「例えどんな外見でも、例えどんな母親を持ってても父親はわいです。わいを越えていかんと
父上は、いつも私を背中にしてそう言っていた。
私を狙う人が現れると、父上は例え重大な商談をしていても何処からともなく駆けつけてきてくれた。
「お姉ちゃん」
「与四」
そして妹と母上は、怯える私を左右両方から抱き締めてくれた。
その光景が、日常だった。
「呪われてもしりまへんからな!」
みずほらしい服を着た男たちがようやく帰っていても、今度は店先であった事を見聞きしたお客さんや同僚の人相手に父上は大袈裟に笑いながら話す。
お祖父様がこの町に来たときに培った人脈があったけど、わずか1代で会合衆の中の納屋衆の1人に数えられるまで家を栄えた父上の話術に、話を聞き終わった殆どの人が、阿倍野の神社から来た人達を『父上に商売で敗れて、母上と私を呪った人達』と思い込み怒っていた。
納屋衆にも話をつけたから騒がしいのは終わりやわ、と言いながら疲れた様子を見せない父上は、大徳寺から帰ってきた私を笑顔で抱き抱えてくれた。
「安心し。播磨の左京大夫さんが返してくれたら、与四の辛い目も終わる」
そして、店番をしていた人に大きなお客さんが来たことを言われ、父上は家族だけの部屋から去っていった。
何時もの父上の元気な背中。それが、私達が父上を見た最後になった。
「納屋衆での会合の時に1回倒れた事があったんや」
明から来た人のための干物の取引をしようと、港へと走っている時に、いきなり倒れた。
頭を抱えて泡を口から吹きながら苦しみ最後は穏やかに晴れ渡った空を見ながら家に永遠に帰ってこなくなった父上の葬儀の喪主をしてくれた宗久さんは、会合衆の全員も参列した葬儀が終わって、曇り空を見上げながら私達に教えてくれた。
「その時は
「…………夫は何事も明るく隠そうとする人でしたから。その倒れはった時も、笑いながら私達には隠せって命令口調で言ってたんでしょ? せやったら納屋衆の皆様が自分を責めることをしてはなりません。私は夫を叱りたいですわ」
そう宗久さんの謝罪に答えた母上も、みるみるうちに衰弱していき、最後に妹を堺の辺りの武家・久田家の嫡男に嫁いだ光景を見送ってから亡くなった。
後に残った私達は、若い時に父上に助けられた宗久さんと久田さんの後ろ楯で成長していき、私も茶道や禅に余裕を持って深く入り込めるようになった。
「2つの意味の敵を作ってしまいましたな」
私が初めて出れた納屋衆の会合で、天王寺屋の主に毒づかれた時、宗久さんは笑いながらそう言ったのが印象的だった。
2ヶ月前にこの堺の町にやって来た商人とは違う変わった南蛮人のザビエルさんと、その数日後に播磨からやって来た弟子のシメオン。この2人で、私の体を少しはおさえる事が出来たけど、まだ何かが足りなかった。
「むふー! 南蛮占術はマスターしたから、後は学問だ! ということで九州に行ってくる!」
そう言い残して、船が出るときは少し寂しそうな顔をしてシメオンは、遠い遠い西の地へ去っていった。
「明が危ないのでそろそろ私も日ノ本を出ます」
悔しさを滲ませながらもザビエルさんもザビエルさんもそう手紙を送ってきたから、忙しそうな2人に話すのは諦めた。
けれども、その直後にザビエルさんの帰国が遅くなっていた理由がやって来て、その中に良晴がいた。
「………………起きてる?」
良晴は、優しい人だ。わがままな人の前ではこの声は出したくないけど、彼ならまた喋れなんていう強要もしてこないだろう。
「起きてるぞ」
少ししてから、彼の声が聞こえる。
彼が寝ている隣の部屋には竹千代らがいるから、自然と静かに入る。
襖を閉めて、左足を前に出したあぐらに似た座り方をしている彼の前で正座をする。職人の人が突貫で作ったとは思えないほどのゴスロリの服は、やっぱりずっと着ていたい。
「……お願いがあって来ました」
その服のポケットから、少し前に書いてそのままだった手紙を取り出す。
「これを、博多の私の弟子に届けてほしいです」
播磨の左京大夫が、結局返そうとしなかった、私を巣食う者を抑えるための代物。
シメオンなら、すぐに見つけてくれるかもしれない。