相良良晴←ヤンデレ   作:コーレア

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第192話 日向での話

7月7日

|日向・児湯郡≪宮崎県新富町≫ 富田浜

北条 氏康

 

 正直に言えば、南九州の3ヶ国がどんな国なのか、そこの家の連合軍が旗揚げするまでは知らなかった。

 その3ヶ国の歴史を教えられたのは、大友家と毛利家の戦乱が終わった後で、大友家に再び付く事を再び選んだ佐伯家の当主・惟教からだった。

 

「大友家が有能かつ鎌倉殿(源頼朝)のお気に入りであった事から、また少弐家は同じく有能かつ鎌倉殿のお気に入りであった事から九州に下向されたという事はご存知かと思います。

 島津家も摂津は住吉大社の境内で初代当主の忠久を産んだ丹後局は実は源頼朝の側室で、忠久は頼朝の落胤……とは称していますが、恐らくは大友家と同じく荘園の管理能力を買われたのでしょう。日向、大隅、薩摩を任される事になる島津忠久までは、近衛家の荘園の管理を任されていましたから」

「近衛さん、か」

 

 武闘派という珍しい公家である近衛前久は上杉謙信を取り込もうと越後に自ら下向し、そこで謙信に捕らえられた相良と色々話したらしい。恐らく、その時を思い出しているのだろう。

 

「その後、鎌倉での内乱に連座して薩摩のみとなり、それが室町の世までずっと続きます。

 ですが、足利将軍様には『拝領した初代の忠久様の時からずっと3ヶ国を持っています』と虚言を吐き、幕府は一番遠い所だからかこれを認め、島津家ではその認識が『普通』になります。

 実際は室町の世になってからも日向は治めておらず、薩摩と大隅の中で一族同士の内乱を何回か起こします。それを鎮めたのが島津貴久であり、その子供達があの4姉妹でございます」

 

 かつて南蛮貿易を介して琉球貿易に関わろうとしたため知っていたらしい佐伯から話を聞き、島津家も修羅の家だった事に驚くと同時に納得もした。

 その話が終わるのを待っていたかのように浜で一番の家の戸を開けた男は、その島津家と長きにわたる戦いを繰り広げてきた家の主である。

 

「御初に御目に掛かる。日向は伊東家の当主である伊東修理大夫義(すけ)だ」

「南関東は北条家の当主の北条()()()()氏康よ」

「……ほう」

 

 巻き込まれた私達へのお詫びとして、大友義鎮と毛利元就が代表して私を検非違使の長官にあたる検非別当、唐名・大理卿へ推薦してくれた。

 私はそのままは断り、臨時という条件がつく『権』を付けてもらう事で推薦を受け入れた。

 伊東殿は戦が終わると「急ぐので」とさっさと帰っていったため知らなかったが、すぐに意味を察してくれたようだ。

 

「確か伊東家は藤原家の生まれだとか」

「然り。伊東家の一部が鎌倉幕府より日向の地頭を任され、島津家の内乱によって苦痛を味わっていた日向を解放していき、慈照院(足利義政)様より日向を任したという御教書を受け、日向を()べようとしているのだ」

 

 ……というのが、伊東家の主張ね。

 その互いの違う主張で、特に日向南西部が狩り場となっている。そして、そういうのをあまり知らなかったからこそ中立的な立場で出来るんじゃない? とは、義鎮の言葉だ。

 この解決のための鍵は、言わずもがなだろうが「正当な日向国守護は誰か?」である。室町将軍にとっては、自分の政争に関係ない辺境の国の出来事という感覚だろうが、その一点が最も大切である。

 だが、島津の主張も伊東の御教書も作ろうと思えば作れる代物なので、どちらが偽物が断ずる事は難しいし、新たな戦乱の理由になる。

 

「難しいわね」

「ああ。どっちもどっちだから、片方の肩を持ったとしても戦の火種にしかならないからな」

 

 ……元々、日向・大隅・薩摩の3ヶ国の多くは近衛家の荘園だった。そして、近衛前久は足利将軍のおじに当たる。安直な考え方だけど、近衛家を特別視しているらしい島津家と、足利将軍の御教書を根拠として動いている伊東家にとっては有効よね。

 その考えを相良に話してみると、彼も同じ考えに色々な条件をつける事を考えていたようで、順調に話も進む。

 

「家長としては良いのかしら?」

「一人立ちしないといけないし、関東からじゃ面倒は中々見れないしな」

 

 ……ちゃんと家族として見ているのね。

 

「どうした?」

「……何も」

 

 ……どうして胸がこんなに暖かくなるのかしら?

 その戸惑いを感じながらも、私は伊東家に考えた事を提案し、好感触を得る事に成功する。なので、貿易の事も話し合ってから、伊東家の本城の前の川の河口にあるらしいこの浜から更に南へと向かう。

 当然ながらその目的地は島津家の所であり、具体的に言えば島津家の本城である内城である。

 

「日向から陸路で横切ってでも行けるんだけどね。こっちの方が安全でしょ?」

 

 とは、相良を挟んで私の反対側に立っていた島津 義久。

 宿敵の伊東家の港では大人しく船内にいて、私達が考えた案にすぐに賛同してくれた。本来なら、そこで帰っても良いのだが。

 

「重要な事は基本的には4姉妹の会議で決めてるから、それの結果がわかってからの方が良いでしょ? それに、琉球との貿易の話し合いも出来るし」

 

 それに、とわざわざ後ろにまわってまで相良を背中から抱き締め、私にというよりは彼に向けて言う。

 

「私の妹()も相良を待ちわびてるよ?」

 

 相良の助けを乞う視線に応えて引き離した後、その相良に詰め寄るが答えたのは、目を優しく細めながら相良を見る義久だった。

 

「歳久ちゃんが乙女の顔で触れ回ってから、強さに京や関東の繊細さが加わった相良の事が気になる女の子が多いの」

 

 朝霞が相良に「死地に飛び込むんですか?」と密かに聞き、相良が「仕方ないだろ」と遠い目で答えていたのが印象的だった。

 朝霞の比喩の通り、島津歳久が主導して再整備された鹿児島港には、島津の兵の外側を老若男女が取り囲んでいて、義久曰く「出る時はこれぐらいいなかったのに」らしい。

 

「朝霞。相良を護りなさい」

「…承知しました」

 

 どこに相良に、というより北条家に害をなそうとしている者がいるかもわからないし、護るにこした事はないでしょ。

 数の違いは割りきれたらしい義久だが、次第に船着き場に近くなり、人の顔の判別が出来るようになると見るからに雰囲気が変わった。

 

「すごいね」

 

 具体的には、つなに対するてるのような、嫉妬を多く含んだ表情に。


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