10月25日
相模・小田原城
武田家が攻めてきてからまだ半月しか経っていないが、大きな戦いも乱取りも無かった事から、この頃にはいつも通りの日常を過ごしていた。
その小田原城の城下から、北条氏康を団長とする一団が出発する。
「この場合は?」
三好家の関東取り次ぎ担当だった荒木氏清の所に送られてきた彼の元同僚・結城忠正から京の作法を学んでいるのが、氏康の妹であり養子でもある北条氏良。
「これの読み方は?」
自分の従兄弟に当たる北条幻庵から文字を学んでいるのが、綱成と同じく北条家に迎え入れられた家の者である北条綱高。
「…………」
そして、馬上で手元の書状を見ながらずっと考え込んでいるのが相良良晴である。
「待たせたわね」
「いえいえ」
一行はすっかり港町となった真鶴から舟に乗り、太平洋を西へと進む。このまま堺に行けるし、舟を操る者達もそれに慣れていたが、氏康からの注文はその途中の港町で降りる事だった。
伊良湖水道を通り、穏やかな伊勢湾をずっと北に登り、そして尾張は津島の港町に着く。
「貴女が北条氏康ね!」
「…ええ。そういう貴女が織田信奈ね」
一気に5ヶ国の守護に登り詰めた織田信奈。相良良晴と土岐頼次が広めた医療の知識で、急死は逃れたものの目に見えて衰えた父・信秀から完全に権利を譲られた彼女は、内政に重きを置き始めた。
尾張と美濃はともかく、伊勢は少しだけ、伊賀と大和はほぼほぼ触れる事なく領する事になったため、各郡の領主は元々そこにいた者が多いが、所々に織田家の家臣を入れていた。
しかし、各国の中でも特に異質な伊勢神宮とその周りについては中々決まらず、彼女を悩ませていた。そんな彼女に耳打ちしたのが頼次で、幕府の対北条家の観点からいっても有効である所まで考えた彼女は、ある案を北条家に出す。
その案を、氏康は「京への連絡口の1つになる」と捉え、それに賛同し、すぐに人選して、ここに来たという訳だ。
「それで? 南勢を任せてもらうのは誰なの?」
「この北条綱高よ」
「お初にお目にかかります、織田様。元は筑前は太宰府天満宮とその周りを任せられていました高橋家の出身である北条綱高でございます」
「なるほどね。北条家という伊勢平家の血筋と、太宰府天満宮という実績の両方を持った者というわけね」
「ええ」
北条家は伊勢家の支流であり、伊勢家は伊勢平氏ーーつまり平清盛などを出した血筋の生き残り。その者が郡主となるならば、中々北畠家に根付かなかった者達も従うだろうという計算である。
綱高は津島からそのまま北条氏康の代官も兼ねて伊勢神宮へと向かい、その他は信奈の案内で清洲城へと向かう。その清洲城は、今まさに取り壊されようとしている所だった。
「あら? 他に移すの?」
「ええ! この地だと石垣の城を作っても、水に削り取られてしまうからね」
「それに今までの守護とは違うのよ、というのを見せつけるため?」
「正解」
両方、逆らわない者や民には優しいから根が似ているからこういう感じなんだろうな、とは良晴の談。
その良晴に、清洲城で信奈からある事を任される事になる。
「……良いのか?」
「はい! 上総国の監視役として我らをお雇いくださいませ!」
稲葉山城が岐阜城と名前を変えていないどころか、墨俣城も出来ていない段階で将軍によって戦いが終わったこの世界。それは、戦の度に大きくなっていた羽柴秀吉の未来を、途中で終わらせる事に直結する。
川並衆と呼ばれる者達を雇いさあ更に! という所で、その活躍場所が奪われてしまったらたまったものではない。織田家は分裂はしているものの、まとめれば5ヶ国を統べるくらいの家臣はいるので、郡主になるのは難しい。だったら、主を替えよう……というのが秀吉の考えであり、良晴も平伏する彼を見ながらそれを察する事は出来た。
まあ、戦乱の世は終わったぽいしな……と考え、氏康と目で会話した良晴はそれを許す。
そして、羽柴秀吉と川並衆率いる蜂須賀五右衛門、何故か前田利家と前田慶次が家臣につく事になる。
「……なんで?」
「信奈様の茶人を怪我させてしまったから」
「わらわはそのお供」
…………まあ、仕方がないか、と割りきり、殺めたのではなく怪我させたに変わっている事に安心する良晴だった。
その壊されている途中の清洲城の横にある仮と言っても大きな館に氏康らは一泊する事になるが、北条家に宛がわれた所で一悶着があった事は、北条家でも2人しかしらない事だった。
起きたら背中に暖かみがあった事には驚かなかったが、その源の人物に驚いた良晴は、その後は何時ものように過ごして出発に備える。
「神宮に詣る女性は斎宮になるんだっけ?」
「馬鹿ね。なるのは皇女よ」
神宮を経由して東海道を歩いていき、途中で東山道に合流して、良晴と氏康にとっては久し振りの京に着く。
「少しずつ戻っていっているのは嬉しいな」
「ええ。例え敵国でも……だけど、こうして味方の町を見るのは嬉しいわ」
「……………………」
微笑む2人と少しだけ頬を膨らませる1人を中心にして、2人は洛外の鳥羽という所に絶賛建設中の武家屋敷群に辿り着く。
縁を1周すると16キロもある巨椋池の北岸にある鳥羽は、上皇による藤原家を介さない統治、つまり院政時代にその上皇の離宮が建てられた事で有名だ。戦乱の世になると建物は燃やされ衰退するが、義輝はその場所を全国から集める『家臣』達の集合場所と定め、それぞれの家の費用で屋敷を作らせた。
今回は、義輝による正式な各国守護赴任の任命式のための集合命令とあり、ほとんどの国主格の者達が集まろうとしている。なので、その彼らの間の交流も活発となるが、特に受け身となったのが『幕府の左右近衛』と呼ばれる武田家と織田家……ではなく、北条家だった。
「
とは、織田家代表の1人である土岐頼次。
「けれど今さら接近して何の得があるのかしら? 戦の世は終わったのよ?」
「…………それもそうですね。強いて言うなら……好かれているからでは?」
「相良が?」
「いえ、北条家が」
「……そうかしら?」
「相良殿によって大内家の内乱から公家から、小西さんや堺との繋がりからキリシタンとも仲が良いですが、実際に
「そう。……
「ええ」
まあ、まだ途中ですから動かせやすいですけど……と、誰かが誰にも聞こえぬように呟き、北条家と織田家代表の『世間話』は終わる。
そして、不気味なほどに落ち着いた天気が続く中、続々と武家達は集っていく。
そして。
全員が揃った翌日、1つの建物が燃える。