相良良晴←ヤンデレ   作:コーレア

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終幕

伊勢・神宮

 

西の天満宮のように3人の武将が2人の前に座っているが、内2人は男性で後の1人は女性である事や笑顔、渋い、ガチガチと三者三様の表情であったりと色々と違っていた。

 

「ちゃんと大役を果たせているな」

「はい。皆様のおかげでございます」

 

ごつい体型に似合わず笑顔なのは、伊賀と中勢・北勢を良晴に任された相良良盛こと朝霞永盛。全国を回った相良衆の副将であり、姫武将らに「威厳を示す為には1つぐらい勝手を」と言われた良晴が国主に任じた。

相模国でずっと自分を待ち続けていた幼馴染と結ばれ、周りの国々の協力を得ながら、群雄割拠していた3つの地方を纏めあげて統治している。近く、四日市と上野にある城を壊し、本城である松坂だけにしたいと願い出てきた。

その永盛の着任によって、伊勢国司から南勢守護に格下げされたのが渋い表情の北畠伊勢守良教である。

 

「これから宜しくな」

「ひゃ、はい!」

 

ガチガチに緊張しているのが、近く志摩守護を弟に譲る九鬼志摩守良隆である。良い男を見つけられず剃髪しようとした直前に、弟が良晴からの誘いの文を持ってきた。

主に織田良奈の後押しで成就した彼女の翌日の表情は、良晴に「とてもお見せ出来るものでは」と弟が言う程だった。

 

「義兄でもある相良様のご尊顔を再び見る事が出来た事は、我ら三河人の生涯の誇りでございます」

 

伊勢湾と三河湾を突っ切った先の岡崎城で、2人は三河の男達の挨拶を受ける。

彼らを代表して口上を述べた徳川三河守┃晴≪・≫康は、より体格が良くなり、良盛も「五分五分でしょうな」と言う程になっていた。

 

「姉┃妹≪・≫は不手際を働いていないでしょうか?」

 

徳川┃良≪・≫康、徳川┃良≪・≫秀、徳川良忠。1つの家では2番目の3人が良晴の室になり、晴康も心配しきりだが、良晴は笑顔で否定し、それぞれの近況を話す。

良康は軍師っぽくなっているが良く策に溺れている事、良秀は官兵衛と仲が物凄く良く体型も同じくらい育っていて最近は歌舞伎にはまり始めた事、良忠は法整備を主に手伝う一方で体力が良秀に負けない程だという事などなど。

半ば愚痴っぽい良晴の言葉を笑顔で聞きながら、晴康は妹2人を送り出すのを決めた時に語った姉の言葉を思い出していた。

 

「良晴様によると徳川家が最後の天下人だった様です。晴康は自害させられ、良秀は養子に出されていた様です。その暗い運命を変えてくれた良晴様を支え、相良家に徳川家ありと言わしてみせましょう。

……もし良晴様に逆らおうとする者がいたら、ね」

 

俺も女だったら良いな、と密かに思ったのは生涯にわたり胸に秘めると決めている事だ。男だから、織田良奈の妹の1人で、嫉妬深いけどもたまに優しい最愛の嫁を愛する事が出来るのだから。

その思いは姉に代わり遠江と駿河の守護になった今川駿遠守良真も一緒で、駿遠を蹴鞠王国にするために自ら広げながら、晴康と嫁自慢をしあっている。

 

「よ……相良様っ」

 

氏康、氏政、氏照、氏規、氏邦。4人が良晴に嫁ぎ、真っ先に通字を氏から良に変えた北条家だが、3代続けて当主が嫁ごうとしているという、危機なのかなんなのかわからない事態に直面していた。

すっきりした顔の良直に見送られて、最後に向かった先は軍神を祀る鹿島神宮である。かつてお家争いをしていた場所も、今では参拝客で溢れかっている。

 

「久し振り、だな」

「ええ」

 

佐竹常陸守良重。結婚式直後の父の死によって、嫁ぐのが先送りになり、後継者である弟を育てていた彼女を迎えにいくのが、この旅の目的の1つだった。そして、目的はもう1つある。

 

「天照大御神様、八幡大菩薩様、そして数多くの軍神様。皆々様により、戦の国から和の国になれました。御礼申し上げます」

 

姫巫女様は、目の前の1本の刀を折る。

 

「これからは、苦境に戦う者達を導く神様でいらしてください。我々は再び戦の国にしません」

 

