒は手放してる。
警戒しながらも、元春は言われた通りに馬の真横にあぐらで座り、愛刀を持っていない方の手で紙を取り、その中身にすぐに不機嫌な表情を浮かべた。
「あの穀潰しが告げ口したのか」
「なんやと!?」
思わず口から出た言葉に、巨体が動くが、元春は同じない。
「戦も謀略もからっきしの穀潰しをそう言って何が悪いんじゃ」
「…………野郎共!」
巨体は立ち上がり、雷を鳴らした。
「毛利とは隆元様とを除いて絶交じゃ! 家臣の奴等もな! 特に吉川には雑穀や塵さえやるな!」
「なっ!?」
『おう!』
根っからの武辺者だが、戦に米などが必須なのがわからないほど馬鹿ではない。
今で言う戦争直前の経済封鎖にあたる宣言に元春は驚くが、その巨体の宣言に全員が応じた方が驚いた。
「庄屋! どういう事や!」
四散していく商人の1人。大内家に恨み辛みがあり、絶対的な支援を元就と約束していた男に詰め寄るが、向けられた視線は侮蔑だけの物だった。
「てめえの心に聞きやがれ」
何時も優しかった商人に吐き捨てるように言われた事に、さすがの元春も固まっている間に、彼はさっさと立ち去っていた。
「なにが……毛利のなにが悪いんじゃ!!」
怒りのままに真横にあった木を両断した元春は、馬も置き去りにして、自分の足で城の本丸へ駆け抜ける。
鬼のような表情を浮かべ、片手に刀を鞘から抜いた状態で持っている彼女に声をかけたり、ましては止めようとする勇者は現れず、土足で父親がいるだろう部屋の前に最短時間を更新して辿り着く。
「おやっさん!」
襖を開けるのももどかしかったので蹴破った元春が評定の間で見たのは、昨日の夜に挙兵に向け一致団結していたとは到底信じられないような光景だった。
誰が、昨日の様子から、元就に怒り満々で迫っている状況を予想出来るだろうか。
「おう、ようやく現れたか、毛利の恥さらしめが!」
「なんやと!?」
「元春!
傷を負いながらも月山富田城からの撤退戦をやりきり、史実では足利義輝から空切り音さえ鳴らさないほど槍が上手い事を示す『槍の鈴』を貰ったほどの腕前である国司飛騨守元相を相手に切りかかろうとした元春だが、両者ともに元就の大声で止まる。
その大声を出した元就は、一目見てもはっきりわかるほど『失敗した』という感情を
「2人とも座れ」
安芸の大親分の声に、まずは腰の刀に手をかけていた元相があぐらをかいて座り、元春も少しして鼻息を荒げながら座る。
「結論は出た。
「どういうことや!」
今度は愛刀を床に突き刺し、空手で元就に迫る。
自分の娘に胸ぐらを掴まれた元就は、しかし愛する子達の1人をしっかりと見据えながら答える。
「隆元どのの決定よ」
「はあ!? 家督はあの穀潰しに讓っちょるが実権はおやっさんが持っているはずじゃろ!?」
「ほう。穀潰し、か」
元相の、普通の者が聞けば、体が震える低い声。
「…………そう言って何が悪いんじゃ?」
対する、元春の声も同じような声。
一触即発の空気に最初に動いたのは、2人ではなく、隆元の足先が踏んでいた紙を持った元就だった。
「元春どの。これは見たか?」
「…………商人も同じような紙を持ってた」
「……なんと返した?」
「さっきと同じじゃ」
元春の答えに元就は頭を抱え、元就の盟友でもある元相は大笑いをあげる。
「殿。これで殿にお味方する商人はいなくなりましたな」
「…………やはり、そうなるよのう。決戦は……」
「隆元様をお救いになられた後ですな」
元春の視線に気付いた元就が言う。
「…………知らぬ間に隆元どのは我らのために動いていた」
「どういうことじゃ」
「謀略の限りを尽くしたために商人から全く信用されなくなっておった が、神辺とかに行けた理由を考えた事あるか?」
「ない。おやっさんが商人を騙しとったと思っとたんじゃが」
正直な娘の答えに父親は更に頭を抱え、ほとんどの家臣も笑いをおさえるのに必死になった。
例外は、ガハハと笑うに笑えない者達を代弁するかのように大声で笑う元相と、溜め息をついた隆景ぐらいだった。