相良良晴←ヤンデレ   作:コーレア

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第40話 西国での動きの話

「俺がいた世界では、島津家が最初に本格的な釣り野伏を実行したのは、日向の伊東家との戦いの時だったんだ。俺が知る歴史では、今から20年ぐらい後だな」

 

 ザビエルさんが来たのが確か1550年代で、木崎原の戦いが1575年の長篠の戦いぐらいだったから会ってるはずだ。

 

「20年後か……。私達の相手は見つかってる?」

「…………どうだっけ? 天下人の時代はずっと島津家は続いてたけど」

「なら、誰かの血筋はあるという事ね」

「だな」

 

 史実なら義久と歳久には娘しか産まれず、薩摩藩藩主の男系の血筋の始まりは義弘からになり、家久の息子の血筋は分家になるが、そこまで詳しい事は良晴は知らなかった。

 

「けれど、関東で感じた事なんだが、歴史の流れが早まり始めている。俺がこんな大役を任された切っ掛けになった戦いも、今から10年ぐらい後に起きたはずだからな」

「……そう」

 

 歴史の流れが早まっている、という事は島津家にもいつ伊東家の決戦が迫ってるかわからない事に繋がる。

 歳久はまた俯くが、その直後に頭がポンポンと優しく叩かれる。

 

「姉妹思いで島津家思いな歳久ちゃんがついてれば、万全の体勢で伊東家を迎え撃てるよ」

「……もうっ」

 

 顔が熱くなるのを感じ、目の前の少し湿っている良晴の胸におでこをぐりぐりした所で、歳久はようやく気付いた。

 さっきから良晴に抱きつき、良晴は良晴で抱き締めたままだから、まるで恋人みたいにしか見えない事を。

 

「…………きゅー」

「歳久ちゃん? 歳久ちゃーん!?」

 

 うぶな歳久には、その状況は耐えきれないものだった。

 その後、頭の下に柔らかい暖かさを感じて、目の前に影に入って黒くなってる良晴の顔を見たとき、彼女はもう1回気絶しかけた。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 そういえばまだ名前を良晴は聞いていない友達が泊まる宿で利休は一晩を過ごし、船員達は飲み明かした次の日(1月19日)、良晴達は博多から少し南に行った大きな神社を参拝していた。

 かつては、御所に落雷を落とした史上最強レベルの怨霊として恐れられ、今は怨敵調伏・戦勝祈願・王城鎮護の神様として幕府や武将達に慕われている人を祀る神社である。

 

「…………戦勝祈願でいっか」

 

 状況によっては軍神がやって来るかもしれないが、房総の敵に勝てるようにお願いする良晴。

 大宰府天満宮への参詣が終われば、翌日の出港までは暇なので解散する。良晴は、博多の中にある今で言う商店街に利休と護衛の人達と一緒にやって来る。

 その商店街の中にある少し大きな広場には、今までの閑散とした感じはなく活気に溢れていた。

 

「僅か3日でってすごいな」

 

 山口の港で鎌倉の『大衆食堂』の話を聞いた義昭が義隆に命じ、応じた義隆の早馬が筑前守護代の杉興運に博多でも作る事が書かれた書状を持ってやって来たのが3日前。

 日明朝琉4ヶ国の商人が、自身&大内家&北条家(少しだけ)幕府(ほんのちょっと)の出資で始めたが、何時もより安く食べる事ができ、更に北条家の出資で外国や他方からの店の言葉をここの言葉に訳す人がいるので買いやすい。

 そして、日ノ本の店として出している北条家のお好み焼き屋の横の薩摩の名物を売っている店の前のベンチに、博多との交易を望むために来ていた商人達も引き連れていた歳久が、初めて見る白米に茶色の液体がかけられた食べ物に挑み、慌てて水を飲もうとして、良晴らに気付く。

 

「ありゃ、ひしゃしびゅりね」

 

 どうやら、舌をやられたようである。

 笑いをこらえながら良晴が差し出した竹筒の中に入っている水を飲んでから、ジト目で彼を見る。

 

「『東から来たお人が考えた物』らしいけどなんなの?」

「カレーだよ」

『カレー?』

 

 歳久だけではなく、カレーを初めて見聞きする利休も声をあげ、護衛の人達も首を傾げる。

 正確にはインドを支配したイギリスから明治にやって来た物を改良したカレーライスになるのだが、そこまでは詳しくない良晴は堺の南蛮商人から仕入れ、船の厨房でインドーーこの頃は天竺(てんじく)として知られるーーの書物を参考にしながら作ったカレーの事を説明する。

 そして、歳久が初めて見る食べ物にひかれ、甘口の『甘い』という単語を嫌い頼んだのが辛口だよ、とも。

 

「人によっては違うけど、甘口は俺達のような世代向けになる」

 

 歳久がギブアップした辛口カレーを、木彫り職人が一夜かけて大量生産した木製の(スプーン)で食べ、彼女は良晴が買った甘口カレーを食べる。辛口は味覚がやられると聞いた利休は甘口を、大人は半々の割合でどっちかを食べていた。

 南蛮との中継貿易もしている琉球にも香辛料あったかしら? と考えながら聞いていた歳久は、食べ終わると長机を挟んで反対側に座る利休に挨拶する。

 茶道にはあまり興味は無いが、堺の商人としての利休と付き合いたい歳久と、堺や博多より南蛮に近い琉球に近い薩摩の彼女と付き合いたい利休の話も盛り上がり、それを良晴達が見守るという光景が、一刻ぐらいあった。

 

 そして、良晴らが博多を去った晩にほくほく顔の商人と共に神速で帰路につき、4姉妹の下に帰ってきた歳久は2人の姉に良晴の事を含めて報告してある提案をする。

 数日後、末っ子の家久の傅役(もりやく)で勇将と言われる新納(にいろ)武蔵守忠元がセッティングした場で3人は謝り、家久は朗らかな笑顔で許した。

 更に幾つかの約束を内々でしてから、あることが島津家家中に発表される。

 

 『武神』島津兵庫頭義弘、分家の豊州島津家に養子入りへ。

 

 その事に、島津家は湧き、伊東家と肝付家は震える。

 豊州家の支城には日向南部の飫肥(おび)城があり、その下にある広渡川を下った先には遣唐使の時にも使われた港・油津がある。

 その飫肥城というより油津を巡って伊東家は100年以上にわたり島津家と争い、大隅の肝付家にとっても伊東家と手を結ぶ上で重要な中継点であるからだ。

 

『琉球から坊津(薩摩)、油津、浦戸(土佐)を経由して真鶴に向かう貿易船の交易許可を北条相模守(氏康)にもらって、出来ればこの薩摩に来て』

 

 他の3姉妹が不審がり心配するほど、うきうきしたり挙動不審になったりしながら良晴宛の手紙を書いた歳久は、義隆の治める山口に向かう博多商人にそれを任す。

 まるで無くしたら命を失うと言わんばかりの覚悟をありありと顔に出している商人を満面の笑顔で見送った彼女は、しかしその直後に義久に呼ばれる。

 

「大変! 大内義隆が家臣の反乱にあって自害しちゃった!」

 

 その言葉を聞いた歳久の混乱っぷりは、島津家の黒歴史になるほどだったという。




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