軍神へのお暇。

戦国時代は、こうして正式に終わったと記される事になる。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

姫巫女様。

6男7女を産み、その中の1人は後陽成と後に呼ばれる次代の姫巫女様となる。

 

北条良康。

6男6女を産み、その中の1人は「やっぱり」抑えきれなかった良直の跡を継いで伊豆・相模・武蔵国主となる。ちなみに、その後の北条家でも、6人が1人の天下人に嫁ぐという記録は破られず、彼女らは安産・夫婦円満の神様として祀られる事になる。

 

北条良氏。

5男3女を産むが、生涯にわたり姉に負けたのを残念がったという。

 

北条良照。

1人娘だけだったが、彼女もその娘さんも生涯にわたり武勇伝に事欠かない女性になる。

 

北条良規。

4男を産み、良康の相棒として彼女は知られる。

 

北条良邦。

4男3女の内の1人は姉の家を継ぎ、最後の頃には良虎とも談笑していた。

 

北条良直。

2女を産み、姉達の最後を見届け、青空の下で、誰にも囲まれず、笑いながら「勝ったよ」と言い、亡くなる。

 

佐竹良重。

5男1女に恵まれ、生涯にわたり良康のライバルだったが、彼女の後を追うように亡くなる。後の秋田県の料理が舌にあい、代々の佐竹家当主もそうだったらしい。

 

足利良氏。

1男2女を産み、次女は本家に嫁ぐが、気弱な夫とよく喧嘩していたらしい。喜連川に別荘を建て、両家の交流の時に使った。

 

足利良昭。

最後まで兄に反対されていたが、佐々木小次郎と宮本武蔵に習った剣術で黙らせた。4男を産み、兄などとよく文通をして、その思出話は後世の重要な歴史資料になる。ちなみに、御前試合になった小次郎と武蔵の決闘は……。

 

伊達良宗。

陸奥国を5つに分け、それぞれ一門に任せる。2つに分けた出羽国とどっちが先が争っているらしい。10男4女をもうけ、仙台城下で祀られる。また、今の総合病院の基礎を作った事で、医療の神様としても祀られる。

 

前田良家。

大奥の相談役として知られる彼女は、6男9女を産みながらも、良晴とは良き盟友のような関係になる。

 

上杉良虎。

次代の良勝と同じく1男のみだったが、笑顔を絶やさない人生を送り、川中島の者達はそれに泣き笑いを浮かべて神社を建てた。一方で、その1男を含む京上杉家の者達は軍略に長けた者が多く、国防のトップになる者もいた。

 

武田良信。

良虎ともイチャイチャしながらも、しっかりと7男5女を産み、弟の良康は3人目の時に神社を建てさせた。4男は生涯にわたり諏訪を愛したという。

 

今川良元。

2男3女を産み、良晴考案のサッカーを始めとしたスポーツを奨励し整備した人として名を残す。ちなみに、良真の目論み通りに駿遠はサッカー王国になる。

 

徳川良康。

11男5女に恵まれ、15人目を産んだ時のドヤ顔の水彩画は岡崎城下の神社の本殿に祀られている。アンチエイジングの神様としても、最近注目されるようになった。

 

徳川良秀。

5男1女を産み、彼女自身もその子孫も良晴によって新設された警察のメンバーとして動き回る。

 

徳川良忠。

4男5女を産み、良晴が作った体制を法で固める。彼女の子孫は、時折、法務長官に任じられた。

 

九鬼良隆。

8男3女を産み、産んだ後も精神的に不安定だったが、他の室の計らいで良晴と語り合ってからは落ち着く。晩年は、志摩の海女さんもしていた。

 

織田良奈。

12男6女を産み、良康の悔しがる様子と共にドヤ顔が清洲の神社に収められている。子供達の良き友として、色々と連れ回したらしい。

 

蜂須賀良勝。

相良政権で忍の頭領になった彼女は、その間に1男2女としっかりとやることはやる。忍のこれまでを纏め、後の日本の諜報界で敬われる。

 

武田良統。

1男のみだったが、むしろ若狭の海産物の名を国内外に広めた伝説の営業マンとして名が残る。

 

宇喜多良家。

4男3女を産み、彼女自身は後に日本水泳の祖と言われるまでに泳ぎが上手く、琵琶湖の長浜から大阪城まで泳いだのは今でも語り継がれ、挑戦者が後を絶たず、故に淀川水系は清流を保ち続ける。

 

