「お初に御目に掛かります、梅千代様」
12月13日、鎌倉府として再び賑わいを見せてきた浄妙寺前の建物の評定の間で、30代くらいの男が梅千代に頭を下げていた。
河越城の戦いで氏康に敗れ、良晴がこの世界に来る半年前に最後の砦だった上野国の平井城を落とされ、峠を越えて越後に落ち延び、軍神かつ義将の長尾景虎を関東に招き寄せた男である。
「うむ。乾享院様の頃からずっと対立し、私がまだ幼子の頃にあった河越城の戦いの前に、父上と結ぶ英断をしてくれた事、感謝するぞ」
「有り難き御言葉でございます」
表面では今の関東管領・上杉憲政の判断を褒めているが、その中は『何故、河越城の時まで手を結ぼうとしなかった』という物だった。
その意味に根っからの武士である憲政は気付いていたがそれに触れず何時も通りに装い、また悟った者も評定に列席した人の中にもいたが荒げようとはしなかった。
氏康は「梅千代ってこんなに腹黒かった?」と呟いていたが、幸いにも彼女の隣にいる人物達には聞こえなかった。
「鎌倉公方と関東管領の融和、真に目出
「真にでございます」
姫巫女の
義元経由で来た手紙に最初は驚いた氏康だが、戦乱は長らく統べている武蔵の外縁辺りなので財政に影響は少ないし、木曽義仲や承久の乱という古すぎる出来事で東国の武士を恐れている京に尹房殿下の体験談が伝わると良くなるし、現役の摂政をもてなした事も大々的に自慢できる事だからと、参加とその謝礼としての朝廷への献金も承諾した。
良晴はと言うと、わざわざ山口から瀬戸内と太平洋の荒波を越えて船酔いしながらもやって来た尹房と、京・駿河・小田原の東海道を往復しまくりつつ確りと酒は飲んでいる言継に感心はしていた。
「佐竹殿も身を挺して守ってくれる家臣を持ち、幸せでございますな。我らの方はそのような者など無きに等しい」
「ありがとうございます」
義重が礼を言いながら頭を下げ、特例として
上げてから反対側に座る幻庵と氏康を見るが、今でも『佐竹家の客将』という位置付けなので、渋い表情を浮かべているだけだった。
「相良」
そして、昼に行われた面会? が終わった後。
それがあった中期の鎌倉幕府跡に建てられた『鎌倉屋敷』から、この儀式の間だけ住まう事になった鎌倉府近くのちっさな家に戻ろうした良晴を幻庵が呼び止める。
振り向くと、幻庵の横に3人の少女が立っていた。
「今宵の正月事始めの祭にお三方を連れていってくれ」
危うく「はっ?」と言いそうになった良晴だが、自分のお尻をつねって危うく堪えれた。
足利梅千代、佐竹義重、そして北条氏康。梅千代は目を輝かせ、義重は少し不満げにジト目で、氏康はどや顔という三者三様の表情だった。
「ここを越えれば鎌倉ね」
「はい」
そして、良晴が頷いた頃、1組の主従が鎌倉へと通じる道を歩いていた。
鎌倉幕府が防衛的観点から山を切り通した7つだけの陸路での出入り口の1つ、亀ヶ
「噂に聞いた通りに歩きやすいですね」
「ええ。これが舗装という物なのね」
「え…祖国にもあってほしい物です」
「ふふ」
片や行人包で真っ白な顔と髪を覆い、片や紫がかった髪も細い目もそのまま出している。どちらも美少女と言える外見に、沿道の団子屋で彼女達を見掛けた男達を中心に少なくない数が今で言うナンパを仕掛けたが、その全員が近くの木々に
もちろん、その異様な2人組は9割を北条が雇った者で構成される鎌倉臨時
そして、そのランクだったが故に氏康や幻庵といった重臣にその外見が伝えられる事なく、彼女達は玉縄城下で受け取った武勇の誉れ高い北条綱成と相良良晴が監督する臨時宿に泊まる事が出来た。
UA10,000ごえありがとうございます。
まさかこんな短い期間で達成するとは思いもよりませんでした。