「別に俺は殿下や公頼様に恨みがあるわけではない。恨みがある公家は大宮家ぐらいだ」
最後にそう言って、義隆は長い話を終えた。
それを彼の目を見てずっと聞いていた良晴は、話が終わると少しだけ目を
「理由を、作ってくれ」
「……殿下達を船に乗せる理由か?」
「ああ」
「亀鶴丸を三条家の猶子にしたいので、それを姫巫女様に直談判したい。殿下と権中納言様で支援してほしい、というのはどうだ?」
「…………」
「左大臣様の許可も取ってるぞ?」
ニヤリという表現がまさに当てはまる義隆の笑みに、良晴は大きな溜め息をついた。
そして、なんとないという風に良晴は言う。
「義尊も連れていくぞ」
「! ああ、いいとも」
大内義隆と相良良晴。
その2人の会談は、握手をもって閉められた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「公家が京に帰る、だと?」
周防南東部、今の周南市にある1つの山に建てられた城に、甲冑で身を固めた男が、山口にいた
間者は義昭が港のジャンク船に愚痴を漏らしながら乗り込んだ事、大友家の使節団と公家達の面会を義隆が使節団に断らせた事、その義隆と良晴が密談をしていた事など、急に慌ただしくなった山口の事について主に報告する。
それを一字一句聞き逃さないように聴いていた者は、しばらく目を閉じる。
「殿、動きますか?」
じりじりとした時間が幾分が過ぎた後、部屋の中にいた壮年の男が話し掛ける。
「山はようやく動いた」
その声は、遠雷のように太く。
「だが、もう遅い」
一挙一動は、まさに武士そのものであり。
「隆房の名は捨てる」
その言動に惚れ込む者は多い。
「これより我は陶
『おー!!』
陶隆房あらため晴賢の宣言に大声を上げた者の中に、頭に鉢巻きを巻いた姫武将がいた。
そして、義隆よりも幾分か年上である老将は、時を同じくして居城から西の方を見る。
「後は隆元どのだけぞ」
その言葉に、同じ部屋にいた姫武将は何の反応もしなかった。
陶晴賢、居城・若山城にて挙兵。
ここに、一昨年の
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
挙兵を知ったのは、殿が公家の人々と準備を進めていた時で、大内家の人からそれを聞いた殿は、色めき立つ臆病者達とは違い泰然自若としていた。
敵の城は瀬戸内海に近いから、恐らくは海側から攻めてくる。
そう
「これから、俺達は山側を歩いて、東に向かう」
公家の代表である
殿から正直に言われ天空を虚ろな眼で見上げていた
「よ、良晴殿」
震える声を発したのは、今年で還暦という権中納言様。
「麿はこの通り年がいっておるし、足も悪い。麿がいても邪魔になるだけ。だからーー」
「置いていかないぜ」
しわしわな目頭を無意識に潤している権中納言様の言葉を、ニヤリと楽しそうな笑みを浮かべながら殿は遮る。
餓鬼大将のような、数々の修羅場を潜り抜けた者しか出来ない笑みを浮かべた殿は、右手の親指を何時ものように立てながら言い放つ。
「俺は義隆さんから基規さんも任されてるんだ。それなのに置いていくなんて、義に反する。だから、何処かに消えても俺はあんたを追い掛ける」
殿の宣言に目を見開いた権中納言様は、やがて右手で目元を覆って、体を震わせる。
しばらくしてから、彼は変装のために大内家の人から羽織らされかけようとしていた農民のような服を引ったくるように取り、束帯を放って、周りの目も気にせずに着替える。
「麿の家は鷹狩りも家業としている」
若さを取り戻した権中納言様は、殿と同じような笑みを浮かべながら、殿のように親指を立てる。
「生き延びたら、そっちの方に教えに行こう」
「! おう!」
そして、それを見ていた左大臣様も、1つ大きな息をついて、優雅に農民の服を着終わった後、清々しい笑みを浮かべる。
「麿も行きましょう。笛を教えに」
臆病者が、護られる者になった瞬間だった。