毛利良元。

2男1女を産み、どしっとしながら「おばさん」達の子供も面倒を見る。良晴は、ずっとドキッとされていたらしい。

 

吉川良春。

4男2女を産み、南海派遣軍の豪傑として世界でも名が知られる姫武将だが、子供には物凄く甘かったらしい。姪の事を「魔女」と評したが、仲は良かったようだ。

 

小早川良景。

最初で最後の男子を産んだ時、良晴や良親の方がむしろ泣いたらしい。姪とはよく争ったが、一家の長とした尊敬していた。

 

黒田良高。

2男を産み、良景に教育を指南し、自身は『兄』と『姉』にずっと甘えていた。

 

土岐良次。

3男1女を産み、世界からは性教育の祖と言われる。日本のみならずポリネシアンやユーラシアのも纏めた。美濃は「……もちろん覚えていたわ?」らしい。

 

三好良継。

3男1女を産み、世界初の帝王切開を受ける。それを「耐えきるには根性」という名言も産んだ。

 

長宗我部良親。

6男4女を産み、南海派遣軍の1人として世界でも知られ、土佐を日ノ本有数の世界に知られる地域まで押し上げた。

 

大友良鎮。

3男7女を産みながら、宗教政策を主導し、多宗教国家の基礎を作ったとまで言われるようになる。

 

有馬良信。

3男6女を産みながら、良鎮のサポートをする。良鎮が政を推し進めれたのは、良晴と彼女が精神的な支えになったからだと言われる。

 

龍造寺良家。

隆信によって嫁ぎ、4男3女を産み、兄夫婦と自分達の事を事細かく記し、それが色々な言い伝えの元になる。

 

相良良陽。

3男3女を産みつつも、良晴とは親友のような関係だったという。良晴はこの相良家の流れ者ではないか、という説は当時からあった。

 

島津良久。

3女に次いで1男を産み、やっと籤引きが当たったと喜んだという。良陽と共に皆の姉女房的な立場となり、争いを封じた。

 

島津良弘。

5男2女を産んだ「一番変わった」姫武将だと言われ、当人も満更ではなかったらしい。子供への教育は一番厳しかった。

 

島津良歳。

2女を産んだ「2番目に変わった」姫武将だと言われた事に反発していたが、氏康とは一番の親友になった。

 

島津良家。

3男2女を産んだ、奥のマスコット的存在。

 

カナシ。

琉球国王の養女として、遅くに嫁ぐ。 彼女の真っ直ぐな感想は日琉双方の根拠のない誤解を溶かし、両国の交流の活発化に繋がる。彼女自身は2男2女を産み、笑顔が絶えなかったという。

 

相良良晴。

39人の妻を持ち、合わせて152男110女の子供の父親になった関白。その色んな偉業は、後に全世界の王朝の子作りの基礎になり、更に発展して安産の神様として世界でも祀られる。また、全員に愛を持って接し、ヨーロッパ人も「ゼウス┃が≪・≫見習うべき」と評し、世界的な倫理観も変えたと言われる。また、ヤンデレという言葉も生み出し、実体験に基づく書は今も読み継がれている。

為政者としても「争いから微睡みへ」をスローガンに、刀狩りや常備軍整備など推し進め、歴史家に「この時代に成し遂げられる最高峰の改革」と言わしめた。

対外的にも「平等」を信条に条約を結んでいき、ロシアとは間宮海峡・択捉島を国境にする。朝鮮とはいち早く同盟を求めてきた東人派と結び、その派閥が政権を握ると対馬海峡を国境とする条約を結ぶ。軍を駐留させた琉球を巡って対立した明は、清を応援する事で間接的に滅ぼし、清とは台湾が清の領土だと認める代わりに日本と琉球を冊封体制から外させた。一方、徹底的に無視されたスペインが琉球を攻めると、南海派遣軍など常備軍をフィリピンに送る。順調にルソン島を占領した所で、ポルトガルを仲介に和議を結び、マリアナ諸島までの南洋を領土とする。

 

後年、首都とした江戸城下に、良晴の辞世の句が書かれた石碑が建てられ、再びその句の謎に挑もうというブームが起きた。

 

織りし夢

繋がる夢は

儚くも

豊国の川で

姫と泳がん

 

最後の「終わってくれよ」という言葉と共に、誰から繋がる夢なのか今なお議論は尽きない。




これにて、本当に終結です。
ご拝読ありがとうございました。

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